私を殺した女が、私をおぶって炎の森を駆けている。
マナ障害を起こしているから冷却魔法はローズに頼りっきりだ。
「突然気配が小さくなった時はビックリしたわよ!どうせアンタの事だから身体が慣れてないの忘れて魔術痙攣起こして墜落したとかでしょ!」
「……身体が慣れてないの忘れて魔術痙攣起こして墜落しました……」
「そのまんまなの!?あっこら、大人しくしてなさい!骨は折れてるし火傷してるし血だらけだし意識障害だしでボロボロじゃないの!被災者よりアンタが先にくたばるわよ!」
「は〜い……」
弱い所を見せているのはちょっと不満だったが、そんな事も言ってられないので大人しくしがみつく。
「あと……最初の日のぬいぐるみ、ありがとう。お礼が言えてなかったわ」
「ばれてたか……」
「ばれるわよ……」
ちょっとだけ、してやったりな気分だ。
ローズの背中は、殺し合った相手なのになんだか落ち着いた。
「帝国のラスボスがこんなところでくたばったら許さないからね!」
そうこうしているうちに、火事で出来た雲からポツポツと雨が降ってきた。
じきに豪雨となり、火の手はおさまるだろう。
安堵で気が抜けて、私はローズの背中でグッスリと眠った。
★★★★★★★★★★★
目が覚めると私は頭から足先まで包帯だらけだった。
駆けつけた救護団により他の要救護者と一緒に救護所となった教会に寝かされていたが、その中でもだいぶ酷いほうだった。
「目が覚めた!?」
見ると、ローズとウォルが私を介抱していた。屋敷の皆は救護の手伝いに回っているようだ。
「……みんなは無事?」
「アンタが酸素球を渡して山を降りさせた連中のことなら、みんな無事。残ってたのも雨が降った後無事救出されたわ」
「そう……よかった……。全身ボロボロね、私……」
「本当に酷かったわよ!皮膚は火傷で、肉は裂傷で、内臓はマナ障害で、骨は折れてグッチャグチャ!すぐ目が覚めたのが不思議なくらいよ!」
そうは言うが、ローズの方も中々酷かった。
服は焼けて乞食のようになっており、髪まで焦げていた。
冷却を私の方に優先したのだろうか。
山を降りる途中に引っ掻いたのかスネは血だらけだ。
ふと、脳内に疑問が浮かぶ。
ローズはなぜここまでするのかしら?
そりゃあ戦争回避と情報共有という共同の目的があるわけだけど、何も自身の身に危険が及ぶ状況でまで助けに向かう理由は無いはず。
なにせ将来的に悪役令嬢として断罪されるのは私だけなのだから、私が死んでも彼女に累が及ぶ事は無いだろう。
私の死はローズの命運に何ら関与しないはずよ?
むしろ憎い相手が消えて清々するんじゃない?
私は死んで当然の存在なんだから。
あ、雇用主がいなくなったら困るからかな?でもローズの評判と魔術の腕前なら職にあぶれる事もないと思うけど……
「ローズ?」
「何よ」
「ここまでする理由は無いんじゃない?あなただって傷だらけじゃないの。私が死んでもあなたには関係無いはずよ?」
「……え?」
返ってきたのは困惑の表情。
あれ、何か私変な事言ったかしら?まさか私何か間違えた?ウォルも変な顔してるし……
「あなたの魔術と評判なら職にあぶれる事も無いだろうし。計画だってまだ全然進んでないもの……ここまでしなくていいから!」
★★★★★★★★★★★
「ここまでしなくていいから!」
何を、言っているんだ、パンジーは?
ローズは呆然とした顔でパンジーを見た。
あっけからんと言い放つパンジーは自身の発言に不可解な点が無いと思っておらず、むしろ私が疑問を抱いた事に疑問を抱いた、そんな顔をした。
まるで、自身の命が勘定に入っていないかのような発言。
あれほど怯え泣いていた少女がだ。
「だって私とあなたはただの同盟相手よ?死にそうになってまで私を助ける理由は無いんじゃない?もっと自分を大事にしてよね!」
──いや、事実、そうなのだろう。
パンジーは私が彼女の命を勘定に入れると思っておらず、その事を当然の前提としている。
私だけじゃない。“皆がそう思っている”と、彼女は当然のように前提視している。
そしてその事を悲しみすらしない。
社会の害悪が保護される理由はないと、そう思っているからだ──
「アンタ、死ぬのが怖くないの……?」
思わずそう口にしてしまった私は、特大の地雷を踏んだ。
★★★★★★★★★★★
アンタ、シヌノガ、コワクナイノ……?
不可解な単語が聞こえた。
理解すると、瞬間的に憤怒が湧き上がってきた。経験したこともないほどの全身が沸騰するような感覚。
私はここまで怒りに呑まれる事が出来たのか。
殺人愛好者であろうとも、歴史に永遠に刻まれる咎人であろうとも、ここまで侮蔑される謂れはない。そう、これは侮蔑なのだ。
「ふざけんなっ!!!」
冗談じゃない。
ローズは何を言っているんだ。
「パンジー様!?」
ウォルがあわてふためく。
「死ぬのが……」
「?」
「死ぬのが、怖くないわけ、無いでしょうがぁ!!!」
死ぬのが怖くない人間など存在しない。
怖くない者はすでに死んでいるからだ。
ローズは私が泣き叫んでいるのを聞いていなかったのか。
怒りと息苦しさが喉を駆け上がってくる。
「私は死ぬのが怖い!痛いのも、苦しいのも、全部嫌!ここに来る前からずっと嫌だった!」
前世だってそうだった。
納得して死んだはずなのに、今更ながら未練が湧き上がってくる。
「私がなんにも苦しまないで、なんにも痛く感じなくて、なんにも考えないで、なんにも後悔しないで、なんにも悲しまないで、それで諦めて死のうとしてるんだって、そうやったあの時も諦めて死んだんだって、そう思ってるの!?」
死ぬのが怖い、それは極めて生物的な当たり前の反応だ。
死ぬのが怖くて、逃げ出したくて、それでも悪役として世を去った理由は。
「私は生きたかった……!泥をすすってでも頭を擦り付けてでも生きてやりたかった!」
なら、何故自ら己の命を絶ったのだろうか。それは。
「……でも世界が許してくれなかった。出ていけって、こっちにくるなって、ずっと言われ続けた……」
世界が菫を拒絶し忌み嫌ったからだった。菫自身も菫を憎んで、死に場所を探していたからだった。欠片も、私は死にたくなかったのに。
「私は……私は私が大嫌いだった……!私が存在している事が、何よりも許せなかった……」
菫は己自身の事が、誰よりも誰よりも嫌いだった。許されざる存在だった。
自分で自分を罵倒しているだけなのに、悲しくなって涙が溢れて、止まらない。
「私だって……こんな異物じゃなかったら生きていたかった……!ずっと生きていたかった……!」
殺しを楽しまず、攻撃衝動に駆られる事も無い、そんな平凡で凡庸な人間に産まれついていたら、どんなに楽に生きられた事だったろうか。そう夢想した事は数えきれない程あった。そしてそれは、夢物語でしかなかった。
「でも駄目だった。出て行けと言われ続けた。だから私は、出て行くことにした……」
社会の癌はとっとと出て行くべきだった。だから私は己の命を絶ったのだ。己の声に耳を塞いで、生きたいという望みを打ち捨てて──
「だから私は──私で私を殺したの!!!汚物が消えればハッピーエンドだから!!!あんなにも、生きたいと思っていたのに!!!」
自分を殺す事で社会貢献をしたのだった。愚かにも最期まで、生きたい、死にたくないと思い続けながら。
「パンジー」
醜い執着を吐露し、うなだれるパンジーにローズが声をかける。
ああ、人殺しのくせに浅ましく生きたいなどと嘆いて、さぞ彼女は私を軽蔑しているだろうな──
メコッ!
幼女パンチが顔面に飛んできた。
「そんなの知ったこっちゃないわ」
★★★★★★★★★★★
知ったこっちゃない?
ああそうか、こんな訳の分からない話理解が出来ないと切り捨てた方が楽だろうな──
「アンタがどんなに苦しんできたのか、アンタがどれだけ拒まれ続けてきたのか、私には分からないわ。アンタがどれだけ自分を憎んできたかなんてもっと分からない。だから、「そんな事はない」とかは言わない。言ってはいけないと思うから」
「だから、私が勝手にアンタのやってきたことを許す」
★★★★★★★★★★★
──なんだそれは?
聞いた事がない。
意味不明だ。
不可解だ。
不条理だ。
許されざる社会の敵を一個人が勝手に許すなど、傲慢が過ぎる。
「アンタがどう思おうが関係無い。私がアンタを許したから私はアンタを助けた」
滅茶苦茶だ。
それでは道理が通らないではないか。
「私はアンタの言葉を聞いて、行動を見て、殺し殺されたアンタを助けたいと思った」
その傲慢で身勝手で不条理な、その私個人の事だけを考えた、その言葉を──
「アンタがどれだけ拒んでも私が勝手にアンタを助ける」
──パンジーはずっと待っていた。
★★★★★★★★★★★
その言葉に目を見開いたパンジーを、ローズはそっと抱き寄せる。普段の力強さが嘘みたいに無抵抗にパンジーは倒れ込む。
「──ずっと生きてちゃいけないと思ってた」
「私が許す。殺し合ってここに生まれた私が許す」
「自分を殺すのが一番良い事だと思ってた」
「生きて、もっと沢山の人を助けるのよ。今ここにいるあなたに助けられた人達のように」
「この間聞いたこと、もう一度聞くね。私はここにいていい?」
「私が許す。ここじゃないあなたを知ってる、私が許す」
「──私がまた、自分を殺そうとしたとき、止めにきてくれる?」
「──殺してでも止めにいく」
──それは無償の愛だった。
ローズは、死んで蘇ったこの世界で、前の世界で一度も見つけられなかった愛を、ようやく見つけられたのだった。
「えへ、えへへへ……私、生きてていいんだ……そっかあ、知らなかったなあ……えへ、えへへへ……ひっく」
死を恐れて流した涙とは、世界に怯えて流した涙とは違う涙が溢れてくる。
「ちょっと!?私が泣かしたみたいじゃない!?……ハッ!すみません、先程まで敬語を忘れ失礼を……」
ウォルがいる前であれほど散々タメ口を使っておいて今更口調に気付くなんて、ローズは相変わらず詰めが甘いなあ。
「ウォル!」
「……はい」
「強くなりなさい。今よりも、私よりももっと強く、もっと暴力的に。私を押さえつけてでも、引きずってでも守れるように。ローズと約束したんでしょ?──私を守るって」
「!!……謹んでお受けします!ウォルナット・ノイクスの名に誓って!」
それは無茶だ。無茶振りというものだ。
帝国最強の兵力の魂が宿っておりこれから先もまだ成長していく子供に勝とうなど、魔王に抗えというのと同じだ。
それを迷う事なく、ウォルナットは超えていくと誓った。
「それと、先程の話は聞かなかったことにした方がよろしいですかね?」
「……あそこまで聞けば大体察せるでしょうに……」
フフフと、疲れた身体で力無く笑う。
ローズとウォルも堪えきれなくなったかのように笑い出す。三人の笑い声は、パンジーが疲れて眠るまで教会に響き続けた。
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