小学四年生の時、クラスメイトに暴力を振るっていたいじめっ子を制裁した。
相手は二学年上だったが、いつの世も好きこそ物の上手なれだ。私の相手ではなかった。
子供の喧嘩においてその苦痛の大きさから最も有効な拘束箇所である髪の毛を掴んで拘束し、汎用飲料携行具兼非規制鈍器である水筒で、殴る、殴る。暇な足で押さえ付け、蹴る。伸ばしている爪で引っ掻き、気力を削ぐ。
抵抗が長持ちしなかったのがいささか不満だったが、大義名分のある暴力の機会を得て私の心は躍った。
客観的に見て正義は私の側にあったはずだ。
同学年を中心に二学年下にまで被害者が出ていた程の悪質性、既に自殺者も出ていた被害の悪辣さ、相次ぐ被害にも関わらず見て見ぬ振りをする教師達、徒党を組む狡猾さ。
悪に対して勇敢にも立ち向かう戦士といっても過言ではなかった。
だから、その過程で笑っていた事くらい、なんて事ないはずだった。
相手に二度としないと言わせたので、拘束を解き証言を聞いていたかの確認のために集まってきた皆の方に振り返った。
「──こっちにくるな!化け物!」
悪を挫いた勇者に与えられたものは拒絶だった。
★★★★★★★★★★★
「化け物かあ。ふふ、中世と何にも変わってないわね☆」
燃え盛る火の中をパンジーは飛ぶ。
丈の高い森のため地表付近は案外火の手が濃くなかったが、それでも防御術式が無ければ長くは保たない。
上空を飛べば熱気がさらに酷くなるから地表から向かうしかない。
「まずここね」
気配が集団で固まっている箇所に辿り着く。火の手に囲まれ、なけなしの水魔法で足掻く集団があった。
「『水纏』『耐火』『急冷却』!」
降りるだけに必要なギリギリの量の術式を全員に付与する。
「──子供!?」
「私はパンジー・エルムントだ!この球に圧縮した空気を詰めてあるから少しずつ吸って山を降りろ!消火には時間がかかる!」
「な……」
片田舎に放り出されたとはいえ、一応は領主様の娘なのだから、名前を出せば必要なだけの信用は得られる。説明を短縮して次の場所に向かう。あまりにも時間が足りない。幕府軍を苦しめた膨大な魔力量にものを言わせ火の中を突っ切る。
★★★★★★★★★★★
炎の山に突入してからだいぶ時間が経った。かなり疲労が蓄積している。
途中で消えてしまった気配もあるが……まだ残っている気配を手掛かりに救出を続ける。
もうすぐ火災積雲*が雨を降らせそうだから、火の手がそれほど迫っていない所は放置でいいだろう。
大きな集団は既に全て救出した。危険の迫っている所から優先的に救出して──
突如左足が痙攣を起こし、飛行のバランスを崩して墜落した。
山肌に激しく身体が打ち付けられ、全身がズタズタになった。
燃えた地面に身体が擦りつけられたため、右半身を火傷。
咄嗟に防御術式を展開したため、耐火術式や冷却術式、飛行術式、その他使用していた術式を全て喪失。
熱気が直に当たるようになり、汗がドクドクと流れる。しかし、仮に防御していなかったら即死かよくて気絶していたであろう。
「……ヤッバ」
魔術痙攣。魔力の連続、大量使用によって発生する痙攣である。
魔術は精神の力であるから、当然神経系を酷使し多大な負荷を与える。
本来、日常の魔力行使で魔力量に応じて体が慣らされるため自律神経失調症や薬物摂取、泥酔状態でもない限りまず発症しないのだが……
(体がガキなの忘れてた……)
幼子の精神に突如前世の記憶が蘇り、意志と信念の強固さに比例する精神エネルギーである魔力量が十数倍に増加。
その魔力量に体が慣れていないまま、移動と救出のために大量の魔力を放出し続けた。
結果大脳ニューロンが過剰放電を起こし、筋肉と魔力のコントロールを失った。
当然の結果だ。
打ち付けられた全身と火傷した皮膚が激しく痛み、危険な外傷を脳に告げている。特に酷い火傷を負ったところは逆に痛覚を感じず、感覚が消失していた。
「自分の力も分からないマヌケじゃん……あんな事言ったのにな……」
ローズとの最初の会話を思い出し恥じる。
咄嗟に展開した防御術式により即死は免れたが、それでも右腕と左足、肋骨と骨盤を骨折。身動きが取れない。
加えて無理な魔力行使により意識が朦朧とし始めた。これ以上魔力を使うと気絶する。
激しく打ち付けられた全身から血がどくどくと流れ、ただでさえ赤い炎ばかりの視界が頭部の流血で塞がれさらに赤く染まる。
……コレは、ヤバい、死ぬ。
刻一刻と火の手が迫ってくる。
まるで悪役令嬢を断罪せんと迫る焚刑の聖火のように、その身を炙らんとメラメラと燃え盛っている。
痛い、熱い、痛い、熱いイタイアツイイタイアツイ怖い。
本能が警鐘を鳴らし死を告げていた。
「……でも、悪役エンドよりマシな気もするな……」
まだ前世を思い出したばかりで、戦争阻止は愚か、バッドエンド回避すらままならないのだ。
記憶を思い出したのに新しい生を謳歌する間もなく我力を見誤ってガス欠で死ぬか、駆け引きに失敗し願い届かず悪役令嬢として断罪されるか。
どちらも大差ないくらい惨めなだけだ。
なら人助けで死んだ清く哀れな少女のままでいられる今の方が幸福ではないか?
前世は悪役のままだったのだ、今世くらい善人として死ぬ事を望んでも罰は当たらないのではないか。
嘘だ。
「……怖いよお……死にたくないよお……」
ついこの間死んだというのにまた死ぬのか。
まだやりたい事も、やり残した事も沢山あったのに。
死ぬのは、怖い。
あの時だって、怖かった。
怯える心を欺き、ハッタリをかましていただけだった。
情けなく生にしがみつきたかった。
「死にたくないよ……やだ……やだ……やだよお……」
いやだ、怖い恐いこわいコワイ死にたくない!
ボロボロで痙攣する身体を這いずって地獄の業火から逃げる。自分の身体が擦り付けられて消火された地面の方へ、飛び散った血痕を辿って這いずっていく。
なんて無様で醜い姿だ。
「まだだめだよ……死ぬのはいや……」
逃げた先も炎に囲まれる。
世界はどうしても私を拒んで殺したいらしい。
世界から憎まれて殺されたあの時のように。
自分の心が折れる音が聞こえた。
「死にたくない……たすけて……たすけてよ……」
涙が溢れる。
幼子の心は死の覚悟に耐えられるほど強くなかった。
炎に囲まれたパンジーの出来る事は泣く事だけだった。
「死にたく……ないよお……」
★★★★★★★★★★★
突如、水飛沫を含んだ突風が吹き荒れる。
可燃物が飛散し、熱が奪われ、今にもその命を奪おうとしていた業火が、少しだけ弱まる。
「──こんの、大馬鹿女!!!」
血と涙と曖昧な意識でよく見えないが、目の前に、私を殺した女が立っていた。
*火災積雲……大規模火災や火山噴火によって発生した強力な対流と水蒸気によって形成される濃密な積雲。灰を核として高速で凝結し、突風、豪雨、落雷等の被害をもたらす。
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