【第一章完】この厳島甘美にかかればどうということはありませんわ!

阿弥陀乃トンマージ
阿弥陀乃トンマージ

第2話(3)試したいこと

公開日時: 2023年9月16日(土) 17:56
文字数:2,190

 薄暗いレンガ造りの道を現と甘美が歩く。

「ふむ……」

「極々普通の夢世界ですわね……」

「いや、普通ともちょっと異なるな……」

「え?」

「気が付かないか?」

 甘美が周囲を見回してからハッとなって呟く。

「……ここまで誰とも遭遇しませんでしたわ……」

「そうだ」

「どういうことなのですか?」

「さあな」

 現が両手を広げる。

「さあなって……」

「私もこの夢世界に精通しているわけじゃない、ほぼ推測にしかならないが……」

「それでもお聞かせ願いたいですわ」

「……簡単に言うと、心に抱えている悩みがこの夢世界に反映されていると思われる……」

「ええ」

 甘美が頷く。

「ここまで誰とも遭遇しなかったというのは異常と言ってもいい……通常時を知らないわけだから何とも言えない部分はあるのだが……」

 現が苦笑する。甘美が口を開く。

「……田中教授はお悩みが全くないということ?」

「それはどうも考え難い、普通の人間ならば、何かしらの悩み事やストレスを大なり小なり抱えているものだ」

「そうですわよね……」

 甘美が腕を組む。

「仕事のことはもちろん、こういってはなんだが、年齢的に考えて、健康面についての不安などもあっておかしくはない」

「ええ……」

「考えられることは一つ……」

 現が右手の人差し指を立てる。甘美が問う。

「なんなのですか?」

「……全てを覆いつくす巨大な悩みがあるということだ」

「全てを覆いつくす……」

「ああ、他の悩み事など些細なことと思われるものだ」

「それがこの夢世界に?」

「……奥まで行けば分かるんじゃないか?」

 現が道の先を指差す。甘美が深々と頷く。

「……行ってみましょうか……」

 二人は歩みを速める。しばらくして現が呟く。

「通路が少しばかり広がってきたか……?」

「!」

 甘美がピタッと立ち止まる。

「……いたか」

「ええ、この角を曲がったところに……」

 甘美が角を指差す。二人はそっと覗き込む。

「ウウウ……」

「む!」

 黒く丸々と太った影がそこにはうごめいていた。両手で頭を抱えていることから、かろうじて人型の影だということが分かる。

「ふむ、あれがこの夢世界のボスのようなものか……」

 現が冷静に分析する。甘美が尋ねる。

「どうしますか?」

「それはもちろん、取り除くしかあるまい」

「よ、よろしいのですか?」

「ああ、あれがいわゆる悩みの種なのだからな」

「で、では……」

「ちょっと待て」

 角を曲がろうとする甘美の肩を現が掴む。

「な、何ですの?」

 甘美が首を傾げる。

「考えがある……」

「考え?」

「ああ、ここは任せてくれないか?」

「え、ええ……」

 現の申し出に対し、甘美は戸惑いながらも頷く。

「では……」

「お、お気をつけて……」

 現が角を曲がり、太った影の前に進み出る。

「ウウ……」

「ちょっと失礼」

 現が太った影に呼びかける。

「ウ……? ウウ……」

 太った影は一瞬、現の呼びかけに反応したかと思われたが、また頭を抱える。

「呼びかけには一応反応するようだが……」

「ど、どうするのですか?」

 様子を見ていた甘美が問いかける。

「ふむ、ちょっと試してみたいことがある」

「試してみたいこと?」

「ああ」

 現が背中にしょっていたキーボードを体の前に持ち出す。

「いつも通りではありませんか」

「まあ、見ていろ」

「はあ……」

「……~~♪」

 現がキーボードを弾いて音を奏でる。

「優しい音色ですわね……」

 甘美が目を細める。

「ウ……」

「……~~!」

「えっ⁉」

 現が急にメロディーの雰囲気を変えたため、甘美が驚く。

「ウウッ!」

 太った影が暴れ出す。

「ちょ、ちょっと! 刺激を与えてどうなさるのです⁉」

「静かに!」

 現が甘美を制する。太った影が何やらぶつぶつと呟く。

「ウウッ! ……パ……ツ……シテ……ドウモ……シイ……」

「え……?」

「~~♪」

「あ、曲調が戻りましたわ……」

「ウ? ウウ……」

「また大人しくなった……」

「~~~♪」

「さらに優しい音色に……」

「ウウ……」

 太った影が霧消する。現が呟く。

「……戻るとするか」

「う……」

 田中が目を覚ます。

「良い夢はご覧になれましたか?」

 甘美が声をかける。

「え、ええ……」

「それは良かったですわ」

「うん……」

 半身をチェアからゆっくりと起こした田中が頭を軽く抑える。

「? どうかされましたか?」

「い、いいえ、なんでもありません……」

 甘美の問いに田中が首を左右に振る。現が尋ねる。

「……ご気分はいかがですか?」

「……はい、お陰様でいくらか晴れやかになりました……」

「そうですか……順番が前後してしまって恐縮なのですが、こちらの書類に必要事項のご記入をお願いいたします……」

 現が紙を田中に手渡す。

「は、はい……」

「あくまでもこちらの記録用です。外に出るということはあり得ません」

「わ、分かりました……これでよろしいでしょうか?」

 席を移した田中が書類の記入を終え、現に渡す。現がそれにざっと目を通す。

「……はい、大丈夫です。以上でセラピーは終了となります」

「そ、そうですか……」

「お支払いの方、よろしいでしょうか?」

「ええ……お願いします」

「……ありがとうございます」

「それでは失礼します……」

「お気を付けてお帰り下さい」

 田中が事務所を後にする。甘美が首を捻る。

「……いくらか?」

「ふっ、気付いたか」

 現が笑みを浮かべる。

「完全にクリアになったわけではないのですね」

「そういうことだな」

「よろしいのですか?」

「アフターケアもしっかりと行わなくてはな……」

 現が書類をピラピラとさせる。

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