――降りしきる雨の中。ハリコフ王国領ハンスロルの城主の館にて。
「貴方様は、きっと偉大な王になれますよ」
「……、そうかな?」
天蓋付きの寝具に寝そべり、天井を見つけるボルドー上級伯爵。
彼は自領ハンスロルの統治に行き詰まり、自信を無くしていた。
今までの彼は民衆の前では自信あふれる支配者であり、交渉相手からすれば鋭い眼力と威圧感を放つ難敵だった。
ここ最近、彼にはそれが全くなくなっていった。
それどころか、彼の横顔からは老成した温かさえ感じられるようになっていった。
「民衆が元気な貴方様をお待ちしていますわ」
「そういう時代もあったやもしれぬ……」
政務ではボルドーの秘書を務め、寝所でも寄り添い、公私にわたりボルドーを必死に励ますコンスタンスだったが、糠に釘といった感じだった。
「貴方様は民の期待を一身に受ける英雄ではありませんか!?」
「そ……そうだな」
コンスタンスの熱意が、もはや彼にとって迷惑であるような節もあった。が、彼女は必死に励まし続けた。自信のない今の彼は、彼女の愛した人ではなかったからだ。
それから毎日、彼女は彼女の主を励まし続けた。
ボルドーはそのかいあって、酒浸りの生活から脱却し、天気が良い日に外で乗馬を楽しむようになった。
ようやくコンスタンスの愛するボルドーが戻ってきたようだった。
――その翌日。
転がり込むように伝令が駆け込んできた。
「上級伯爵さま! ローレンス辺境伯爵が兵をあげました。その数おおよそ5000」
「そうか! ご苦労。下がって休め!」
ローレンス辺境伯爵は、ボルドーが支配しているハンスロルに居する有力な豪族である。以前はボルドーに付き従っていたが、ハリコフ王の死に伴い反旗を翻したのだ。
ローレンスに同調しボルドーに反旗を翻す在地領主はさらに増えると予想されたが、このときのボルドーの目には既に野心溢れる若々しい生気が蘇っていた。
ボルドーは白銀の鎧を従卒に手伝わせながらに着こむと、重代に伝わる愛剣を握りしめる。
「ふふふ……、ローレンス! 貴様の汚らしい御首をあげ、ハリコフの王女レオンティーヌ様の俺への降嫁を確実にして見せるわ!!」
――その日、軍旗が掲げられ、兵卒は列をなして進発した。
コンスタンスはボルドー上級伯爵の執務室の窓から、意気揚々と出陣するボルドーを見送った。しかし彼女の両目にはうっすらと涙が浮かんでいた。
――同時期。
ボルドーが治めるハンスロル以外でもハリコフ王の崩御の影響はいかんともしがたく、各地で反乱の火が上がった。
ハリコフ王国王都ルドミラの政庁の要請に基づき、ブタ領では反乱討伐への援軍の任を軍務役アガートラムに任せた。
アガートラムの麾下の兵士は皆魔物である。この時期においては、それだけ王都に余裕がなかったものと思われた。
アガートラム達の進発を見送ったブタは、山狩りからもどったポコ達と近くの海で釣りをしていた。
「餌はこうしてつけるポコ」
「は……はい、頑張ります」
体長30cmのポコが、体高3mの若きサイクロプスに小さな餌の付け方を教えていた。流石にサイクロプスは手が大きくて苦戦していた。
「つけてあげるブヒ」
「甘やかしたらだめポコ!」
「二人とも喧嘩したらだめでち」
サイクロプスをはさんで喧嘩する二匹の仲裁をするリーリヤ。そのとき彼女の肩が優しく叩かれた。
「だぁれですか?」
「某、グスタフと申すもの。アイスマン様にお目通りを願いたい!」
リーリヤに相対し、胸を張る小さな男。齢40といったところだろうか。ブタがそれに応じる。
「拙者はここブヒ! 何か用ですか?」
「某は、世界に名だたる名軍師グスタフと申す! 是非お見知りおきを!!」
「あ、これは御丁寧にどうも」
ブタは笑顔で応じたが、海に浮かぶ浮きが鋭く沈んだため、すぐにブタは釣りに戻った。
……(´・ω・`) 小癪なブタめ。
困った小さな男は、将を落とすにはまずは馬といった具合にポコに話しかけた。
「世界を制するには軍師が必要です。それは三顧の礼で迎えられるべきであり、それに能うる知恵者は某だけなのです!!」
などとポコに熱弁をふるう自称知恵者に、
「でも、お給金とかお高いポコ?」
小難しいアピールに対して、ポコが心配したのはお金だった。
「世界に名だたる軍師が、月給金貨300枚のところ、いまなら銀貨300枚ですぞ!」
「本当ポコ!?」
ポコが『今しかないよ!』といった目線をブタに向ける。
ちなみにこの世界の金貨300枚は現在の日本で3000万円、銀貨300枚は30万円に相当します。確かに99%OFFという凄い割引価格だったのです。
「え~、安いけど。勝手に雇うと爺に怒られちゃうブヒ!」
こんな感じでなかなか就職が大変そうな、自称知恵者のグスタフ。
彼は軍師の職を得るために、この後に何度もブタのもとを訪れ、逆三顧の礼を実施することになってしまうのであった。
☆★☆★☆
今日の天気は晴れ。
もうすぐ夏の熱気がやってくるみたい。
「もう一杯頂こうか」
「どうぞブヒ」
自称知恵者の軍師志望の小男グスタフ。彼はブタとニャッポ村の大衆向けパブで飲んでいた。
先日、グスタフは老騎士の設定した採用試験を受けるも落選した。
しかし、その後も釣りをするブタの下に、就職を求めて毎日やってきたのだ。
その姿がなんとも憎めなくなり、ブタは彼をお酒に誘ったのだった。
「ぷは~旨い!」
ぐびぐびと美味しそうに安い酒をあおるグスタフ。
「そもそも、君主たるものが釣りをする賢者に教えを乞うのが筋ですぞ! これでは全く逆ではありませぬか! けしからん」
「ごめんブヒ」
酔っぱらったグスタフの叱責を、ジュースをチビチビ飲みながらしばらく聞きに徹するブタ。
グスタフが三つ目のエールの盃を空けたころ。
「でもなんでそんなに軍師にこだわるブヒ?」
ブタは疑問に思ったことを聞いてみた。
「そりゃ三国一の軍師として名高いコウメイに若いころからあこがれてたのよ、むにゃむにゃ」
グスタフはお酒が好きな割には、お酒に強くなさそうな男だった。
「三国一って、どこの三国ブヒ?」
「なもの決まってますよ、ニホンとチュウゴクとインドですよ! 知らないんですか? だから最近の若い者は……むにゃむにゃ」
Σ( ̄皿 ̄|||) ぇ?
ブタは学校の歴史の時間で習ったことを必死に思い出していた。昔の地球上にチュウゴクとインドという古の大国があったのを習っていたからだ。
ブタは暫し逡巡するも意を決し、酔いつぶれかかったグスタフに聞いてみた。
「グスタフさんはどこで生まれたブヒ?」
「あはは……、信じないでしょうがね、ここよりはるか遠く文明の進んだ地球というとこでさぁ」
酔いが回り、焦点が定まらない目をするグスタフの胸元をブタはいきなりつかんだ。そして目を覚まさせるように揺すった。
「も、もっとお話を聞かせるブヒ!!」
興奮するブタに目を丸くするグスタフ。あまりのブタの豹変ぶりに、となりで寝かかっていたポコも目が覚めた。
「ブルー君、どうしたポコ?」
ブタにとっても長い夜がはじまったようだった。
――その少し前の夕方。
ハリコフ王国領最南端ハンスロルの地にて、ボルドーは馬上の人となっていた。彼の後ろには暮れかかる西日が穏やかに差し込んでいた。
「反徒ローレンスの野営地は、ここより一日半の地点でございました」
斥候の騎士がボルドーにそう告げた。ボルドーはそれを聞くなり、
「全軍停止!」
「ここで野営をする! 決戦は明日だ! 皆しっかり寝ておけよ」
と部下たちに命令し、野営の準備をはじめさせた。
――それから暫く後。ローレンス辺境伯爵の幕舎の中。
「ボルドーはここより一日半の地にて野営の由」
配下の伝令の報告に頷いたローレンスは、
「決戦は明日以降になろう、全軍の装備を解かせ休ませろ」
「あと明日までに出来るだけ味方を増やすよう各地に檄を飛ばせ」
ローレンスの指示を聞いた家臣たちはその実施に移っていった。この時点でローレンス辺境伯爵の軍勢は6000名。対するボルドー上級伯爵の軍勢は3000名に満たなかった。しかし時間が過ぎれば強大なハリコフ王国が立ち直り、ボルドー上級伯爵の方が優位になる日が来るかもしれなかった。
『明日か、明後日に撃破せなばな……』ローレンスはそう呟いた。彼は優位な状況での決戦を行いたかった。
それに備えローレンスは明かりを消し、彼自身も明日以降に英気を養うことにした。
――が、
「敵襲!」
「味方の裏切りだ!」
「誰が裏切った!?」
けたたましい悲鳴と、緊急事態を知らせる鐘の音が一帯に響いた。
ローレンス辺境伯爵は飛び起き、近くにあった外套を羽織り幕舎の外に出た。
彼の目の前に広がったのは、無残にも劫火に包まれる彼の陣地と、夜中故混乱の極みに達する彼の兵士たちだった。
「これはどうしたことか!?」
急ぎやってきた家臣に問うも、
「わかりませぬ。裏切りとも敵襲とも」
誰も状況を掴みかねていた。が、近習のものが馬を連れ、駆けよってきて、
「なにはともあれ、今はお逃げくだされ!」
「お、おう」
ローレンス辺境伯爵は危険を感じて馬に跨り逃走。それを見た兵士たちが我先にと武器を捨てて逃げ出した。
兵士たちは武装解除の命令を受けていたために、鎧をなげうち寝ていた。よって多くが裸に近い状態で逃げる羽目になった。
「よし、退け」
暗闇の中、ローレンス辺境伯爵の陣地を夜襲したボルドーは、麾下の者にそう指示をした。
「追い打ちし、ローレンスの首を確実に取りましょう」
「いや、要らぬ。今は捨ておけ」
ボルドーは彼の部下の進言をいれず、兵をまとめ陽が昇らぬうちに撤収した。
彼は何故距離の離れた地に夜襲できたのであろうか。
実は彼は野営をするとの命を出し、ローレンス辺境伯爵の偵察部隊に今日は動かないとの情景をわざと見せた。
しかしボルドーは秘密裏に全部隊より移動力に優れた騎乗騎士のみを抽出し、夜間の強行軍を行い、夜襲を決行したのだった。
ボルドーは武勇の人ではなかったが、情報処理に関してはとても優秀だった。彼はローレンスという人の性格を見抜き、そして情報を操り罠にはめたのだった。
また、ボルドー側の騎兵と言ってもせいぜい600名に届かず、そのような寡兵にて危険な奇襲を受けるとはローレンス以外であれ普通は思わなかった。
「ボルドー様、万歳!」
「上級伯爵さま、万歳!!」
ボルドー伯爵とその麾下の兵たちはハンスロルの居城に引き上げ、彼らの支持者の熱狂的な歓迎に包まれた。
戦勝ムードに包まれる情景。
城にそびえる塔の窓際で、コンスタンスはボルドーの無事な姿に安堵し、その小さな胸を撫でおろしたのだった。
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