トリグラフ帝国第113要塞の上空の空は蒼い。
無情なほど青く澄み渡っていた。
──
「降伏せよ!!」
「繰り返す! 降伏せよ!!」
ハリコフ王国軍の伝令兵が、停戦旗を掲げて降伏を呼び掛けていた。
この要塞を攻める王国軍の第四軍集団の前線司令官はスメルズ男爵。王国きっての南方の雄であるボロンフ辺境伯爵の懐刀であり、透き通るような碧い髪をもつ美丈夫な勇将でもある。
また、ブタ領軍務役アガートラムを毒矢と弩弓で一敗地追いやったのも彼である。
彼はこの要塞攻略に際し、前もって地元民を買収して、要塞内の井戸や貯水池に対して毒物を投げ入れる様手配した。
そうして水の手を切ったのを見計らって包囲したのだ。あれからかなりの日が経っている。
さらに男爵は塹壕を掘り進め、付け城も建てたが、北側の一角だけ包囲網の穴を設けた。
そこを目掛け水を運び入れようとする帝国軍の援軍を伏兵にて捕捉し撃滅させた。捕まえた捕虜からは帝国側の情報を聞き出し、戦巧者ぶりを十二分に発揮した。
さらには近隣の村々を制圧し、要塞に詰める兵士たちの家族を見つけ出しては、要塞の前に立たせ降伏を呼びかけさせた。
誰の目にも帝国軍第113要塞は早晩陥落すると見られていた。
だが、この要塞の防衛責任者であるダース司令は頑なに降伏せず、スメルズ男爵を苛立たせた。
なにしろこの要塞を抜けば、この先には帝国軍第四軍総司令モロゾフ将軍の幕舎まで指呼の距離だったのである。
「くそがぁぁぁ~っ!!」
スメルズ男爵はその美しい紅い眼をより紅くして、足元の石を蹴り飛ばした。
ここさえ抜けば帝国軍の左翼全体は崩壊し、帝国軍全体の敗北は火を見るより明らかだった。
帝国軍左翼は、帝都よりもっとも遠い戦線であり、補給線もろくに機能しておらず疲弊しきっていた。
王都の総参謀本部は、比較的疲労の少ないボロンフ辺境伯爵麾下の部隊を中心に第六軍集団を編成し、右翼とした。
その右翼部隊をもってして、この疲弊多き帝国軍左翼にぶつけたのである。停滞していた全戦線を一気に打開しようとした必勝の戦略だった。
参謀本部の目論み通りに、ボロンフ辺境伯爵が勝てば、ボロンフは侯爵閣下になるであろうし、それは宰相ドロー公爵の専横が激しい宮廷においても一石が投じられるようになると思われた。
いつの世にも戦勝のスターは素晴らしい人気である。勝てば官軍と言われるように、その影響力は宮廷の勢力図を一変させるに十分と思われた。
そうである、反ドロー派貴族によって終戦後も見据えられた王国軍の再編劇だったのである。
もちろん、この要塞を抜けばスメルズ男爵自身も、ただの田舎貴族から一気に王都の貴婦人の誰もが振り返る存在になるのだ。苛立ちを隠せないでいるのは至極当たり前だった。
──
あせる娘婿の遥か後ろの丘陵で、ボロンフ辺境伯爵は粉雪を老いたその手に取ってほほ笑んでいた。
「侯爵様か! 近いようで遠いようで……、どちらにしても良い響きよの?」
「ははっ、左様で」
警護の者はそっと答える。
はるか南方からやってきた辺境伯は薄笑いを浮かべながら呟いた。
「その名も轟く、酷将モロゾフ。我が覇道の肥やしに成れ!!」
白髪の野心家は、まだ足元に残る残雪を勢いよく踏み砕いた。
──そう、北方の大地は今。遥か南方より来た者らによって踏み砕かれようとしていた。
☆★☆★☆
北方のトリグラフ帝国の春は寒い。
一度旅行したものは、心も凍ったと言うほどだ。
「援軍は送れぬ。抵抗できぬなら自裁の道を選べとつたえろ!」
身長150cmにも満たない小柄の人間。頬は垂れ下がりブルドックのような印象もある。彼こそがモロゾフ将軍その人であり、トリグラフ帝国軍総左翼の最高責任者だった。
彼は幕舎に転がり込んでくる血のにじんだ伝令兵たちに次々に、
「援軍はおくれぬ。抵抗できぬなら自裁の道を選べ!」
と繰り返した。
──
彼はもともと帝国貴族の次男として生まれた。トリグラフ帝国陸軍大学歩兵科を次席で卒業。
……が、かといって当時は有事でもなく、帝国内でのポストは空いていなかった。よって、当時紛争をたくさん抱えていた西側の国のひとつへ輸出されていった。
輸出されて以来、40年にもわたり戦い続けてきたが、老齢になり引退し、帝都で一人のんびり過ごしていたところをこの度徴用された。
ちなみに、彼には妻も子もおらず、
「人殺しを職業にするもの、幸せな家庭を作る権利無し!!」
と公言。
数多の政略結婚をも断ってきた経緯もある。
彼の真骨頂は、補給線が切れたような過酷な戦線での継戦能力である。
そもそもよそ者が任せられる戦線はろくなところがない。
彼は40年もの長き間、生れた国と違うところで指揮官として勤め、貧しい兵士たちと泥水をすすり、木の皮も食べてきた。
彼は著書でこう記している。
『前線には十分な兵力と、食料及び水を送るべし! そうすれば前線指揮官たちは必ずや期待に応えるだろう!』
と。
……が、この本をかったある将校を目指す大学生に、
「優秀な指揮官とは如何なるものか?」
と問われたところ、
「十分な兵力及び補給がなくても、戦線を維持し且つ命令無い場合決して後退せぬもの」
と真顔で答え、その若い学生は将校への道を諦め、長じて大きなパン屋として成功した、……という逸話もある。
──
「将軍! もはや第113要塞は限界ですぞ!」
帝都から派遣されてきた若き参謀がかみつく。
将軍は参謀をにらみつけ、
「あの要塞の後ろには、沢山の無防備な村々が広がっているのだ!!」
「彼らはいつ如何なるときも、帝国に血税を払い続け我々を養ってくれたのだ!!」
「今更戦えませんから、やっぱり王国軍に略奪放火され、ご家族は強姦被害にあってください、とでもいうつもりか!?」
日頃は舌鋒鋭い参謀はたじろぎつつ、
「い、いや……、そうではなく、ここは平和的にですね……」
「では、お前が王国軍との和平の交渉にいってくれるのだな?」
「あ……、いや」
交渉には国の民衆の安全と財産がかかっているため、交渉中は担当者の家族や親類が全員人質にされる風習があった。
少しでも不利な条件を持ち帰ろうものなら、担当者の家族たちは無防備な状態で怒れる民衆の中に放り込まれたのだった。
また、温暖なハリコフ王国軍が拠点を守る場合。後詰などの援軍が来ぬ場合には相手に降伏してよい習わしがあった。
が、この貧しい帝国がそのようなことで外敵より国が守れるわけがなく、鉄の軍規によって数々のことが律してあった。
依って、帝国軍に『許可のない降伏』はまずありえず、更には敵が外敵であることは、住民感情によってより降伏が難しくなっていた。
軍規の定めに従い、拠点を守る前線指揮官たちは、降伏や撤退の許可をその上級司令部に求めた。
──が、唯一全く許可しない非情な男がいた。
彼こそが、モロゾフ。
残酷将軍と言われる所以であった。
──リーリヤ戦記 (ぇ?)
「よはかみぃなるぞぉ!」
今日もリーリヤの暴走がはじまった。なんだかよくわからない宗教者の言葉を最近は口にしている。
リーリヤは金髪で、肌は透き通るような白色だった。両目は明るい茶色で、見た目はとても可愛い四歳児だった。
確かに見た目はそうだったが、母親から離され遠いブタ領に連れてこられたため、毎晩目が真っ赤になるほど泣き明かしていた。
──が、
「ポコォォォ……」
「ブヒィィィ……」
彼らが丸太小屋で遊ぶテレビゲーム『公務員ファイター』。
そのゲーム機のリセットボタンは神を自称するリーリヤに、度々蹂躙された。
「りーりりゃちゃまとおよびぃ!」
「「リーリヤ様!」」
この日より、丸太小屋に絶対神が降臨しようとしていた!?
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