二〇一九年十月十八日 木曜日
統率、という言葉がある。
統べ、率いるということだ。つまりリーダーシップだとかそういった言葉を指すのだろう。
俺にはそんなものなど微塵もない。欲しいとも思わない。そんなものがあればきっと俺はferseedaを辞めてはいなかっただろうし、軽音楽部に入ることもなかっただろうから。
だから統率力など、結果的にはなくて良いものだ。あればやれリーダーだの中心人物だのと、責任ばかりを押し付けられる。
瀬野口先輩などは生徒会長をして、軽音楽部のまとめもやっている。伊関先輩が部長をしているので、軽音楽部のまとめはまだ軽い仕事なのかもしれないが、生徒会長など想像もつかない仕事だ。常に学校や生徒のことを考え行動しているのだろうか。俺はとてもではないがそんな日々になど耐えられない。
「えぇ!ま、まじか!」
部活からの帰り道、学校の正門を出たところで、尭矢さんと伊関先輩は帰る方向が逆なので別れた。それから数分もしない内に慧太が喚いた。騒いだところでそう結果など変わらんだろう、お前の場合。と言いたくなったが、言わずにはいられなかったのだろう。
「先生前から言ってたよ。今回は特別だって」
さすがは関谷だ。きちんとしている。
「い、いや水曜から中間とか、知ってたけど知らなかった……」
「何それ」
慧太が言うように、来週の水曜から二学期の中間テストが始まる。俺は知っていたが、慧太や一也は全く忘れていたらしい。しかし、テスト一週間前という期間は部活動禁止になるのが常だが、今回だけはどういう訳か今週いっぱい、つまり今日までは部活動をしても良いことになっていたのだ。だが連中の場合、それがテスト期間を忘れていた最たる原因でもないだろう。
「言っていた。確か先週の全校朝礼でも言ったはずだがな。この私が」
じろり、と慧太をにらみつつ、瀬野口先輩が言った。おぉ怖い。
「あー、そ、そうすね、言ってましたっけね?」
「まぁどの道結果は同じだろう。焦らずとも」
ふ、と表情を緩めると、瀬野口先輩はそう言って、歩みを止めた。そしてす、と息を吸い込んだかと思うと、少し声を高くしてこう言い放った。
「赤点を取った奴は一週間部室に入室禁止だ」
「ええ!」
「はぁっ?」
真っ先に喚きだしたのは一也と慧太だ。つまりこれは自信のなさの顕れだろう。
「それじゃ文化祭に向けて練習できないじゃないすか!」
それは非常に困る。文化祭は中間テストが明けて一週間後だ。その一週間、練習ができないとなると、ライブでの演奏は絶望的だ。本来のパートならばまだしも、もしも一也の容態が悪化してしまったとしたら、本当に絶望的だ。
「ならば勉強することだ。聞けば慧太、お前は全教科の約半分以上が赤点らしいじゃないか。軽音楽部の品位が問われる。生徒会長が所属する部活動としてそれは真に遺憾だ」
半分以上か。赤点の度合いにも寄るが、恐らく全教科の半分以上が赤点ということは、どれも少し減ればなくなってしまうような点数なのだろう。だとすると、俺が慧太に勉強を教えるのは不可能に近い。
「一也だって大して変わんねぇすよ!」
「ざけんな!おれは三教科くらいだ!」
どんぐりの背比べとはこのことだ。中間テストは期末テストよりもテストをする教科が少ない。そのうちの三教科など殆ど半分のようなものだ。
「似たり寄ったりだばか者め」
ほら見ろ。
「部活と勉強は関係ないじゃないすかぁ!」
「大有りだ」
「な、何で……」
瀬野口先輩自身も言っていたが、やはり生徒会長所属の部活動ともなればまた教師陣も見る目が変わるのだろう。特に軽音楽部など、恐らくはあまり良い印象を持たれない部活動だろうから、生徒会長としても気苦労があるのかもしれない。
「勉強もせずに部活動ばかりに意欲を燃やしていてもそれは頑張ったことにはならんぞ。本来学校とは学ぶ場で学生の本分は学業だ。それを履き違えて自分が好きな、楽しいことばかりをやっていては筋が通らないだろう」
全く、何一つ間違えていない正論だ。ここまで言われては赤点がない俺でさえぐうの音も出ない。
「し、慎、勉強教えて……」
何も言い返せないことを即座に悟ったのか、一也が慎に懇願した。慧太よりはいくらか賢いのはなるほど、頷ける。
「自分の力でやらないと身に付かないだろ」
冷たい男だ。俺は自力で何とかできるだろうから慎に助力を乞う必要はないが、一也や慧太にとっては死活問題だ。それにできることならば教えてやりたいが、俺はそれほど成績優秀ではない。
「いやお前、文化祭が……」
「聡!」
くわ、と慧太が俺の方を見る。やはり慧太よりは一也の方がいくらか賢いのだ。何故ならば。
「生憎俺は人様に教えるほど頭は良くない。俺も油断をすれば赤点を取る可能性だってある」
正直に言えば、俺も他人にかまけている場合ではない。集中して勉強しなければ赤点の可能性は充分に有り得る。そして同級生の勉強会など、殆どが遊びと同じレベルだ。やったことはないが。
「えー!ちょ、水沢!関谷!」
「お勉強の場には是非とも喫茶店vultureをご贔屓に」
にっこりにこにこ。その笑顔に温度を感じないのは俺だけなのか。いやここは流石に涼子さんの娘だ。涼子さんも怖い時は怖い。いや、恐ろしい。
「ちゃっかりしてる!」
「じゃあ俺と八重の分も奢ってよ、渡樫君と瀬野口君で。そしたら教える」
なんと、慎はそこまで余裕なのか。部活動をしていて彼女までいて、恐らくこいつは予備校には通っていないはずだ。それなのにこんなにも余裕があるのか。なんと羨ましい奴だ。
「じゃあ私と香織ちゃんの分も」
水沢が今度は優しい笑顔でそう言った。なるほど、使い分けができる女か。やはり涼子さんの娘だ。怖い怖い。谷崎も気苦労が……。いや、谷崎ならばそんな気苦労などないのだろうな。だから大手を振って水沢みふゆと付き合えているという訳か。
「え、じゃ、じゃあ新崎君は?」
「俺は行かん」
俺は俺で集中すれば大丈夫だ。こんな一緒にいるだけで楽しい面子と勉強会などしたら絶対に勉強になどならないだろう。水沢と関谷がいたとしても、だ。
「いや待て、奢るのか?本当に?」
「お、奢る!」
相変わらず慧太は金欠らしい。
「新崎君はホントに八重と会いたくないんだな……」
一人だけ論点がずれているぞ、慎。まったく慎は色々と気にしすぎだ。
「だから前にも言っただろう。それは嫌っている訳ではないと」
「嫌ってる訳じゃなくても避けてるってことだろ、それは」
「まぁ見方によってはそうとも取れるな」
確かに慎の言う通りだが、それはいらぬ心労をかけるくらいならば避けた方が良いという意味で、話したくないから桜木を避けているという訳ではない、と以前も言ったはずだ。
「友達が彼女を避けてるなんて、本当は嫌なんだよ」
「桜木の気持ちを重視しろ」
それは確かに慎はそうかもしれないが、桜木はそうではないだろう。今はお前と一番楽しい時間を過ごしているのだから、桜木にとっても、慎にとってもそれが全てで良いはずだ。慎の、できるだけ嫌う人間を少なくしたいという考えは、恐らく自分だけではなく、自分の周囲をも巻き込んだ信念なのかもしれない。それは勿論崇高であり、立派な信念だが、時も場合も、当然相手の気持ちも、考えて然るべきだ。
「八重は仲良くしたいって言ってた」
「嘘を吐くな」
自分を振った男と仲良くしたいなどという言葉を、はいそうですか、と簡単に信じられるものか。しかも直接桜木の口から聞いたのならばまだしも、えせ聖人君子の詠慎に言われて信じられる訳がない。いやそもそも桜木本人の口からその言葉を聞いたとしても信用に足るかどうか、怪しいものだ。
「ほんとですー!」
それが本当だとするならば、慎は桜木を疑わないのか。振られた男と仲良くしたいなどというのは、まだどこかで想いが燻っている、と考えはしないのだろうか。
「俺と仲良くして……。い、いや、そうだな。判った。だが一也や慧太に勉強を教えられないのは本当だ。どちらかと言えば俺も教わる側だろう。一也と慧太側について奢ろう」
いや、それは恐らく俺の考えすぎで、更に言うならば自意識過剰だ。俺が桜木と付き合う気がないのは桜木も判っている。その上で今は慎と付き合っているのだから、桜木が気に病むことがないのならば、俺としても避ける理由はなくなってしまうということか。
「新崎君太っ腹」
にっこりと水沢が言う。恐ろしい。美少女の微笑みが何故こうも恐ろしく見えるのだ。俺が全員分奢る訳ではない。そこは勘違いしないで頂きたいものだ。
「おかげで今月はカップ麺の生活を余儀なくされる訳だ」
「え、そ、それならいいよ」
同じく一人暮らしをしている関谷が真顔になって言う。水沢と関谷の違いはこれだな。ある意味では冗談が通じないという欠点にもなるが、このくらいならば可愛げがあるし、気遣ってもらえていることが判って少々嬉しくもなる。
「そっか、聡は一人暮らしだもんな」
「カップ麺生活は冗談だ。いいか一也、慧太、勉強するからには鞄の中にあるゲーム機は置いて行け」
でなければ本当にゲーム大会をするだけで終わってしまう。赤点を取っても、本当に部室に立ち入り禁止にはならないだろうが、それでも個々のためにテストで点数を上げておくのは良いことだ。一也にしても、それでこそ奴の望む『いつもどおり』ということにもなる。
「え、休憩中にやろうぜ」
休憩中ならいいじゃん、と慧太は続けたが、断じて許さん。関谷や水沢からしてみれば、本来ならばしなくても良いことだ。それを、できの悪い人間を教えるために自分の勉強の時間を割いてくれるのだから、不真面目な態度では臨めない。
「ならば貴様が一人で奢れ。いいか、慎も関谷も水沢も、自分の勉強の時間を割いて俺たちに教えてくれるということを忘れるな」
教えてもらう立場で随分と偉そうなことを言ってしまってはいるが、大事なことだ。
「そ、そんな大げさなものじゃないよ、新崎君」
苦笑しつつ水沢が言うが、それは良くない。元々が一緒にいて楽しいと感じてしまう面子だ。少し休憩のつもりが、気付いたらゲームしかしなかったなどということは多いに有り得る。俺が参加しない場ならば一向に構わないが、俺が参加するのならばそれは許さない。
「いやだめだ。慎は違うが、仮に俺たちに勉強を教えていて自分たちの成績が下がったとしたら、関谷も水沢も、俺たちには何も、文句一つ言ってこないだろう。結果俺たちが赤点を取ったとしてもだ」
そしてまた次回、こんなことになればどうせ遊びになってしまうし、勉強会など時間の無駄だと感じるはずだ。そして良くも悪くも心根の優しい関谷や水沢はそれで俺たちを責める様な真似はしないだろう。それはある意味では健全な付き合い方ではない。
「お、俺だって言わねーし!」
お前はどうしてそんなどうでも良い嘘をつくのだ、慎よ。他の誰が言わなくとも、詠慎だけは絶対に言うはずだ。そういう点ではある意味で、甘えを排除しているとも言えるはずなのに。
「いや、慎は言うだろ」
「うん、慎は言う」
きっと、自分の成績が落ちたのを俺と一也と慧太のせいにする。詠慎とはそういう男でもある。
「ちょー!」
「私も言うよ!」
いや、水沢は言わないだろう……。
「じゃ、じゃあわたしも!」
その連帯感は一体何だ。
「だからと言って勉強会にゲーム機を持って来て良いことにはならん。いいな一也、慧太、持ち物検査するからな」
俺は腕を組んで一也と慧太を睨み付けた。
「お、おれは持ってこねぇよ」
「おれだって持ってこねぇよ!」
言ったな。もしも持ってきたら上腕の下側か内腿を思い切り抓り上げてやる。
「ならばよし。日取りはどうするんだ」
「今からじゃないの?」
校舎の上の方についている時計を見るともう十八時を回っている。流石に今からでは集中もできないし、各々の夕食の事情もあるだろう。俺や関谷は一人暮らしだから良いとしても、慧太や一也はそうも行かないだろうし、夕食を摂って一息ついた後では良くて三時間程度しか時間も取れない。
「今からじゃろくに時間が取れないだろう。集中できん。明日は皆どうなんだ」
文化祭も控えている。もしかしたらスタジオ練習などを入れている場合もあるかもしれないが、時間はある程度調整可能だろう。
「空いてるぜ!」
「あぁおれも」
ほう。ばか二名は空いていたか。だがしかし講師陣が空いていなければ何の意味もない。
「慎は?」
「……空いてるよ」
微妙に空白を取り応える慎。そうか、お前は空いていなかったか。
「何だ、二人きりで勉強するならそれも良かろう。正直に言え」
何も邪魔をする気はない。恐らく講師は水沢と関谷がいれば充分に事足りる。付き合って間もない二人の時間を邪魔するほど野暮天ではないぞ。
「ふ、二人で勉強する予定だったけど、皆でするよ……」
「無理はしないでいい。責めている訳じゃないことくらい判るだろう」
そんな鬼のような所業を俺は慣行しない。俺も先月に彼女ができたのならば、是非とも二人きりで勉強したい派だ。
「桜木が来ないのならそれはそれで好都合だ。とか思ってんだろー!」
む、時には応用を効かせる……いや、想像力を働かせることもできるのか。正鵠を射るとはこのことだな。
「思ってはいるが口には出していないぞ」
「今出したも同然だよ!ちきしょう!絶対行くからな!」
思ったよりは賢いな、慎は。だがそれも冗談の内だと判らんからいつまでたってもからかわれるのだ。ともあれこれで最低一人は講師がゲットできた訳だ。いや、水沢はどうだ。場所を提供してくれるのは有り難いが、明日、水沢が空いていなければ何の意味もないし、水沢が不在なのに喫茶店を席巻しても良いものか迷いどころだ。
「関谷と水沢はどうだ?」
「空いてるよ。愁君も良いかな」
おぉ、そうか谷崎がいれば更に安心だ。流石にこれだけの人数で、少々顔見知りもいて谷崎一人だけが村八分では流石に気の毒だ。
「おー、確かあいつも頭いんだろ。呼べ呼べー」
慧太が言って手を挙げる。遊び感覚だな。だんだんと不安になってきた。
「うん、ありがと。香織ちゃんは?」
「空いてるよ」
よし、これで少なくとも三人の講師がいてくれる訳だな。谷崎も成績優秀者だから、四人か。桜木のことは判らないが、ああいう大人しいタイプで成績が悪いというのは考えにくいだろう。いやそれは偏見か。ともかく桜木の学力は判らない。不安なのは俺、一也、慧太だ。三人の不出来な生徒に、優秀な四人以上の講師がいれば何とかなる。後は慧太と一也が遊ばぬように厳しく進めなければならないな。
「では関谷は俺が迎えに行く。また野島に会ってしまうと面倒だからな」
少し迷ったが、やはり関谷は迎えに行くことにしよう。vultureを起点に考えるのならば一也や慧太では家が逆方向だし、水沢に迎えに来てもらうのも妙な話だ。だとするならば、やはりvultureへ向かう際には必ず関谷の部屋の前を通る俺が適任だ。これは思わせぶりな行為ではない。断じて。
「え、い、いいよ、大丈夫」
「聡、野島に会ったのか?」
関谷の言葉を却下するという意味であろう。まるで関谷の言葉を無視してそう言ったのは一也だ。
「偶然な。心底の悪人ではないと思うが、基本属性が自己中心的だ。あまり好かん奴だった」
そのまま野島に対しての印象を述べる。それなりの付き合いがあれば仲良くはできそうだが、今のところ野島とは特に会う必要がないので付き合いも生じないだろう。
「だろうなぁ」
一也が苦笑して言う。
「あいつ今他のバンドやってんだろ?よくあいつのベースなんか拾う気になったよな、そのバンド」
「まぁ好き好きだ。それを言うなら良くお前らだって俺を使う気になったな、という輩もいるということを忘れるなよ」
俺が演奏しているところを恐らく野島は見ていないはずだったが、野島は自分のベースこそが最高だと思っていた男だ。今はどうか知らないが、そういう思いはあの男の中にはあったように感じられた。
「誰だよそれ」
「野島君だろ。彼の言いそうなことじゃないか」
憮然として言う慧太に慎が続いた。そうだ、確か慎は一番野島と反目し合っていたと一也に聞いていた。
「まぁ確かにな」
これ以上野島の話などしていても仕方がない。俺は話を切り替えるために水沢に向き直った。
「では、水沢の店で大丈夫か」
「うん。じゃあお店じゃなくて私んちでやろ。皆一緒なら文句ないでしょ、新崎君」
「ま、まぁ、な」
余計なことを。あの時は一也も慧太も慎もいなかったのだから、態々そんなことを言う必要性は……。いや、これは水沢の気遣いか。ならば尚のこと悪気がない水沢みふゆに文句など言えようはずもない。
「何だそれ」
「新崎君が真面目な人、ていう話だよね」
一々話に首を突っ込みたがるのだな、慧太は。いやそれとも自分の知らないところで何か楽しげなことがあったことが気にかかっているのだろうか。安心しろ。お前を仲間外れにするつもりはない。
「ナース系が好みでも?」
「そ、それは今関係ないだろう」
瀬野口先輩はそういった話に耐性があるようだが、関谷や水沢にはあまりないはずだ。そういった話は控えていただきたい。
「何言ってんだかさっぱり判んねぇよ」
ぷぅ、と絵に描いたような膨れ顔で慧太が言う。慎のむくれた顔も気持ち悪いが慧太のも中々どうして、慎に勝るとも劣らないではないか。さっさとその顔をやめるんだ。
「ちょっと、奇妙な機会があってな。たまたま関谷と水沢と喰らうことになったんだが、店でやるのは少し迷惑かと思っていたら水沢が家の方でやろうと言い出したんだ」
関谷と二人きりでゲームをしていたら水沢に見つかった、などとは聊か言い辛い。なのでこれで勘弁してはくれまいか。
「お呼ばれか!」
あぁ、こいつらがばかで良かった。
「まぁそうだが、まだ知り合って間もない……。今もさして変わらないが、九月も中頃だ。会って数日、という頃だ。それだからな、谷崎が一緒の時ならば、その時にしようと言ったんだ」
「何でだよ」
だからお前はばかなのだ。
「彼氏がいる女の家へ、それも会って数日の女の家へ、その彼氏がいない時に遊びに行けるのか、お前は」
俺には到底できない芸当だ。その彼氏とだって面識がある程度で、友達と呼ぶには聊か憚る間柄だ。
「だって水沢が言ったんだろ?谷崎だってあんま気にしねぇんじゃねぇの?」
水沢も同じことを言っていた。だがそれは水沢と谷崎の間でのみ成立するルールだ。
「だとしても、だ。お前ならどうだ?お前に彼女ができて、その彼女が、慧太君はそういうこと気にしないから私の家に遊びに来て、と俺に言ってきたとして、俺がお前の彼女の家で遊んでいたら、どう思う」
「た、確かにそれは心穏やかじゃねぇな……」
巧く想像できたのか、慧太は自分の額に手を当てた。これが普通の感覚だろう。
「そうかなぁ」
「お前と谷崎が色々と寛容すぎるんだ。お前たちの強い信頼関係の成せる業なのだろうが、言っておくが、お前たちの方が稀有だからな」
自分たちの常識が、全ての他人や友達に通じると思っていては困る。
「そ、そうかな……」
「みふゆちゃんは谷崎君が他の女の子と遊んでても平気?」
お、関谷も俺と同じ考えか。そいつは良かった。
「その女の子が香織ちゃんとかだったら平気」
「あ、そういうことかぁ」
いや、そういうことではない。やはり関谷だ。全く判っていなかったか。というか、この場合は状況が違う。関谷の部屋に、谷崎と二人きりでいたとなれば流石に水沢だって心穏やかではいられないはずだ。水沢の言葉は恐らく、谷崎も関谷もそういうことをしないと判っているからこその、前提ありきの言葉だ。
「いや、水沢と関谷ほど俺と谷崎の関係は深くないぞ……」
「そんなことないよぉ」
それは谷崎がそう思っているだけだろう。俺は奴とは仲良くできる機会があるのならば、是非とも仲良くしたいと望んでいるが、個人的に遊んだことはまだ殆どないのだ。
「……まぁそこは今言っても始まらないが、ともかく、これだけの面子と、谷崎が来るなら文句はない」
名目は勉強会だし、遊びに行く訳ではないのだ。谷崎はいるし、関谷もいる。一也も慧太も慎も桜木もいるのだから、何ら問題はない。
「うん。じゃお母さんに言っておくね」
「宜しく頼む」
過剰なもてなしが容易に想像できるが、そこは今言っても始まらないだろうし、言ったところできっと涼子さんは聞き入れやしないだろう。甘んじて受け入れるしかない。むしろこちらから菓子折りの一つでも持ってお世話になります、と先手を打った方が良いくらいだな。
「ふむ。……中々の統率力だな、聡」
終始成り行きを見守っていた瀬野口先輩が見当違いのことを言う。俺には統率力など皆無だ。俺に統率力などというものがあったのならば、きっと自分のやりたいバンドを発足するくらいのことはできていたはずだ。
「滅相もない。ばかどもの尻を拭いたまでですよ」
特に一也、慧太の。場合に寄っちゃ慎も。
「それが統率力というものだよ。次期生徒会長に推してやろうか?」
「滅相もない。俺は責任のある仕事は大嫌いです」
続けて恐ろしいことを言う。生徒会長などになったら、俺のそこそこゆるくてきちんと楽しい高校生活が台無しになってしまう。以前まではゆるゆるの高校生活だったが、軽音楽部の仲間たちのおかげで少しだけメリハリが出てきたところだ。それで充分、身に余る。その上俺にこれ以上何をしろと。
「だが何かと面倒見が良いじゃないか」
面倒見が良くなってしまうのだ。この面子の場合。例えば、メンバーが瀬野口先輩、伊関先輩、水沢、俺という面子であれば俺は面倒見など良くはならない。だが一也と慧太は別だ。一也は私生活ではまともな男だが、慧太や慎はかなりずれている。
「まだ乳歯も抜けていない子供の面倒は、見てやらねばならんでしょう」
「おれたちのことだぞ、慎」
一也が言って、ぽんと慎の肩を叩く。
「どう考えても俺は関係ない」
とは言うものの、それは今回の勉強会においてだ。むしろ常識的にはお前の方がよほどずれているぞ、と言いたいくらいだったが、今はその時ではない。
「バンドひとつ、軽音楽部だけでも手一杯なのに、学校全体のことまで考えられる訳が……。基、考えたくもありません」
苦笑して俺は言う。気取っている訳ではないのだが、恐らく俺は気質的に一匹狼だ。その自分に酔っている訳ではない。だから一人でいた時も決して苦しくはなかった。言ってしまえば座りが良いのだ。だから一人暮らしは性に合っているし、寂しくて堪らないなどということはない。
「冗談だよ。だが軽音楽部の部長くらいには推薦しよう」
「生徒会長は後輩虐めがお好きでいらっしゃる」
部長には関谷か水沢が良いだろう。関谷も水沢も、どこか「手伝ってあげなければ」という心情的作用が働く人徳を持っている気がする。それを補佐するという仕事ならばやぶさかではないが、俺が頭に立ってというのは柄ではないし、とてもではないがやりきれない。
「今の所はどちらも冗談だ」
「今の所、ですか」
怖い怖い。どこかで巧いこと怠ける時間を設けなければならないな。出せるところで少しずつでもダメさをアピールしておくとしよう。
「あぁ、今の所な。さて帰るぞ愚弟」
「へーへー」
市道と県道が交わる少し大きな交差点で瀬野口先輩が言った。ここから俺と関谷と水沢は同じ方向で、瀬野口姉弟、慧太、慎が俺たちとは逆方向になる。
「じゃあお疲れ様でした」
ぺこり、と水沢が会釈する。関谷も水沢に続き、その後に俺も続く。
「あぁお疲れ。テスト勉強、頑張れよ」
生徒会長をやるほどなのだ。テストなどよほど楽勝なのだろう瀬野口先輩が左手を挙げた。いや、それはそう見せているだけで、本当は影での努力を惜しまないタイプの人間なのかもしれない。本当のところは判らないが、きっと自分を裏切るような結果を出さない、という自信の顕れなのだろう。
「俺は自分のことだけ考えようかと思います」
「ずりぃぞ!」
いやそうは言うがな、正直な話、俺とお前たちとでは点数にかなりの開きがあることを忘れるなよ。
「普段から授業だけでも真面目に受けていないからこういうことになるんだ。ほら、帰って勉強だ」
「うう……」
そう出来すぎの姉に諭されて一也は肩を落とした。気の毒なことだ。だからこう、一声かけてやることにした。
「一也、今日は控えめにしておけよ」
「今日は見ねぇよ!」
ぐわ、と効果音が付きそうな勢いで一也は目玉をひん剥いた。
「はは、んじゃな」
本当に、こいつはあと数ヶ月で死んでしまうのだろうか。
本当に、一也とこんなにも楽しい時間を過ごすことができなくなってしまうのだろうか。
(いや……)
本当は判っていた。
一也の顔色が日に日に悪くなっていたことも。
刻一刻と、絶望する日々が近付いていることを。
本当は皆、判っているのだ。
第十九話:統率 終り
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