おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
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第三一話:無い袖は振れない

公開日時: 2022年5月8日(日) 09:00
更新日時: 2022年11月5日(土) 02:39
文字数:10,000

二〇一二年十一月二日 金曜日

 無い袖は振れない、という言葉がある。

 無い物は無いのでどうしようもない、ということだ。俺が生まれて初めてカツアゲに遭った時にもそうだったが、現金で一四四四円以上出せなかった時には、まさにこの言葉がぴったりだっただろう。

 更に広義的に取れば無理なものは無理、という事になるので、やはり俺達には振れる袖など無い、ということなのだ。

 俺には伊関至春いぜきしはるの憂いを晴らすことは出来ないし、一也かずやを生き永らえさせることもできない。ましてや詠慎ながみしんの上腕二頭筋を急激にムキムキにすることなど、出来やしないのだ。




 そして午後。

「おい、慎」

 マイクスタンド一本を持って部室から出ようとする慎を俺は呼び止めた。マイクスタンドなら抱えれば三本、四本くらい持ち運べるはずだ。一本だけを持って行くなど効率が悪いことこの上ない。学力の高い慎の行動とは思えない。

「し、仕方ないだろう!」

 いきなり声を高くして喚き出すか。しかし俺はその、仕方ないの理由を知らないのだ。説明の一つもなければ理解ができないのも無理はない。

「や、あきら、それマジだから」

 慧太けいたがそう言って苦笑する。何がマジだ。まさかとは思うがその程度の筋力しか持たないとでもいうのか。女と見紛うばかりの端整な顔面と比例、どころか恐らく一般女性よりもはるかに下回る筋力しかないのか。というのは差別観がある気もするが誤解を恐れずに言うならばそうだ。

「ばかな。嘘を吐くならもっとましな嘘を吐け。スタンドを一本きりの筋力とはどういう育ちだ御坊ちゃま。俺は頭に北半球だぞ」

「いや聡、それ誰も判んねぇから」

 慧太のつっこみに納得する。確かもっと有名で代表的な専門用語もあるが、残念ながらそれは新崎しんざき聡のキャラクターでは口にできない。

「そうか。流石に古いな。ならば詠慎」

「な、なんだよ」

 ともかく証明をしてもらわねばならん。

桜木八重さくらぎやえをここに呼べ」

 確か桜木八重は図書委員会で、部活動には参加していなかったはずだ。文化祭で図書委員がどんな仕事をするのかまでは判らないが、部活動に参加していなければ、恐らく多忙ということも無かろう。

「八重を?呼んでどうするんだよ」

 慎の言うことも尤もだ。まだ俺は目的を言っていない。

「腕相撲を見てみたい」

「八重の?」

「桜木八重と詠慎の腕相撲勝負を、だ」

 女性と見紛う顔面に一般女性以下の筋力が本物なのか、今ここで確かめたい。今この場にいる軽音楽部の女性部員は水沢みずさわ香織かおりだけだ。香織は勿論だが、水沢の手をがっつり慎に握らせては水沢に悪い。

「絶対に断る!」

 ぎ、と俺を睨みつけて慎は言った。

「まぁ慎は多分負ける」

 そうかそれが判っているのか。それならば仕方がない。態々自分の彼女に腕相撲で負けるなどと言う屈辱は味わわせなくても良かろう。と思いはしたが口には出さないで置いてやる。

「……」

新崎しんざき君」

 実に恨めしく慎が俺を呼ぶ。

「何だ」

「腕力自慢の男なんか女子から見てみれば何の価値もないよ」

 それは勿論、詠慎などに言われるまでもなく良く判っている。それに俺は自分の腕力を自慢したことなどただの一度もない。その前にこれは筋力の話であって腕力の話ではないのだが。

「まぁそれは確かにそうだが最低限自分が惚れた女くらい守れる腕力は有って不都合はない。それに俺が言っているのは何も重たい物を沢山運べということではない。周囲と同じく人並みに物くらい運べということだ」

 筋力はトレーニングしても中々付かない者もいる。恐らく慎はそういった部類だろう。今すぐに筋骨隆々になれというのも酷な話だ。

「無い袖は振れない、って言うじゃないか」

「ほう。慎にしてはまともなこと言う」

 いや学業の成績は俺よりはるかに高い。

「一言余計なんだよ、新崎君は」

「まぁ仕方がない。お前はピックかドラムスティックでも運んでいろ。俺と慧太でドラムセットだ。尭也たかやさんは?」

 まさかこの期に及んでばっくれた訳ではあるまいな。三年生とは言え優遇はしないぞ。

「伊関先輩に駆り出されて一也先輩ともう吹奏楽のヘルプ行ってます」

 なるほど。伊関先輩も目を光らせているということだな。しかしそれにしても。

「それは何よりだ。……なんだその顔は」

 恨めし気な顔のまま慎は俺をじっと見ている。

「ピックやドラムスティック以外だって運べる!」

 流されたと思っていたが聞いていたか。

「大切な機材を運ばせて転びでもしたらどうする」

「あ、そうか、明日の演奏」

 そうだ。

「機材が壊れたらライブができなくなる。最悪ギタリストには替えがいるから良いが、機材に替えはない」

「言うと思ったよ!」

 慎のくせに俺の諧謔を諧謔として受け取るとは随分成長したではないか。

「まぁ半分は冗談だ。筋力がないなら脚力を使ってもらう。小物を何往復でもして運んでくれ」

「棘……」

 ぷぅと頬を膨らませて慎は呟く。

「やらんのか?」

「やぁりますぅ!」

 伊関先輩も尭也さんもいない状況では不本意だが俺が仕切るしかない。慧太に任せても良いのだが、慧太はどこかにフェミニストな部分を持ち合わせている。女子は何もやらなくて良い、などと言い出しそうだ。

「女子はアンプを頼む。キャスター付きとはいえ階段は大変だから男連中に声をかけてくれ」

「了解」

 流石にアンプのキャビネットは女子ではきつかろう。これは差別ではなく区別だと受け取ってほしいものだ。

「ウチの大物はこんなもんだから、体育館に着いたらそれぞれで体育館の仕事を手伝いに回ってくれ」

「あーぃ」

 あぁ、大変だ。取りまとめなどそもそも俺のキャラクターでもない。あまりにやり過ぎて次期部長にでも推薦されたらたまらない。やり過ぎは禁物だ。




「なぁ聡」

「なんだ」

 夕刻になり、女子部の練習も終わった後にマーシャルのヘッドを運ぼうと準備していた俺に、ベースアンプのキャビネットを運ぶ段取りをしていた慧太が声をかけてきた。

「さっき、至春先輩とどっか行ってたろ」

「……目敏い奴め」

 しかしあの状況では誰に見られていてもおかしくはない。俺は慧太の言葉を肯定した。

「何か、話してたのか?」

「……」

 正直に慧太に言えるようなことは話していない。しかしそれでは慧太は納得しないだろう。どうするかを考え始めたところで責めるように慧太が俺の名を呼ぶ。

「聡」

「判ってる。ちょっと待て」

 今この状況で、慧太自身が何も関係していないとは思っていないのだろう。それは間違いではない。しかし事は俺の案件ではなく、一也と慧太に直結する話だ。俺が勝手に話して良いことなど何一つない。

「あ、わ、悪ぃ。無理には訊かねぇよ」

 悪い情報を信じやすい男だ。おいそれと話せないことを俺が知っているということだけはどうやら感付いている。ならば不安材料だけでも払拭してやらなければならないか。

「なら一つだけ言っておいてやるが、お前の悪口は一つもない。更に言うならお前に不利益なこともないことだけは確約してやる」

「……そか」

 慧太がこの言葉を信じるかは判らないが、俺が悪戯に嘘を言わない人間であることくらいは理解しているはずだ。

「ま、それもお前の努力次第かもしれんがな」

 何事も努力なくして実ることなどないだろう。特に慧太と伊関先輩の事であれば、どれだけ伊関先輩の気持ちを慧太に向けられるかが強く関わってくる。慧太は傍から見ていてもそこは頑張っている。自身の頑張りが、自身の評価となる訳ではない所がまた厄介なのだが。

「随分偏った意見に聞こえるけどな」

「ま、そこはそれだ。判ってるだろ」

 言葉にしなくとも、というやつだ。そのくらいは気付かせてやっても良いだろう。事実俺は核心に触れた言葉は何も口にしていない。

「ま、そうだな。おれもお前には随分と恥ずかしい所見せちまったし」

 まだ以前取り乱したことを気にしているのだろうか。義理堅い男だ。義理の話であれば俺だって慧太に話すことがある。

「何を今更だ。それにな、お前があの時助けてくれなかったら、恐らくこうはなっていなかったはずだ」

 僅かに二ヶ月ほど前だ。二ヶ月で俺の環境がこんなにも変わるとは、あの時の俺は想像もできなかった。いや、こうなるだろうことは恐らく予見していた。それをあの当時の俺は疎ましく思っていただけで、こうなることをあの時の俺は決して望んではいなかった。

「何言ってんだかさっぱり判んねぇよ」

「まぁお前があの時助けてくれて色々感謝してるってことさ」

 そう。感謝だ。あの時の俺の感情は、一時的なものであれ自分で決めていたことだ。過ちだったかもしれないし、後悔もしたが、しかしあの時の気持ちのままでいれば、きっとこんなにも騒がしく楽しい毎日は訪れはしなかった。そして慧太に感謝することもなかったし、香織に心惹かれることもなかった。

「端折り過ぎなんだよ」

 慧太の言うことも尤もだが、一から全てを聞かせてやるには少々照れくさいし、時間もない。気が向いた時に話して聞かせてやる気になったら話してやることにしよう。

「ともかく、お前がお前のまま、それこそヘンな気を起こさん限りは大丈夫さ」

 まだ先の話だ。結論を急ぐ必要はない。今はそのことを考えるよりも、一也と一緒に過ごす時間の事を考えた方が建設的だ。

「だな。……で?」

 にやり、といやらしい顔つきに変えて慧太は言う。ばかなエロ話を期待している顔に見える。基本的な部分で渡樫わたがし慧太という男は良くも悪くも健全な男子高校生の見本のような男で、ばかな方向へと突っ走れば……いや、渡樫慧太とはただのばかだ。

「今度は何だ」

 そのばかな男の思うところなど感じ取れる訳もなく俺は訊き返した。

「報告受けてねぇんだけど」

「……」

 それか。確かに聞きたいところではあるのだろう。結果的に一也と話してから電光石火の行動となった訳だが、その一也にも実はまだきちんとは報告していない。

「朝一緒に学校来てたみてぇだけど?」

「う……か、せ、関谷せきたにと付き合うことになった」

 危ない。危うく香織と言ってしまうところだった。しかしこれで報告の義務は果たした。これ以上の話は勘弁してもらいたいものだ。何せまだ付き合いたての初日だ。

「いいーなぁー。関谷が彼女とか超ウラヤマだぜー」

 あぁ、あらぬ方向へと話を飛ばしてくれたな。流石は渡樫慧太だ。お前のそういうとことは少し尊敬してやっても良い。

「お前な」

 とは言うものの、慧太には伊関至春という想い人がいるのだ。羨ましがっていても仕方がない上に、慧太は香織の事は別に何とも思っていないはずだ。それに伊関至春も見た目で言えばかなり可愛い。

「いや、そういう意味じゃねぇよ。外野からの単純な話さ、関谷みたいな可愛い子が彼女って、やっぱ羨ましいぜ。そういう点じゃ慎も尭也さんも同じだよなぁ」

 なるほどな。となればやはり俺の、関谷は粗方の人間が可愛いと評する推論はやはり間違ってはいないということだ。と俺も慧太の言葉とは少々ずれたことを考えてしまった。まぁ外野から、それこそ無責任な目で見れば、彼女は可愛い方が羨ましいのだろう。それは判らない話でもない。本人同士には全く関係の話だが。

「そういうことは俺ではなく関谷に言ってやってくれ。あいつの自信の無さはちょっと異常だ」

 散々っぱら言ってきたつもりだったが、どうやら俺の言葉だけでは効果は薄い。外堀から固める方法も効果はあるはずだ。

「そらしょうがねぇだろ。中坊ん時虐められてた、って話だし」

「知ってたのか」

「お前より付き合いは長ぇからな。どんな虐めを受けてたかまでは知らねぇし、関谷を傷つけかねないから訊いてねぇけど」

 俺も慧太と同じく香織がどんな虐めを受けていたかを訊くことはできていない。そして恐らくこれから先、訊くこともできないだろう。女性同士の虐めは男同士のそれよりも陰鬱だと聞く。それが事実かどうかはともかく、地元親元を離れたくなるほどの行為を受けていたのは事実だ。そして香織のように心に傷を持っている者に対しての気遣いは流石慧太だ。これは慧太の長所だし、俺も見習わなければならない所だ。恐らく伊関至春もこうしたさり気ない慧太の気遣いに惹かれ始めているのかもしれない。

「ならば訊くが、関谷が俺のことを好きだったということには気付いていたか?」

 五反田ごたんだは香織が恋愛相談を持ちかけたので知っていたが、そうではなかった人間にはどう見えていたのかが知りたくなった。俺の行動は特定の人物にはほぼ筒抜けだったようだが、そうした行為が香織よりも俺の方が劣っているということに、実は納得がいっていない部分もある。

「いや、関谷は気付かなかったな。今思えば、あぁなるほど、って思うことはけっこうあったけど、それよっかお前の方が判り易かったぜ」

「……慧太にも気付かれていたとはな」

 一也は慧太と慎は気付いていない、と言っていたがそれも確証のある話ではなかった。思えば慧太はこうして人に充分な気を回せる人間だ。俺と香織とのやり取りを観ていて思うところもあったのだろう。慧太ならば判る話なのだが、慎が気付いていたとなるとそれはまた遺憾だと思うのは何故だろうか。

「何となく、だけどな。野島のじまの事もあったし、帰りに送るとかまぁ関谷の立場考えりゃ当たり前だからさ。最初はおれもただ単に男の責任としてだと思ってた。あん時はちょっと茶化したけどさ」

 一也の病の事を知った日、動転していた俺が香織を置き去りにしそうになった時、真っ先にそれを指摘したのは慧太だった。あの時は俺が連れてきたという責任の手前、慧太もそう言っていたし、俺も俺の責任で香織を送るべきだったと慧太に言われて気付いた。

「俺自身も最初はそれ以外はなかったんだけどな」

 しかし、そう思い込もうとしていた時点で既に香織には惹かれ始めていたのだろう。

「情が移ったか?」

「いや、情ではないな。どちらかというと惹かれていった、という方が正しい」

 可哀想だと思ったことはないし、悲壮感を感じたこともない。俺は情に厚く義理堅く有りたいと考えてはいるが、同情がその相手にとって良いか悪いかの判断はできているつもりだ。そして虐めに対する同情など香織が望むはずもないし、香織の自信の無さには同情できなかった。

「なるほど。いやー、聡と恋バナとかねぇわー」

「貴様」

 自分から話を振っておいてどの口がほざく。別段言いたくもなかった恥ずかしい話までさせておいて随分と無責任な言い種だ。

「あ、うそうそ」

 苦笑して慧太は誤魔化したが、俺は今いいネタを思い出した。でかした俺。

「思い出したぞ。そう言えばお前、中等部卒業の時に五反田衣里えりに告白して振られたらしいな」

 ふ、と鼻で笑ってやる。経験点の差がここで出たな。お前は彼女ナシの童貞野郎だが、俺は半年以上も前に童貞からは卒業し、更に今は彼女までいる。先ほどはお前に倣おうかとも思ったところだが、ここは一つ、男としての敗北感を開けっ広げに味わわせてやろう。

 とは言うものの、その実俺達くらいの年齢であれば童貞かどうかなど些事でしかない。が、童貞である本人にとっては切実だろう。

「ちょー!おま、なんでそれ!」

 か、と目を見開いて慧太は声を高くした。ははは、俺が知っていることに驚いたか。

「五反田本人に聞いた」

「はー?」

「五反田本人に聞いた。惜しいことをした、とか言っていたから今なら脈ありかもしれんぞ」

 俺のような偏屈な人間とも分け隔てなく接してくれる女だ。中等部卒業当時の慧太の事は判らないが、当然のことながらに今よりももっと稚気に溢れていたに違いない。それが今は多少なりともまともになったところを見せれば、五反田衣里も笑顔を見せてくれるかもしれないではないか。

「まじか!いやだめだ!おれは至春先輩一筋!おれの前を通り過ぎていった女に後ろ髪は引かれない!」

 妙に演技がかってはいるが、慧太にその気がなければ何の意味もないことだ。死に至る親友の好きだった女をどうにかしたいという気概を持っているのならばそれを押し通してほしい。

「はは、その意気だ慧太」

「いやー、こんなことこんな時に言う言葉じゃねぇかもだけどよ。お前がいてくれてホント良かったわ」

「やめろ人聞きの悪い」

 これで新崎聡は頼りになる奴だ、と思われでもしたらどうする。俺は次期部長など絶対にやらんぞ。

「別に人聞き悪くねぇだろ!」

「ともかく雑談は終わりだ。さっさと運ぶぞ」

 まぁ確かに人聞きが悪い訳ではない。これは俺のめっきが光り出すような発言だ。それを勝手にするな、と言うべきだったかもしれない。

「あらほらさっさー!」

 



「おぅ聡」

 軽音楽部の機材運搬が終わった後、体育館の設営を手伝おうと、何往復か目で体育館に足を踏み入れた。その途端に尭也さんに声を掛けられた。谷崎たにざきと一緒に何か作業をしていたようだ。

「新崎君、尭也さん呼んでるけど」

 尭也さんをガン無視した俺に呆れ顔をする谷崎。良いんだ谷崎、これも愛情表現の一つさ。

「谷崎」

「え?」

「お前は呆れ返るほど良い奴でやんなるくらいのイケメンだが、尭也さんの呼びかけに反応するかどうかは俺が決めるんだ」

 先輩の呼びかけに二つ返事で喜び勇んで振り返る、などと思ってもらっては困るのだ。

「僕、褒められてないよね」

 流石に判るか。だが谷崎が呆れる程の良い奴で、嫌になるほどのイケメンなのは本当の事だ。而してそれは褒め言葉であるということ以外の何物でもない、という裏まで読み取ってもらいたいものだ。

「シカトすんな!」

「新崎君て尭也さんに対して勇気あるよね、いつも思うけど」

 そう、尭也さんの言葉を流して言う谷崎も相当なものだぞ。

「尭也さんがここらのバンド者たちの間でも一目置かれているのは俺も良く知っている。だからと言ってだな、威張り腐って人を顎でこき使って良い道理はない。だから俺はそういうたかだか年が一つ上なだけで自分を神様だと思い込んでいる輩に気付かせてやるのさ。一歳年上が神様みたいな世代なんて昭和のツッパリの世界の話だぞ。判るか谷崎。これは世直しなんだ」

 ふぅ、と一気に吐き出す。冗談はこれくらいにしておこうか。長引けば面倒なのは他でもないこの俺だ。

「御説ご尤もだがな、聡よ、俺ぁドカンもヨーランもキメてねぇぞ」

「やぁやぁ尭也さん御機嫌よう。今のは別に尭也さんの話ではないことくらい判りますよね」

「お前最初に俺の名前出したろうがよ」

高谷正義たかやまさよしの事ですよ」

 この話もそろそろ閉めに入りたいところだ。

「誰?」

 当然と言えば当然の問いを谷崎がする。

「こいつが想像した俺の名前」

「どういうことです?」

 そう、俺は基本的に名前呼びはしない。軽音楽部の連中を名前呼びするようになったのは連中に中てられてのことで、つい最近だ。だが尭也さんだけは名前で呼んでいた。何故なら。

「こいつ俺の尭也って名前が苗字だと思ってたんだよ。尭也が苗字なら名前何だよ、つったら正義っつーから」

「じゃあ結局尭也さんのことじゃないですか」

 言わなくて良いことを谷崎が言う。

「あ!ホントだ!てめぇ!」

「まぁ冗談はさておき、何ですか?」

「前置き長ぇんだよてめぇは」

 ふぅ、と尭也さんが嘆息する。いやいやお付き合いどうも有難う御座います。こういうちょっとした諧謔は俺の好みなのだ。いつも割を食わせてしまって悪いとは思うのだが、これがなかなか楽しくてやめられない。

「今までのコレ全部前置きなの!」

「どうだ?ステージで漫談でもできそうだろう」

 時間の無駄以外の何物でもないが。

「意外なコンビネーションの良さだね」

 それはそうだろう。元のパートでは尭也さんはギターで、今はドラムもやっている。当然ベースとの関りはどちらも深い。息が合わなければバンドとして成り立たない。

「少し前まではつまんねぇ奴だと思ってたけど、軽音入ってからコッチ、こいつ面白くなったよな」

「確かに変わったよね、新崎君は」

「ある程度は自覚している」

 またその話題か。俺としては少々照れ臭くもあるのであまり触れて欲しくない事実だ。

「何お前、香織と付き合ってんの?」

「まぁ付き合っているというよりは昨日から付き合い始めました」

 意外にすんなりと尭也さんが言ってくるので俺も素直に返した。

「ほほぅ。まー大変だとは思うけど、正直大変じゃねぇ女なんかいねぇからな。頑張れよ」

 女が大変というのは語弊のある言葉だが、他人と、人ひとりと交際するということの大変さは一応判っているつもりだ。

「珍しく素直に応援してくれるんですね」

「まぁこういう言い方すっと意地が悪ぃ気もすっけど、お前寄りっていうよりは香織寄りだな」

「なるほど」

 平たく言えば俺は香織にとって初めての彼氏、ということになる。確かに色々と大変なこともあるだろう。その大変さにかまけて香織の気持ちを疎かにしてはいけないということだ。

「おぉー、新崎君、それみふゆちゃんに言っても良い?」

「ま、まぁ構わないが、たぶん関谷伝で知ってるんじゃないか」

「あぁ、それもそうか」

 恐らく軽音楽部では一番の友達だろう。昨日の時点で香織から報告は行っているはずだ。そして水沢の耳に入っているのならば、当然涼子りょうこさんの耳にも入っているということだ。次にvultureヴォルチャーへ行く時には大いに冷やかされるだろう。

「尭也さんは気付いてたみたいじゃないですか」

 一也からの言葉だったが。

「ん、まぁ本人同士の問題だしな。でもま、香織も香織なりにお前にスキスキオーラ出してたし、お前はお前でずーっと気にしてたろ。どっちにしろくっつくとは思ってた」

「ほほぅ。それは興味深い」

 スキスキオーラとまで言わしめるほどだったのか。しかしそこまで尭也さんが判っていたというのに、俺はそれに気付くことができなかったというのか。

「香織ちゃんってあんまり気持ちを前面に出すような感じじゃないですよね、普段は」

「だな。でもまぁこいつの前だとちょっと女が出んだよ、香織は」

 確かに俺は香織と知り合ってから付き合うまでの時間が長いとは言えない。数か月前までは香織がどんな人間かなど、全く判っていなかった。

「全く気付きませんでしたが」

「そらそうだろ」

「いや、俺が鈍感なのは認めますが」

 もう少し説明が欲しい。俺が鈍感なだけであればそうだと認めるしかない。いや一部認めている部分はある。しかし、そらそうだの一言で片付けられては今後進歩が見られなくなってしまう。

「そうじゃねぇよ。お前が香織と知り合った時、多分だけど香織はもうお前に惚れてたんだろ。その前から聡がいない場で、聡のことを全く考えていない香織を俺たちは見てきてるんだぜ」

「……ちょっと何言ってるか判りません」

 だから何だというのだ。

「ばーか。お前のことが好き、って香織と、お前に惚れる前の香織は違う。その違いをお前は知らねぇだけだ」

 言われて見ればなるほど、と思いはしたが、ばーか、は俺に言う必要があっただろうか。つまるところビフォー、アフターという訳か。ビフォーの香織を俺は知らない。だからアフターの香織を見ても気付かない、ということだ。

「……なるほど」

「ま、後は経験点の差だろうな」

 アフターしか知らないとしても、香織の気持ちに気付くことはできたかもしれないということか。慧太に対しては偉そうなことを言ってしまったが、俺も香織が二人目の彼女で前の彼女、朔美さくみとの時は期間も短かった上に、あまり上手く行っていなかった。つまるところ経験点は確かに足りていないのだ。

「まぁ男女の恋愛ごとに関しては確かに一日の長がありそうです」

「お前も珍しく素直に負けを認めんだな」

 そこで尭也さんと張り合った結果の勝ち負けに価値を感じないので。などと言うとまた可愛げがないと言われてしまうのだろうな。

「や、まぁあんまり言いませんが、尭也さんに一目置いてるのは俺も同じですからね」

 不本意ながら本当のことを言わせて頂く。本当に不本意とはこういうことなのだな。納得した。

「何で言い方が上からなんだよ」

 そんなつもりは微塵もないが。むしろ珍しく尭也さんを褒めたのに、何故そんな言われ方をされなければならないのか。全く持って不本意だ。

「それが新崎君、ですね」

「ま、確かにな」

 谷崎と尭也さんが顔を見合わせて頷く。いやいや、多数決とは言えそれは受け取り方の方に問題がある。谷崎と尭也さんでは性格は真逆と言って良いほど違うが、無理矢理にでもそう思うことにしておこう。

「ともかくさっさと仕事を終わらせますよ」

「んだな。愁が実行委員じゃなけりゃフけんのになぁ」

「僕の仕事が終わるまでは逃がしませんよ」

 何故ここにいるのだと思いはしたが、まさか実行委員だったとは。

「わーってるよ。おら聡、仕事だ仕事」

「谷崎、俺はバックレる気はない。安心しろ」

「頼りにしてるよ」

 せめてベースのメンテナンス分の借りは返しておかなければならない。谷崎は貸しにしたつもりなどないのだろうけれど。

「雑用は高谷正義に任せろ」

「それ俺じゃねぇか」

 そんな訳であっという間に放課後となり、俺の苦難はまだまだ続く、という訳だ。

第三一話:無い袖は振れない 終り

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