おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
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第三四話:些末

公開日時: 2022年5月17日(火) 09:00
更新日時: 2022年11月6日(日) 00:47
文字数:10,000

二〇一二年十一月三日 土曜日

 些末さまつ、とう言葉がある。

 少し調べれば判ることだが、末端の、取るに足らない事柄、とある。また、本筋とは無関係であるから、取るに足らないこと、という意味もあるようで、細かすぎてどうでも良いことである、些細とは少々意味が異なるらしい。

 どちらにせよ、これも些末事ではある。


 すぐに慧太けいたしんが部室に向かってくれたのを確認できた後、俺は水沢みずさわのクラスに着いた。パステルカラーの可愛らしい色合いの飾り付けと、モノクロームなメイド衣装を着た数名が教室の出入り口に立っていた。

 む、あれは桜木八重さくらぎやえか。言うまでもないのだが桜木八重は可愛い。俺が桜木を振った理由は、名前しか知らない人間と男女の交際ができるとは思えなかったからだ。だからという訳ではないのだが、見た目で言うならば、確かに慎が逆恨みするのも理解ができるくらいに桜木八重は可愛いのだ。

 恐らくしんというイケメン彼氏ができた桜木は、俺のことなど端にもかけないであろうが、俺から振ってしまった手前、どうも顔を合わせ辛い。俺は水沢の姿を認めるとそちらに近付いた。

「いらっしゃいませ、あ、新崎しんざき君」

「よう水沢、冷やかしに来た」

 おぉ、これは何というか、似合うな。水沢はどちらかというと地味目というかシックな部類に入る、おしとやかな可愛らしさを持っている。今風に言えば良い意味で地味系、地味子とでも言うのか、ともかくそんなカテゴリの水沢がモノクローム基調のメイド服を着ると、矢鱈と似合う。喫茶店でも涼子さんと二人で着れば流行るのではなかろうか。

「じゃあ私も冷やかそうかしら。中、入って」

 にっこりと笑って俺を教室に案内する。いやぁ流石は学園のアイドルだ。遠巻きに携帯電話を構え写真を取っている連中が結構いる。連中にとっては殊更に俺が邪魔なことだろうなぁ。

「キャラじゃない気もするが……。というよりは気恥ずかしいな」

 教室内を見回してみる。流石に文化祭だ。教室は完全な装飾には及ばず、やはり教室の面影は残っている。しかしそれでも相当な努力の結果が伺い知れる。みんなこの日を楽しみにしていたのだろう。これだけ真剣に取り組んだことが判る教室を見れば、文化祭など所詮は高校生の遊びだなどと思っていた考えを改めなければならないな。何事も極個人の考え方など些末なのだろうな。

「まぁまぁ」

 黒板の脇にはA3サイズの紙で一枚に一文字ずつ、大きく『店内撮影禁止』と書かれている。出てきていた水沢をバシャバシャと携帯電話のカメラ機能に収める連中を見ると、教室の外は良いということなのだろう。

「い、いぃいらっしゃい、ませぇっ!」

 聞き覚えのある声音、もはや馴染みすら感じる吃音。ま、まさか。

「は?」

「特別ゲストの香織かおりちゃんでぇす」

「な、何やって……」

 香織がそこに立っていた。い、いやぁ、これは……。

「お手伝いをお願いしたの。新崎君も来るかもよぉ、って」

「良く衣装あったな……」

 香織は水沢以上に地味子だ。この上なくエプロンドレスとヘッドドレスが似合っている。できる事なら写真に収めたいくらいだがここは撮影禁止だ。くぅ、もう一度見たいという気持ちを煽り、リピーターを集めるための戦略だったか、やるな水沢みふゆ。流石は涼子りょうこさんの娘だ。

「ま、そこはそれ。私も似たような体系だし」

 あぁ、幼児体型だな。とは口が裂けても言えない。とはいうものの、水沢の胸はそれほど小さい訳ではない。つまり、ある程度の差異はメイド服にはそれほど影響しないのだろうか。俺には判らんことだ。それに俺は世の男どもに倣って巨乳が好きということは断じてない。とはいえ、ならば小さければ良いというのも違う。人にはそれぞれに似合う体系というものがある。例えば五反田衣里ごたんだえりならば、胸はあった方が良いだろう。香織や水沢ならば、控えめな胸の方が良く似合うと思う。いや、これは極個人的な俺の趣向であって、仮に香織の胸が大きかろうと俺は香織を好きになっていただろうし、然したる、重要な問題でも何でもない些末事だ。

「に、に、にぁ、って……」

 顔から炎でも吹き出るんじゃないかというくらい赤面して香織が言ってきた。まさか、そんな、この公衆の面前で、俺にその、とんでもなく恥ずかしい答えを言わせたいのか、関谷せきたに香織。

「あ、あぁ、そうだな……」

「女の子にはちゃんと言葉にしてあげないと伝わらないんだよ」

 水沢……。そのにやけた顔をこちらに向けるな。

「くっ、に、似合ってる……」

「きゃあ!新崎君ご馳走様!」

「か、帰って良いか」

 顔面に熱を感じる。奇妙な汗がじんわりと出てきた。俺は赤っ恥をかきに来た訳ではない。いや多少の眼福を期待してのこのこと訪れた俺も俺だが、これでは俺はやられっぱなしだ。そしてこれ以上ここにいても反撃の糸口は見つかりそうもない。

「駄目に決まってるでしょ!香織ちゃん注文お願いね」

「あ、う、うん。え、えと……な、何になさいますか?ご主人様」

「ひーっ!」

 ヤメロー。

「な、え?」

「柄にもなく頓狂な声を上げてしまった!コーヒーをブラックで下さい!」

 いかんな、少し昂っている。良い意味か悪い意味かで言えば若干悪い意味でだ。つまり少々抑え込むことが困難な昂りを悪乗りで誤魔化している、という状況だ。

「あ、ま、豆はvultureヴォルチャーから持って来てるんだって」

「なんと。これは儲けた。色々ボコられた上に強姦された後のように心のあちこちが痛む気がするがそれで水に流すとしよう!」

「な、何か変だよ新崎君……」

 悪乗りが過ぎると自分でも判ってはいるのだが、中々コントロールできない。それほどこの空間が異常なこともあれば、香織のメイド姿にも衝撃を受けているということだ。

「異様な空間の演出をしておいて良く言う……」

「そ、それ考えたのわ、私じゃない……」

「それもそうか。じゃ、じゃあ頼む……」

「ありがとうございます、ご主人様っ」

「……」

 ヤメテクレー。

 言い訳を特大フォントでボールドして特筆したい気分だ。俺には断じてメイド属性はない。夜のフィル・インにもそのジャンルは無い。だがそれが、自分の彼女だったのならばどうだ。俺にメイド属性はない。断じてだ。だが、自分の彼女。

「おぉ、ホントにいるじゃん新崎」

 ばしん、と思考を断ち切られるほど強い力で背中を叩かれた。

「げ、五反田」

「げ、言うな」

 ばしん、ともう一度叩かれた。結構痛いんだが。

「す、すまんつい」

「みふゆからメール飛んできたからかっ飛んできた。新崎の醜態を拝みに」

 大して気にする様子もなく五反田は言った。しかし残念だったな。

「少し遅かった」

「ちぇー。相席いい?」

 俺が返事をするより早く俺の対面の席に座る。お前も着てみたらどうだ、とは口が裂けても言えない。

「うむ」

「みんな可愛いねぇ。まぁ香織とみふゆは別格に可愛いけど」

「外の桜木も可愛かったぞ」

「あぁ、八重にはもう挨拶したわよ、ホラ」

 スマートフォンを取り出してばっちりとツーショットで写された画像を俺に見せる。

「知り合いか」

「うん。半年前にあんたがこっぴどく振った話も実は知ってた」

 いや、こっぴどくはなかろう……。

 言ったところで後の祭り。今更ジローだ。

「まぁ新崎の醜態も恋話も正直どうでもいいのよあたしは。香織のメイド姿をこの手に!」

「お、おいよせ、撮影禁止って書いてあるだろう」

 生真面目にもほどがあるかもしれないが、学校中の女生徒を敵に回せば、流石にこの学校では生きては行けなくなる。別に経験がある訳ではないが、こうした場での破天荒は絶対に命取りになるはずだ。男として。

「欲しくないの?」

「べ、別に……」

 別に欲しくないなどとは一言たりとも言っていない。

「このチャンスを逃したら二度と手に入らないかもよぉ」

 それは確かに五反田の言う通りだ。香織がメイド服を着ることなど、こんなイベントでもなければきっとない。新崎聡だって男の子だ。彼女の可愛い写真が欲しくて何が悪い。俺にメイド属性は無いとはいえ、メイドのコスチュームが可愛いのは確かだ。いやもう御託はどうでも良い。香織の可愛い写真が欲しい。

「まぁあたしは許可貰ってからちゃんと写真撮らせてもらうからこの場では無茶はしないわよ」

 確かに教室の外にほんの少しの間だけ連れ出せばそれでことは済む。それならば俺でも……いや無理だ。いつも仏頂面でつまらない男、新崎聡が関谷香織を連れ出したぞ、などと噂されてはたまらない。いや、付き合っているのだから遅かれ早かれそう思う輩が出てくるのは間違いないだろうが、それを態々自分から見つけて下さい、と振舞うのも何かが違う。

「……」

「あーはいはい、判った判った。あとで男が好みそうなポーズさせてあんたに送ってやるから」

 一頻り考えていると、何やら勝手に五反田が事を進め出した。しかしそれは非常にありがたい提案だ。その際は是非とも媚びていない、ナチュラルなものを所望したいが、女子に男の嗜好など理解できないだろう。もはやこれは嗜好と言うより極端な個人的フェティシズムかもしれない。五反田に理解してもらおうという方が無茶で贅沢な話だ。等と考えていると。

「素直で宜しい。みふゆとセットも?」

「便宜上、谷崎たにざきのためにも」

 便宜上と言って伝える辺りが正直者だ。誰か褒めてはくれまいか。

「素直じゃないわね」

「五反田のその男視点が謎だが」

「バイの気あるのかしら」

 ということは男の事は捨てないということだ。それは女として健全なのかもしれないが、それがバイともなるとまた話が違う。いや、そもそも人の性癖というか習性に対してケチをつけるほど不毛なものはない。世の中にはそれで本当に苦心している人がいるのだから本来是非もない。慎むべき話だったな。

「知らん」

「まぁみふゆと香織ならバイに墜ちても悔いはないわ!みふゆー!あたしアイスミルクティー!」

「かしこまりぃ!」

 ご主人様、とは言わんのか。




 散々恥ずかしい思いをさせられたように思うが、まぁ香織と水沢、桜木のメイドコスチュームが見られたのは眼福だった。無理矢理にでもそう思うことにしよう。

尭也たかやさんはどしたんだ?」

 本番まであと一時間ほどだ。部室に戻り、手首のストレッチをしつつ、俺は部室を見回した。部室には今年はスタッフとして動いてくれた一年生と女子部、尭也さんを除いた男子メンバーが揃っている。

「さっき彼女と二人で歩いてるのは見たけど」

「やっぱ尭也さんの彼女チョーカワイイよなぁ」

 慧太けいたが言って天井を見上げる。それほどとはなぁ。以前慧太が好きだった五反田衣里は中々の美人だ。そして今好きな伊関いぜき先輩も中々の美人だ。慧太の女性に対する審美眼はそれほど慧太独自のオリジナリティが強い訳ではないように思える。

美織みおりさん、だったか」

「そ。ちょっと水沢に似てるよな」

「あー、判る。どことなく」

 一也かずや、慧太、慎が口々に言う。なるほど。水沢に似ているのならば確かに可愛いのだろう。

「しっかりしてる感じはするよな」

 そこも水沢のイメージと被る。

「まぁあの尭也さん相手では女の方もしっかりしていないと付き合いも難しいだろうしな」

「どういうこった?」

 おう、いきなり背後から尭也さんの声がした。

「あ、尭也さんちす」

「おう」

 慧太も一也も慎も口々に尭也さんに挨拶をする。だが俺は気付いてはやらない。

「……あの破天荒で勢い任せの性格を抑え込むには理知的でなければならないだろう。藤崎ふじさき尭也は決して阿呆ではないが、理詰めには弱い」

 ふん、と勝ち誇った体を装う。

「本人を前にしてよく言えるなてめぇ……」

「陰で言ったら陰口になるじゃないですか。正直いると思いませんでしたが」

 ぴょこ、と手を挙げて挨拶の代わりとする。

「陰口言う気満々じゃねぇか!」

「結果的に陰口にならなかったのは幸いです」

 まぁ陰で言ったところで大した悪口ではない。というか事実だ。

「で、その美織さんは?」

「ここにまで連れて来る訳ねぇだろ」

 それもそうか。ここは第二音楽室。文化祭における第二音楽室は僻地だ。この辺りの教室では催し物はやっていない。つまり学外の人間はここまでは来ない。学内の人間ですら来ないところまで態々彼女である学外の人間を連れて歩くのも意味はなかろう。

「それは残念。でもライブは見て行かれるんですよね」

「まぁな。それに伊関や早香はやかも友達だしよ、今はそっちと一緒にいるよ」

「なるほど。でももう女子部も始まりますよね」

 女子部の出番は俺達の三〇分前だ。その直ぐ後に俺達男子部の出番が三〇分。つまり、軽音楽部の枠としては六〇分を貰っている。

「んだな。そろそろ行こうぜ。そもそも俺はお前らを呼びに来たんだ」

「そういうことだったんすね」

 女子部が始まる前に全員集合しておかないとまずいだろう。実行委員会はともかく、瀬野口先輩が怖い。

「んじゃ行くか」

「うす」

 尭也さんが言って、俺たちはぞろぞろと第二音楽室を出る。

「うぉー、ライブ久しぶりだから緊張する」

「ま、聡もいるし大丈夫だろ」

 慧太の言葉に一也が返しながらドラムスティックを軽く振り回す。何を持って大丈夫なのだ。今まで散々っぱら一緒に練習してきていて俺の能力などとうに知っているはずだ。自分でいうのも癪だが、それほど、皆に自信を与えるほどには巧くはない。

「俺はお前らよりもブランクがある。それに俺なんか上手くも何ともないぞ」

「そうかぁ?」

 一也が言って笑う。一也はそもそも俺と組みたいと言ってくれた男だ。どういう訳かは皆目見当もつかないが、俺を贔屓目で見ているのは何となく理解もしよう。しかし、だ。

「あぁ。これはへりくだってる訳でもなければ謙遜でもない。実際俺程度のベーシストならごろごろいる」

 悔しいがこれは事実だ。しかも生意気にバンドに疲れただの言って半年もサボっていたのだ。今の俺が当時、一番弾いていた頃の俺よりも巧いのかどうか、それすらも判らない。

「ま、それは実際そうなんだがよ、音楽なんて巧い下手で全部が決まる訳じゃねぇだろうが」

「というと?」

 尭也さんが言って慎が問い返す。俺には判るが、確かに慎にはまだ判らないことかもしれない。

「幾ら技術が高くても、曲が好きじゃなかったら聞かねぇだろ。逆に少々下手でも好きな音楽なら聴くだろ」

「それは……そうですね」

 自分の聴いている音楽に思い当たる節があったのか、慎は神妙に頷いた。正直プロのレベルになると、巧い下手は判らない。ネットなどであそこのギタリストが神だのなんだのと噂されていたりもするが、かと言って他のバンドのギタリストが下手なのかと問われれば俺には全く判らない。プロという枠に限った話、この場合はプロとして音楽が売れるということを基準線とすれば、その基準線よりも上の人達は、全て巧いということになるのだ。

 そこより上のレベルは勿論あって、各々が切磋琢磨しているのだろうが、音楽は格闘技のように戦って白黒つけるということが不可能だ。だから、無責任な噂を鵜呑みにもできない。

「基礎もままなんねぇような奴なら話は別だがよ、巧いから好き、下手だから嫌いってのはなんか違う気がするしな」

「それは確かに……」

 ふむ、と慎は頷いて見せる。好き嫌いと巧い下手を混同するような人間は慎の最も嫌うところだろう。とは言うものの、音楽には偏食があって当たり前だ。俺はロック系統は好きだが、ビジュアル系の音楽は苦手だし、ヒップホップなど全く理解できない。そうした好き嫌いを巧い下手になぞらえる人間がごく稀にいるのだ。そして下手だからつまらない、という酷い勘違いをしている人間も割といる。

「ただ動かしてるだけで巧いとか思い込んでる奴もいるだろ。本当に上手い奴の動かし方と、ひけらかしたがりの奴もまた違うしな」

 高等技術をひけらかしたいだけで、曲の雰囲気や要不要を考えられないギタリストは、確かに個人的技術は高いのかもしれないが、バンドのギタリストとしては正直歓迎はできない。

「色々あるんすねぇ」

 慧太が呑気そうに言う。慧太は今のところコードギターのみなので、こうしたギタリストの機微などはあまり自分には関係ないと思っているのだろう。

野島のじまなんかはその類だろ。やたら動いてるだけでそれが巧いと思い込むような」

「あぁ、なるほど」

 判り易い例えだ。そのコードに含まれる音以外の音でも、コードに乗っかる音はある。しかし逆に乗らない音の方が遥かに多い。通過音だけでも外れた音を通れば、ずれていると気付く人間は気付く。全く音楽に精通していない素人でも気持ち悪い、と気付く人間もいるだろう。慎などは野島のベースと自分のギターが合わないことに業を煮やしていたのかもしれない。

「本当に巧い奴は効果的に動きをより生かすために静と動を巧く使いこなすし、きちんと理屈を理解して、必要な音を通る」

「必要な音?」

 恐らくこの話を理解できていないのは一也と慧太だ。一也はコードギターを少し弾ける程度で作曲経験もないらしい。

「まぁこりゃカンタンな話だけど、仮にルートがCだとして、歌とギターがナインスだったら、ナインスを通ってコードから外れない動きのフレーズを作る。それを直感でできる奴が本当に巧い奴だと俺は思うぜ」

「急に難しい話になったな」

 正しく尭也さんの言う通りだ。しかしこれは感覚面での話だ。そこに気付けても弾ける技術が無ければまったく意味はない。

「や、渡樫わたがし君はギターボーカルなんだからそれくらいちゃんと理解しないと駄目だと思うぞ」

 慧太は意外と特殊能力を持っているのか、コードの音とボーカルのメロディとのコードがずれていても、正しいボーカルのメロディを歌うことができる。自分のギターの音を聞いていないこともそうだが、ボーカルのメロディをしっかりと覚えて、自分のギターの音に吊られない。これは意外と特殊能力だと言っても良いかもしれない。

「まぁ慎のギターは理屈臭ぇけどな」

「臭い!酷くないですか!」

「だから前からお前にはもうちょい荒っぽさが必要だつってんだろ」

 ことあるごとに尭也さんはこれを言っているが、それは俺も同感だった。慎の性格上、きっちりと、正しく弾かなければ気が済まないのだろうし、もはや癖として正しくきっちりと弾くようになってしまったのだろうが、それこそ今尭也さんが言った、静と動、正確さと乱雑さを巧く使い分けることができれば、慎のギターはまだまだ進化する。

「ぐぐぅ……」

「何でもかんでも正確に、ってのは慎の持ち味でもあるんだけどな。使いどころを踏まえるともっと生きるってことだよ」

 正確に弾くのはまず何よりの基礎でもあるし、尭也さんの言う通り、慎の持ち味でもある。

「まぁ、判ってはいるんですけど……」

「これは性格的なもんだから中々すぐには出来るもんじゃねぇよな」

 慎がそれで自分は完璧だと思っているのならば、慎はもうお仕舞いだ。しかしそうではないことを慎自身が判っているし、そこが自分自身の技術の幅を広げることになることも判っているのだ。

「そういう慎みてぇに音楽理論と技術力、って意味で巧ぇ奴と、理屈はいまいちだけど、ノリと雰囲気で感覚的に巧ぇ奴ってのはまぁ分かれることもある」

「ちなみに慧太は感覚だけに頼りすぎだ」

「い、いや理屈臭ぇのはどうも……」

 そう、慎と慧太は真逆でセンスがある。慧太の歌声はまた別ものだがギターの技術で言えば、慧太のギターは本当に感覚的なものだ。最初はオープンコードとバレーコードの手探りでコードを覚えていたが、慣れてくるとギターはギター、歌は歌で感覚的に分けて演奏しているのだ。通常、ボーカルはコードに歌が載っていなければ即座に歌い難さに気付く。しかし慧太はそれに気付けない。これは歌は歌でしっかりとメロディを記憶して歌っているからなのだろう。ギターに乗せて歌っている訳ではないから、ギターがずれていたとしても、正しいメロディを歌うことができる。これは中々に才能と言っても良いのではないだろうか、と俺は個人的には思っている。

「聡は理屈っぽい感じ?」

「いやこいつは完全にノリだ」

 随分と簡単にばらしてくれる。が、尭也さんの言う通りなので否定はできない。

「えぇ!こんな理屈っぽい偏屈野郎が?」

 言いたいことは判る。俺は確かに理屈っぽい偏屈野郎だ。だがそれは音楽の時には当てはまらない。慧太ほど音楽理論に疎い訳ではないが、尭也さんや慎ほどに詳しい訳でもない。

「そこがバンドマンの不思議、ってやつだな」

「俺も慧太と同じで理屈っぽいのが苦手なんだ」

「理屈じゃなくて理論ですぅ」

 それにベースはコードがCであれば、ギターがマイナーを弾こうがセブンスを弾こうが、ナインスを弾こうが、ベースノートというコードの一番低いキーの音、つまりルート音さえ弾いておけば曲を破綻させることはない。それだけを弾いていれば、飾り気も何もあったものではないつまらないベースになってしまうが、最低限、曲としては成り立つのだ。だが俺はそれを良しとはしない。どう動けば、どう弾けば歌の邪魔にならずに効果的なフレーズになるか。いつもそれを考えている。

「まぁそんな感じだから、俺ぁ良くferseedaフェルシーダでベース弾いてたな、と思うぜ」

「そのバンドってそんなウマイんすか」

 恐らく聞いたことがあるのは一也と尭也さんだけだろう。慎は俺がベースを弾いていたことは一也か慧太から聞いたのだろうし、慧太は俺がベースを弾いていることすら最初は知らなかった。

「巧かねぇよ。悪いバンドじゃねぇかもしれねぇが、俺は一曲も好きな曲ねぇし、ぶっちゃけ聡は浮いてたと思うぜ」

 俺は良いバンドだと思っていたが、感じ方は人それぞれだ。音楽や食べ物で一番を決めることほど不毛なことはない。

「そこって確か新崎君がクビになった後に野島君が入ったとかいうバンドだよね。益々興味ないな」

 そもそも野島との確執が強い慎が本当に嫌そうに言う。野島の名を口に出す事すら嫌なのだろうことが充分過ぎるほどに伝わってくる。

「ま、野島みてぇに基礎もなってねぇのに動かしたがるようなのは論外だけどな。ああいうのに限って機材とか理屈とかに詳しいばっかでグルーヴのグの字も出せねぇ」

 まぁ機材などは暗記だ。そこに興味があれば暗記もするだろうが、俺はベース本体以外の周辺機器には殆ど興味がない。それが是などと言うつもりはない。知っていた方が多いことが良いのは確かだし、俺自身まだまだ勉強する意欲はある。

「まぁ野島のことはともかく、俺は良いバンドだと思う。俺のベースが合わなかっただけでな」

 野島が周辺機や機材に詳しいかどうかは知りたいとも思わない上に興味もないのだが、やはり技術もセンスも知識も豊富な方が良いことだというのは俺にも判っている。

「でもそんだけ良いバンドだっつーなら何で野島なんか拾ったんですかね」

 一也がそう言って笑う。一也もまたどうでも良いのだろう。俺がこのバンドにいるという事実だけがあれば。

「ギタリストがクソだからな」

「まぁ確かに野島と太田おおたならウマが合いそうですけどね」

 尭也さんの酷い言葉に乗って俺は続けた。野島にも勿論太田にも義理立てする理由は何一つだってない上に、俺も連中のことはどうしたって好きにはなれない。

「だな。クソ同士じゃれ合ってりゃいんだよ」

「ひでぇ言われよう……」

 さすがの慧太も苦笑する。

「野島君には似合いのバンドってことですかね。俺は興味ないですけど」

「ま、聡みてぇにマトモなのを捨てる奴もいりゃ、野島みてぇなクソを拾う奴もいるってこった」

 愉快そうに尭也さんは言う。それは尭也さんにとっての誉め言葉だろう。それも恐らく俺に対しては最大級の、だ。

「それ同じ人ですよね……」

「そう言われりゃそうだな。ホント良くあんなのと組んでたよな、お前」

 以前にも言われた言葉だが、今思えば確かに、だ。太田なんぞにいや基、太田ごときに嫌な思いをさせられたくらいでバンドを辞めるなど、今思えば太田に完全敗北したも同然だ。

 いや、こんなこと思い出したくはなかったな。一度でも完全敗北したなどと。だから俺はこう言わざるを得ない。最大級の賛辞の意を込めて。

「ま、尭也さんと組めるくらいですからね」

 正確には完全敗北の俺を救ってくれたのは一也だ。一也の気持ちが慧太や慎や尭也さん達を動かした。そして結局俺はこのメンバーに救われた。もう一度ベーシストとしてステージに上がる機会を与えてくれた。

「お前今下衆野郎つったか?」

 実に楽しそうに尭也さんが言う。俺の気持ちを汲み取ってくれた証だ。だから俺も楽しくなって続けた。

「口には出してませんよ」

 本当に、恥ずかしくて口には出せないありがとう、という言葉を飲み込んで、俺はわざと悪い笑顔になる。

「相変わらず可愛くねぇ!せっかく褒めてやったのによ」

「そこだけは有り難く受け取っておきます」

「素直じゃないね、二人とも」

 そう言って慎が笑い出した。一也も慧太もそれに続き笑い出した。

 気付けば体育館は目の前だった。

第三四話:些末 終り

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