おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
yui-yui

第十七話:めっき

公開日時: 2022年3月27日(日) 09:00
更新日時: 2022年11月3日(木) 01:58
文字数:10,000

二〇一二年十月十二日 金曜日

 めっき、という言葉がある。

 元来、酸化しやすい金属を、酸化しにくい金属の薄膜で被覆する、金属の表面処理のことをめっき、と言う。だが、元々の単重が安価な金属に、金の薄膜を被覆する、いわゆる金めっき、などという言葉がある。これは人間にも置き換えられる言葉だ。

 今現在はたまたま何かの幸運で良く見られたり、凄い奴だと言われたりしていても、時期が来ればその幸運も去り、本来のつまらない人間性が露呈してしまうことを、めっきが剥がれると言う。

 何の礎もなく、努力も積み重ねず、訪れた好機や幸運に依って身に付いたものなどをめっきに例えた言葉だ。

 つまり、軽音楽部の連中(主に関谷)が『新崎聡は中々大した奴だぞ』などと思うのは、他の連中が俺にめっき処理を施しているだけに過ぎないのだ。


新崎しんざき?あぁ、軽音部入ったベーシストってお前?」

 涼子りょうこさんがしょう君と呼んだ男がそう話しかけてきた。俺よりも背が高く大柄な男だ。短く刈り込まれた短髪には清潔感があるが、その見た目とは裏腹に随分と不躾な奴だ。そう、詠慎ながみしんに対してそうであったように、不躾には不躾で返すのが俺の流儀だ。

「そうだが、そう言うお前は誰だ?」

「あぁC組の野島のじまだけど、知らねぇのかよ」

 C組の野島。記憶にない。一年生の時に同じクラスだった某がC組になったのは知っているが、C組の野島には覚えがなかった。

「済まんな」

 俺はそう言って、サンドウィッチを一口。旨い。涼子さんは料理の天才だ。

「あ、あの、そこで一緒になって……」

「そうか」

 申し訳なさそうに関谷せきたにが言うので、俺は笑顔を見せた。もぐもぐと咀嚼してはいるが、許せ。

「邪魔すんなよ」

 にやりと野島が小声で笑うと、奥のテーブル席に向かう。なるほどそういうことか。ならば俺は我関せずを貫くとするか。

「俺は野暮だが野暮天ではない。安心しろ」

 再びサンドウィッチを一口。旨い。涼子さんは料理の天才だ。何度来てもそう思ってしまう。何を食べてもそう思ってしまう。それだけ涼子さんが作るのもは旨い。

「そうか。じゃあオレのベースラインも相当野暮なベースラインになってんだろうな」

 そんな涼子さんを嫁に貰えたのならば、水沢貴之みずさわたかゆきとはなんという幸せ者なのだろうか。あんなにもベースが巧くて、ある程度好きに音楽がやれて、こんなに可愛い奥さんと娘がいて。あぁ、天は、神は、何と不平等なのだろうか。

「ん、待て、野島とか言ったな」

 今、何と言った?

「何だお前、偉そうだな」

 俺が間抜けな妄想をしている間、こいつは今、とんでもないことを言いはしなかったか。

「お前も大して変わらん。で、聞くがお前は元軽音楽部のベーシストか」

 確認だ。確認作業だ。テーブル席に座ったまま野島はこちらを見た。考えてみれば最初にこいつが俺に対し、軽音楽部云々の話をした時点で気付くべきだった。

「あぁ」

 そうか。ならば言いたいことは山とある。

「待ってくれ、今、荒ぶる魂を言葉に換える」

「あ?」

 効率良く、一気に吐き出さねばなるまい。什麼生そもさん説破せっぱと自問自答。……よし、整理はついた。さぁ行くぞ。

「ならばアヴォイド・ノートとディスコードの違いも判らず無駄に動かしまくり、挙句歌もギターも邪魔をしまくる、フロントマンに喧嘩を売り、ピッキングもろくに定まらないクセに分不相応な鬱陶しいベースラインを創ったのはお前か」

 ふぅ。我ながら巧くまとまったか。だがまだ終わらぬ。覚悟しろ。野島某。

「んだてめえ」

 同じ言葉を返したい。が、言いたいことはもっとある。俺は慧太けいたとは違う。話の腰が折れ曲がった方向へは行かない。

「自分が巧いと勘違いしている典型のベースラインだ。おかげでこちらは良い迷惑だ。他人のベースラインを真似るのは何かしら勉強になることもあるが、何一つ学びなどなかった上に全て一から創り直さねば使い物にならん。もう一度慧太のライダーキックを喰らってそのひん曲がったベーシスト気取りの腐った根性を叩き直してもらったらどうだ」

 ふぅ。ここまでで良いか。かなりすっきりした。

「は、オレにはもう関係ねぇこった。せいぜい苦労しろ」

 なるほど。俺が言ったことなど意に介さないという訳か。ならば俺も切り替えよう。

「言われなくてもな。途中で投げ出す中途半端な奴にあのバンドのベースなど弾かせられん。……邪魔したな」

 それだけ言うと、俺は三度サンドウィッチに集中する。やはり旨い。涼子さんは料理の天才だ。

「し、新崎君……」

 関谷が俺のすぐ横で、明らかに戸惑っていた。本日二度目のなるほどそういうことか。この野島某が元軽音楽部のベーシストだというのならば話は違う。俺は関谷の名を呼んだ。

「関谷」

「は、はい」

 くい、と顔を上げて、可愛らしい顔を上気させている。つまりこれは、俺に誤解をされたくないと思って良いのか。もしもそうならば、俺は関谷の力になれるかもしれない。

「そこで一緒になった、と言ったな」

「う、うん。偶然」

 やはりそうか。訳の判らない言い訳ではなく、気が弱い関谷の精一杯のアピールだったのかもしれない。つまりはこの野島某、どうやら関谷の意中の男ではないということだ。だからといって俺が関谷に対して思わせぶりなことをする訳には行かない。

「そうか。ならば委細は問わん。お前が座りたいところに座ったらどうだ?」

 こう言うのが関の山だ。俺の隣に座れなどとは言えないし、かといってあまり良くは思っていないのであろう野島某のそばに置く訳にも行かないではないか。

「うん!」

 そう言うが早いか、何と関谷は俺の隣に座った。それもカウンターテーブルの左端から二番目の俺の、左隣に。これはやはり、野島とは一緒にいたくないという気持ちの表れなのだろう。

「ちょ、関谷」

 面食らったような野島の声が聞こえたが、俺は見向きもしない。それよりも関谷に詫びなければならないな。

「済まんな。少し疑った」

「え?」

 判らなかったか。確かに疑いというよりは思い込みだった。この言い方は確かに少しおかしいかもしれない。

「いや、誤解した」

「ご、あ、うん。平気」

 判ってくれればそれで良い、という意味だろうか。誤解、と言いかけて辞めた関谷の真意は判らなかったが、敢て踏み入って訊き出すことでもないだろう。

「何言ってんだ?」

「関谷は外バンは組んではいないのか」

 野島の言葉を無視して俺はそう関谷に訊いた。関谷がアルバイトをしているかどうかまでは聞いたことがなかったが、男子部員の面倒まで見ていて、女子バンドもやっていればあまり他にバンドを組んでいる余裕はないような気がするが。

「う、うん。みふゆちゃんと一度参加しようと思ったことがあったんだけど、何だか練習もしないし、打ち合わせ、とか言ってゴハン食べに行ったりが続いたからやめちゃったの」

「なるほど。まぁ関谷と水沢ならば無理もない気はするな」

 俺の周囲にはそんな輩はいないが、中には女子メンバーを募集と見せかけて、ただ単に合コン紛いのことをしたいだけ、という連中もいるのだ。そんな連中に捕まってしまったのだろう。

「そうなの?」

「あぁ、そういう輩がいるというだけで、もちろん他にもバンドをきちんとしたい奴はたくさんいる。偶々外れ籤を引いたのだろう。ほら、注文したらどうだ?」

「……」

 関谷を促した直後、恐らく俺の後ろ辺りで立っていた野島が俺の右となりに座った。鬱陶しい奴め。態々俺の隣になど座らなくても良かろう。

「あ、わたしRBSとホットケーキで」

「はぁい、かしこまり。祥君は?」

 ホットケーキか。それもまたそそられる選択肢だな。次回は是非それを注文しよう。

「ブレンドお願いします」

「はぁい、ブレンドね」

 涼子さんがにこやかに答えると、奥の家屋に繋がっている廊下から水沢が顔を出した。

「おはよー。寝過ごしちゃった。あ、香織かおりちゃん、新崎君、いらっしゃい。あ、野島君も」

「ん。こんな早い時間から手伝いとは頭が下がるな」

 ひょいと片手を挙げて挨拶に代える。俺にはこれが関の山だな。それにしても休みの日の朝から店の手伝いとは。生真面目にもほどがあるが、そこはさすが、水沢涼子の娘なのだろう。

「おはよ、みふゆちゃん」

「よぉ、水沢」

「うん、おはよ。お店のお手伝い好きだから全然大丈夫」

 なるほどな。涼子さんの手前もあるのかもしれないが、確かに水沢がこの店の手伝いをしているときはいつも楽しそうだ。

「寝てても良かったのに。昨日何かしてたんでしょ?」

 優しい笑顔で涼子さんはそう言った。娘は娘で忙しいことを理解しているのだろう。文化祭の準備もあろうし、水沢は女子部員のバンドのメンバーだ。

「うん、でも大丈夫だよ。香織ちゃんはRBS?」

「うん」

 聞こえていたのか。気働きも流石だな。

「んじゃ私が淹れるね」

「ありがと」

「早起きは三文の得だなぁ。そうは思わんか、野島」

 涼子さんに水沢に関谷。眼福とはまさにこのことだ。これで野島がいなければ、と思わずにはいられないが、流石に帰れと言う訳にもいかない。それに俺にはまだこいつがどんな奴なのか、はっきりとは判らない。

「だな……。つーか何お前、オレんことムカついてんじゃねぇの」

 まぁ、流石に先ほどの俺の言い方には棘があった。そう思われても仕方がないな。

「詠慎じゃあるまいし、俺は見ず知らずに近い人間を理由もなく悪くは言わん。ただベースラインに腹が立ったのは本当だ」

 突き詰めれば野島個人への愚痴となんら変わりはないことだったかもしれないが、俺が言ったのはあくまでもベースについてだ。野島個人のことは、いや、少しは言ったな。

「え、オレ、下手なのってマジで?」

 やはり個人的に気に入らないからただ単に喚いているだけ、と思っていたのか。話を聞く気になったのならば、あまり気は進まないが、俺の考えを伝えておこう。

「極個人的な所感だがな、巧いか下手かというよりは、恐らくベースという楽器への理解度が足りない。好きなアーティストは誰だ」

 演奏スタイルというものは、聴いてきた音楽に左右される。恐らく野島は俺が今まで耳を傾けなかったアーティストが好きなのかもしれない。かくいう俺もベース理論について詳しい訳でも理解している訳でもない。だが、俺が尊敬するベーシストがそういったものを踏襲しているアーティストであったり、そうではなくても、ビシビシと琴線に響くベースを弾くアーティストであれば、おのずとプレイスタイルはそういったアーティストに近付いて行くものだ。

Overオーバー The Skiesスカイズ

 寄りにも寄ってそこか。Over The Skiesは難解なベースラインでも有名なバンドだ。巧い事は判るが、バンドの楽曲、とりわけロックという音楽としてのベーシストというのであれば、俺には理解の外にいるベーシストだ。

「なるほどな。ならばそのバンドの音楽理論を自分なりに学べ。俺にはあのバンドのベーシストは正直理解ができない。だから何もアドバイスなどないが、ベースという楽器はボーカルでもギターでもない。ただそれだけだ」

 エレキベースという楽器は本来ならば、メロディも弾ければリズムも刻み、パーカッションまでもこなすことができる、本当に幅の広い楽器なのだが、そこは俺もまだまだ未熟者だし、今の野島には与えてはいけない情報のような気がするので黙っておくことにする。

「難しいこと言うな、お前」

 それはそうだろう。俺だってベースという楽器の奥の深さに正直辟易する時もある。常に「プロを目指している訳ではないし」という自分への言い訳と葛藤がつきものだ。憑き物、と言っても良いほどに。

「外バンは組んでいるのだろう」

「あぁ」

「ならば愛想を尽かされないよう、練習するしかない」

 俺のようになりたくなければ、そのバンドにしがみつけるだけの腕力も握力も、つけておかなければならないはずだ。メンバーが必要だと言ってくれていても、その気持ちは忘れてはならない。

「練習はしてるさ」

「では練習のやり方を変えるんだ。ロックバンドの中の、ベースという楽器の役割を、自分なりに考えればきっと無駄にはならんはずだ」

「オレなりに?」

「今お前が、自分の演奏に疑問も不安もなく自信満々ならば必要ないだろうが、どうもそうではないな?だとするならば、自分の演奏の何が他の連中にまずいと思われそうなのか、自分が意識的に目を背けているのはどういう所なのか、本当は判っているはずだ。俺なんかに言われなくともな」

 言っている俺自身耳が痛くなる話だ。練習などやりたいことしかやらないことが多い。できないことはできないと早々に諦めてしまえば、何も身に付かないのはどんな趣味でも同じことだ。

「……」

「他人を笑えた義理ではないんだが、暇な時間ができた時、女の尻を追いかけているようではまずいだろうな。俺も、恐らくお前も」

 関谷とは偶然そこで会ったと言うが、野島がその偶然を狙っていた可能性は高い気がする。今少し接しただけでも判るほど、野島は関谷への好意を顕にしている。そして恐らく、一也が言っていた「女子に手を出そうとした」というのは関谷にこの通り、ちょっかいを出しているということなのだろう。

「……お前、いつも仏頂面でつまんねぇ奴かと思ってたけど、割と面白ぇ奴なんだな」

 いつかの慧太と似たようなことを野島は言った。今の俺程度で面白いということは、それまでの俺は本当につまらない男の更に底辺にいたということなのかもしれない。

「大いなる誤解だ。俺ほど面白味のない人間もいない」

「そんなこと、ないよ」

 今まで黙って話を聞いていたのであろう関谷が急に口を挟んできた。フォローは大変ありがたいが。

「関谷こそが勘違いチャンピオンだからな。関谷の言うことは気にしない上にあてにするな」

「ひどい……」

 どうも関谷は自分を卑下する上に、誇大妄想で俺を見ている気がする。誰もが羨む端正な顔立ちで、誰もが賛辞する優しい性格で、ベースの腕前もプロ級ともなれば、多少は俺だって自負しよう。だがそんな片鱗すら持ち合わせていないというのに、どうしてその言葉をそうだな、と受け入れられるものか。

「あのな、お前が俺を大したもんだと思うのは勝手だが、それはめっきでしかないぞ」

 そうなればいつかは「あいつのアレはめっきだ。新崎聡もめっきが剥げてきたな」などと言われるはめになる。俺は自らめっきを纏ったことは一度たりともないというのにだ。

「聡君、自分を卑下しすぎることに意味はないわよ」

 なんと。俺がそれを言われるとは。しかし俺は自分を見誤らない。

「卑下ではなく、現実です」

 故に涼子さんとはいえ、俺も反論はさせて頂く。俺は関谷とは違う。関谷が何故こうも消極的な性格なのかは判らない。過去に受けた虐めのこともあるのかもしれないが、現実、関谷は容姿端麗、眉目秀麗だ。そんな関谷を嫌うのは僻み根性の強い同性くらいのものだろう。その現実に目を向けない関谷と俺とではそもそも立っている場所が違う。

「じゃあ言い方を変えるわね。それなら、聡君をもう親しい友達だって思ってくれている皆に失礼よ」

「それを言われると辛いですが」

 そもそも奴らが俺のどこを認めてくれたのかは未だに判らない。それは俺も同じことで、例えば俺は、慧太のどこを気に入って今まで付き合ってきたのか、今ひとつ判らない。渡樫慧太が面白い奴だというのは認めるが、それだけではない何かがある。それは連中が俺に対してもそう思ってくれているということなのだろうことも何となくではあるが判る。

 だから、涼子さんの言うことも良く判るのだ。俺が自分を卑下した姿を見ても、仲間は、友達は、誰も喜ばない、と。

「ふふ。私の勝ちね」

 まるで女の子のような笑顔で涼子さんは無邪気に笑う。

「涼子さんに勝てる人なんて存在するんですか」

「いなぁい」

 そう、苦笑しつつ言った俺の言葉を水沢が拾った。それはそうだろう。

「あら、そんなことないわよ」

「怖い人だ……。じゃあ俺も言い方を変える。お前が俺をどう思っても構わないが、そういう、何だ、新崎聡は面白い奴だとか、大した奴だとか、褒めるようなことは、心にしまっておいてくれ。関谷がそう思ってくれるだけでありがたい」

 そうすれば周りに伝わることもない。いや、俺のいないところでそんな話をされてはあまり意味を成さないことだが、正直他人の噂に上るほどの人間ではない。そんなことを言うとまた涼子さんにやり込められそうなので黙っておくが。

「う、うん……」

「新崎君は偏屈な人だね」

 苦笑して水沢が関谷に言った。うむ、流石は水沢みふゆだ。正鵠を射るとは正にこのことだ。

「そうだ水沢。それが正しい」

「あはは」


 不意に野島の携帯電話が鳴りだした。店内にいるというのにマナーモードにはしていないようだった。まったく。気遣いのできない奴め。

「え?……あ、あぁ。ちょ、待てって!」

「何だ」

 俺は喧しいという抗議の意を込めて野島を軽く睨んだ。すると野島は席を立って、尻ポケットに入っている財布を取り出した。帰るのか。清せい、せわしない奴め。

「い、いや。すんません涼子さん、お勘定」

「はぁい」

 携帯電話のマイクの辺りを手で一度隠して、野島は申し訳なさそうに言った。

「じゃあな、関谷、新崎、水沢も」

「うん、またね」

 支払いを済ませると、そそくさと店を出て行き、野島は去った。ふむ。嫌いな奴ではないような気もするのだが、この居なくなって清々した感じは何だ。

「以前一也が言っていたが、あいつに何かされたのか」

 野島が去ってほどなくすると、俺はそう関谷に問うた。

「さ、されてないよ!」

「そうか。なら良いが」

 ということは今日程度のことがあった、というくらいだろう。心配するほどのことではないな。

「せ、瀬野口君、そんなこと言ってたの?」

「いや、済まん。説明を端折った」

「え?」

 そうか。自己完結してしまった。関谷に質問を投げかけておいてそれは失礼というものだな。俺はコーヒーを一口飲んでから口を開いた。

「あいつは練習はさぼるし、曲は覚えないし、女子に手を出すし、と言っていたんだ。だから、関谷が何かされているのかと思った」

 それこそ無理矢理デートに誘うだとか、ストーカー紛いのことをされているだとか。

「あ、うん。大丈夫。時々今日みたいなことがあるだけだから……」

 やはり野島はそういった偶然を何度か装っていたということだろう。好きな女を相手にそうしたくなる気持ちは判らないでもないが、ならば正面切って誘わなければ好意は伝わらないのではないだろうか。

「嫌なことは嫌、とはっきり言えよ。そうでなければ誤解されるのはお前だ」

「誤解?」

 以前にも一度、似たような話はしたことがあったはずだが、俺がうろ覚えということは、関谷が覚えていない可能性は高い。

「いいか、これから話すことは例え話だ。真に受けるなよ」

「う、うん」

 いや、待てよ。什麼生、説破。うーむ。アニメならば、ぽくぽくぽくちーん、と音が鳴っていそうな場面ではある。などと余計なことを考えてしまったが。

「……」

 これは例えではなくても良い。いや、そもそも良い例えが見つけられない。

「?」

「……すまん。例えにならなかった」

「え?」

「例えにならないからそのまま言う」

 不思議顔の関谷にそう言って、俺は少し言いたいことを頭の中で整理した。

「う、うん」

「野島はお前に好意を持っている。……判るな?」

「う、うん、多分」

 なるほど。流石に木石のごとく、という訳ではないか。そこは気付いているという訳だ。だとするならば、関谷が困っていること、というのは、どう対処して良いか判らないということなのだろう。

「で、恐らくお前は野島の気持ちに応えるつもりはないな?」

「……」

 無言のまま関谷は頷いた。

「ならば、はっきりと嫌なことは嫌だ、と伝えなければならんだろう。まぁ、そうは言えなくとも、誘いを断る方法などいくらでもあるはずだ。それができないのならば、野島はどんどん勘違いをする。お前にその気がなくとも、お前の行為は思わせぶりだ」

 だから、野島は関谷が野島をまんざらでもないと思っている、と思い込んでしまっても無理はない。装っているとはいえ、偶然会って、そのまま二人きりで喫茶店に行ければ、野島としても幸せな気分になれるだろう。

「で、でも、理由もなく断る時って、嘘をつかないといけないし、そんな、咄嗟に嘘つけないし……」

「理由もなく?」

 おかしなことを言う奴だ。好きでもない男と二人きりで喫茶店に行きたくないというのは、男の俺ですら考え付く立派な理由のはずだ。

「え、と、例えば、これから誰かと約束している、とか、スタジオに行く、とか……」

 なるほど。関谷らしい答えだ。俺は少し笑顔を作り、関谷に向き直った。

「先約の話か。確かに先約があれば断りやすいし、相手も傷つかないだろうな。だが、野島はそれでは気付かない。出かけるのでは仕方がない。また次回誘おう。となる訳だ」

「……」

「これは関谷には難しいかもしれないが、はっきりと行きたくない、一緒にいたくない、と伝える他ないと思うのだが」

「で、でも」

 もしくは、好きな男が別にいる、と。それが嘘であれ真実であれ、それが誰なのかと追いつめられても、関谷がそれを野島に教えなければならない義務などない。

「そこまで嫌っている訳ではない、可哀想だという気持ちも判る。だがそれでは逆に野島が気の毒だ。関谷が駄目だと言えば、きっと他にも目を向け始める」

「……そっか」

 関谷に振られてショックを受けるだろう。そのショックも何日かは判らないが引きずることだろう。だが、それもいつか消え失せる。そうなれば他に好きな女もできるはずだ。

「あぁ。涼子さんのような立派な人の前で俺のような若造がのたまうことでもないが、俺たちにはまだ時間なんてたくさんある。そうだろう?」

 言っていて気恥ずかしくなってくるが、これは一面の事実だ。たかだか十七年程度しか生きてきていない俺たちのような若輩者には、まだまだ成長するだけの時間が残されている。

「……そ、そうだね。うん判った」

 うん、と頷きながら関谷は笑顔になってくれた。やはり関谷は笑顔が良い。

「あらあら、立派でも何でもないわよ私なんて。ま、聡君よりちょこっとだけ人生経験があるから、時々お小言は言わせてもらうけれどね」

 ぴん、と人差し指を立てて涼子さんはウィンクした。これが俗に言う『涼子スマイル』というやつだろう。これを見ることができた日は、一日良いことがあるという噂まで流れているらしい。

「それで随分目から鱗が落ちました。感謝しています」

「あら、褒められちゃったわ。ま、でもね香織ちゃん。聡君の言う通り、香織ちゃんがそうは思っていなくても、相手にとっては思わせぶりな行動だって感じちゃうこともあるの。祥君みたいな思い込みの激しい子は特にね」

 俺よりも野島と関谷のことを見ている回数が多いのだろう。俺が言うよりも涼子さんに言ってもらった方が効果はありそうだ。

「あ、は、はい」

「だから、好きな人じゃないんなら、きちんとお友達としてとか、そういう気はありません、って言ってあげるのも優しさよ」

 それが今後の野島のためにもなる。恋愛など、恐らく巧く行く方がレアケースだ。失敗して失敗して、そのたびに学んで、やっと巧く行く、という方が普通なのかもしれない。

「はい、判りました」

 少し晴れやかな笑顔になって、関谷も頷いた。やはり俺のように理屈っぽい人間が言うよりも年上の同性の言葉の方が心に響くものだ。だからと言って藤崎尭也ふじさきたかやの言葉が俺の心に響く訳ではないのだが。

「頷いてるけど、聡君もよ」

「わ、判ってはいるつもりです」

 ぐ。俺に振ってきたか。いや確かに関谷と野島が来る直前まで、俺はそんな話で少々涼子さんに責められていたのだった。俺も思わせぶりなことはするつもりはないし、している訳ではないはずだった。しかし俺の関谷に対する態度は思わせぶりだという。関谷が俺のことを好きだという訳ではないのだろうから、無碍に距離を取ったりしてしまっては、俺が一方的に関谷を嫌っているようにもなってしまうではないか。

「どうだか」

「ほ、本当ですよ」

 だから、今後は遊びに誘ったりなどはしない。いや、一度もした覚えはないので、今後もしない。だが、部活帰りに部屋まで送るのも辞めるべきなのだろうか。帰路が同じ方向なのは本当に俺と関谷だけなのだ。夕刻時でも明るいとはいえ、一人暮らしの上に独り歩きなど危険だ。ただでさえ中央公園は何かと物騒な話が多い。

「ふぅん」

 横目でにやりと笑いながら俺を見る。関谷は基本的に鈍い奴なので、気付いてはいないようだが、これ以上は危険極まりない。

「りょ、涼子さん……」

 俺は掌を涼子さんに見せて下を向いた。もうやめてくれ、という意思表示だ。

「あんまり虐めても可哀想ね。んじゃそういうことにしといてあげるわ」

「あ、ありがとうございます」

 まったく。この人にはてんで敵わないな。

第十八話:めっき 終り

読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート