二〇一二年十月二十六日 金曜日
覚悟、という言葉がある。
困難なことや危険なことを予想して、それらを受け止める心構え。
また、来るべき辛い事態を避けられないものとして、諦めること。などという解釈がある。また、迷いを脱し、真理を悟ることも覚悟の一つだという。
とある出来事の、最終的な決定事項とも思える事柄だが、しかし、そんな覚悟も揺らぐことがある。揺らぐこともあれば薄れることも、半端なこともある。
時と場合によって、覚悟など簡単に消し飛んでしまうこともある。
それが当たり前の、ただの人間なのだ。
「おぅアホウども。丸聞こえ」
今一番こんな話を聞かせたくない相手が、俺たちの後ろにいた。どういう経緯かは判らない。ただ、慧太が尾行されていた可能性はある。だからと言って責める気も起きない。
「か……」
その名を呼ぼうとして息を詰まらせた慧太の代わりに俺は軽口を叩くように、必死の言葉を紡ぎ出した。
「よう一也。昼間は言いそびれたが、随分といい顔色になってきたな」
奴は、一也はこの言葉を受け止められるのかどうか。それで何かが変わるような気がした。
「……だろ。お前らには色々ストレスかけちまって悪ぃとは思ってんだけどな。もう少しだけ付き合ってくれよ」
そう罪のない笑顔で一也は言う。
「あぁ。それこそお前が死ぬまで付き合ってやるさ」
ならば俺はもう、こう答えるしかない。一也の覚悟を裏切らないために。俺のベースが欲しい、俺と組みたいと言ってくれた一也に、俺がしてやれる僅かなことをするしかない。
「サンキューな」
「し……」
言葉を詰まらせたままの慧太に一也は向き直った。
「何だよ慧太」
「死ぬんじゃねーよ!」
今更の言葉だ。だけれど、慧太は言わずにはいられない。そういう男だ。渡樫慧太という男は。判っていても、親友を喪いたくないという気持ちだけが先走ってしまっている。だから、俺はこの言葉に関しては何も言わないことにした。
「無茶言いなさんな。今聡が言っただろ。医者も匙を投げるほどだぞ」
「だってよぉ!」
本当ならば、一也の覚悟に水を刺すな、と言いたいところだ。だが、一也の覚悟も、本当に覚悟を決めた言葉なのかは、俺には判らない。俺にはどこかで死という現実に虚勢を張っているだけのようにも見えなくもないのだ。だから、俺が、いや俺以外の誰であっても、一也の覚悟を促してはいけない。
「だってもくそもあるか。お前らだっていずれ死ぬんだぜ。おれはそれが少しお前らよか早いってだけだろ」
言うに安い言葉だ。それは死がすぐそこに迫っている一也にしても。そんな言葉ならば誰にでも言えるような気がしてならない。きっと一也本人にも気休めにはなるはずだ。
「だって、じゃあ、至春先輩はどうすんだよ!」
「!」
そこか。慧太はそう言いながら立ち上がった。
そうだった。慧太が危惧しているもう一つの憂鬱がそこにはあった。俺はそれを完全に失念していた。
「……」
一也は軽く舌打ちをした後、俺の顔を見た。まるで確認しているかのような表情だったので、俺は短く答える。
「あぁ、触りは聞いてる」
「そっか」
それだけ言って、俺たちの座るベンチの前に回り、慧太の正面に立った。俺も一応腰を上げた。この先は感情のぶつかり合いになるかもしれないと悟ったからだ。どちらかの手が出てもおかしくない。
「どうするもくそも、別れたんだから関係ねぇだろ」
そっけなく、一也は言った。そこに温度は感じられない。だが、それを装うことなど簡単だ。本当の気持ちの在り処など本当は一つしかないだろう。しかし、上辺だけの気持ちを感情に乗せることなど造作もないことだ。
「嫌い合って別れた訳じゃねぇだろ!お前、今だって至春先輩のこと好きだろうが!」
嫌い合った訳ではないという情報は水沢から得ている。一也は伊関至春の未来のために別れを選んだ、と聞いている。
「好きなら別れねぇよ。せめて最期まで一緒にいてくれとか、言うだろ」
一也は嘘が下手だ。好きなら確かに別れないかもしれないが、別れたからといって嫌いになれるものでもない。特に一也と伊関先輩のやり取りを多少なりとも見ていればそれは判ってしまう。
「至春先輩だって、お前のこと……!」
本当にそうなのか、そこは俺には判らなかった。それだけ伊関先輩とは時間を共有していない。見限られて、本当に一也のことを諦めることだってできるはずだ。しかしそれに気付けるほどの時間を、俺は伊関先輩とは過ごしていない。だが慧太は違う。特にここ最近では伊関先輩と二人で個人練習に入ったりもしている。伊関先輩のことを想っている慧太だからこそ気付く何かは、確かにあったのだろう。
「慧太うぜえ。お前はそうやって人様の色恋沙汰に首突っ込むのか?おれ以外にも。慎とか聡にも、同じことすんのか?」
明らかに触れて欲しくないという空気を醸し出している言葉だ。つまりこれは、慧太の言うことに分があるということの表れなのかもしれない。そもそも、一也の決断は相手のことを想えばこそだ。それは一面の事実でしかないが、きっとどんな決断を下したにしても、一也が伊関至春を想って、という事実だけは何一つ変わらないのだろう。
「しねえよ!だけど、お前と至春先輩のことは……!」
そうだ。慧太ももはや無関係ではいられない。俺は今、恋愛沙汰などには巻き込まれていないが、慎と桜木のことは慧太には何の関係も無いことだ。だから、慧太が言う通り、首を突っ込む真似などしないだろう。だが、伊関至春のことは別問題だ。
「あのな、おれを言い訳にしてんなよお前。熱くなってんだろうから入るかどうか判かんねぇけど、おれはもうすぐ死ぬ。これは避けらんねぇ。で、至春は俺と別れた。今どうこういう気持ちの在り処は別として、至春だっていつかは俺のことを忘れる。そん時に、お前が支えてやらなきゃいけないんじゃねぇのかよ」
一也は一也で間違ったことは言っていないように聞こえる。だがそれは捕らえ方に寄っては、慧太にとっては残酷な結果だ。一也は恐らくそれも判って言っているのだろう。
「おれは……!」
言葉を失った慧太に変わって俺が言葉を繋いだ。
「つまり慧太にお前の尻拭いをさせるということか?」
俺はどちらの味方でもなければ敵でもない。だが、慧太に尻拭いをさせるという行為は、捕らえ方を改めなければならない。一也がいなくなってしまっても、伊関至春の生きる支えになって欲しい、と一也は言っているのだ。まったく不器用な伝え方だ。何年慧太の親友をやってきたのだか。
「ま、悪く言えばそうなるかもな。別に達観してる訳でもねぇし、実感もねぇけど、たかだか十八歳の女が、それで一生を棒に振ることなんかねぇんだ。おれはきっと、充分、至春に色んな物をもらった。だけどもう、おれにはあいつに返せるものが何もない。だから、慧太、頼む」
今の慧太にそれを言っても逆効果だろう。自分で熱くなっているから、と前置きをして置いてのこれだ。一也は一也で頭に血が上っているのかもしれない。
「……ざけんなよ」
「慧太」
わなわなと身を震わせる慧太を嗜めるように、俺は短く慧太の名を呼んだ。
「そんなのふざけんなよ!何カッコつけてんだ!すまし顔でオレハシニマスカラとか言ってんじゃねぇよ!」
ついに慧太の感情が爆発した。もはや自分でも制御ができないのだろう。慧太にとっては相棒とも言うべきこの男の死に、心も身体も、着いて行かないのかもしれない。
「じゃあどうしろってんだ!どうしたって避けらんねぇって判ってんのにおれのことずっと好きでいろとか、言える訳ねぇだろうが!」
その言葉で一也も爆発した。一括して黙らせるのはお互いの気持ちを吐き出させてからの方が良いかもしれない。こんなことなどもう話せる機会があるかも判らないのだ。吐き出せるものならば、お互いに全てを吐き出してしまった方が良い。俺はそれでも二人の間に割って入れるように距離を保ったまま、二人の成り行きを見守ることにした。
「そういうこと言ってんじゃねぇよ!なんもかんも判った振りしてんのがむかつくんだよ!」
その途端、慧太が一也を殴った。いきなりだったので俺も反応が遅れてしまった。まったく手の早い男だ。
「って!……てめぇ、死んだらどうすんだよ!」
だがそう言った一也は応戦する気がないようだった。もしかしたらできないのかもしれない。それが慧太にも判ったのか、それとも本当に殴ったことにより死んでしまうかもしれないと危惧したのかは判らない。ともかく、慧太は握っていた拳を開いた。
「死ぬんじゃねぇよ!」
「ばかかよ!」
俺も気持ち的には慧太と同じ気持ちだった。死んで欲しくない。本当に奇蹟が起こるのならば、起きて欲しい。慧太の気持ちも、言っていることも判る。だが奇蹟は起きない。瀬野口一也は死んでしまう。それでも慧太は続けた。恐らく、慧太にも充分判ってはいたのだ。現実から目を逸らすということは、この先に訪れる現実が判っていながらも受け入れられないからだ。つまり、慧太も一也の死は避けられない現実だと、本当は判っていたのだ。
「死ぬんじゃねえよ!」
「……」
一也は慧太の言葉に俯いた。
「死ぬな!一也!」
一也の両肩に手を置いて、更に慧太は声を高くした。
「……」
何かを、一也は言ったようだったが、俺には聞き取れなかった。
「死ぬなよ!」
更に慧太は言って、一也を抱きしめた。もはや慧太の声は涙声に変わってしまっている。俺も目頭が熱くなってきてしまった。
「死にたくねぇ……」
「!」
「死にたくねぇよ!おれだって!」
一也の口からは聴きたくなかった言葉が、ついに出てしまった。しかしそんなことなど、本当は当たり前のことだ。たかだか十七年しか生きていない子供が、こんなところで死んでも良いなどと、思える訳もない。自分に置き換えてみればすぐに判ることだ。
「死にたくねぇに決まってんだろ!だけどもうどうにもなんねんだよ!どうしようもねぇんだよ!」
やはり一也の今までの態度は虚勢だったのだろう。虚勢でもあれだけ張れれば立派だ。俺では真似事すら覚束ないだろう。
「だから判った風なクチ聞いてんじゃねぇってんだよ!ざけんじゃねえよ!てめえがいなくなったら!おれぁそっからどうすりゃいんだよ!」
もはや言っていることが支離滅裂で会話にならなくなってきた。慧太も一也も、今溜まっているものを吐き出せた証だろう。そろそろ頃合だ。
「二人ともそこまでだ」
俺は二人の肩を叩いてそう言った。もうそろそろ頭を冷やさなければならない。怒鳴り散らして、泣いて、泣き崩れただけでは何も終われないし、何の解決にもならない。時間は戻せやしない。ただ、過ぎて行くだけだ。だとするならば、一也も、慧太も、俺も、立ち止まっていることになど、何の意味もない。
「聡」
まだ涙声の慧太が俺の名を呼ぶ。
「お互いの気持ちはもう判っただろう。いや、最初から判ってたはずだな」
「……だな」
俺の言葉に、落ち着きを取り戻した一也が頷いた。俺だって慧太と同じ気持ちだ。そして一也も同じ気持ちだ。だが、覚悟を決めなければならないのは一也だ。冷たいようだが、人の命は取って変えることができない。それが判っているからこそ、一也も虚勢を張り続けてきた。決まらない、グラグラと揺れる覚悟を少しでも固めるために。
「一也。お前には酷な言い方かもしれないが、曲げられない事実がある以上、それに沿って、俺たちにはやるべきことがあるんじゃないのか?」
来るべき絶望に嘆くよりも前に。
俺たちにはまだできることがある。
やらなければいけないことがある。
一也が生きている限りは。
「あぁ」
「……」
「慧太」
今、そこから抜け出してくれ。俺はお前がいなければどうにもできない。これにはお前の力が必要だ。そういう、万感の思いを込めて、俺は慧太の名を呼んだ。
「判ってる」
一つ頷いて、慧太は涙を拭った。
「ならそこに向かおう。俺たちは、一也と一緒に、まずは文化祭をやり遂げなければならん。そうだろ?」
「んなこた判ってんだよ!」
自分一人が冷静さを欠いていたことへの照れ隠しだろう。慧太は俺たちから顔を背けてそう言った。きっと慧太も一也も、俺が冷静でいると思っているのだろうが、これは結果でしかない。二人が熱くなれば俺は逆に冷めて行く。一也が最初から冷静であったのならば、俺も冷静さを欠いていたかもしれないのだ。今の俺の冷静さは、俺の性格云々よりも、状況からの結果だ。
「上等じゃね。どうせ慎と尭矢さんのギターなら、お前のコードギターも一緒に混ぜっか?」
せっかくやってんだからよ、ともはや挑発するように一也は言ったが、先ほどのような張り詰めた感じはまるでしなかった。
「そっちこそ上等じゃねーか。おれぁホントはギタボが向いてんだってこと判らせてやるぜ!てめえこそ途中でくたばったりすんじゃねぇぞ!」
へ、と俺たちに向き直り、慧太も笑顔になった。これでまた、しばらくは大丈夫だろう。またいつか、近い内にこんな状況にもなるかもしれない。だが、今日、お互いに色々と吐き出せたことが良い経験になるはずだ。今日のようにはならないだろう。
「ったりめーだばか。てめえこそ歌につられてヘボいギター弾くんじゃねえぞ」
「おーよ!」
恐らく、これがこいつらのいつものやり取りなのかもしれない。俺はこいつらがどういった活動をしていたかは知らないままだ。部活で集まるだけで、外のスタジオやライブ前にはどんな雰囲気を作り、どんな行動をとっていたのか、まだ知らない。当初はライブをする予定もなく、ただだらだらと部室で音を出しているだけの連中かと思っていた。だが、実際は違っていた。一也の死、という条件があったにせよ、きちんと文化祭のライブに向けて準備はしていたのだ。
「……」
ふぅ、と嘆息して慧太は俺を見た。
「聡、悪ぃ。おれちょっと見失ってたわ」
先ほどよりも確実に目の焦点が合っているような気がした。やっとそれに気付いてくれた証なのだろうか。ならば俺としても安心だ。俺だって常に冷静でいられる訳ではない。俺もいつか、取り乱してしまうことだって充分に有り得る。
「誰にでもある。俺が見失ったら、お前はちゃんと正してくれるんだろうな」
「ったりめーだよ。一也も慎も尭也さんだって、おれがいつでも正してやるぜ」
とん、と俺の肩に拳を当てて、慧太は笑顔になった。
「それを聞いて安心した。さて、友情も確かめ合ったことだし、帰るとするか」
随分と大きく出たな。だがそれでこそ渡樫慧太だと思える。こいつはばかで熱血漢で、正義感が強くて、何より人を大切にする。だからこそ見失うこともある。だが、一度目指す方向が定まれば、きっとそこへ突っ走って行ける男だ。俺は軽く嘆息すると、歩き出した。
「おー、だな」
一也も俺の肩に拳を当てると歩き出した。
「く……くくっ」
「何だ慧太」
慧太が不意に忍び笑いをもらす。何だ、気味の悪い。
「いや、聡の口から友情なんて言葉が出るとはな」
「おー、言われてみりゃ確かにな」
やはりそこか。俺も言うんじゃなかった、と後悔していたところだ。柄にもないとはこのことだ。
「貴様らばかどもの悪影響だ。どうしてくれる」
だが、そんな自分を今は気に入っている。俺はこいつらと共に、泣いて笑って喧嘩して、昭和の蛙のよういや違う。そこまでど根性ではない。
「いいじゃねぇか。一緒にばか一直線で行こうぜ」
「御免被る」
一也や慧太のようにテストの点数まで下がってしまってはたまらない。今回は恐らく成績アップが望めるだろうが、できうるならばそれを維持したい。などと的外れなことを考えていたら一也が振り返った。
「……慧太、聡」
「?」
俺と慧太を呼ぶ声に振り返ると、に、と満面の笑みを作って一也は立ち止まる。
「おれが死ぬまで、付き合えよ」
右手の拳を俺に、左手の拳を慧太に向けて、一也は言った。
「当然だ」
俺はそう言って、一也の右拳に、俺の右拳を軽く当てた。
「あぁ」
慧太も頷いて、左拳を一也の拳に軽く当てた。
翌日、一也には内緒で慧太、慎、尭也さんとスタジオに入った。今までも一也がいない場でのみ、極秘で進めていた計画が、実はある。
「おーし、中々いい出来だな。慧太、巧くなったじゃねーか」
どしゃん、と締めのベースドラムとシンバルを叩き、音が減衰すると尭矢さんが言った。
「まじすか!」
おぉー!と慧太がはしゃぐ。伊関先輩との練習がどんなものだったのかは判らないが、確かに慧太のギターは巧くなっていた。僅か二週間足らずでこれほどとは、元々慧太にセンスがあったのか、伊関先輩の教え方が巧かったのか、もしくはその両方か。何にしても良いことだ。
「尭也さんに言われるとまた一味違うな」
「なー」
慎も嬉しそうに言って慧太が頷く。やはりかなり高い位置にポジショニングされているのだな、尭矢さんは。
「まぁでもギタボはやっといて損ねぇよ。特にお前みたいに声に特徴のある奴ぁな」
ちんちん、とライドシンバルのエッジを軽く叩きながら尭矢さんは言う。尭矢さんのドラムもずいぶんと巧くなっていた。もう充分ライブでも披露できるほどだ。慧太や慎に認められるだけあってか、元々音楽センスがあるのだろう。音楽に対する反射神経も良いし、ギターもドラムも巧い。俺もそういう点では藤崎尭矢と言う男には一目置いている。
「そうすかねぇ」
「あぁ。尭也さんの言う通りだ。以前も言ったが、お前の声は確かに好き嫌いの分かれるところだろうが、かなりロック向きだと俺は思う。それに一番の特徴は、誰にも似ていないことだ。お前にはぽさがない」
これはボーカリストとしては一番の強みだと俺は考えている。俺はボーカリストではないし、ボーカリストにも勿論様々な人間がいるので、こうだと言い切ることはできないが、ボーカリストにとってまず、音程の取り方や呂律の良し悪しよりも、覚えられやすいかどうか、という所はかなり気にしているのではないだろうか。一番覚えられやすいのは、当然、既存のメジャーデビューしている有名バンドのボーカリストに似ていることだ。だが、それではオリジナル曲をやるバンドでは、それが足枷になることもある。だとするならば、やはり誰にも似ていなくて、尚且つ特徴のある声。それが一番覚えられやすいし、共に組むとすれば誇れるボーカリストだ。
「まじでか!」
「最初に聞かせてもらった時に言ったはずだが……」
一体俺の話の何を聞いていたのだ。
「お前あん時まるで駄目だっつったじゃねぇか!」
そこか。そっちを真に受けるとはやはりどこか生真面目なのだろうが、俺としても反省すべき点なのかもしれない。なのでそこは少し強烈に否定しておくとしよう。
「真に受けるなばかが。良く考えろ。もしもそれが本当ならば、俺はここにはいないだろう」
恐らく、慧太の経験上、声が嫌いだとか、合わないだとか、そういったことを言われたことがあったのだろう。だから俺の冗談も真に受けてしまったのだ。
「オレも聡の言ってることは合ってると思うぜ」
だが、こうして尭矢さんが言葉にすれば、少しは変わるかもしれない。それに恐らくだが、慎も一也も慧太の声を認めている、と言い続けてきたはずだ。だから、こうして今もボーカリストを続けていられるのではないだろうか。
「ま、まじすか!」
「おー、まじだ!」
尭矢さんの言葉にいよっし、と一人ガッツポーズを取る慧太。俺の言葉など何とやらか。ま、俺の言葉を尭矢さんが肯定してくれての納得だ。それはそれで良しとするか。
「尭也さん、俺のギターは……?」
そういえば慎も今までとはスタイルというか、スタンスを変えて弾いている。それにはあまり気が回らなかった。気が回らなかったということは、それがあまりにも自然だったからだ。慎を褒めるのは何だか癪だが、やはりこいつもギターは巧い。巧すぎるほどだ。
「おーうめぇうめぇ。つーか何で元からうめぇ慎を褒めなきゃなんねんだよ」
「もう少し雑さは欲しいけどな」
巧すぎるが故に、慎のギターはきちんとしすぎている。それはそれで勿論良いことなのだが、ロックバンドのギタリストとしては、時には荒っぽさも必要になる。慎はその荒っぽさが必要な部分も丁寧に、上手に弾いてしまうのだ。
「あぁ、それぁオレがやってたからな。カッチリ弾くのは慎のスタイルだしよ」
尭矢さんはきっちり弾くことも、ラフに弾くこともできるギタリストだ。正確さだけを取ればやはり慎には及ばないが、ギターソロともなればその正確さには目を見張るものがある。しかし荒っぽい部分では本当に荒い。こちらが藤崎尭矢の本性なのだろうな、と思えるほどに。
「なるほど。でも慎一人だと少しカッチリ過ぎやしないですかね」
「や、慧太のバッキングもそこそこ荒いから大丈夫だろ」
確かにそれはある。だが、尭矢さんと慎でギターソロを弾くのと、慎がギターソロを弾いて慧太がバッキングをするのとではまるで別物だ。慧太のバッキングは良い感じに荒れているから、慎のきっちり弾きすぎるギターとはある意味では相性も悪くない、と言えなくもない。
「あ、荒い……」
「下手糞だとは言ってねぇよ。オレのドラムもそこそこ荒れてっかんな。ベースとギターがリズムだけ乗ってくれりゃ後はカッチリ、って感じでオレはいいと思うぜ」
確かに俺のベースも、弾き切らないと気が済まない、という点はある。これもある意味では悪い癖だ。ベースでも時には荒っぽいプレイが必要になるときはある。だが俺も意識はしているものの、中々ラフには弾けないという欠点があるのだ。ラフに弾く、というのは決して適当に弾くことではないし、手を抜いて弾くことでもない。その匙加減がまだ今の俺には難しい。
「確かにそれは一理在りますね」
ただ、今やっているこの曲に関してはこの形で良いのかもしれない。尭矢さんのドラムも巧いとはいえ正確さには少々欠ける。やはり元々が荒っぽいのだろう。それはドラミングではギターよりも良く出ている気がする。
「元々聡のベースも律儀だかんな。こいつの性格からは考えられねぇくれぇドラムを立てるだろ」
「大きなお世話だ」
とは言うものの、俺は基本的に歌や他の楽器の邪魔をしないベースを身上としている。だから、尭矢さんのこの言葉には少し嬉しくなった。遊び心は勿論持っているつもりだが、それよりもまず、きちんと楽曲の中でのベースとしての役目を果たしたい。野球に例えれば、ベーシストとはホームランバッターではないのだ。まず自分の役割をきっちりと把握して、それから楽曲のことを考えなければならない。
「何ぃ!褒めてんのに!」
「褒め方が下手糞以外の何物でもないですよ」
それでも俺は嬉しくなる。だが勿論それは、この曲に限っての評価だ。他の曲ではもっと遊んでも良い、だとか、もっと効果的に動け、だとかいう指摘は沢山受けてきた。半年のブランクを言い訳にするつもりはない。半年前だって今とさほど変わりない程度の腕しかなかったのだ。しかし信頼できる仲間とこうしてバンドをして行く内に、得たものは確実にあった。
「そっちこそ大きなお世話だっつの」
「ともかく、反復練習しかないですね。まだこなれてないですから」
この曲だけはまだ練習量が足りていない。この曲は一也がいるところではできないからだ。俺たち四人が一也にしてやれる、最大限のこと。俺たちでオリジナル曲を創って、一也に聞かせたい。そういう思いで創り上げた曲だ。
これはある意味での、俺たちの覚悟だ。一也が死なない限り、絶対にこの曲をステージで演奏し、一也に聞かせる、という覚悟だ。
まだ出来上がったばかりで、各々弾き方などを固めていないところもある。俺も慧太の歌と慎のギター、そして尭矢さんのドラムとの整合性を取りながら、もっと頭を使ってフレーズを考えなければならない。文化祭まではあと一週間だ。それまでに何とかブラッシュアップを完了して、最高のものを創り上げたい。
一也が文化祭でもきちんとドラムを叩けた場合、俺たちはこの編成ではライブはしない。だがその場合、生徒会長である瀬野口先輩に訳を話して、五分間だけ時間を貰った。だから、一也が生きてさえいれば、この曲を一也に届けることはできる。一縷の望み、かもしれないが。
「だなぁ」
「んじゃ、もっかいやります?休憩します?」
くい、と首を傾けて慎が言った。慎のギターは奴らしい、fender社のストラトキャスターだ。レスポールと比べれば重くはないはずだが、華奢な慎ではストラトキャスターでも重たいのかもしれない。
「もっかいやってから休憩にすっか」
しー、とハイハットシンバルを閉じてから叩き、尭矢さんが言った。今、目の前に集中できることに、皆集中をしていたいのだ。それもある意味では逃げなのかもしれない。だけれど、皆覚悟はしている。
「うす」
慧太が言って、ドラムスティックのカウントが鳴り響いた。
第二一話:覚悟 終り
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