おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
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第二九話:告白

公開日時: 2022年5月2日(月) 09:00
更新日時: 2022年11月5日(土) 01:56
文字数:10,000

二〇一二年十一月一日 木曜日

 告白、という言葉がある。

 愛の告白、という言葉が最もポピュラーな言葉かもしれないが、告白という言葉には宗教的な意味合いもあり、自分の信仰を公にすることや、洗礼を受けた後の罪を打ち明けること、という意味合いも持つらしい。

 結果的に暴くような形になってしまったが、一也かずやが病のことを俺に話したというのも告白と言えば告白だろう。

 自らの秘めた思いを告げる。

 それが告白だ。

 そして今日、俺もまた、秘めた思いを告白するつもりでいた。


「……」

 河川沿いにある遊歩道のベンチに腰掛けてから数分、関谷せきたにからの言葉はないままだった。やはり俺という不遜な存在が圧力をかけてしまっているせいか、それとも関谷が話そうとしていることが、それほどに重要なことなのか。十月が終わったばかりとはいえ、もう夜は気温が下がり肌寒い。どこかで温かい飲み物でも買っておくべきだった。

「あ、あの……」

 言った関谷の肩が小さく震えている。やはり少し寒いのかもしれない。関谷の言葉の続きを待ったが、また関谷は黙りこくってしまって、小さく肩を震わせているままだ。ここは関谷のタイミングに任せるしかない。とはいえこのままでは体が冷える一方だ。意を決して俺は口を挟んだ。

「あの、な」

「あ、う、うん」

 俯いていた顔を上げて関谷は言った。その顔は少し赤面しているようにも思えたが、夜の公園では確りと判別はできなかった。

「ほんの少しだけ、待っててくれるか?」

「え?」

 言った俺に関谷は不安げな顔を見せた。

「少しだけだ、すぐに戻る」

「う、うん」

 俺はできるだけ優しく言うと、関谷が頷くのを確認してから立ち上がった。そして小走りに自動販売機へ向かう。




 自動販売機へ向かいながら俺は自分の考えを整理し始めた。

 俺がミスリードした、関谷の秘密。

 あの時は関谷も一也の病気のことを知っていて、それを俺に隠しているのだと思っていた。それが俺に言えない隠し事だと思っていた。あの時、関谷は隠している訳ではないと言っていたが、それは一也の病を知る全員のことをフォローした言葉、つまり一也の死という事実を隠していた人間全員に、悪意があって隠していた訳ではないということなのだと思っていた。

 しかしそれは間違いだった。

 関谷は俺と同じく一也の病のことを知らなかった。だとするならば、俺に言えない隠し事、秘密とは何か。

 俺はあの時、俺に隠している事に対し、委細は問わないと言った。つまり何でも良いから俺に対して言えないことがあるのかどうか、と。だとするならば俺には直接関係のないことなのかもしれない。

 自動販売機にはすぐに辿りついてしまった。手早くブラックコーヒーとミルクココアを買い、ポケットに入れる。戻るまでに考えがまとまりそうにない。散漫とした言葉と憶測の中にヒントは何もない。やはり関谷の言葉を待つしかないのだろう。

 もしも俺には直接関係のないことだとするならば、軽音楽部の誰かの話、ということも有り得る。それこそ一也と伊関いぜき先輩、慧太けいたの話か。しかしそれならば関谷があれほど緊張することもない。何も推論が立たない。やはり判断材料が少なすぎる。




「ほら」

 ベンチまで戻ると俺はミルクココアを関谷に手渡した。

「え、あ、ありがと……。ごめんね」

「何故謝る」

 俺は苦笑して再び関谷の隣に腰掛けた。

「わ、わたしがなかなか話せないから……」

 消え入りそうな声で関谷は言う。

「そうだな。ま、でも謝ることじゃない。まだ俺には何を話そうとしているのかは判らないが、それだけ覚悟をしなければならないことなのだろうし、それならば関谷のタイミングで構わない」

 もう少し優しい言い方があったのかもしれない。しかし今の俺にはこれが精一杯だ。つくづく口下手だと思い知らされる。本当はもっと関谷を思いやってやりたい。気遣ってやりたい。そうした思いがあるというのに、上手くいかない。

「う、うん……」

「とりあえず、冷める前に飲んでくれ」

 それでも俺はできるだけ笑顔を絶やさないように心がけながら関谷に言った。

「ありがと……」

 俺は関谷を促すように先にブラックコーヒーの缶を開け、一口飲んだ。涼子りょうこさんのコーヒーを飲んだ後に飲むものではないな。まったく旨くない。関谷も俺に続いて缶を開け、口を付けると、小さく喉を鳴らす。そしてそのまま話し始めた。

「あ、あの時、新崎しんざき君、何でもいいから、新崎君に隠していることがないか、ってわ、わたしに訊いたでしょ?」

「あぁ」

 一也のことで、と限定ができる状態ではなかったし、精神的にも焦っていた。それにあの時は一也の病のことで、と限定してしまえば、ないと言われると思っていた。しかし関谷が俺に隠していることは一也の病のことではなかったのだ。

「だ、だから、あるって言ったの……。せ、瀬野口せのぐち君のこととか全然関係なくて、その、わ、わたしの問題で……」

 ならば無理に言わなくても良いとは思うのだが、関谷の生真面目な性格が裏目に出てしまったのかもしれない。俺が委細を問わず、と言ってしまったことで関谷の個人的な秘密まで話せ、という意味にすり変わってしまった。しかし関谷自身が俺に聞いて欲しいと言うのだからこれ以上の拒絶は出来ない。だから俺には関谷の言葉を待つことしかできない。

「関谷の個人的なことなら無理に話す必要は……」

 それでも、もう一度だけ食い下がってみる。

「こ、個人的なことだけど、そ、その、し、新崎君にもか、関係あるって言うか、その……」

 俺に関係がある。となればあと一つ、脳裏をかすめたのは野島のじまのことだ。しかし関谷は野島にはきっぱりと付き合えないと断った。それも俺の目の前で。そしてその後、野島が関谷に何かをしたということはないと言っていた。だとするならば、野島のことでもないということだ。今この状況で色々と考えても俺には何も考え付かない。

「俺に関係あるなら、聞かないとな」

 関谷を促す意味も込めて俺は言った。俺に隠していたこと。実際には故意に隠していた訳ではないこと。つまり関谷香織かおりが持つ秘密に、どういう訳か俺が関わっているということだ。

「う、うん……」

「……」

 とはいえ、そう簡単に口には出せないことなのだろう。また関谷は俯いてしまった。こうなってしまうともはや俺にできることは待つことしかなくなってしまう。

「し、新崎君は、さ、そ、その、わ、わたしに、自信を持てって、い、言ってくれたよね?」

 関谷の吃音がきつくなってきた。関谷が緊張状態にあるということだ。もはや何も考え付かない俺は、ただ事の成り行きに身を任せるしかない。

「まぁ五反田ごたんだも言っていた事だが、それはそうだろうな。簡単に変えられることではないことも、判る話だ」

 それはある意味で、ということもある。関谷のそれは良く言えば奥ゆかしさとも言える、言わば関谷の長所だ。確かに関谷が自分を低く見積もっているのは玉に瑕だと思うこともあるが、自信を持つという行為も度が過ぎればそれは関谷の持つ魅力を半減どころか跡形も無くしてしまうという危険性もあるかもしれない。

「じ、自信がないって、い、言ってばかりだと、み、魅力もなくなる、って」

「そうだな。それは関谷に限ったことじゃあないと思うが、誰でも俺なんて、私なんてといじけている人間にはあまり魅力は感じないだろう」

 それは誰に対しても同じことが言える。別段異性として好きな人という意味ではなくても、友達、例えば水沢みずさわや五反田が自信無さげにいつも俯いてどうせ私なんて、といじけてばかりいては、関谷も心配ばかりしてしまうだろうし、やはり魅力的な人間とは映らないのではないだろうか。

「そ、そんな風に」

「あぁ違う、関谷がそうだと言っている訳じゃない。ただ消極的な人間よりも、何かに集中して楽しそうにやっている人間の方が魅力を感じるという一般論さ」

 確か以前にも関谷に同じことを言った覚えがある。ゲームを夢中で楽しんでいる時や、ベースを弾いている時の関谷の姿は俺だけではなく、きっと誰の目にも魅力的に映っているはずだ。

「うん。し、新崎君に、ね、そう言われた時に、もう少し頑張ろうって思えたの」

「ほう」

「そ、そうは見えないかもしれないけど」

 関谷なりには頑張っていたということだろう。俺は残念ながら気付けな……。いや、もしかしたら野島にはっきりと返事をしたことがそうだったのかもしれない。そして今日の多少強引だった俺への誘いも。

「どういう心境の変化かは判らないが、それは良いことだな」

 自分の意思をしっかりと持って、流されるだけの自分を辞めようと、どこかで感じていたのかもしれない。関谷が状況に流されるだけの人間だと思ったことはなかったが、それでも俺が今感付いた関谷の行為は、関谷が必死に自分を変えようと考え抜いた行動だったのかもしれない。だとするならば、それはきっと相当に勇気の要ることだ。

「う、うん。し、心境の変化、なのかな。わ、判らないけど」

「それはそうかもしれないな。自分のことだって判らないことはある」

 俺は苦笑を返す。より一層関谷に惹かれる自分を自覚する。関谷の生真面目ともいえる性格はある意味では融通が利かないとも感じるが、それも関谷香織という一人の女性を構成する大切な要素の一つだ。

「そ、そか」

「まぁ俺も連中と出会うまではいじけた人間だったからな。人のことは言えない」

 そう言った今も俺がいじけた人間から脱却できているのかは判らないが、自分では以前とは変わったと思っている。

「で、でも、新崎君はちょっと変わったな、ってお、思う」

「そうか」

 関谷もそれは感じ取ってくれていたか。

「ま、前からや、優しかったけど、さ、最近は、も、もっと優しいなって、お、思うよ」

「俺を優しいとか面白いとかいうのは関谷だけだがな」

 また苦笑して俺は言う。関谷はいつでも俺にメッキを施したがる。関谷にそう言ってもらえるのは本当に有難いことだが、それは関谷の個人的心象でしかない。困った奴だ。

「え、そ、そんなことない、よ……」

「前にも言ったがな、それを嬉しいと捉える人間と、惨めに思う人間がいるんだ。まぁ、気持ちは有難く受け取っておくが……」

 俺の事を良く思ってくれている関谷の気持ちを踏みにじるのも良くない。とりあえず気持ちだけは有難く受け取っておくことにしよう。そう考えた瞬間に、関谷の目が見開かれ、視線が合う。

「!」

「?」

 な、なんだ?

「じゃ、じゃあ、えと、も、もう一つの気持ち、も、で、できれば、う、う、受け取ってほし……」

「もう一つ?」

 最後の方は掠れて消え入りそうだったが何とか聞き取れた。関谷が俺を無用に高く見積もっているのは以前から判っていたことだが、それ以上に何があるというのだろうか。

「……すき」

「え?」

 き、聞き間違い、か?

 まさか。

 そんな。

 しかし今の関谷の言葉は殆ど聞き取れなかった。思わず、本当に思わず聞き返してしまっていた。そして確信する。関谷の顔は病気にでもなったのかと思うほど、夜の公園であってもそれと判るほどに赤面している。

「好き、です」

「……」

 今度ははっきりと、俺の目を見て関谷はそう言った。聞き間違いではなかった。

 だ、だがしかし、これは如何ともしがたい。

 俺という人間はどこまで鈍感で気が利かない人間なのだ。思えばすぐに判りそうなことではなかったか。いや、自分に都合の良い妄想を推論とするべきではないと心の片隅では思っていた。可能性くらいはあるかもしれないが、事実とはなりえない、と。

「す、すまん」

 口を突いて出た言葉はとんでもない誤解を招いてしまいそうな言葉だった。しかし、別の意味で俺の本心でもあった言葉だ。関谷は俯いて肩を震わせてしまった。いや、恐らく寒さなどではなく、ずっとこのことで震えていたのだ。今更気付いてしまった。関谷が俺にひた隠しにしていた、関谷の俺への想い。俺に訊かれて、本当のことなどあの場で言える訳もない。

「……」

 黙ってしまった関谷が不意に顔を上げて笑顔になった。だがそれは、俺が好きな関谷香織の笑顔などではなかった。

「う、ううん。そ、そうだよね、わ、わたしなんて男の人に好きになってもらえる訳」

「ち、ちがう!そうじゃなくてだな!」

 い、いかん。きちんと話さなければ。せっかくの関谷の勇気までも踏みにじり、挙句また関谷を自信の無い女に貶めてしまう。散々偉そうな能書きを垂れてきた俺自身の手で。

「え?」

「早とちるな、え、えと、だな、その、それは、俺が言わなきゃならん言葉だ」

 俺は関谷の両肩を掴んでそう言った。

「……それ、は?」

 そう。俺は決したはずだった。涼子さんが言うままに公園をぶらぶらしたのも、関谷を家まで送り、その時に告白しようと考えていたからだ。確信など無かった。だが確信を得るまで引き延ばすことなどできはしない。確信を得るにはこちらから踏み込まなければならないこともある。そして一歩踏み込めばこちらの気持ちは相手に伝わってしまう。気持ちをひた隠しにしながら、相手の気持ちだけを知ろうなどとは虫が良すぎる。そして関谷は俺に踏み込んできてくれた。内気で、大人しくて、自分が嫌な気持ちになってしまっても、相手を気遣う生真面目な関谷が、勇気を振り絞って、気持ちも体も震わせながら、俺に大きな一歩を踏み込んできてくれた。

「すまん。俺も、お前が好きだ」

 俺はばかだ。慧太や一也達と出会う前と少しも変っちゃいない。相手の気持ちを少しも汲もうとはせずに、自分の都合ばかり優先していた。関谷が隠していた秘密が俺への気持ちだったという事実から目を逸らそうとしていた。本来ならば俺が先に関谷に伝えなければならない言葉だったというのに。

「!」

「今日、俺はそれを伝えるつもりでお前に電話したんだ」

 声が聞きたいと伝えたが、それは好意がなければ出ない言葉だ。だが、そんな言葉一つですべてを感じ取れ、などとは言えない。それを相手に求めるなどとは贅沢どころか何様だ。それに俺だって直接的な言葉を言われなければ中々相手の気持ちを読み取ることなどできない人間だ。

「え、ほ、本当に?」

 一也が気付いていても、涼子さんが気付いていても、尭也たかやさんが気付いていても、関谷に気付いてもらえなければ何の意味もない。俺が好きになった関谷香織という女は、こういう女だ。だから改めて、きちんと自分が惚れた女の目を見て、俺はもう一度伝える。

「あぁ。俺はお前が好きだ。関谷」

 関谷の気持ちを知ってから、安全な位置から言う言葉に後ろめたさはある。だが、俺からもしっかりと伝えなければいけない言葉だった。

「!」

 ぶわ、と関谷の大きな目から大粒の涙が溢れ出た。

「な、お、おい、何も泣くことは……」

 目の前で女性に泣かれたことがなかったので対処に困ってしまう。

「だ、だって!新崎君が!あの新崎君が……わ、わた、わたしのこと!」

 どの新崎君だよ、と一瞬どうでも良いことを考えたが、これで関谷が俺を高く見積もっていることにも得心がいった。だがしかし、これから俺は関谷と付き合うことになる。ならばゆっくりとそのメッキを剥がして行けば良いということだ。

「ま、まぁ照れくさいが、何度でも言う。俺はお前が好きだ。関谷」

「うん、わたしも!新崎君が大好き!」

 言いながら関谷は俺に抱き着いてきた。お、おぉ、これは……。

「い、いやぁ言われるのは言うよりも恥ずかしいな……」

 朔美さくみは一言も俺にそんなことを言ってくれたことはなかった。恥ずかしいのは本当だが、やはり嬉しいものだ。

「わたしは嬉しいよ、新崎君」

 涙はあふれていたが、それでも関谷の笑顔は最高に輝いて見えた。


 お互いに落ち着くまでベンチで話した。とは言うものの、好きな女に告白され、好きな女に告白した。落ち着いたと言ってもそれは表面的なものでしかない。

「結局、俺に隠していたというのは、そういうことでいいんだな」

「そ、そういうこと?」

 関谷の顔はまだ赤い。結局俺も関谷も落ち着いてなどいないということだ。

「い、いや、俺への気持ちを隠していたという……」

「あ、う、うん」

「それは言えなかったな、確かに」

 一也の死に至る病。そのことで頭の中がいっぱいになっていた。そして関谷は俺がそんなことを考えていたなどとは気付くべくもなかった。しかし俺が、関谷に何か俺に隠していることはないかと尋ねた時に、関谷は有ると答えた。それが俺を想ってくれている気持ちだったとは俺も気付かなかった。

「うん。でも、今言えたから。新崎君がわたしに自分の過去を色々話してくれたから、かな」

「過去なんて、そんな大げさなものではないがな」

 ただ、あまり人に吹聴して欲しくない話であることは確かだ。

「でも前のバンドの話も、前に付き合ってたっていう彼女さんの話もしてくれた」

「関谷だってあまり言いたくはなかっただろうに、中学時代の話をしてくれただろ」

「う、うん」

 大切な人にだから聞いてほしい過去がある。俺の過去は直接関谷に関係のある物ではない。そして関谷の過去も俺には直接関係のない話だ。関谷が過去にいじめられていた存在であったとしても、それは俺の知らない関谷で、俺が知っている関谷は水沢や五反田と仲の良い、普通の女の子だ。しかしだからと言って、そこから目を背けたくはない。知っていれば勿論それを知らずに無神経にいじめの話をしてどこかで聞いた風にいじめられる側にも問題がある、などと偉そうに言って関谷を傷つける、ということもない。

「俺は関谷の過去がどうでも気にはしない。ただ、もし中学時代の柵があって今も嫌な思いをしてるということがあるなら正直に言ってくれ」

「今はないよ。だってすごく遠いから」

「そうなのか」

 だとするならばそれは良かった。しかし俺が関谷の昔の話を知りたい理由はそれだけではなかった。俺も関谷には自分の、決して明るくない過去を聞いて欲しいと思った。それは俺自身の弱い部分を知って欲しかったという気持ちもあったし、やはり関谷が俺に施しているであろうメッキをはがして行きたいという気持ちもあった。

「うん。神奈川だし」

「なるほどな。言いにくいことなら構わないが、神奈川には友達はいなかったのか」

「うん。今の、みふゆちゃんとか衣里えりちゃんみたいに仲の良い人はいない」

 だから、という訳でもないのだが、関谷の弱い部分を俺も知りたいと思った。本来芯の強い性格であっただろう関谷は、きっといじめによって自分を低く見積もるようになった。いやいじめだけが原因ではなく、元来奥ゆかしい性格なのだろうことも判る。だがその辺の線引きは曖昧だ。そこは曖昧のままでも構わないことだが、この先関谷との付き合いの中で、何かが起こった時に考えを進める材料にもなる。何よりもそれを知ることで関谷に対する気遣いができる。

「そっか。水沢も五反田も良い奴だからな」

 当の五反田は水沢のことがお気に召さないようだったが、それは当人同士のやり取りで俺や関谷が口出しできる問題ではない。

「二人とも可愛いしね」

「ま、そうだな」

 確かにそう思いはするが、水沢には谷崎がいるし、五反田は俺には興味はないだろう。それが好きになる条件でもないとは思うが、好きになるのとは別で、外見だけで言わせてもらえば、二人とも可愛いのは事実だろう。

「新崎君は可愛いとは思わないの?」

「いや思うけど、可愛いから好きになるって話でもないな」

 とは言うものの関谷が俺の好みであったことは確かだし、実際には違うが、可愛いから好きになったのだろうと言われても言い返すことは難しい。自分の言葉にあまり説得力がないのは確かだが、関谷にはいっそのこと可愛いから好きになったと伝えても良いのかもしれない。

「そか」

 自分よりも魅力的な女性だと思い込んでいる相手に持つコンプレックスは判らないでもない。特に関谷は自分を低く見積もる癖がある。仮に、もしも水沢と五反田と関谷が同じ男を好きになったとしたら、真っ先に身を引くのが関谷だ。更にその男に関谷を思う気持ちがあったとしても、それが関谷に伝わらない限りは関谷は身を引くだろう。

「なに?」

 俺の視線に気付いた関谷がまだ頬の赤い顔を俺に向ける。

「いや、わたしなんてとかまた言い出すかと思ったんだが」

 ズバリ言ってやる。俺の彼女になった以上、俺に対して自分を低く見積もるのは辞めてもらいたい。

「もう言わない」

「ほう」

 それはまた意外だったが、俺と付き合うことで少しは自信がついたということなのだろうか。それならば俺としても嬉しい。

「わたしよりも可愛い人なんていっぱいいるけど、もういいんだ。新崎君がわたしのこと好きって思ってくれるんだから」

 にっこりと魅力的な笑顔で関谷は言った。

「ま、最低限そのくらいは己惚れてもらわないとな」

 満足感を伴いつつ俺はそう言った。少し落ち着けた気がする。関谷がずっと赤面しているということが大きかったのかもしれない。

「……」

 ぶるっと小さく関谷が震えた。時間を確認するために携帯電話をポケットから取り出すとそれを見る。

「寒いか。そろそろ帰ろう。もう十一時も過ぎた」

「う、うん……」

 つい、と顔を背け関谷は自分の肩を抱く。先ほどは緊張で震えていたのだろうが、流石に冷えてきたのだろう。

「何だ?」

「う、ううん、行こ!」

 そう言うと関谷は小さく跳ねるようにベンチから立った。




「……」

 関谷の部屋の前まで来ると、関谷は急に押し黙ってしまった。いや、ここに来るまででもそれほど会話が弾んでいた訳ではないのだが、それでも照れもありつつ話をしながら歩いてきた。そして関谷の部屋につくと急に何も言わなくなってしまった。

「どうした?」

 くい、と顔を上げて赤面する。

「ま、まだ一緒にいたい……」

「ん、まぁそうだがもう時間も遅い。明日は文化祭の準備もあるし」

 内心小躍りでもしたくなるほど嬉しい言葉だったが、つい先ほど付き合うことになったばっかりだ。時間も遅いし、明日も学校だ。

「そう、だね」

 それでも精一杯気持ちを伝えてくれる関谷に、少しでも応えたいと思った。正面から関谷を抱きすくめる。体躯の小さな関谷が俺の胸の中にすっぽりと収まる。久ぶりに好きな女を抱きしめるという充実感で満たされる。

「!」

「俺はこんな偏屈な男だが、これから宜しくな」

 よくもこんな男を好きになってくれたものだという感覚はある。俺は男にも女にも、そう簡単に好かれるような人間ではないことを自覚している。以前とは変わったといってもそれはごく僅かな変化で、毎日のように顔を合わせている軽音楽部の面々だからこそ気付けるくらいの変化でしかない。それでも関谷はそんな俺を好きだと言ってくれた。つい抱きしめる腕に力がこもってしまう。

「こ、こちらこそ……ん!」

 関谷が何かを言いかけたが、俺は自分の衝動を止められずにそのまま関谷の唇を奪った。途端に関谷が俺の腕の中からするりと抜け落ちた。

「お、おい!」

 慌てて関谷を支えたが、とん、と尻もちをついてしまった後だった。

「は、あ、あの、ごめ……」

「キスで腰抜かす奴があるか……」

 この先が思いやられる、と思いはしたがまだそれは気が早い。それに藤崎ふじさき尭也も言っていたが、関谷はまだ未経験らしいし、仕方のないことなのかもしれない。

「だ、だって初めてだったし……」

 やはりそうか。となると関谷のファーストキスは俺が頂いたことになる。これは本気で嬉しい。

「しっかりしろ。もう少ししたらもっと凄いことするんだからな」

 冗談めかしてわざと意地悪いことを言ってみる。関谷にどこまでの耐性があるかは判らないが、俺も男だ。この先の展開を期待しない訳がない。

「……!」

「はは、冗談だよ。ほら立てるか?」

 しかしまともに言葉を失い、耳まで真っ赤に染まった関谷の顔を見るとこれ以上の冗談は言えそうもなかった。関谷の腕を掴んで立たせると、ぽん、と軽く頭の上に手を乗せた。

「う、うん」

「じゃあ、また明日な」

 本心では俺も関谷と同じくもっと一緒にいたい気持ちが強い。しかし関谷との関係に浮かれてばかりはいられない。俺たちには友人の死という現実が迫っている。不謹慎だとまでは思わないが、関谷とのことだけに意識を集中する訳にもいかない。

「うん。あの、も、もう一回……」

 関谷の方からせがんでくるとは思わなかったが、俺も何度でもしたい。そして、できることならこのまま関谷を抱きたい。が、その気持ちを踏み止まらせる。俺としても未経験の女性を相手にしたことがない。ことは重大だし、絶対に粗雑に扱う訳にはいかない。まだまだ時間は必要だ。自分の欲望の赴くままに蹂躙してはいけない。

「……じゃ、じゃあ、また、明日ね」

 軽く関谷の唇に触れるとすぐに離れる。そして意を決した。

「あぁ、明日な、香織」

「う、うん!」

 初めて呼んだ新しい彼女の名前。呼ばれた関谷、いや香織の笑顔を見てふと思った。慧太や一也の名を初めて呼んだ時の方がよほど恥ずかしかったような気がした。

第二九話:告白 終り

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