二〇一二年十月一日 月曜日
枯れ木も山の賑わい、という諺がある。
つまらないものでも、ないよりはまし、という意味だ。調べ方によっては謙遜して使う言葉、とも出てくるのだが、それは他人に対して使ってはいけないという意味であって、謙遜で使う意味でもないと俺は思っている。本当に自分を卑下している時でも良く使うではないか。
俺は勉強が好きではない。しかし苦手な科目がある訳でもない。どの教科もそれなりに点は取る。
「関谷は何点だ?」
返ってきた英語の小テストの答案用紙を見て俺は後ろの席の関谷に訊ねた。
「九〇点、だよ」
「おぉ、凄いな」
九〇点など小学生以来取った験しがない。ちなみに俺は六二点だった。可もなく不可もなく、だ。教師としてはもう少し頑張れと言いたいところか。
「しっかしさぁ、ついこないだ夏休み終わったばっかだってのにテストなんてやるかね」
「確かになぁ」
と、ぼやく五反田に言いはしたが、二学期が始まってもう一ヶ月が経つ。夏休みボケもないだろうに。ただ単にテストが気に入らなかっただけだろう。更に言うなら点数も芳しくなかったのだろう。
「でも中間まであっと言う間だぞ」
「やぁねー」
今月末にはもう中間テストが待っている。その後はすぐに文化祭だ。文化祭実行委員会は既に組織されていて、うちのクラスはクラスで出し物などはしないことにしたらしい。まったく良い心がけだ。
「テスト中は部活もできないし、ね」
「だな。俺はやっと三曲覚えたところだ」
何とか今週、来週辺りで全曲ものにしておきたい。本当ならば一日一曲ペースで覚えたかったのだが、前任のベーシストが恐らくは動かす技術もないのに動かしたがり、という典型的な下手なベーシストのベースラインだったので、ほぼ一から構成し直しているのだ。
「もう三曲も覚えたんだ。凄いね」
「や、凄くない」
音源を渡されてもう四日も過ぎている。一から構成し直しで時間がかかることを言い訳にはしないが、闇の中で雲を掴むような、意味もポリシーもなく動きまくるベースラインなど、煩い上に、ボーカルやギターの邪魔になる。おまけにアヴォイドノートを気にせずに動いているから気持ちが悪い。俺はそういうベースが大嫌いだ。そんなベースラインならば、ベースノートだけを弾いている、何の工夫もないベースラインの方がまだましだ。
「一年生の方は?」
「あぁ、奴らは-P.S.Y-のコピーだから大丈夫だ。俺もコピーしたことがある」
「そうなんだ」
軽音楽部の一年生は男女ともに俺と違って、先輩を立ててくれる。中途入部の俺でもちゃんと先輩として扱ってくれているので、非常にやりやすい。まだアンプラグドで二回ほど合わせただけだが、去年の俺よりも格段に巧いような気がした。
「そっちはディーヴァのコピーをしてたか?」
ディーヴァとはこの街界隈で有名になった謎のアーティストで、ネットを介して曲が流出されて、自身で音楽を奏でる者、バンド者などに良く聞かれている。曲はGoddesses Wingという一曲のみだが、ピアノやシンセサイザーなどが入っている楽曲で、実はこの曲にはアコースティックギターのみで歌っているオリジナルバージョンと言われている。それは曲のタイトルも違うらしいのだが、和訳すると結局どちらも女神の羽根という意味になるらしい。
「うん。コピーのコピーだけどね」
コピーのコピーか。Goddesses Wingはそのオリジナルのコピー曲だとも言われているからそういうことなのだろうか。
「うちの学校にディーヴァがいたって噂、聞いたことある?」
「あぁ。だが噂だろう。名前も知られてないみたいだし」
我が校の数年前の卒業生に、実はオリジナルのディーヴァがいたという噂が残っている。俺もferseedaのドラマーに聞いた噂だった。
「うん、そうだね。ディーヴァとは無関係なのかもしれないけれど、何年か前のうちのOGの時代にバンドがあって、その人たちがバンドでディーヴァのコピーしたの」
「ほう」
Goddesses Wingもコピーだと言うのならば、Goddesses Wingのオリジナルを原曲としたバンドアレンジなどをやっている人間がいても不思議ではない。
「そのバンドアレンジが凄く良くてね、女子部員の間では課題曲みたいになってるんだ」
「そうなのか。それは音源か何かあるのか?」
俺の手元にあるのは恐らく一番出回っているGoddesses Wingだ。オリジナルやバンドアレンジがあるのならば是非聞いてみたい。
「うん、あるよ」
「ほぅ。それは是非聞いてみたいな」
俺が持っているGoddesses Wingはバンドアレンジではない。岬野美樹や早宮響に見られる、シンセやピアノメインのアレンジで、それはそれでとても良いアレンジだ。しかしバンド者としてはやはりバンドアレンジがあるのならばそれを聞いてみたい。
「あ、じゃあ明日もって来るね」
「おぉ、ありがとう」
これは実に楽しみだ。
「何よあんたら、付き合ってんの?」
「つつつ、つきあってない、よ!」
「え、そう?」
音楽の話しかしていないのに、どこをどう見たらそんな勘違いができるのだ。まったく五反田の早とちりにも困ったものだ。
「関谷に悪い。そういう冗談はやめてくれ」
ほら見て見ろ。関谷の顔が真っ赤だ。
「まぁあんたには悪くないけど、確かに香織には悪いわよね」
「そういうことだ」
俺はむしろそんな噂を立てられようものなら、否定はするがまんざらでもない、という雰囲気を出すくらいのことをしでかすかもしれない。
「え、衣里ちゃん!」
「なぁに?」
なるほど。わざとか。五反田のにんまりした顔を見て思い至った。確かに関谷はからかい甲斐のある性格ではある。しかしついこの間、自分であまりからかうな、と言っておいてのこれか。
「し、新崎君に悪いよ!」
「ギャグ漫画ならずっこけてるところだな」
「ね」
ずこー、だとかへこー、だとか言ってやりたい。
「え、な、なんで?」
「香織が可愛いから」
「そうだな」
「かか、可愛いなんてそんな!」
俺と五反田のコンビネーションも中々のものだな。これでは少々関谷が気の毒でもある。しかしこれは良い機会だ。俺は関谷に一つ、言ってやろうかと思っていたことを口にする。
「関谷、言おうと思ってたことがあるんだがな」
「えっ、な、何?」
真っ赤な顔のまま関谷は俺に向き直った。先ほどまで殆ど吃音も混じらずすらすらと話していたというのに、さすがにこんな話ともなると焦るのだな。
「何がお前をそうさせてるかは判らないがな、お前は少し、自分を低く見積もりすぎだ」
実際に口には出したことはないが、関谷はいつもどこかで『わたしなんて』と思っている節がある。他の人間がどう思っているかは判らないが、俺はそれをかなり強く感じている。
「あー、確かにそうね」
ほう。五反田もそう感じるか。だとしたら他の人間もそう思っているのはまず間違いなさそうだ。
「え、ど、どういう、それ……」
「わたしなんか、とか思ってるだろ、いつも」
ずばり、そう言ってやる。関谷の奥ゆかしい性格はそれだけで美徳だが、何事も度が過ぎてはいけないものだ。
「……で、でも」
図星か。自分でもそう思っているということだな。だとすると、何か過去に嫌な思いをしたことがあったのかもしれない。
「香織は可愛いんだからさ、もう少し自信持ってもいいと思うよ」
「可愛く、ない……」
あまりそれを口にしてもいけない。以前俺は関谷を一〇〇人いれば七〇人は可愛いと判断すると考えた。それは今でも変わりないが、それだけ高評価を得るであろう人間が自分を卑下すると、嫌味や皮肉と取られる可能性が高い。男も女も、眉目秀麗な者には少なからず僻み根性を抱くものだ。
「可愛いよねぇ、新崎」
「あぁ、そうだな。しかしあまり関谷を追い詰めても良くない」
関谷が可愛いということに関しては俺も激しく同意なのだが、もはや関谷は何も言えなくなってしまっている。
「ま、そうね。謙虚なところが香織らしくていいんだし」
「だな。さて、そろそろ時間か。関谷、行くか」
そうとも。自分の容姿を鼻にかける関谷など、もはや関谷ではない。ある程度、女としての自信は持つべきだが、過剰になってはいけない。何事も程度というものが大切だ。俺は話を切り上げて席を立つと、赤面したままの関谷を促した。
「う、うん」
第二音楽室に着くと、尭矢さんが既にいた。尭矢さんはギターケースを背負ったままだった。慎の姿は見えない。恐らく今日は慎と個人練習に入るのだろう。だとすると、俺は一年生の面倒を見るべきか。
「あ、尭矢さん。こんにちは」
「おぉ。よぉ聡、香織。オレ今日休むから宜しくな」
「あぁ、了解です。慎は?」
「さぁ、今日は来てねんじゃねぇか?」
まだ皆には言っていないということだな。尭矢さんや瀬野口先輩と話してみて判ったことだが、この話を一也にするタイミングは難しい。一也はまだ元気だ。普通に生活できているのに、一也が叩けなくなるかもしれないから保険をかけておきたい、とは中々言えない。
「なるほど」
「今日は伊関も慧太もいねぇみてぇだし、お前らは今日、一年の面倒、宜しくな」
「うす」
できれば二、三年のバンドをやりたかったが、俺もまだ曲を覚え切っている訳ではない。今日は仕方がないな。
「あ、は、はい」
「じゃあな」
「うす」
くるりと踵を返し、尭矢さんは第二音楽室を出て行った。代わりに俺と関谷が第二音楽室に入る。
「聡先輩、香織先輩、あーっす」
入った途端に一年男子、ギタリストの川口直樹が声をかけてきた。一年生の中では一番元気のある奴だ。川口のあとに一年生全員が声をかけてくれる。
「あ、うん。今日は皆いる?」
「いまーっす」
はいはーい、と無邪気に一年生は返事を返す。去年まで中学生だったと思えば無邪気さも可愛いものだ。とは言いつつ、俺もこいつらとは一歳しか歳は変わらないのだが。
「じゃあ今日はセット使おっか」
「おぉーやった!」
ドラムもアンプも普段は一年生も交えて交代で使っているが、文化祭も近いのでバンドとしてメンバーが揃っていない一年生は、この時期になるとあまりセットは使わせてもらえなくなる。
「じゃあまずは女子からにするか」
一年生男子のバンドは-P.S.Y-のコピーがメインだ。俺は大体の曲はコピーできているのでそう焦る必要はない。一年生女子のバンドもコピーが多いが、先ほど言っていたディーヴァのバンドアレンジを聞いてみたかったので、まず女子を推してみた。
「そうだね。えと、じゃあなつきちゃん、ドラム宜しくね」
「はぁい!」
一年生女子のドラマー、平賀なつきが手を上げてドラムセットに歩み寄った。屈託もなく礼儀正しい。中学生の頃は吹奏楽部だったらしい。その頃からバンドには興味があったらしく、高校に上がってから軽音楽部に入部したと聞いた。
「関谷」
「ん?」
先ほど聞いてから気になっていたので、推してみる。一年生がマイクスタンドやキーボードスタンドを忙しなく準備し始める。
「ディーヴァの、聞かせてくれるか?」
「あ、うん、判った」
ドラムが平賀で、ギターは坂井小春、シンセに武田真琴、ボーカルに長井遥だ。まだ平賀と坂井は初心者だが、シンセの武田は子供の頃からピアノを習っていたらしく、その腕前は中々のものだ。関谷のベースもパワフルさはないが、安定したベースだ。今は関谷のベースがバンドを引っ張っているような形だが、慣れてくればきちんと平賀のドラムがバンドを引っ張れるようになる。それだけ平賀のドラムは基礎がしっかりしているのだ。
「じゃあGoddesses Wingで」
「はぁい」
一曲集中して聞くと良く判る。全体的に丁寧な演奏だった。良いアレンジだ。これは楽曲を本当に良く理解していないとできないアレンジのような気がする。この自然なアレンジはギターの流れとボーカルの流れをしっかり理解したうえで、リズム隊を構成している気がする。
「いいアレンジだな」
「だよね」
関谷の話では確か卒業生のバンドが創ったというが、この曲のアレンジャーは本当にこの曲が好きだったのだろう。
「この曲に関してだが、ドラムとベースはもう少し緩急つけられると良いかもしれないな」
他の曲も何度かは聴いているが、その時は一年生男子の相手をしていたので、きちんとは聞いていない。だから判断できるのはこの曲だけだ。しかも俺の主観という偏った意見でしかない。だから、あくまでも参考程度に受け取ってくれれば充分だ。
「なるほどぉ」
「うん、そうかもしれないね。私は元々があまり力が乗ってないベースだから、ゆるく弾くのがあんまりはっきり変化つけられないみたいで」
「なるほどなぁ。だとするとサビだけでも少し意識して力乗せる感じがいいかもしれない」
関谷のベースは力がないベースというよりも、穏やかな、柔らかいラインのベースだ。だから、きっと気持ち的には、力強く、弱く、という部分の緩急はつけているのだろうけれど、バンドの音となるとその僅かな緩急は殆ど目立たなくなってしまう。だとすると、もっと強く意識をしなければ、緩急は音に現れない。
「……す、凄いね」
ぽかんと口を開けていた関谷がそれだけ言った。
「ん?何が」
「凄いっす……」
「さすが聡さん」
「だ、だから何がだ」
一年生まで口々にそんなことを言い出す。俺は凄いことなど何も言っていない。むしろこれは言い過ぎたか。俺はまだこの部には入ったばかりだ。少々出過ぎた真似をしすぎたかもしれない。
「一曲聴いただけでそんなアドバイスできるなんて」
「あ、い、いやすまん。なんか偉そうだったな……」
そうだ。僅か一年強くらいオリジナル曲のバンドをやっただけで俺が偉い訳でも何でもない。
「そんなこと誰も言ってないよ、新崎君。冷静に分析してくれてありがたいよね、みんな」
「あす!」
「そ、そうか」
しかし俺にはそんな権限も何もないはずだ。確かに尭矢さんは俺と組みたいと言ってくれていたし、一也は俺のベースを欲しいと言ってくれたけれど、それが偉そうなことを言って良い免罪符になる訳ではない。少し改めなければいけないな。
「じゃ次、男子?」
「や、転換の時間がもったいない。もう少し女子でやろう」
一曲ずつでは効率が悪い。折角一年生がアンプやドラムを使える日なのだ。今日は一年生のために色々と工夫して、少しでも長く機材を使わせてやりたい。
「うん、判った」
それを判ってくれたのか、関谷も笑顔でそう頷いてくれた。
「今日男子部員、全然来なかったね」
学校からの帰り道、空気を読まぬ一年坊たちに散々囃し立てられての下校になった。帰りの方向が同じなのだから仕方がないではないか。
「だな。でも俺が入る前から皆頻繁に部活休んでるみたいだったじゃないか」
「まぁそうだね」
何かに気付いているのは確かだろう。気付いているというよりは、先日まで関谷には一也の病の話を隠していたのだから、まだ関谷自身が知らないことがあるのだろう、と思っているようには感じる。なので俺は一応、話を逸らしてみる。
「水沢は店の手伝いもしてるんだろう?中々顔出せないのも仕方ないさ」
「みふゆちゃんいないと彩も淋しくなるもんね」
お、乗ってきたな。だとするとさほど気にしてはいない可能性もあるということだ。それにしても彩とは何のことだ。慧太もそうだが、関谷も大概突拍子もないことを言い出すことが多い。
「彩?」
「あ、か、可愛い子がいるのといないのじゃ全然雰囲気変わる、かな、って」
先ほど五反田と話したばかりのこれだ。確かに水沢は可愛いが、それを言うならば関谷も充分可愛い。更に言うならば伊関先輩も可愛いし、瀬野口先輩も美人だ。
「あぁ、そう言うことか。それならば女子も尭也さんや慎がいた方が良いだろう。慎など呆れるほどのイケメンだからな。まったく羨ましい」
それでも好きな女に想いが通じなかったり、まだ童貞だったりもする訳だ。イケメンはイケメンで苦労は山とあるのだろう。その前に奴の場合は性格に問題がある気がするのだが。
「し、新崎君だって、か、カッコいい、よ……」
「よせ関谷。世の中には世辞で気を良くする奴と惨めになる奴がいるんだ。俺は後者だ」
その優しさだけは有り難く頂いておく。枯れ木も山の賑わいだと言うしな。俺など誰がどう見てもイケメンではない。例えば合コンで並べば、まず女性陣からは除外される存在だ。そういう経験はないが、想像くらいはできる。
「お、お世辞じゃないよ!」
そして関谷は時々大きな声を出すので、いつも驚かされる。
「おぉ!そ、そうか……。ま、まぁありがとう、と言っておくよ。はは……」
「お世辞じゃ、ないのに……」
しゅん、として関谷は下を向く。気持ちは有り難いよ。だがこれ以上は惨めなだけだ。それとも自分の男の趣味が悪い、と公表したいのか。一也の言葉を借りれば、関谷には好きな男もいるらしいではないか。俺のことなど持ち上げる必要など微塵もない。
「いや、いい。そう言えば関谷は夕飯、どうしてるんだ?」
話題を切り替えたかったという思いと、腹が減ってきたので、いきなり話の方向性を変えた。これでは慧太のことを笑えないな。
「え、自炊してるよ」
「偉すぎる」
女子とはこうもマメなものか。確か関谷は昼飯の弁当も自分で作っている。俺などでは腹の足しになるかどうかも判らないほどミクロな弁当箱だが、それでも毎日やっているのは偉い。
「え?」
「あぁ、言っていなかったか?俺も一人暮らしなんだ」
そう言えばここ最近で知り合った連中には誰にも言っていないような気がするな。
「えっ、そ、そうなんだ。新崎君は晩御飯、どうしてるの?」
うーむ。今日は少し吃音が多いな。緊張させているのかどうか、良く判らない。何が原因でこうさせてしまっているのかが判らなければ対処のしようがない。
「弁当かコンビニメシかインスタント」
我が事ながら体に悪いものばかりだな。だがこんな名言がある。『毒があるものほど旨い』。誰が言ったか知らないが、なるほど正鵠を射る言葉だ。コンビニエンスストアの弁当はあまり旨いものではないが、カップ麺やファストフードなど旨いものばかりだ。
「お料理、できないの?」
「切って焼くだけなら辛うじて」
野菜炒めだとか、肉野菜炒めだとか、肉だけ炒めるだとか、その程度だ。
「そっか」
「最近は少し贅沢をしてvultureで食うこともある」
vultureを知ってからというもの、俺は今までの月に一度、旨いコーヒーを飲みに行くというペースを見事に崩されている。
「何食べてもおいしいよね、涼子さんの料理って」
それにセットメニューには必ずサラダがつくので、野菜不足も解消できる。ただ、俺にはクリアできない問題も大きい。
「だなぁ。ただまぁ毎日は経済的にキツイからな。二五〇円弁当とか凄く助かる」
そう。いくら学割が効くとはいえ、毎日通っていたらすぐに破産だ。一応仕送りは受けているものの、アルバイトなしではあっという間に無一文になってしまう。そろそろ本気でアルバイトも考えなければならない。
「最近のお弁当って凄い安いよね。量も多いし」
「揚げ物とか肉料理ばかりだがな」
主に唐揚げ、ハンバーグなどが多い。多すぎるほどに多い。なので、安いとはいえすぐに飽きる。もともと肉食ではあるが、流石に唐揚げ、ハンバーグ、カレーのローテーションは月に一度くらいで充分事足りる。
「野菜は?」
「別に嫌いな訳じゃないんだが、あんまり摂っていない」
「だめだよー、摂らないと。どろどろ血になっちゃうよ」
「だなぁ……」
ふと、健康面のことで一也のことに連想が行ってしまった。口に出ないで良かった。関谷はあれからこっち、自然に振舞っている。自然に振舞おうと努力している部分も時折感じてしまうが、それでも関谷は頑張っている。
「じゃなくて!」
「は?」
「何で今日皆来なかったのかな。こんなに皆がまとまって休むって、あんまりなかったのに……」
ふむ、話が戻ったか。やはり慧太と違って賢い。
「瀬野口姉弟は知らんが、尭矢さんと慎、それと伊関先輩と慧太は個人練習だ」
「えっ、新崎君は知ってたの?」
「あぁ。俺と尭矢さん、それと瀬野口先輩で決めたんだ」
言うべきかどうかは正直迷っていた。しかし、俺は事の顛末を関谷にだけ隠していた連中を責める気持ちがあった。だからやはり話そう、と思い直した。
「決めた?」
「俺以外は文化祭まで二つのパートで練習する」
「え、どうして?」
尤もな疑問だ。しかしだからこそ、一也も瀬野口先輩も、本当のことを関谷に教えなかったのかもしれない。
「気を悪くするなよ。それと、できればで構わないが、一度飲み込んで、熟考してから言葉を返してくれるとありがたい」
「う、うん」
関谷がばかではないことは判っている。ただ、平常心を欠けば、冷静な判断はできなくなって当たり前だ。だからそのための前準備を関谷にさせるように俺は言った。
「尭也さんがドラムを叩く。リードギターは慎に任せて、慧太がギターボーカルだ。この意味が判るか」
なるべくゆっくりと、俺自身も確認するように言った。
「瀬野口君が、いなくなっちゃった時の、ため?」
ややあって自信なさそうに関谷は言ったが、やはりすぐに理解してくれたようだ。二ヶ月か三ヶ月か、と聞いてまずその心配をしたのは俺や尭矢さんだけではなかったということだ。だから、慧太も慎もすぐに納得して練習する気になってくれた。
「平たく言えばそうだ。だがまだ俺たちの勝手な判断でしかない。それにそれは最悪のパターンだ」
「っていうのは?」
できることなら俺や尭矢さんや瀬野口先輩の心配など杞憂で終わるに越したことはない。だが、それは希望的観測だ。その通りになるかどうかなど、恐らく一也本人にも判らないことだ。奴がどうにもできないなら、どうにかできる人間が、どうにか考えなければならない。
「奴が命を繋いだとしても、ドラムを叩けないほど衰弱していたら、という想定がメインだ。奴が叩けなくなった時、軽音楽部が文化祭ライブの出演を断念するとしたら、奴はどう思うかを考えた」
「悔しがる、よね」
きっと、と付け足して関谷は一度頷いた。俺が判ることだ。軽音楽部の部員として俺よりも一也との付き合い関谷ならばすぐに判ることだろうし、考えてもいたのかもしれない。
「俺一人のせいで、文化祭ライブ出演を諦めさせて済まない。そう思うかもしれない」
「うん」
「だから、こう考えた。演奏だけでも聞かせてやれたら、と」
「……わ、判らない、よね」
流石に人の機微には敏感だ。俺もそこは迷っているところだ。
「判らん。聞きたくもない、と動かなくなった自分の身体を呪うかもしれない。奴が死んだ時のための準備をしていた俺たちを蔑むかもしれない。……本当に、判らないんだ」
「でも、せめて俺の代わりに新崎君たちだけでも、って思うような気がする」
「あぁ。だから今は内密に動いている」
やはり関谷もそう思うということは、俺や尭矢さんの考え方が間違っている訳ではないということだ。だがあくまでも推測の域を出ないこともまた事実だ。
「そっか……」
「瀬野口先輩一人に責任を負わせたくはないんだが、これは家族から話してもらった方が良いのか、俺たちから話した方が良いのか、全く見当がつかないんだ」
「……わ、わたし、言おうか?」
「誰が、という問題でもない気がするんだ。要はそれを聞いた一也が、どう反応するか、という話で」
恐らく、一也の精神状態や気持ちのことは一也にしか判らない。他の誰が判ってやれることでもない。だからこそ迷う。
「難しいね」
「そうだな。でも近い内には言っておきたい」
「瀬野口君が元気な内に言った方が良いかも……」
奴のことを慮ってというよりは、筋を通したい気持ちが強い。一也は自分の病を餌に俺を釣ることを嫌がっていた。だから俺も一也には隠し事をしたくないと思っている。だが、一也は自分の病のことなどなかったように、普通に振舞って欲しいと望んでいる。だから、奴の死や体調を考えた末に出したこの案が奴の望みではないことも判っている。
「一応はそのつもりでいるが、瀬野口先輩がどう考えているか、だな」
「うん……」
家族の問題だ。俺たちが勝手に行動して良いことでもない気もする。瀬野口先輩一人に責任を負わせる訳にも行かないと思ってはいるが、それは恐らく俺の思い上がりだ。
「まぁとにかくそんな訳なんだ。なぁ関谷、時間があるならvulture行かないか?」
「え、あ、う、うん」
「あぁ、嫌なら」
どういった心境か判らなかったが、あまり良い返事でもないような気がしたし、そもそも関谷を誘うこと自体、少しだけ思い切った行為だ。無理ならば無理でそれは構わなかったのだが。
「嫌じゃないよ!」
「お、おぉ……。じゃあ行くか」
いきなりでかい声を出すので、なんとなく俺が勢いに押されたような感じになってしまった。
「う、うん」
第十三話:枯れ木も山の賑わい 終り
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