おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
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第二七話:ユイゴン

公開日時: 2022年4月26日(火) 09:00
更新日時: 2022年11月5日(土) 01:19
文字数:10,000

二〇一二年十一月一日 木曜日

 遺言、という言葉がある。

 遺す言葉、という文字通りの言葉だ。故人が生前に自らの死後のために遺した言葉や文章を指すが、法律上では民法九六〇条に留意し、制定されたものでなければそれとは認められないという。

 しかし広義的には、法律上で認められないものであっても、遺言という言葉を使う。

 例えば俺達にとっては一也かずやの一言一言が各々にとっての遺言になる。一也が何を思い、何を伝えたがっているのか。普段から意味深な行動をとるような人間ではないことは救いだが、それが良い悪いという話でもない。


 文化祭は明後日に迫っていた。一也の様子はあまり変わっていないように感じる。そもそもどういった病気なのかも良くは判っていないのだ。発作が起きて身動きが取れない状態になるのか、激痛が走るのか、その病気の症状というものを見たことが無い。ただ、これはあくまでも俺の独断だが、一度顔色が優れなくなった時から、顔色こそ少しはましになったが、やはり回復の兆しはないような気がしていた。

「やー、いよいよ明後日だな」

 練習も終わり、学校からの帰り道だ。今日は男子メンバーだけできちんと練習ができたお陰で帰り道は少々騒がしくなった。

「何とか持ちそうだなぁ」

「おい一也、やめろ」

 一也が不謹慎なことを言う。しんが一瞬だけ驚いた顔をしたが、俺は平然と返した。正確には平然を装って、だが。仕方のないことではあるが、これが一也の性質の悪いところだ。

「悪ぃ悪ぃ、ようやく聡とライブができると思うとこう、感無量、っつーかさ」

「一也、そういう殺し文句は二人の時にしてくれ」

(いつも通り)

 恐らくそれは一也の病気が皆に発覚する前の状態のことを言っている訳ではない。一也の病気はずっと前から発症している。その死に至る病を患った上でのいつも通り。それがきっと一也の望むいつも通りなのだと俺は判断した。先日、髪奈夕衣かみなゆい柚机莉徒ゆずきりずと会話ができたのは本当に大きな収穫だった。彼女たちの言葉や感性は女性ならではのものがあったのは確かだが、俺よりも数年長く生きているだけの経験点も感じられた。先達の言うことは聞くべし、だ。

「お、あきらが照れてる」

 慧太けいたや慎は自然と一也の言う『いつも通り』それに順応している。恐らく肌感で判っているのだろう。俺よりもずっと長く、ずっと親しくしていた仲だ。

「喧しいぞ」

 正直に言ってferseedaフェルシーダを脱退してから、こんな良いバンドに出会えるとは思いもしなかった。それは俺自身が塞いでいたことが大きな原因の一つなのだが、これほど実力のあるバンドがいち高校の軽音楽部の部活動だけで動いているという事実は驚きだった。

「ま、でも俺も感謝はしている。またバンドでベースが弾けて良かった」

 それも偏にこいつらのおかげだ。いや慎に至っては腹が立っただけのような気がしないでもないのだが。それも今となっては笑い話だ。

「俺はベースは弾かん!とか言ってたくせにね」

「黙れ」

 口に出しては問わんが、それは俺の物真似なのかながみ慎よ。だとするならば激しく似ていないぞ。やはり一発くらい殴っておくべきか。恋の橋渡しまでしてやったというのに、なんと恩知らずな男なんだ。

「まぁでも聡は変わったよな。前は仏頂面でつまんねぇ奴だったけどよ」

「……」

 確かに藤崎尭也ふじさきたかやの言う通りでもあるが、慧太と出会ったばかりの頃、同じようなことを言われた記憶がある。面白み、という点では今でも俺は欠片も持ち合わせてはいないと思うが、当時から仏頂面をしていたのだろうか。いや慧太と尭也さんが言うのであればきっとそうなのだろう。ということは、だ。関谷せきたにもまた俺を仏頂面のつまらない奴、と思っている可能性もある。いや、つまらない奴、という言葉にもレベルはあるだろう。恐らく話すのも嫌なほどつまらない男、とは思われていないはずだ。そうでなければゲームに誘われたりもしない。そして確かそう、今の俺には少々嬉しい情報を思い出した。確か関谷は五反田衣里ごたんだえりに誘われたカラオケを蹴って、俺と話してみたかった、だとか言っていたはずだ。俺の記憶力万歳。

「なんでオレだけシカトなんだよ!」

「は、これは失礼。考えに耽っていました。今尭也さんに突っ込むか、慎を殴るか、選んでください」

 ついつい尭也さんの一言で色々と考えてしまった。それだけ尭也さんの言葉は考えさせらるものだった、と言ったところで納得はしないだろう。

「慎を殴れ」

「何でですか!」

 俺は咄嗟に振り返り、後ろに続いて歩いていた慎の胸倉を掴むと、グイ、と拳を引いた。

「イケメンで彼女チョーカワイイとかむかつくし」

 確かに尭也さんの言う通りだ。やはり殴らなければならんか。何、やっかみは男の勲章とういう言葉だってある。名誉の負傷という言葉もある。名誉の戦死、だったか。

 勿論それも冗談だ。ライブ二日前にして人を殴り、拳を損傷。楽器が弾けない、などあってはならない。ついでに、殴られた慎が負傷し、やはりライブに出られない、となってしまっては、いよいよもって慎をボコる以外に手はなくなる。

 俺の思考も随分と諧謔を含むようになったじゃないか。いや、これは慎に限ってのことなのかもしれないな。まったくいじり甲斐のある男だ。

「うわぁ、尭也さんがそれ言うかな」

「そんなに可愛いのか、尭也さんの彼女は」

 確か美織みおりと言ったはずだが。

「そうでもねぇよ」

 まぁ明後日になれば判るだろう。恐らくライブには来るだろうし、ライブを見て、藤崎尭也と接触もせずに帰る、などということもないはずだ。

「くはー嫌味!躓いて転べよ!」

「家の鍵無くせよ!」

「メガネ割れろよ!」

 応酬とはこのことだ。普通であればあくまでも冗談レベルで『死ねよ』などという言葉も飛び出てきそうだが、俺たちにその言葉は当然ない。

「メガネかけてねぇし。つーかてめぇら揃いも揃って先輩に向かって……」

「カッとなって言った。今は反省している」

 俺は何も言ってはいないが。

「まぁともかく、明日の部室は女子が使うから俺たちはEDITIONエディション。最終確認で流して終わろう」

 俺は言ってまとめにかかった。そろそろ全員が散り散りになる交差点だ。

「だな。セットリストと時間の確認しつつ、って感じで」

「ですね」

 非常に不本意ながら、このバンドのまとめ役はどうやら俺と尭也さんになってしまっていた。俺は代表者など柄ではないし、全く持って不向きだ。一応三年生でもある尭也さんを立てる、という立場を取らせてもらってはいるが、そんな俺のことを判って立ち振る舞いをしている藤崎尭也という男は、はやり腹立たしい。

「そういや知ってるか?アスリートは試合の前日にセックスすると記録が出るって話、あるらしいぜ」

 まとめたと思ったとたんに慧太が猥談を始めた。今は授業中でもなければミーティング中でもない上に女子達もいない。猥談は大いに結構だが、長引けば長引くほど帰る時間が遅くなる。だがこれは恐らく建設的かどうかの話ではないのだ。これが友達とのコミュニケーションだ。俺も帰りが遅くなろうがなんだろうがこいつらと一緒にいたいと思う。

「慧太、そらお前、独りですんのとちゃんと自分の女とヤんのじゃ違う話だぜ、多分」

 尭也さんがそう言って自慢げに笑った。腹が立つな。

「あぁ、慧太はアホだからヌきゃいいと思ってんだろ」

「え!違うのかよ!」

 一也もそれに乗っかりにやにやと笑う。

「それってアスリートの話だろ?前日の夜に緊張を解してリラックスするとか、そういうメンタル的な方が大きいんじゃないの?」

 真面目か。いや慎はいつだって真面目だ。だから俺や尭也さんにいじられる。出会った当初は腹の立つ男だったが今では代えがたい、愛すべきばかだ。

「でも自分の彼女とか奥さんとかとは書いてなかったぜ」

「いや一般論で考えろ。通常、そういうことをする相手とは誰だ」

「風俗だってあり得るだろ!オリンピック選手みんなが結婚してたり恋人いる訳じゃねぇだろ!」

 確かに慧太の通りだが、通常、一般論ではその行為ができない人間が存在しているからこそ、様々なサービスが生まれているのではないのだろうか。

「まぁそんな俗っぽい話ならネットのニュースとかになるかもねぇ」

「やー、ネットのニュースなんか俗っぽいのしかねぇだろ」

 それには俺も同意だ。大体インターネットで見るニュースなど下世話なものが殆どだ。結婚離婚に葬式、自殺だ他殺だ、そら追いかけろ、とばかりに芸能人がくっついただの別れただの、捕まっただの死んだだのよりも、今上がっている話題のようなニュースの方がいくらかましなだけだが。

「大体の世論は試合前は禁欲、ってのが定説だけどね」

 それは割と有名な話ではないのだろうか。

「射精自体も男性ホルモンを消費してしまうからどうのとか書いてあった気がする」

 一々まじめな受け答えの慎。やはり愛すべきばかだ。

「じゃあエッチすんのも自分ですんのも一緒じゃん!」

「ちげーだろ」

 一緒にすんなとばかりに尭也さんが言う。全く憎たらしい男だが、確かに行為としては全く違う。個人的には最後にしてから半年以上経つが、一度知ってしまうとやはり恋しくなるものだ。それほどまでに好きな女と体を重ねるということは特別に魅力的なことだなのだ。いや、したり顔で言うことでもないので訂正するが、言い訳をさせてもらうのならば、俺も木の股から生まれてきた訳ではない。新崎しんざき聡も男の子だ。

「つーか何の話だよ」

「一也お前、前のライブん時とかハングリー精神を養うためにオナ禁!とか言ってたじゃんよ。だから今回もかなぁ、とか思ったんだよ」

 かくいうferseedaでもそれを実践している人間はいた。俺は特に何も考えていなかったが、確か太田はそんなことをばかみたいな顔で言っていた気がする。

「そら溜めた方がライブ本番で爆発力生むかなって思ったからだよ。明日はまぁ各自に任せる、つーことで」

「でもそう言われると確かにそんな気はするよな。実感はなかったけど」

 慎はこのメンバーの中ではストイックな方だと俺は思っている。現在高校二年生で彼女ができたばかりともなればヤりたい盛りなのが当たり前だ。しかも慎の彼女、桜木八重さくらぎやえはかなり可愛い。何故ヤらぬなどと下世話なことを言わないのは、きっと慎なりの信念なり、理由があってのことだと思っているからだ。ただ詠慎という男に限って言えば、ビビッてやれないだけ、という可能性も充分有り得る話なのだが、どちらにしても理性が性欲に負けていないということはそれだけでも立派なものだ。

「まぁともかくその辺は一也の言う通り任意だ。練習はしっかりしておこう」

「んだな。ま、オレは明日ヤるけどなー」

 黙れ藤崎。

「んじゃ、また明日なー!」

「おつかれっす!」

「うーぃ!」

 全員で挨拶をし合って、各々の帰路につく。何となくだが掴めた気はする。俺がまだ仲間になる前、一也たちはこうしたばかな話をしては笑い合っていたのだろう。そこに俺が居るという現実。正直なところ、一也は俺と友達になりたかったのかどうかは判らない。しかしバンドを組むということは、少なくとも同じ中学校出身というだけの間柄とは完全に異なる。しかもこのバンドは部活動だ。

 部活動など、始めてから時間が経てば経つほど、メンバーとの距離感は近くなって行くのが当たり前だ。それは一也も判っていたはずだ。いや一也だけではない。当初、俺のことを疎ましく思っていたはずの慎でさえも。

 ただ単にベーシストとしての腕前を買われたのだとは思えない。自虐的な言い方になってしまうが、俺程度の腕前でもっと付き合いやすい人間などざらにいるはずだ。しかし、それを言えば連中は憤慨するだろう。どんな経緯や思いがあったのか、俺には判らない。だけれど、今の俺はこの現状に満足している。

 一也が死ぬ、というただ一点を除いては。

 正直に言ってしまえばやはり一也の顔を見るのは辛い。平たく言えば折角仲良くなれたのに、という感覚が一番強い。連中と分かれて帰り道でもある中央公園に差し掛かったところで携帯電話が震えた。

「一也か……」

 すぐに電話に出る。

「どうした。俺が恋しくなったか」

 あくまでも冗談めかして言う。一也は見栄は張るが嘘はつかない男だと俺は思っている。いや嘘を付けない、と言い替えた方が良いか。

『ま、半分はな』

「今中央公園だが待っていれば良いか」

 一也の声音から無駄話よりも効率を取る。

『わり、すぐ行く』

 短く言って一也は電話を切った。俺は嘆息すると携帯電話尾をポケットにしまった。




「悪いな」

 中央公園の中央にある噴水の周りにいくつか点在しているベンチの一つに腰かけて待っているとすぐに一也が現れた。

「いや。どうした」

「んー、特にどうってことはねぇんだけど、ちゃんと話しときたくてさ。おれがお前を巻き込んだのに、何か流れのままになっちゃってんのが気になって」

 確かに俺が軽音楽部に参加してから、きちんと二人で話したことはなかった。

「俺がお前たちに入れてくれ、と頼んだはずだがな」

「お前も素直じゃないねぇ」

「放っておけ」

 つまり形式上の話などどうでも良いということなのだろう。俺も若干この言い方は形骸化していると思わざるを得ないのだが、連中に恩着せがましい態度を取りたい訳ではない。

「まぁ嫌がっかもしんねぇけど、いろんな意味を含めて、ありがとな」

「礼を言われる筋合いはないが、どういたしまして、だ。というよりはな、感謝しているのは俺も同じなんだ」

「そうか」

 白状するように俺は言った。

「お前が俺を巻き込まなければ、こんなにも充実した毎日を送ってはいなかった。一也を始め、慧太も慎もみんなが俺を受け入れてくれたことには、本当に感謝している」

 自分でも驚くほど素直に感謝の言葉が出た。しかし照れている場合ではなく、この言葉を一也に伝えることができて本当に良かったと感じる。

「感謝感謝、感謝祭りだな。まぁでもお前が仲間に入ってくれて、ホント助かったと思うぜ。バンド以外の事でもな」

「バンド以外?」

「中身はどうか判かんねぇけどさ、冷静な奴がいてくれると、な……」

「そういうことか。それならば尭也さんもそうだろう」

 確かに慧太や慎は冷静な人間とは言い難い。いや慎はある意味では冷静な男だが、すぐに感情が高ぶる男だ。俺も自分自身が沈着冷静な人間だとは思わないが、慧太や慎よりはいくらかましだと思える。

「まぁ尭也さんだけってよりは聡もいてくれた方が良いだろ」

「それはそうかもしれないな」

 尭也さんは基本的に騒がしい男だが、先見性のある男だ。そういう意味では冷静に周囲を見渡す視野を持っている。本人には決して伝えるつもりはないが、そういう部分では尊敬に値する男だ。それよりも気にかかることは、ある。

「なぁ、一也」

 良い機会だ。この際すべて聞いてしまった方が良いかもしれない。

伊関いぜき先輩……つーか、至春しはるのことな」

 すぐに感付いたのか、それともこの話をしようと思っていたのか、一也はすぐに返してきた。

「ご名答だ」

 俺を様々な策を練って軽音楽部に入れようとしたことはもはやどうでも良い。それよりも気になるのは、やはり伊関先輩と、慧太のことだ。

「おれが至春と付き合ったのは、俺が死ぬって判ってから。だから随分と勝手な気持ちを押し付けたかも、ってな……」

「気持ちの在処は訊かないことにするが、その後は。お前は慧太が伊関先輩のことを好きだと気付いていただろう。俺でも判るくらいだからな」

 一也が伊関先輩をどう思っているかは、今訊くべきではない。一也は一也なりの答えをすでに出しているのだ。それが間違っているか正しいかは俺が判断することではない。例え世界中の人間が間違っていると言ったとしてもだ。

「まぁ、そうなんだけどさ。残酷だと思うかもしれないけど、おれは慧太に賭けた」

「お前が居なくなった後のフォローをか」

 だとすれば、一也の言葉通り、残酷な話だ。

「まぁ平たく言えばな。正直その後慧太と至春が恋愛関係になるかまではおれには判らない。でも、突き放した至春の傷を埋めてくれるのは、今至春を好きな慧太にしかできないと思ったんだ」

「気持ちのことは訊かないとは言ったが、慧太には酷な話だ」

「ん……」

 全て判っていて、それでもそうすることしかできない。一也は自分にできることだけを考えて行動を起こしたのだろう。そして瀬野口早香せのぐちはやかもその一也の考えに乗った。そして伊関先輩も、慧太も、そのことには気付いているのだろう。

「でもさ、これはエゴかもしんないけど、過去の事象そのものは変えらんないけど、過去の印象は変えられると思ってんだよ、おれは」

「どういうことだ?」

 いきなり哲学的な話か。嫌いではないが、説明をされなければ俺では理解できない。それこそ一也のエゴかもしれないという話なのであれば。

「怒らないで聞いてくれよ。お前はいい奴だからこういう話嫌がるだろうからさ」

「……」

 俺は無言をもって一也を促す。

「おれと関わった奴は、関わって、それでも良かったな、って思てもらいたいんだ」

「一也……」

 少し咎める口調になってしまった。一也はまだ生きている。近い将来死ぬのかもしれないがそれでも今、一也は生きているのだ。死んだ後の話などできることなら一也の口からは聞きたくなかった。

「まぁ聞けよ。おれが死ぬって事実は変わんねぇよ、どう足掻いたって。おれだって瀬野口一也と関わって、アイツが死んで良かった、なんて誰にも思われたくねぇんだぜ」

 それは誰でもそう思うことだろう。虫唾が走るだけの人間の太田や野島ですら。

「だからそうじゃなくて、あいつ、死んじまったけど、あいつと関われて良かったな、って思われてぇじゃん」

「俺はそう思ってる」

 言ってから失言だったと気付く。やはり俺は一也が思うほどは冷静ではない、ということだ。

「まだ死んでねぇから。……いや悪ぃ。でもさ、慧太と至春にもそう思ってもらいたいんだよ。あいつらがこの先付き合うかは判らない。でも付き合ったにしても付き合わなかったにしても、あいつらが結果的に一也はいなくなっちまったけど、あいつと知り合えて良かった、とかさ。そういう風になりてぇんだ」

「それが好きな女と親友ならば尚更、か」

「……まぁな」

 ならば、伊関至春は一也のことを忘れられなくなるのではないか。伊関先輩と慧太がこの先、恋愛関係になるかは別としても、と口では言っているが、恐らく一也はそうなってもらいたいと望んでいるはずなのに。

「人の想いってさ、薄れるもんだよ。おれに限らず、な」

「それは俺も実感している」

 それならば話も分かる。良い思いも醜い思いも、いつかは薄れる。美化、と言い換えても良いかもしれない。

「だろ。良い悪いは別にしてもお前は最初、おれたちと関わる気、なかったじゃん。頑なにさ。でも今は違うだろ」

「そうだな」

 一也の言う通り、軽音楽部に入ることもそうだったが、朔美さくみへの思いもそうだ。俺がバンドに持っていた蟠りも、女に、いや朔美に持っていた蟠りも時間が経てば薄れて行く。消えはしないのかもしれないが、それでもその当時の強烈な思いはいつまでも続くものではない。つい先日、実感したばかりだ。それもこれも元を正せば一也のおかげ、ということになるのかもしれない。

「だから、至春もおれへの気持ちはきっと薄れる。何年も何年もかかるかもしれないけど。そん時にあのバカがさ、そばにいてやってくれてたら、おれはいいなって思うんだ」

「……だから慧太はあの時腹を立てたんだろうな」

 実直な慧太のことだ。一也の、一也自身への諦めを、慧太は簡単には認めたくなかったのだろう。

「まぁ、そうだろうな。でも悪いことしたとは思ってねぇよ。おれの女を奪おうってんだ。そんくらいの気勢がなけりゃ、おれだって納得できねぇし」

「それも判る話だがな……。何故伝えない?」

 一也の完全なる自己満足なのかもしれない。それでもきっと慧太はそれを判っている。しかし、言葉にするのとしないのでは雲泥の差がある。

「それこそ友情のなせる業、としかおれには言えねぇかな」

「無責任に退場はできない、ということか」

 それが自己満足だとしても。死にゆく人間のたった一つの傲慢なのだとしたら。

 おれは死ぬから後全部任せた、と丸投げにはしたくはなかったのだろう。そんなことを一切合切押し付けられたのが俺であったのならば、確かに後は任せろ、とは言い難い。

「ま、そんなとこ。お前もさ、関谷のこと、頑張れよな」

「な、何を……」

 一也の口から想像もつかない言葉が出てきたので、言葉を濁らせてしまった。これでは自ら認めているようなものだ。

 しかし俺は誰にも関谷のことは話していない。ついこの間朔美には話したが、それが関谷だとは言っていない上に、朔美は関谷を知りもしない。どこから漏れたというのだろうか。

「いやいや、判んねぇとでも思ってんのか?涼子りょうこさんだけじゃねぇよきっと。姉ちゃんも至春も、水沢みずさわ谷崎たにざきだって判ってんじゃねぇかなぁ」

「そ、そんなにか」

 俺は関谷には思わせぶりな行動をとらないよう、気を付けていたはずだ。それこそ関谷に勘違いされないようにしてきたのだから、他の連中が気付く訳はないと思っていた。涼子さんはおそらく涼子さんの思い込みから派生した事実として気付いたのだと思うが、それを誰それに吹聴する訳はない。そんな無粋をあの涼子さんがする訳がない。

「多分、気付かねぇのは慧太と慎くらいのもんだ。多分尭也さんも気付いてるぜ」

「……それは激しく面倒だな」

 あの藤崎尭也にからかわれるというのは、どうしてだろう。この新崎聡のなけなしのプライドが許さない。あの男が素直に応援するはずもなく、上手くいったとしても素直に祝福などする訳がないのだ。

「だからさっさとケリつけた方がいんだよ」

「簡単に言うな」

 一也の言うことは尤もだが、となれば、関谷本人も俺の気持ちに気付いているということがあるのかもしれない。今のところ、関谷の素行にそういった感じは見受けられない。しかしそれは俺が鈍感だっただけなのかもしれないし、本当に関谷は何も気付いていない可能性だってある。

「簡単に言ってる訳じゃねぇよ。ま、ユイゴンってやつかな」

 からからと笑って一也は言った。

「残酷な奴だ……」

「とは言っても相手ありきの事だからな。ま、聡のやりたいようにやりゃいいさ」

「まぁそうさせてもらうが」

 一也のユイゴンとやらに付き合って、結果を急ぎ失敗した、などというのはそれこそ一也の望むところではないだろうから。

「お前も充分残酷だよ。さて、帰るか」

「そうだな」

 こつん、と拳を軽くぶつけ合って、俺たちは分かれた。




 関谷香織かおりか。

 公園内を歩きながら考える。

 俺は確かに関谷に心惹かれている。それは外見が可愛いと言えばそうだし、控えめな性格も好みに合うと言えば合う。

 自分を卑下し過ぎるところは玉に瑕だが、それも奥ゆかしさ、と取れることだ。それに本人にとっては一大決心であっただろうが、言うべきことはきちんと口にできる芯の強さもある。

 俺からしてみれば、関谷香織という女は出来過ぎ、と言っても過言ではない人物だ。むしろ関谷の方が、こんな七面倒臭い俺のような偏屈者に興味を抱くとは思えない。

 それに、恐らく関谷には好きな男がいるはずだ。

 嫌なことを思い出してしまった。いや、本当はその問題に直面したくなかっただけだ。無理矢理記憶の片隅に押しやっていた。最初は一也の言葉の文かとも思っていたのだが、野島とのやり取りの中で何となく判ってしまったこともあった。やはり俺のような面倒な人間が一人の女性の気持ちを惹くことなど有り得ないということだ。

 とはいえ、このまま引き下がる訳にはいかない。

 野島のような奴に、いや、他のどんな奴にも、関谷を奪われるのは嫌だ。俺は俺で、自分の佇まいを見詰め直さなければならない。

 俺も自分を卑下しても意味がない、ということに気付き始めた。

「……」

 一つ嘆息すると、俺は携帯電話を取り出す。一也の言葉に中てられた訳ではない。尭也さんのやっかみが面倒な訳でもない。関谷に、自分を貶める意味はないと言った俺自身の責任感も、無い訳ではない。ただ、一也との会話の中で、やらなければ後悔することを、俺は思い知った。一也は、死ぬ。だけれど、俺はどうだ。俺は病を患っている訳ではない。だが、例えば今まさに、ドライバーのコントロールから離れた車が猛スピードで俺に突っ込んできたら。

 意を決して関谷の番号をプッシュする。

「……」

 もしかしたら、一也が気付いているくらいだ。関谷にも気付かれているのかもしれない。あれで鋭いところがある、と確か伊関先輩が言っていた。だとするのならば、もはや形振り構っていられない、ということか。いや背に腹は代えられない。いやそれも違うか。

『あっ、せ、せぇ関谷、です!』

 ツーコール。

 慌てふためいた声が携帯電話のスピーカーから聞こえてきた。

第二七話:ユイゴン 終り

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