おやすみ、ララバイ

REFRAIN SERIES EPISODE VI
yui-yui
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第十八話:隠匿

公開日時: 2022年3月30日(水) 09:00
更新日時: 2022年11月4日(金) 22:52
文字数:10,000

二〇一二年十月十九日 金曜日

 隠匿、という言葉がある。

 人目に触れないように何かを隠すことをそう言うが、隠れて悪事を働くことや、心に秘めた罪悪感のことを指す場合もあるらしい。

 つまりは、世の男どもの殆どは、隠匿していることになる。

『夜のフィル・イン』のことを。

 いや、そもそもFill-Inフィル・インという言葉は埋める、という意味だ。我々バンド者が一般的に使う言葉だが、それはつまり、ドラマーが小節と小節の間の隙間を埋めるフレーズのことを指したりもする。つまり、平たく言えば『おかず』ということになるのだ。

 ならば夜のフィル・インとは転じて、夜のおかずということになる。


 授業を終え、部室に入るなり、机の上に腰かけている一也かずやが目に入った。部室の奥には水沢みずさわ関谷せきたに、一年生の女子グループもいた。

 一也の顔色が明らかに悪い。病状が進んでいるのか、ただ単に体調不良なのかが俺には判断できない。だが俺にできることなど一つだけだ。

「よう一也」

 こうしていつも通りに声をかける。それしかできない。

「おぉあきら。昨日徹夜しちまった」

「徹夜?先週もしたのにか」

 先週のゲームでの徹夜はかなり効いた。俺はまだ自分が若いと思っていたのだが、完徹の疲れが一週間も尾を引いた。もう若くはないなぁ、などと言う言葉を少し使ってみたくもなったほどだ。

「あぁ、こういうこと言うと嫌がっかもだけど、死ぬ前に見ときたい映画とか一気見してんだよ」

「ゆっくりやれ。お迎えが早くなるぞ」

 一也なりの気遣いなのだろうが、俺はいつも対処に困る。俺もそれなりにダークな返しをするが、それが本当に合っているのかどうか、一也の反応を見るまでは怖くて仕方がない。

「だよなぁ。でもこう何つーの、連続モノだと止まんねぇってのあんじゃん」

 笑顔になって返してくれたので、俺はひとまず安心すると、言葉を返した。

「何だ、ドラマか何かか?」

「おー、ドラマも映画もアニメもな。昨日は映画だけど」

「ほぅ。どんなのを見たんだ?」

 俺はあまり映画を見ないが、一也が気になっている映画ならば少し興味が沸くかもしれない。

「よーっす。何の話?」

 がらら、という音と共に慧太けいたが入ってきた。ここはいっそ話の腰をわざと折ってみよう。重苦しい話にはできるだけしたくない。

「一也が気になっているエロDVDを一気見している話だ」

 奥の女子たちに聞こえぬ程度の声量で俺は慧太に言った。

「な!おれにも貸してくれよ!聡んちにはねぇしよぉ」

「ねぇ訳ねぇだろ」

 と一也は言うが、事実、俺の部屋にはそんなものなど存在しない。DVDもビデオも本も、だ。

「ない」

「え!マジでぇ!お前何でヌいてんの?」

 一也がとんでもなくデリカシーのないことを言い出す。俺はこちらを向いた女子に聞こえやしないかとどぎまぎしたが、話の内容までは聞こえてはいなかったようで内心安堵のため息を漏らした。

「何故お前たちにネタばらしをしなければならない」

 俺だって健全な男子高校生だ。そういった手段を視覚的、精神的に補助するものは当然持っている。

「おっす。何の話?」

 今度はしんが部室に入ってきた。

「聡が何でヌいてるかっつー話」

「違う」

 きっぱりとそう言い切ったが、全く違う訳でもない。そういう流れにもなったが、そもそもこんな話にしたのは……俺だ。俺だった。

「女子がいるのによくそういう話できるな……。ちょっと退くわ」

 まぁ慎の反応が当然だ。俺も女子の前でおおっぴらにこんな話などできない。

「俺はしていないが、一也と慧太がしていた」

「だってよー、健全な男子高校生の一人暮らしの部屋に、おかずがねーなんておかしいだろ!なぁ?」

「んだ」

 おかずがないなどとは俺は一言も言っていない。それよりも。

渡樫わたがし君、声がでかい……」

 俺が言おうと思ったことを慎が言ってくれたので、俺はそのまま口を閉じた。

「ちなみに慎は持ってんのか?」

「ない」

「嘘つくな!」

 即答した慎に慧太が噛みついた。そうさ。恐らく慎も俺と同じだ。それほど勿体つける回答でもないのだが、ここまで来ると逆に言うのが憚れる。

「嘘じゃないだろ。彼女いんだぜ。ネタなんか必要ねぇって。なぁ慎」

「なるほどなぁ。それは苦労がなくて良い」

 そんなことではないだろう。ついこの間、まだ桜木八重さくらぎやえとはセックスしていないと言っていたのだ。

「ま、まだしてないって言ったろ……」

 ほら見ろ。恐らくだが、桜木八重はまだ未経験だろう。俺は未経験の女子とは付き合ったことがないので実感は伴わないが、どうやら面倒なことになるらしい、という話を聞いたことがある。俺は同じ土俵に立てない者同士が優劣を罵り合うことが大嫌いなので、この話は、自分の大切な恋人に対して配慮が全くできない男の勝手な意見だと判断している。

「まだかよ!」

 慧太はそんなにしたいのか。まぁ童貞であれば判らないでもないな。だがまずは彼女を作ることから始めなければなるまい。頑張れ慧太。見通しは明るくはないと思うが。

「何日だと思ってるんだ!」

「お前らに興味ねーから知らねぇよ」

 一也が窓の外を見てそう呟くように言う。わざとらしい演技に慎は一々影響され過ぎだ。

「言葉の棘……」

「つーかじゃあ慎は何でヌいてんだよ!」

 こ、声がでかい。ばか者めが。

「……別にいいだろ、何だって」

 そうだ。俺は慧太や一也が何をおかずにしようが気にならない。そもそもそこは男のトップシークレットなのではないのか。女子にはおろか、友達にだって隠匿すべき事象ではないのか。だから俺は自らそれを明かす気にはなれない。幸い今は慎がターゲットになっているので、そこに便乗させていただくことにする。許せ、ながみ慎。

「妄想か」

「妄想だな」

 俺の呟きの後に一也が続く。

「桜木八重を妄想か」

「桜木八重を妄想だ」

 妄想力は大切だ。時と場合に寄るが、い、いや辞めておこう。俺は自らを貶めるようなことはしないんだ。

「違う!DVDはないだけだ!」

 だろうな。少し考えればすぐに判ることだ。だが俺はそこに同意はしない。すればたちまち慧太と一也の攻撃対象が慎から俺に移ってしまう。

「本か!」

 わざとらしく俺は言う。本は中学の、い、いや辞めておこう。俺は自らを辱めるようなことはしないんだ。

「いや音声かも」

「マニアックすぎだろ……」

 確かにな。だが世の中にはそういったおかずもあり、好む人間がいるということだ。世界は広い。森羅万象、世の中とは需要と供給で成り立っているのだ。妙な疑いをかけられても困る。少しだけ種明かしをしよう。

「あのな、一也、慧太」

「あ?」

「お前らはパソコンはしないのか」

 最近はネット上でもそう言った動画が比較的簡単に見られる時代だ。恐らく法に触れているのだろうが、どういった犯罪なのかは実は良く判っていなかったりする。レンタルDVDをパソコンに取り込んだり、知人から譲り受ける場合もあるだろう。知人から借りたDVDをパソコンに取り込んだりもする。

「するよ。あ!動画か!」

「……」

 慎が無言で頷く。パソコンの中にデータがあれば、当然DVDや本などは要らない。突然の来訪者にびくびくすることもない。そう、慧太のようにいきなりそういったおかず探しをする奴などに動じることもないのだ。勝手に俺のパソコンを使い、拡張子を限定して動画ファイルを検索する、などという暴挙さえしなければ。

「データ寄越せよ!」

 一也が声を高くする。もはや寿命数か月の男の言葉とは思えないが、それならそれで良いことだ。

「どんなん?どんなん持ってんの?」

 慧太の目が爛々と輝きだした。流石は童貞だ。そういったものを見過ぎて初体験の時にアダルトビデオの真似事をしなければ良いが、そこまでは俺の知ったことではない。

「だから何故お前たちにネタばらしをせねばならん。見ろ、あの水沢と関谷の白い目を」

 水沢は若干呆れたように、何故か関谷は興味津々の視線でこちらを見ている。立ち聞きとは何と性質の悪い女どもだ。

「うわぁごめん……」

 そう言った機微には一番敏感であろう慎がすぐに謝った。

「白い目なんてしてないよ。男の子がそういうの持ってるのだって判ってるもん」

「えっ、そ、そうなの?」

 慎は少々狼狽えながらそんなことを言った。何を当たり前のことを。桜木八重がお前を聖人君子か何かだとでも思っているというのか。

「そうだよ」

 ね、と関谷に同意を求めたが、関谷は非常に大きく首をかしげた。そうか、関谷は実際にはどんなことか判っていないのかもしれないな。

谷崎たにざきも持ってんのか?」

「実際に部屋とかで見たことはないけど、やっぱり持ってるみたい。省哉せいや君とたまにそんな話してる」

「あんな大人しそうな顔して……」

 神崎かんざき省哉は、去年俺と同じクラスだったから知っている。谷崎とは小学生の頃から仲良しで、速河詠美はやかわえいみという可愛らしい女生徒を彼女に持つ男だ。明朗快活でクラスのリーダー的な存在だった。ついこの間聞いた話だが、水沢みふゆ、谷崎しゅう、神崎省哉、速河詠美は小学生の頃からの仲良し四人組だったのだそうだ。

「お前、人のこと言えねぇからな」

「言えてる」

 大人しそうな顔をしているのは慎も同じだ。慎は谷崎と同じような、あまり派手派手しさのない、正統派のイケメンだ。実際に学業も優秀だそうだが、事実慎は知的に見える。勿論実際の詠慎という人間が知的かどうかは別として。

「うぉーっすぅー。さぁて今日もドラム叩くぜ!」

 そこでイケメンではあるが、見るからに知的そうではない藤崎尭矢ふじさきたかやの登場だ。最近はドラムの楽しさに目覚めてきてしまっているようで、ギターそっちのけでドラムばかり叩いている。実際に一也や一年の平賀などに基礎を習ってからというもの、尭矢さんのドラムの技術は上がって行く一方だ。

「あーっす」

 各々適当に挨拶を済ませる。いや、この場合は適度に、という意味だ。

「尭也さんは……?」

「持ってるに決まってんだろ」

 慧太の言葉を一也が返した。まぁ健全な男子高校生がおかずの一つも持っていないなどおかしな話だが、まだこの話題は続くのか。

「あ?何の話?」

「おかずの話」

「フィルか?」

 ドラムにどっぷり浸かっているだけはある。音楽の話題に脳が反応しているということだろう。できることならそのまま音楽の話に切り替わって欲しいものだが、そうは問屋が卸さないだろう。

「や、夜のフィル・インす」

 やはり。

「あぁ何だ。貸してやろうか?JK、メイド、ナース、家庭教師、CA、フーゾクに痴女に隠語に熟女、シロート系まで何でもあるぜ」

 ふん、と胸を張って尭矢さんは言ったが、果たしてこれは胸を張れるようなことだろうか。

「すげえ……」

「彼女いるくせに……」

 思わず、だったのだろう。慧太がそう呟いた。

「あ?そんなもん別モンに決まってんだろ。一人ですんのと彼女とヤんのは別だ。なぁ慎」

 寄りにも寄って慎に話を振るか。尭矢さんの言っていることは一理あるが、初めて彼女ができた慎やまだ彼女がいない慧太には判らないことだろう。いや、これには個人差があって然るべきだ。慧太に彼女ができたとして、慧太はもしかしたらおかずなどに一切頼らなくなるかもしれない。慎にしても、桜木八重と初体験さえしてしまえば、おかずなど要らぬ、と言い出すかもしれない。俺や尭矢さん、恐らく一也もだろうが、俺たちのようにはならないかもしれないのだ。

「い、いや俺は……」

「まだこいつ童貞なんで!」

 自身も童貞の慧太がそんなことを言う。いやに嬉しそうだが、彼女がいるのといないのでは立っている場所が違うのだぞ。

「はぁ?ばかじゃねぇの?さっさとやれよ。彼女だって可哀想だろ」

 尭矢さんまで頓珍漢なことを言い出したな。しかし尭矢さんは事情を知らないのだからこれは致し方がない。

「そ、そういうものですか?」

 恐らく慎と桜木はお互いに初めて同士だ。尭矢さんの言っていることは初めて同士ではないカップルに当てはまるかもしれない言葉だろう。それでも全てのカップルに当てはまる言葉ではない気がするのだが。

「ちがいます」

 っと、水沢が是正したか。俺の言葉などよりも水沢の言葉ならば尭矢さんをも納得させられるかもしれない。そして恐らく慎はフェミニスト寄りの人間だ。尭矢さんの言うことよりも水沢の言うことを聞くだろう。

「え、なんで。お前だって愁としてぇだろ」

「で、デリカシーのかけらもねぇ……」

「お前が言うか」

 流石に一也も呆れた口調で言ったが、今までデリカシーのない会話をしていたのもまた一也だ。思わず突っ込んでしまった。しかしそれにしても我が瀬能学園のアイドル、水沢みふゆにそんなことを言えるのは学園広しと言えども尭矢さんだけかもしれない。

「女の子の場合、初めての時は特別なんですよ、尭也さん」

 水沢が言うと妙に説得力がある。谷崎のことだから、きっと初めての時はきちんと優しくしたのだろう。男にとっては当たり前のことだと俺は思うが、俺は未体験の女性とは付き合ったことがないので何とも言えない。

「あぁなんだ、初めてか。じゃあ難しいなぁ」

「難しい?」

 そのまま慎が訊き返した。尭矢さんが変説というか態度を変えたのが少々意外だった。

「だって怖いもんな。香織だってまだだろ?やっぱ怖ぇよなぁ」

 女性に対しての気遣いがあるのかないのか良く判らないが、全く何も考えていないよりはマシ、なのか。しかしその手の話題を関谷に振ることもなかろうに。

「え、あ、で、でも……。は、はい、怖いです」

 と、関谷が言った瞬間にからから、とドアが開いた。現れたのは生徒会長殿だ。

「何が怖いか」

早香はやか先輩……」

 どんどん話が広がって行くが、おかずの話にならなくなっただけマシだ。俺はだんまりを決め込んでいれば良い。

「おー早香。女子の初体験が怖い、って話だ」

「あぁ何だ。そんなもの、一時のものだ。というか、そんな猥談をしていたのか」

 呆れた口調で瀬野口せのぐち先輩が言った。一時のものだと言い切ってしまうのもどうなのだろうか。一面の事実ではあるのだろうが、それでもそんな、たった一言で斬って捨てられては、という気もする。不安ばかりを煽っていても仕方のないことだし、何より俺は男だ。女性の気持ちを理解することなど到底できない。

「や、一也の夜のおかずの話っすよ」

 そう慧太が暴露する。ばかな奴め。これでまたその話に戻ってしまう。俺は何も努力などしていないが、何もしていないが故に、今まで積み上がってきた話がガラガラと音を立てて崩れて行くようだ。

「あぁ、夜な夜な女の喘ぎ声が聞こえてくるからな。ボリュームを下げるかヘッドフォンをしろ。いつか言おうと思っていたんだが、良い機会だな」

「え、姉ちゃん、それマジ?」

 ぎょっとした顔で一也は姉の顔を見た。身内に自慰行為がばれるなど、生き恥の最たるものだ。現場を押さえられた訳ではないだろうが、丸判りというのは正直、現場を押さえられているにも等しい。

「あぁ。まぁ盛りのついた男子高校生にそれを辞めろと言うのも酷だからな。放っておいたが……」

 随分と達観した女子高生だ。こんな口調ではあるが、瀬野口先輩だって花の十八歳だろうに。

「よーっすぅ。何なにー?何のエロ小話?」

至春しはる先輩……」

 続いて伊関いぜき先輩まで入ってきた。途中まで会話が聞こえていたのだろうか、話をややこしくさせるような入り方だ。

「一也のオナニーが早香先輩にバレバレの話」

 と、慧太。

「あらやだ、一也君ってば若いのね」

 第一印象の可憐な女生徒という風体はもはや全く感じない。

 いやそれよりも、以前水沢に話を聞いた時、伊関先輩は一也のことを呼び捨てていた。水沢が伊関先輩の言ったことを再現しただけなので間違っているということもあるのかもしれないが、水沢がそんな間違いをするとは思えない。これはつまり、伊関至春の意思表示なのか、と要らぬことまで考えてしまった。そんな嫌な考えを払拭するために、俺はあえて能天気な話題に乗っかることにした。

「一也よ、昨日は映画を見たと言っていたが、嘘だな?」

 にやりとして一也の顔を見る。様々な思惑よりも、こうしていち男子高校生として、一也とばかな話をしていた方が、自分自身のためでもあるし、恐らくは一也のためでもあるはずだ。

「き、昨日は映画だよ!」

 ばかやめろ!と言いながら一也は狼狽した。これは中々面白い展開になってきた。

「一昨日は女の喘ぎ声が聞こえていた」

「姉ちゃん!」

 俺に続いてにやりと瀬野口先輩も言った。

「別に構わんだろう。年頃の男子高校生など、みんなしていることだ」

 いやらしいだのばかだの助平だのと言われるかもしれないが、男とは出さなければいけない生物なのだ。言い訳がましいことこの上ないが……。

「まぁそうですね。ここは尭也さんのおかずをみんなにシェアすることをお勧めします」

 この俺の一言は迂闊だった。直後、藤崎尭矢が話の矛先を俺に向けてくるとは思いも依らなかった。

「別にいいけどよ、聡は何系がいんだよ」

「おぉ、聞いてみたい」

 男どもの視線など意に介さないが、瀬野口先輩、伊関先輩、水沢の視線が、そして何より関谷の視線が痛い。様な気がする。

「女子のいないところでならば話す。俺は貴様らとは違い、デリカシーのある人間だ」

 そういった趣向など女子には知られたくない。いやこれは同じ男でもあまり知られたくない秘密の一つだ。つまりは隠匿したい事実だ。

「そういうこと言う奴には貸さねぇ」

 そ、それはそれで勿体無い。女子の手前、ならば結構、と見栄を張りたいところだが、これは男の悲しい性だ。許せ。いや俺は今、誰に許しを乞うているのだ。ともかく人身御供だ。きっと皆だって言えないに違いない。

「……慧太」

「おれはメイド!カテキョでも可!」

 躊躇の欠片もなしだ。いやこれは俺のミスキャストだ。寄りにも寄って何故慧太などを指名した、俺。

「すまん。人選を間違えた。慎!」

「俺か!」

 そうだ。慎こそこういった立場では俺と並ぶ存在だろう。慎ならばきっと言えない筈だ。

「おれソープ!」

 やかましい。

「一也には訊いていない。さぁ慎。言え」

 追い詰めれば追い詰めるだけ頑なになるはずだ。詠慎とはそういう男だ。

「……教師」

 言うのか!

「さ、さぁ、俺は言ったぞ。言え新崎しんざき君」

 赤面して慎はそう俺に詰め寄ってきた。もはや水沢と関谷の視線のみが突き刺さっているような気がする。女子はこういった話に興味があるのか。これはもしかしたら八つ当たりになってしまうのかもしれないが、今度機会があったら関谷に問い詰めてやる。畜生。

「か、看護師……」

 意を決して言う。これは隠匿しておくべきものだったはずだ。何故こうなった。そもそもこんな話など誰がし始めたのか、と問い詰めればそれは俺だ。きっかけは俺だ。ほんの少し一也をおちょくろうと思っただけだったのだ。人を呪わば穴二つ。先人は巧いことを言ったものだ。

「ほほおぅ。癒されたいのか、聡」

 何故俺の好みにだけ食いついてくるのだ。藤崎尭矢は。

「そ、そう言う訳じゃ」

「なるほどぉ、聡君はナースかぁ。ねぇ香織、ナースだって」

 伊関至春までぱん、と手を叩いて喜ぶ。い、いや何故態々関谷にそれを言う必要が……。

「え!あ、はい!」

 関谷香織とは阿呆の子なのか。時々こういった関谷の訳の判らない行動に俺は仰天する。恐らく状況把握が追いついていないだけなのだろうが、それにしてもそこでする返事がいつも的外れというか、間違っているのだ、関谷の場合は。

「それって了解って意味なの?」

「え、ち、ちが!」

 伊関先輩と瀬野口先輩はこういった話に免疫があるのだろう。末恐ろしい女子高生だ。男の趣向の話にまでずんどこ付いてくる女性など、俺個人的にはずいぶんと可愛げのない女性だ、と思ってしまう。事実見目麗しいことは間違いないが、この二人にはあまり可愛げは感じない。口が避けても言えないことだが。

「もうナースコスするしかないね!」

「コス!」

 一番嬉しそうにしているのは一也だ。こいつも相当なエロマインドの持ち主だ。恐らく関谷や水沢からしてみれば俺も一也も変わらないレベルなのだろうが、それは非常に遺憾である。

「新崎君、コスとは何だ?」

「ググレカス」

 慎はこういった言葉に弱いのだろう。以前にも似たようなことがあったはずだ。

「は?」

「い、いやなんでもない。コスプレという言葉をネットで調べろ」

「コスプレくらい知っている。コスチュームプレイだろう。ばかにするな」

 憤慨した様子で慎は腕を組んだ。こいつはやはりばかなのだろうな。俺が最初に抱いた印象はあながち間違いではなかったのだ。

「略してコス、だ。ばか者が」

「なに、そ、そうだったのか」

 応用が利かない、思いつかないというのは、恐らくばか者の証だ。俺もそれほど応用が利く訳でもなければ賢い訳でもないが、慎ほどではない。いくら勉強ができてもこれではあまり意味がないような気がするのだが、それは将来の話だ。慎が化ける可能性もあれば、そんな応用など全く生かさなくともやっていける職場に就職するかもしれない。そうなれば、生きて行く上で何の問題もなかろう。いや、俺が慎の将来を憂いても何の意味もない。

「あれ、今日はなつきいねぇのか」

 きょろきょろと部室内を見回して尭矢さんが言う。やれやれ、やっとこの話題から開放されたようだ。全く、自分から振ったとはいえ、こんなことになってしまうとは。これは自分の言葉にも気を付けなければならないという教訓だ。水沢や関谷を巻き込んでしまったと思うとこれは随分と高い授業料だったかもしれない。

「あぁ、今日はレッスンらしいすよ」

「あぁ今日か」

 慧太が答えて、尭矢さんがバッグからスティックケースを取り出した。なつ希と言うのは一年生女子の平賀ひらがなつきのことだ。

「レッスン?」

「あぁ、あいつドラム教室通ってんだよ」

「ほう」

 なるほど、以前聞いたと時に随分と基礎がしっかりしていると思った訳だ。しっかりと基礎は習っていたということなのだろう。

「なんかすげぇ人が講師だとかなんとか言ってたな」

「ほう?」

 ドラムの講師ともなればそれはそれだけで凄い人なのではなかろうか。それともなければそのドラム講師の中でも群を抜いて凄い人、ということなのだろうか。

「え、プロの人とかってこと?」

「あぁ、恐らくな。確か夕香ゆうかさんの所でやってんじゃねぇかな」

 夕香さん、と言うのは谷崎愁の母親だ。つまり楽器店兼リハーサルスタジオEDITIONエディションで、ドラム講師がドラム教室を開いていて、平賀はそれに参加しているということなのだろう。

「努力家だなぁ、あいつ」

 学校の部活動でバンドをしようというよりも、それなりにきちんと音楽と向き合いたいということなのかもしれない。それはプロになるかどうかという話ではなくて、だ。

「どうりで巧い訳だ」

 俺も腐ってベースをやっていなかった時期を除けば、ちゃんと働くようになってもバンドをしていたいと思っていた。こうしてバンドを再びやり始めた今も、もちろんその思いはある。

「だから基礎はなつきにも教わってんだ。そこそこ身に付いたら曲は一也に教わろうと思ってよ」

「なるほど」

 尭矢さんもそれなりにドラムと真剣に向き合っている。正直に言えば、尭矢さんにはドラムなど叩かずにギターを弾いて欲しいという思いがある。慎のギターは確かに魅力的ではあるのだが、尭矢さんのギターとは違った魅力だ。折角タイプの違うギタリストが二人も揃っているのだから、尭矢さんには本来のパートをしてもらいたい。

「おれも独学だったけど、なつきにちょっと基礎とかトレーニング方法とか教わったら巧くなれた気がしたぜ」

「それはそうだろうな。俺も独学だから人のことは笑えん話だが」

 一度で良いから、きちんと基礎を学びたいという気持ちはある。独学で本を読んだり、教則DVDを見たりしていても、何時もどこかで「これで本当に合っているのか」という疑問が浮かび上がってくる。そういった不安を払拭するためにも、機会があれば俺も基礎だけでも習いたい。

「おっし、なつきいねんじゃしょうがねぇ。スタメンで練習すっか」

「おっけーす」

 それはそれできちんと練習になるのだ。このままの面子でライブを迎えられえるのが一番だ。当然練習もこちらのメンバーの方が気合が入る。俺を直接口説いたドラマーが叩いてくれるし、全員が正規の楽器で練習できるのだから。

「ネタは明日持ってきてやっから、期待しとけ、聡!」

「な、何で俺だけ……」

 またその話をぶり返す気か、藤崎尭矢。

「そっすよ!おれだって見てぇっす!」

「わぁかったわかった!今のはただ聡をおちょくっただけだ」

 何という奴だ。先輩とはいえろくでなしな男め。確かにその手の話で反応を見て楽しむには俺か慎が妥当だろうが、慎は先ほど自らの隠匿すべき夜のフィル・インを語った。俺は語るに落ちただけだ。断じて自ら望んで暴露した訳ではない。

「人でなし」

 おっと口に出してしまった。

「何か言ったか」

「お世話になります」

「よし」

 うう、関谷と水沢の視線が痛い。

第十八話:隠匿 終り

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