叫び声が部屋中に響き渡る。脇腹から赤黒い血液が噴き出し、焼けるような熱さが全身を包み込んだ。これまで以上に目を見開き、瞳を大きくさせながら正面に映り込む少女を睨みつける。そして【空田ツバキ】は動揺と憎悪を前面に出しきり、偽りの余裕を『彼女』に見せることが出来なかった。
痛みに耐えきれず、喉が引き千切れそうな悲鳴交じりの大声を上げる。
「リセットォォオオオ!!」
≪……――1回目――……≫
そして痛みから解放されたツバキに待ち受けていた光景は【時畑アヤメ】が不敵な笑みを浮かべながら『一度口にした』一言である。ツバキは子羊のように体中を震わせながら、壁に立て掛けてある拷問道具や鎖につながれている自分自身を見ながら絶望した。
「ツバキ君。この女……誰?」
「ハハ、マジかよ。よりによって、ここからスタートかよ」
言ってしまえばこれは日常的な出来事の一部でしかない。彼女に浮気現場の写真を撮られてしまい、それについて問い詰められているだけだ。
問題があるとすれば――(アヤメの奴、ガチで俺のことを包丁で刺してきやがった!? 普通あり得ないだろ! マジで刺し込んでくるタイプかよ。このままだと一生この状況から抜け出せねぇ。浮気したのは本当だが、ここは死ぬ気で誤魔化さないと)――俺の彼女は少しだけ、ヤンデレだ。
――ヤンデレ彼女に浮気がバレたので、死ぬ気で説得するお話――
■□■□
母子家庭で育ってきたツバキは母親を支えるために、努力が必要だった。しかし、人一倍の努力が、才能のある天才たちと並ぶことは無かった。そんなツバキが自分の『能力』に気付いたのは高校の中間テストで答案用紙が配られた時だ。
所々にチェックが付けられており、苦い表情で何気なく口にした一言があり得ない奇跡を引き起こす。
「テストの結果は今まで通り中の上、この結果で国立は難しい。やっぱり高卒で就職するしかないのか? 人生が『リセット』出来れば、今よりはマシな結果になるのに」
その瞬間――中間テストを受ける前夜に時間が巻き戻っていた。最初は自分自身の能力が理解できず、その日は混乱しながら町中を駆けずり回った気がする。それから考えられる事を全て試した結果、自分の能力に気付き、何度も同じ中間テストを受けなおした。そして生れて初めて、学年トップの成績を叩き出してしまう。
それからのこと?
「いや、こんなのチートやん。人生をオンパレードしよう」
バイト代の全てをFXにつぎ込み、大金を手に入れた。金銭面で家族の負担を全て解消して、高校で一番可愛いと噂されていた時畑アヤメに何度も告白と失恋を繰り返し、付き合う事にも成功する。そう、まさに人生勝ち組街道をまっしぐらと言う奴だ。
ぶっちゃけてしまうと、調子に乗っていた。
いや、乗るでしょ? こんなビックウエーブ。
そのまま日本一の国立大学に数十回に及ぶループで見事合格。日本史上二人目の満点合格を叩き出し、ニュースや新聞に名前が載る事もあった。そして高価なビルの最上階から東京を一望しながら、ワイングラスに入ったぶどうジュースを片手に気取った台詞を一言。
「人間がゴミのようだ。うん! バルス! ――これ、一回やってみたかったんだよ。まぁ、こんな所に住むの勿体ないから一泊しか取ってないけど」
「なに言ってんの、ツバキ君?」
「アハハ! アヤメ、聞いてた?」
(めっちゃくちゃ、死にたいんだけど?)
「録音しといたよ?」
「僕を殺してください」
そんな小さな幸せを高校時代から付き合っていたアヤメと共に育んできた訳だが、大学で次席合格を果たした【水上ユナ】と知り合い、ユナの魅力に惹かれていく。
とりあえずね。もう、おっぱいが大きい。
そしてミステリアスで知的な雰囲気が、あぁ、やばいわ。
「最近、水上ユナって人と知り合ったんだけど、めちゃくちゃ頭が良いんだよ。ミステリアスって言うのかな? 小説とかに出てきそうな人なんだよ」
「ねぇ、その話聞きたくないから他の話してよ。つまんない」
「アヤメ、なに怒ってんだよ」
一方、高校時代から付き合っていたアヤメとは関係の進展がほとんど無くなり、上手く行かなくなることが増えた。そしていつしかサークル仲間やユナに相談する機会が、ツバキの小さな楽しみになり始める。
「俺、間違いなくユナに惚れてるよ。アヤメの奴、最近融通が全く利かないし、サークルで飯を食べるだけでも写真を撮って来いとか言い出すし……なんでこんなに縛られなきゃいけないんだよ。俺は別の男友達と遊んでても注意した事ないだろうが!!」
それからアヤメと会う時間が徐々に減っていき、気付いた時にはユナといる時間の方が増えていた。さすがに告白はしなかったが、デートをしながら徐々に距離が縮まっていく感覚に夜も眠れず、ベッドの上で下半身を出しながら高速で手首を動かしていたことは内緒だ。
「とりあえず、人生って最高ゥゥウウ!!」
■□■□
はい。そんな感じでアヤメに浮気現場を目撃されてしまい、ベッドの上で鎖につながれている訳なんですが、初回のループで脇腹に包丁を刺されたのでとても怖いです。
「脅し程度で、人を殺す勇気なんて無いだろ!」と馬鹿にした発言をした結果、ツバキは最初のループで殺された。ここはどうやらアヤメの部屋らしい。両手両足に巻き付く鎖のせいで体の自由が利かない。そして天井にはツバキの写真が大量に張られていた。壁には謎の拷問道具らしきものが立て掛けてあり、今考えるとヤバ過ぎる。
そして一番の問題は、ループして戻る過去は選択できない。
基本的に失敗する前に時間は遡るが、どうやら今回はベッドの上で監禁された状態からのループになるらしい。それを知った瞬間、俺の人生は終了したんだなと思った。しかし諦めるのはまだ早い。俺はまだ、ユナの胸を揉んでいないのだから。
ここで人生最高の言い訳を並べてやる。
「聞いてる? ツバキ君、この女は誰?」
「えっと、大学の友人だよ」
(嘘ぴょーん! 本当は愛してます)
「嘘だよね?」
「いや、嘘じゃないよ」
(こいつ、エスパーか?)
「嘘だ!!!!!!」
「――俺を、信じてくれないのか?」
(調子に乗ってすいません。怒鳴らないで……あと、そのセリフはやめて)
「信じたいよ? でもさ、無理だよ。ツバキ君は最近、私と全然会ってくれないよね。私はずっとツバキ君に会いたいなって言ってるのに、ツバキ君は私をデートに誘ってくれない。前も私がデートに誘ったら『授業の内容を教授と分析するから』とか言って私を遠ざけたじゃない? ねぇねぇ、私の何がいけないの? ツバキ君と高校の時からずっと付き合ってきたじゃん。今更、何で他の女と話してるの!? 触れ合ってるの!? 同じ空気を吸ってるの!? 意味わからないんだけど」
「ごめん……」
(いや、意味わからないのはこっちなんですけど!?)
「それって、浮気を認めたって事でいいんだよね?」
「いや、浮気じゃない。友達なんだよ……仲が良すぎた事は認める」
(これが解決したら俺はお前と別れるがな)
「じゃぁ、この写真は何?」
二枚目の写真がスマートフォンの画面越しに映し出されていた。それは、ツバキとユナが軽くハグをしている写真だ。目を見開き、これまで以上にリアルフェイルになった事は言うまでもない。冷や汗が額から噴き出し、体中の震えが声に伝わる。
「えっと。ほら、あいつ変わり者だから、人とのふれあいがアメリカ式なんだよ」
(自分で何言ってんのか分かんなくなってきたぜ)
「そんなわけないよね? 私は高校でツバキ君に告白された時、凄い嬉しかったんだよ。だって入学した時から気になってたんだから……気付いてなかったでしょ?」
「そう、なのか」
(嘘だろ、クソ野郎!? 俺が何度ループを繰り返しててめぇと付き合ったと思ってんだよ! 事実を重く受け止めさせるためにこいつ、嘘つきやがった)
「だから、右腕の生爪で許してあげる。特別だよ?」
「What?」
(え、今こいつ……何て言った?)
アヤメが壁に立て掛けてある拷問道具の一つを取り出し、それをツバキにゆっくりと見せつけた。硬い革で出来た指を固定する形状をしており、その先には巨大な爪切りのようなペンチが取り付けられている。その謎の拷問道具が自分の人差し指に取り付けられ始めた。
ツバキの表情が少しずつ青白くなる。
「待てよ。さすがに冗談だろ!?」
「冗談なわけないじゃん。罰ゲームだよ」
「もしも爪を剥いだら、間違いなくアヤメと俺の関係は終わるぞ!」
「――安心して。私がずっと一緒にいてあげるから」
「あ、はい。リセット」
≪……――2回目――……≫
「ツバキ君。この女……誰?」
「大学の友人だよ。時々ハグとかしてくる変わり者だから困ってたんだ。変な所を目撃されたみたいだけど、勘違いだから気にしないでほしい」
(やっぱり、スタートはここからかよ。最悪だ)
アヤメはすでにハグ写真を持っている。これを最初に話しておけば、今後の嘘にも信憑性が増すはずだ。まずは五体満足でここからの脱出を優先しよう。
「気にするに決まってるよね? 浮気だもん」
「浮気じゃない。友人って言っただろ?」
「どう見ても私といる時よりも幸せそうだよ?」
「それはアヤメの主観だろ。俺はお前といる時の方が幸せだ」
(大分いい感じじゃない? これならいける)
「嘘だよね。私さ、実はツバキ君の部屋にカメラを仕掛けてたんだ」
「I can’t understand?」
(はい、終了のお知らせかもしれません)
「ユナって人の名前を叫びながらオ〇ニーしてたでしょ?」
「えっと、リセット」
≪……――3回目――……≫
「ツバキ君。この女……誰?」
「ちょっと待ってくれ。この状況に混乱してるから」
(どういうことですかぁぁああ!? えっと、ユナとのハグ写真のほかに、俺がユナをおかずにしてる動画まで持ってるとか、こいつ、真正のアホだわ。こんなのどうやって言い訳並べたらいいんだよ)
「混乱する必要なんてないよね? 浮気してたか、してないかだけしっかりと答えてほしいな。私はもう、分かってるけどさ」
「一つだけ聞きたい」
「なにかな?」
「浮気してるって言ったら俺はどうなる?」
「プフ! それって、もう認めてるよねぇ!? 勿論、殺すよ?」
「だよな、それだけ聞ければ十分だ。リセット!!」
≪……――4回目――……≫
≪……――5回目――……≫
≪……――6回目――……≫
≪……――7回目――……≫
:
それからツバキは何度も短期間のリセットを繰り返した。色々な方向から責められる無理難題に挑み続けた数学者のように。しかし最終的には拷問道具を取り出されてしまい、どう頑張ってもトラウマレベルの痛みを負う未来にたどり着く。
俺が最終的に取った選択はこれだ。
拷問を回避しつつ、β世界線からα世界線へと飛び立つための切符を、何千回と繰り返した数々の自分自身が、その正解へと糸を垂らしていく。
:
≪……――2357回目――……≫
「ツバキ君。この女……誰?」
「それは女じゃない、妹ミュータントだ! 俺の母親から父親違いで生まれた血縁の半分繋がった妹なんだが、SEED社の研究によって薬品付けにされる日々をユナは幼少より送り続けていたらしい。生命維持を行うために日々、異性の精液を体内に取り込まなければ自我を保てず、癇癪を起してしまう特殊体質なんだ。いつも大学の研究室で泣きながら俺に寄り添い、俺はそんな妹をどうしても助けたくて、でも抱きしめてやる事しか出来ない。不甲斐ない兄貴さ……そしていつしか、ユナの体内に摂取された俺の精液による電波信号で、ベッドの上でユナの名前を叫びながらオ〇ニーをしなければ死んでしまう体質になっていた。代わりにユナの膨大なアカシックレコードにアクセスする権限を得た俺は、その知識を利用して経済情勢を動かしながら、日本一の大学にユナと共に入学し、この世界の滅亡『ラグナロク』を止めるために世界中に喧嘩を売る旅が始まろうとしていた訳だ」
「ちょっと待って!? 意味が分からないんだけど」
「何をしらばっくれている? アヤメ!!」
「え?」
「俺はアカシックレコードにアクセスした結果、今のお前が持っている情報を全て理解している。俺がユナとハグをしている写真も、俺の部屋に監視カメラを設置している事も、大学に忍び込んで毎日俺を監視していた事も、教授とやり取りをしながら俺の情報を聞き出していた事も、母親と接触して俺の銀行通帳で貯金額を確認していた事も全部だ!! お前の浅知恵でユナが死んだらどうするつもりだ!? 俺の妹だぞ!」
「そんなわけないでしょ!? だって、ツバキ君の過去の記録は全部知ってるもん。ツバキ君に妹なんていない。それに今までユナさんと接触した記録なんて何も残って無かったもの。出会ったのは大学を入学して3か月後のはずだよ!?」
「だから言ってんだろ!? そんな情報を俺が漏らすと思ってんのか? まさか俺の力で日本一の大学に首席で合格し、妹が次席で合格したと思ってんのか。そんなわけ無いよな? アヤメなら高校時代の俺の成績を理解しているはずだ」
「それは……ツバキ君が努力して……」
「違う。ユナと電気信号で繋がった結果、膨大な知識が存在するアカシックレコードにアクセスすることが出来たからだ。高校2年の中間テストから俺とユナの戦いは始まってたんだよ。だけど、俺はユナを裏切った」
「どういう事?」
「お前に惚れたんだよ。世界各国を敵に回さないといけない状況で、俺はアヤメに惚れてしまった。ユナは恋愛感情を持つなんて間違ってるって言ってたが、それでも俺はお前を愛してしまったんだよ」
「そ、そうなんだ……ちょっとだけ嬉しいな」
「でも……」
「え?」
「アヤメは今まで一度も、俺のことを呼び捨てで呼ばなかったよな? 俺がどれだけアヤメを愛しても、俺の望む形で愛してくれたことは一度も無かった」
「違うよ!! 何でそうなるの?」
「分かってるんだよ、俺には。今からその壁に立て掛けてある拷問道具で、俺の目玉を取り除こうと考えてるよな? それが俺の幸せになると本気で思ってるんだろ」
「そうだよ、だって絶対にその方が幸せだもん!!」
「それは正しい愛の形かもしれないが、ミュータントの流儀に反してる。普通が通用しない人間は、俺みたいな人間は愛せないか?」
「愛してるよ! 何で、何でなの? 私はこんなに頑張ってるのに」
「俺もアヤメのために努力し続けた。でも、結果的に俺はアヤメを傷つけてしまったらしいな。互いに努力し合った結果がこれなら、俺はもう」
「待ってよ……」
「財布を取ってくれ」
「ぅ、うん?」
ツバキの財布の中身をアヤメは知らない。そこには、指輪が入っていた。シンプルで可愛らしいデザインをした指輪だ。本当はユナとペアリングをしていた訳だが、その片方を婚約指輪と言い張ることにした。
「ここから俺を開放して、結婚してくれ」
「――はい」
そんな感じで長い戦いは終わり、体中に巻かれた封印が徐々に解放されていく。右腕を動かしながら、自分が自由だと実感した。本当にヤンデレがこの世界にいるなんて思わなかったよ。とりあえず、人生って最高!
■□■□
それから数日が経過し、雨の中でツバキは絶望した表情を浮かべる。
不慮の事故で、水上ユナが死んだ。
その背後で満面の笑みを浮かべながら俺の肩に抱き着く悪魔の姿が視線に映る。俺の表情は今、どうなっているだろうか? 生れて初めて抱く感情に、少しだけ動揺する自分の姿が地面に溜まった水溜りに映り込む。
真っ黒な瞳だ。何処かで見た事がある。
「アヤメ、俺にはこの状況が理解出来てる。答えろ」
「ふふ、アハハハ!! この女さ。私の大切な婚約指輪と同じ物を購入して私に言ってきたんだよ。これはツバキとのペアルックって! そんなの嘘に決まってるのにね。多分、お兄ちゃんが知らない女にとられるのが嫌だったんだよ。ツバキ君と私の恋愛を邪魔するゴミだから、私……頑張ったんだよ? これなら嬉しいでしょ!?」
「あぁ、ありがとう。俺が甘かったよ――リセット」
≪……――2358回目――……≫
読んでいただき、ありがとうございます!!
ただの実験小説ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!