コンコン
窓を叩く音が聞こえた。楓の部屋は二階だ。そんなことをするのは一匹しかいない。
緩慢な動きで窓の向こうを見ると、案の定カラス兄がいた。
『大丈夫か?』
ガラス越しでもはっきり声が聞こえる。チョメチョメを介した会話は音を使っているわけではなく、テレパシーに近い。ガラス一枚程度なら会話に支障はない。
しかし動物はコミュニケーションをとる時、基本的に鳴き声やボディランゲージを使うし、それは人間も例外ではない。チョメチョメで会話する時も、その癖が自然と出てしまうだけで、実際に動く必要も声に出す必要もない。
「……大丈夫じゃない」
『そんなこと言われても反応に困るだろ』
「事実だもん」
カラス兄は「あいかわらずこいつは」と言いたげな顔をしたが、すぐに話題を変える。
『ああ、後、今度あのババアに会ったら、カラスの下を通るなと教えて置け』
「何したの?」
『フンをしたら偶然下にいただけだ』
「……ありがとう、ちょっとスッキリしたかも」
『ただの偶然だ』
カラス兄は露骨に顔を背けた。その姿を見て、楓がムクリと起き上がり、窓へと近寄っていく。
『寝ていろよ』
「大丈夫」
『さっき大丈夫じゃないって言ったろ』
「ついさっき大丈夫になった」
カラス兄は諦めたように「はぁ」とため息をついた。楓は窓を開け、そんなカラス兄を抱きしめる。
『臭うだろ』
「酷い臭い。普段何食べてるの?」
『カラスの食べるものなんて決まってるだろ』
「お店の廃棄品をあげようか? 甘い匂いになるかも」
『甘すぎるのは口に合わんし、お前からの施しはうけるつもりはない』とカラス兄が断言すると
「……まあいいや、今の臭いも、生きてるって感じで嫌いじゃない」と楓は羽に顔をうずめた。
カラス兄は決まりも悪い顔をしていたが、逃げ出そうとはしない。まるで人間の赤ちゃんに抱きつかれた犬のようだ。
カラス兄の臭いは、色んな腐敗臭が混ざり合っており、かなり酸っぱいものだった。放置されたゴミ箱のような悪臭なのだが、楓は嫌な顔ひとつせず嗅ぎ続けている。
しばらくして満足したのか、おもむろに口を開く。
「ねえ、わたしには本当はいるはずだったおにいちゃんがいるんだ」
『何度も聞いた』
楓が生まれるよりも前、母は男の子を一人流産させていた。その経験のせいでしばらく子供を作らず、楓を無事に産むことに執着してしまった。
「本当のおにいちゃんが、もし生きてたら、カラス兄みたいだったのかな」
『……俺はそのおにいちゃんの代わりか?』
「ううん、カラス兄が本当のおにいちゃんだったらよかったな、って思っただけ」
楓はすごく満たされたような顔をしていた。
『今日のお前、少しおかしいぞ』
「つかれちゃったからかな。ちょっとよこになる」
そう言いながら、カラス兄を抱きしめたままでベッドに倒れ込んだ。
『おい、ベッドが羽だけらになるだろ』
「どうでもいいの、そんなこと」
『よくないだろ。カラスなんて抱いてたら病気になるぞ』
「どうでもいいよ」
『よくないだろ』
「ちょっとだまってて。いいかんじにウトウトしてきた」
『このまま眠る気かよ』
楓はカラス兄を抱きしめる力を強くした。それだけで「逃がさない」という気持ちが伝わっていく。
スースー、と。
余程精神が消耗していたのだろう。数分も経たないうちに楓は寝息をたてはじめた。
ハッ、と気づいて、楓は体を起こした。
置時計を見ると、もう6時を回っていた。夢を見た記憶もなく、楓にとってはただただ時間が吹き飛んだかのような気分だった。
(あれ、カラス兄は!?)
寝落ちする前に抱いていたカラス兄の姿が見当たらず、周囲をキョロキョロを見渡した。
ダルそうに体を起こし、カバンから腕時計を取り出した楓は、甘ったるく声を掛けた。
「さすがにもういないか」
『一応いるぞ』
いきなり声が聞こえて「うわっ!?」とオーバーリアクションをとってしまう。その反応が余程不服だったのか、窓をゴンゴンンゴンゴンと何度も叩いた。
(あれ、窓もカーテンもしまってる。清水さんかお姉ちゃんの仕業か)
おそらくどちらかが部屋に入ってくるのを察知して外に逃げ出して、締め出されてしまったんどあろう。
「今窓開けるね」
『いや、いい。どうせもうすぐに帰るつもりだったからな』
「ずっといてくれたの?」
『そんなわけあるか。偶然近くを寄っただけだ』
「あれ、さっきは『もうすぐ帰るつもりだった』って言ってたよね」
『……じゃあ、もう行くからなっ!』
カラス兄は照れ隠しなのか、必ず嘘をつくのだが、いつも楓に看破されてしまう。それでも嘘をつくのをやめない。
(なんだかんだで楽しんでるよね)
カラス兄が嘘をついて、楓が嘘を見抜く。そのやり取りは何度も繰り返されてきた。相手がわかると分かっている嘘を吐いて、実際に相手に見抜いてもらえる。そんな幼稚な阿吽の呼吸が、不思議な絆を育んでいるのかもしれない。
「いつもありがとう」
夕日を背に、カラス兄が飛び去っていく。
(そういえば、似たようなことあったな)
カラス兄が飛び去っていく光景にデジャヴを感じていた。その記憶はすんなり思い出せた。
(たしかあれは……そうそう、カラス兄や老木と初めて会った日のことだ)
自然と思い出していく。
本気で死にたくなって、そして、カラス兄や恩師の老木に出会った日のこと。
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