二回の告白を越え、楓はマグロの解体ショーを見るために歩いていた。夏祭りの始まったばかりと比べると、足取りが軽くなっていた。
しかし道中、多くの知り合いに声を掛けられしまった。
「あ、楓お姉ちゃん!」
よく野球で遊ぶ小学生たちに会った。すると、金魚と水ヨーヨーを渡された。
『うれしそうだね』と水ヨーヨーに指摘されて、楓は自分の顔を揉み解した。
次に。
「よう、元気してるか?」
焼きそばを売っている八百屋さんと目が合うと、山盛りの焼きそばを渡された。
遠慮していると、さらに山盛りにされた。「自慢の野菜を使った特製の焼きそばだ」と太鼓判を押していたが、露店の奥から業務用カット野菜の声が聞こえていた。
「ありがとうございます」
楓が素直に受け取ると、一瞬八百屋さんは戸惑った様子だったが、すぐに「おう!」とはにかんだ。
その他にもりんご飴、かき氷、たい焼きなどなど。商店街の老人たち出会っては「いつものお礼だ」と渡され続けた。
みるみると餞別は増えていき、抱えて歩くだけでも一苦労な量になる。
『うれしそうだね』と大合唱で聞こえた。楓は否定できなくて、控えめに笑った。
周囲からの奇異な視線を気にしながら歩いていくと、人だかりを見つけた。
(あ、ここかな)
器用に人を掻き分けて進んでいくと、すでに始まっていた。
「よっっっっっこらせええ!!」
とても中年女性とは思えないほど野太い声を上げながら、魚屋さんは熱気の中心にいた。
見たこともないような大きな包丁を豪快にあやつり、マグロを解体していっている。
(うわあ、スゴイ)
そんな飾り気のない感想しか出ないほど、圧巻のパフォーマンスだった。
マグロは流石にテレビで見る様な大きさではなかったが、楓とあまり変わらないサイズはあった。
ふと周囲を見ると、観客たちは歓声をあげたり、スマホで撮影したりしていた。多くの視線を受けていても、魚屋さんの顔に緊張は見えない。ひたすらにマグロだけに集中していた。
マグロと一対一の真剣勝負をしているようにも、慈しんでいるようにも見える様な雰囲気を醸し出している。
そんな中、楓はキョロキョロと人影を探していた。
(あ、いた)
魚屋さんの脇に控えている男二人。一人は小生君で、もう一人は旦那さんだろう。
二人とも主張の激しいエプロンをしめているにも関わらず、まるで黒子のように存在感が薄い。
しかしすぐに顔を合わせるのは気まずくて、気づいていないフリをした。
それからはマグロの解体ショーに集中することにした。
(ああ、やっぱりいいなぁ)
楓は解体ショーの空気が好きだった。
解体を終えると、試食や刺身の販売が行われた。
あっという間に売れて行き、楓の番になる頃にはほとんど残っていなかった。しかし魚屋さんは、どこからかパンパンに詰められたパックを取り出した。堂々と『楓ちゃん用』とマジックで書いてある。
「ほい、楓ちゃんスペシャル。のど自慢大会で頑張ってもらうためにね」
「ありがとうございます。でも、こんなに食べたらマグロの声になっちゃいますよ」
「あら、それは私得ね。じゃんじゃん食べてちょうだい」
魚屋さんはこれまでにないぐらいにテンションが高かったし、楓もそれにあてられていた。
冗談をかわして「またね」と
背中に羽が生えた気分で、マグロの解体ショーを後にしたようとした矢先だった。
「あ、楓ちゃんだ! おーい!」
それから数人の「おーい」が続いた。
振り向くと、10人ぐらいの少女グループが手を振っていた。
「あ、部長。みんな」
バレー部のメンバーだった。
楓はよくバレー部の助っ人をしている。その頻度は非常に多く、他校の生徒から見れば、正規の部員にしか見えていないだろう。
「これ、楓ちゃんにそっくりだと思って」
そう言いながら、キツネのお面を渡された。いかにも媚びたようなかわいらしいキツネではなく、頑固な顔立ちをしている。しかしよく似合っている、と口をそろえて言われて、悪い気分ではなかった。
『うれしそうだね』とお面が語り掛けてきて、「そうだよ、何が悪い」と少し拗ねながら返した。
そんなことをしていると、部長が声を掛けてくる。
「ねえ、いっしょに回らない?」
突然のお誘いだったが、無性に嬉しかった。
部長は幸薄そうな見た目をしていて、気立てもよく、包容力がある。
(そんな彼女が、わたしは大好きだ)
この気持ちは墓までもっていく覚悟だった。きっと部長にとっても迷惑だろうし、拒絶された時のことを考えたくもない。
地団駄を踏みたい気持ちを抑えて、答える。
「ごめん。行きたいのはやまやまなんだけど、そろそろ出番が近いから」
時間に余裕が無いわけではなかった。でも彼女たちと話してしまうと、時間を忘れてしまうのが怖かった。
「残念。でも、絶対に見に行くから」
そう言われて、頬がわずかに上気する。しかし心の中がわずかにザワついた。
歌を聴かれて、幻滅されないだろうか。笑われないだろうか。そんな不安がよぎる。
それでも楓は健気に
「頑張るから、見に来てね」と言うしかなかった。
ふと、自分の中で疑問が浮かんだ。
わたしは本当に頑張ったのだろうか。頑張りが足らなかった気がする。あんなことをしている暇があったら、もっと練習できたんじゃないか。
今更考えても仕方が無いと分かっているのに、頭が勝手に考えてしまう。
助けを求めるように、嫌な考えから意識を逸らそうとすると、小生君の顔がフラッシュバックした。
楓は雲に手を伸ばすような感覚で、突拍子もなく言う。
「あと、部長。好きだよ」
本日二度目の告白だからだろうか。舌が滑らかにまわった。
「うん、わたしも楓のこと"好き"だよ」
部長はすんなりと応えてくれた。
きっと二人の"好き"には大きな隔たりがある。そんなことは承知でも、このやりとりだけで気力が湧いてくる。
ふと、自分の中のモヤモヤが晴れていることに気付く。その理由は、ストンと理解できた。
(そっか、わたし、羨ましかったんだ)
好きだと叫べる人間が。
小生君が。ネルちゃんが。鈴木陸が。
だから眩しく見えたし、惹かれていたし、どこか苦手だった。
「じゃあ! またね。ガンバって!」
「またね」
楓は生乾きの笑顔を向けたまま、彼女たちの背中に大きく手を振り続けた。
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