チョメチョメ少女は遺された ~変人中学生たちのドタバタ青春劇~

ほづみエイサク
ほづみエイサク

第四十一話 バス停で遭難

公開日時: 2023年9月5日(火) 23:18
文字数:4,414

 雨に打たれながら周囲を見渡すと小さなバス停が目に留まり、二人で駆け込んだ。

 

 そのバス停は非常に簡素な作りで、最低限のベンチと屋根しかない。横殴りの雨を防げるものではないが、無いよりはマシだった。

 

 陸は助けを呼ぶためにスマホを取りだした。しかし不運なことにバッテリー残量が尽きていた。

 

「スマホ持ってる?」

 

 陸が訊くと、音流は弱々しく首を横に振った。

 

「え? でも、写真を投稿してたよね」

 

 音流は今にも氾濫しそうな勢いの川を指さした。

 

「まさか、投げ捨てたの?」

 

 コクリ、と頷くのを見て、陸は力なく項垂うなだれた。

 

 台風はいまだ猛威を振るっており、到底移動できる状況ではない。今下手に動こうものなら、本当に死んでしまうだろう。

 

 どちらの両親も探している可能性はあるが、台風の酷さから考えて望み薄だろう。

 

 身を守るのには心もとない環境。助けは呼べず、助けが来る可能性も低い。

 

 つまり、二人は古びたバス停という陸の孤島に取り残されてしまったのだ。

 

 台風が止むまで体力が持つかもわからない。不安と心細さから二人は肩が当たるほど寄り添っている。

 

「台風の目を追いかけて、どこまでもついていきたいです」

 

 真っ黒な雲に包まれた空を見上げながら、音流がポツリと呟いた。

 

「そうしたらずっとずっと遠くに行くことになるよ」

「それもいいかもしれませんね。全く知らない土地に行って、キレイサッパリ新しい生活を送ってみたいです」

 

 陸は、親の背中を必死に追いかける子供のような、切ない顔をしていた。音流は対照的に晴れやかな顔を向けた。

 

 陸はその顔を見て、胸を締め付けられた。自分が隣にいるのに、音流が遠くの理想を見ているのが悔しかった。

 

 気が付くと、手を伸ばしていた。

 

「ねえ、何からそんなに逃げたいの?」

 

 音流は目を大きく見開いた。差し伸べられた手を取り、膝の上で繋ぐ。

 

 呼吸を整えて、ゆっくりと息を吐く。

 

「実はウチの両親はいつも喧嘩してるんです」

 

 諦めと悲しみがない混ぜになった声音、思わず息を呑んでしまう。それでも、ひたすら耳を傾ける。一言一句どころか、声の揺らぎすらも聞き逃さないように。

 

「きっかけはじいじが死んだことでした。そこそこあった遺産を、パパは他の兄弟に渡したんです。じいじの遺言ではなく、パパの善意でした。

 その後すぐに、ばあばが痴呆症になって、老人ホームに入れることになりました。もちろん、決して安くないお金が必要になります。それなのに、パパの兄弟は全く手伝ってくれませんでした。

 ママはそんな状況が許せなかったんだと思います。パパの兄弟も、それを許してしまうパパも」

 

 下唇をかみしめながら、陸の手を強く握りしめる。

 

 いくら手を握ろうとも、冷たいままの少女の体。少年の中で不安感だけが膨らんでいく。

 

「一回、深夜に大きな喧嘩をして、ママは出て行ってしまいました。

 三日後、ママは帰ってきてくれました。その時は凄く嬉しくて抱き着きました。もう会えないかも、って思ってましたから。これからは元に戻るんだと、信じて疑っていませんでした」

 

 音流は右頬を擦った。化粧で隠していたのか、うっすらと痣が見える。

 

「でも、間違いでした。ママは事あるごとにパパに対して怒鳴るようになりました。それまでは比較的穏やかな人だったんですけど、人が変わったように激情家になりました。

 すると、今度はパパが家にいるのを避けるようになりました。仕事の帰りは遅く、よく酔っ払って帰ってきます。

 酔っぱらっているときは気が大きくなるみたいで、パパも言い返すようになりました。そうなると、ただの罵倒の言い合いです」

 

 音流は自分の頬を伝う水滴を舐め取り、乾いた唇を濡らした。

 

「いつしかパパもママも、ウチとしか話さなくなりました。顔を合わせると喧嘩になるから、お互いに顔を見せないようになりました」

 

 雨宿りだろうか。カエルの親子が音流の足元に跳んできた。子を背に乗せた親カエルは、真ん丸な瞳で音流の顔をじっと見つめている。

 

「昨夜、また二人は喧嘩をしました。原因は何だったのかはわかりません。どうせ些細なことだと思います。いえ、ウチのせいだったのかも……。

 近所中に響くほどの大声で、罵詈雑言を吐き合っていました。静かになるまでの間、ウチはただ布団にくるまって、ヘッドホンで音楽を聴いていました。

 でもいくら音量を大きくしても嫌な音ばかりが耳に入ってきて、静かになるまで耐えていました。すみません、だから昨夜は電話できませんでした」

「そんなこといいよ、謝らないでよ」

 

 陸がゆるしを絞り出すと、乾ききっていた喉が痛んだ。

 

 この言葉は、今の陸が——そして昨夜の陸が言いたかった言葉だった。

 

 陸の言葉に何を思ったのか、音流は少年の手を握りなおし、深呼吸をした。

 

「今日の朝、ママとパパの関係は悪化していました。顔を合わせないどころか近づくこともなくなりました。一緒にいるはずなのに、並んでいるのが間違いのような雰囲気。

 ああ、ついに一線を越えたんだな、って察して悲しくなりました」

 

 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ

 

 音流が突然、笑い始めた。楽し気でも悲し気でもなく、感情の抜けた形だけの笑い声だった。それはたった数十秒の出来事で、まるで蛇口を閉めたように笑い声が止まった。

 

 笑い終えた音流の顔は、能面のように平坦で、笑いの余韻なんて一切なかった。まるでさっきまで笑っていた姿が幻だったかのように。

 

 一連の変容があまりにも不気味で、陸は胸の中は嫌な予感でいっぱいになる。

 

「それでウチは言ったんです。さっさと別れてよって。そんなに怒鳴るぐらいなら、一緒にいない方がいいでしょ、って。

 そうしたら二人は戸惑いながらも安堵した顔をしました。

 ああ、これでウチの家族は終わったんだと思いました」

 

 音流の頬には大量の雫が伝っている。それが濡れた髪から滴っているのか、瞳から出た涙なのか、本人にもわからない。

 

 その隣で、陸は自分が涙を流している事実に気づいた。当人でもないのに共感で泣いてしまったことが恥ずかしくなり、目元を隠すように前髪を撫でた。すると髪から流れ出た雫が涙を洗い流していった。

 

「パパはママのはっきりもの言う性格が好きだと言っていました。ママはパパの誰にでも優しいところが好きだと言っていました。

 結局、好きだったはずの性格が原因で仲違いして、いがみ合って……。なんで一緒になって、なんでウチを産んだんでしょうね」

 

 どこか諦めたような顔をしている音流の横で、陸は歯がゆい思いをしていた。陸には両親の喧嘩に書き込まれた経験がない。家庭が壊れたことがない。幸せな環境の中で生きている陸には、音流の感情を察して寄り添うことはできても、いやしたり救うことはできない。

 

 それでも、何か掛ける言葉は無いかと考え続けた。でも何も思い浮かばなかった。それどころか別の悩みと結びついてしまう。

 

【好きなことをして、幸せに生きていきなさい】

 

 お祖父ちゃんから受け取った遺言。昨日までの陸は、この言葉に隠されたお祖父ちゃんの意志ばかりを気にしていた。しかし音流の話を聞いて、途方もない難題なのでは、と悟り始めていた。

 

——好きなものをずっと好きでいられない。

——幸せは永遠には続かない。

 

 そんな当たり前は、まだ垢抜けない陸にとっては残酷に思えた。

 

「もし、じいじが生きてたら何とかしてくれたんだろうなぁ」

 

 音流は空いている方の手で、自分の首を擦り始めた。かすかに震える指が、急所を探る蛇のような動きで青白い喉を這い、静脈の上で止まった。しかし力を入れる寸前にハッと気付いて手を離す。

 

「なんて、何を言ってるんでしょうね」

 

 音流は取り繕って、力の無い笑顔を作った。それがどれだけ痛々しいものなのか自覚せずに。

 

 陸は口を開こうとしたが、言葉を吞み込んだ。何を言っても傷つけそうに思えた。それほどに今の音流は繊細だ。

 

 ただ話を聞くことに集中する。

 

「じいじが死ななければこんなことにならなかったかもしれない。でも、ウチが頑張ってこれたのはじいじのおかげなんです。日向ぼっこが好きなのもじいじの影響で——」

 

 そこまで言いかけて、音流の動きが止まった。その間に心の中でどんな化学反応があったのだろうか。

 

 突然、頭を乱暴に掻きむしり始めたかと思うと、悲痛に顔を歪めた。

 

「ねえ、同志。ウチはどうしちゃったんでしょう」

 

 音流は自分の手のひらをじっと見つめながら言った。

 

「じいじのことが大好きだったはずなのに。怖いんです。冷たくて、焦げ臭くって、お酒臭くって」

 

 音流は何かに怯えるように周囲を見渡し始めた。まるで幽霊に囲まれたかのように怯え切っている。

 

「怒鳴り声が、足音が、近づいてきて、瓶が飛んできて、いやいやいやイヤイヤ!」

 

 耳を塞いで、イヤイヤと頭を振り続ける。顔も唇も真っ白で、目の焦点は定まっていない。

 

 陸は痛みを感じて、とっさに握っている手を見た、音流の爪が深く食い込んでいて、血がにじんでいる。

 

 気づいたときには、抱きしめていた。

 

 音流の体の冷たさを全身で感じて、心の中でたまっていた不安が破裂した。

 

(これ、お祖父ちゃんと同じ……)

 

 ありもしない線香の煙が、陸の鼻をかすめた。

 

「大丈夫。大丈夫だから」

 

 必死に背中をさすり続けた。濡れた服からグジュグジュと水が流れ出るだけで、一向に温まる気配がない。

 

 しかし体とは裏腹に、音流の心は徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

 そんな矢先、閃光が周囲を真っ白に変えた。刹那、地面が揺れる程の爆音が鳴り響いた。近くの樹木に雷が落ちたのか、バキバキと崩れ落ちる音が響く。

 

 その災害は、二人の恐怖心を煽るには十分だった。

 

 腕の中で震える音流の体が、みるみる冷たくなっていく。自分にできる事は思いつかず、背中を擦る手に力が入る。

 

「同志の手、温かいです」

 

 弱々しく音流が呟いた。その言葉を聞いた瞬間、陸の頭の中で閃きがあった。

 

 一度腹を決めてしまえば、陸の行動は早い。スクッと立ち上がり、突拍子もないことをし始めた。

 

「え、えっと、同志……?」

 

 音流は弱々しい反応ながらもキョトンとしていた。

 

 陸は服を脱ぎ棄てた。服を絞ると、バケツをひっくり返したように水があふれ出て、ビチャビチャと下品な水音が鼓膜を揺らす。

 

「体を温めないと」

「それで何で脱ぐんですか……?」

「ほら、遭難したら裸で抱き合うって言うし」

「あ、なるほど」

 

 音流は小声を漏らすと、のそのそと立ち上がった。陸から三歩程離れた場所に立ち、シャツの裾をまくり上げた。

 

 瞬きする暇もなくヘソとブラジャーがあらわになり、目撃した陸は顔を真っ赤にした。

 

「何してるの!?」

「何を焦ってるんですか。同志が言い出したことですよ」

「脱ぐのは僕だけでよくない?」

 

 陸はいつもの様子を取り戻して、及び腰になっていた。その顔を見て、音流は少しだけ口角を釣り上げた。

 

「両方脱がないと意味ないですよ」

 

 うつろな瞳で服を脱ぎ棄てる少女。その青白い肢体から、少年は目を離せなくなっていた。

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