陸はスマホの画面を凝視している。
音流が更新していないか、確認しているのだ。
この三日間投稿はなかったのだが、たった数分前に四枚の写真が流れていた。
それらは特段取り上げることのない日常風景。
学校。スポーツジム。カラオケボックス。そして、どこかの畑。
メッセージもついておらず、どんな意図なのかもわからない。
(畑は、日向のじいじの畑か?)
音流から過去話を聞いていた陸はすぐに察した。だからと言っても、写真の意味は読み取れるわけではなかった。
(とりあえず回ってみるか)
外に出ると、真っ先に太陽が目に入った。
雲一つない晴天だ。
(きっと、日向ぼっこしたら最高だろうな)
しかしすぐに、どうせ独りでは眠れないか、と考え直す。
まず向かったのは学校だった。当然休校なのだが、校庭には走りこみに励む野球部の姿だけがあった。校舎内からは人の気配は感じられない。
(まあ、いるわけないよなぁ)
立ち去ろうとした瞬間、後ろ髪をひかれた。
校内をめぐりたい衝動に駆られた。そうすることで自分の中の感情に整理できる気がした。
意味もなくフェンスを登り、昇降口を抜けて、校舎に入る。
人の影がない校舎の景色が、音流と一緒に不法侵入した時の記憶と重なった。
(あの時は本当に情けなかったよなぁ)
暗いところが苦手な陸は終始怯えてしまい、音流に抱き着いては悲鳴を上げるばかりだった。思い出すだけでも赤面してしまうほどの赤っ恥だ。
(よく愛想つかれなかった)
ビンタされた上で夜の校舎に置いて行かれてもおかしくなかった、と陸は想像して体を震わせた。
音楽準備室の前に立って、ドアをノックして、しばらく待つ。中からは物音ひとつ聞こえない。
(こんなところにいるわけはないか)
踵を返して、次に向かう。
駅前に行くと、まだ時間が早いためか店はほとんど開いていなかった。もちろん、スポーツジムのドアも閉まっている。
(日向の転びっぷりはすごかった)
清水に誘われてスポーツジムの体験入学をした日、真っ先にランニングマシーンに乗った音流はヘンテコなポーズで走り出し、盛大に転んでいた。その時の光景を思い出した陸の頬には自然と笑窪をできていた。
周囲を見渡すと、まだ九時前なためか人通りは少ない。その中に音流の姿はなかった。
次はカラオケボックス。当然のように営業時間外だ。
(青木はともかく、日向は普通にうまかった)
楓の音痴が発覚したことで始まったカラオケ。まず披露された音流の歌を思い出したのだが、すぐに楓の絶望的な歌声に塗りつぶされて、苦い顔になる。
(そういえば、あの時ポテトを一口も食べられなかったんだけど)
記憶を掘り起こすと、楓は手を付けておらず、音流が食べている姿しか思い浮かばなかった。
(え? まさか一人で……?)
細い体にしては大食漢だ。戦慄したがすぐに、今考えることじゃないか、と頭を振る。
(あと一か所だけか)
その一か所が問題だ。
改めて確認するためにスマホでSNSを開く。新しい投稿は無い。ヒントはすでに確認済みの写真の投稿だけだ。
学校。スポーツジム。カラオケボックス。ここまではすでに回った。残りは音流のじいじの畑だけだが、陸はその場所を知らない。
(畑って、少し遠くに行けばいくらでもあるもんなぁ)
写真には場所のヒントになりそうな建物も看板も映っていない。にっちもさっちもいかなくなり、苛立ちから頭を掻きむしった。
(まさか、また死のうとなんかしていないよな)
写真を投稿するという行動が台風の日と重なり、飛躍した考えをしてしまう。
一か所に留まることができず、歩き始める。
尋ね人を視界の端で探しながら、最近の出来事に思いを馳せる。
(まだ出会って3か月ぐらいかぁ。結構短い)
たった3か月とは思えないほど、この期間の陸の私生活は充実していた。青木姉妹に出会い、レアチーズケーキに魅了され、姉妹や音流に振り回される日々。とことん感情を揺さぶられるイベントの数々。
十三年間の陸の人生において、最も濃い期間だったと言える。
ふと、あるものを感じて自然と足が止まった。
甘い香り。
(あ、来ちゃった)
顔を上げると、『Brugge喫茶』の看板が目に入る。
(そういえば、音流と初めて顔を合わせたのは、ここなんだよな)
楓が『日向ぼっこで死にたい』と言う少女を助けようとしたのが始まりだった。悩んでいる楓を心配した君乃が陸に調査を依頼し、『Brugge喫茶』で話を聞くことになった。
心配とお節介から始まった縁。それはいつしか——いや、あの台風の日を境に——心を蝕むほど大きくなっていた。
せわしなく視線を巡らせても、求める姿はない。陸は膨れ上がる切なさを押さえつけるように、胸の前で拳を握り締めた。
(ああ、あのレアチーズケーキを食べたい。君乃さんと話したい)
ガチャリ、と。突然店のドアが開いて、陸はとっさに身構えた。
(まさか君乃さん!?)
少し期待しながら身構えたのだが、その人影を見て
「なんだ、妹の方か」と肩を落とした。
「は?」
まだ陸と楓は喧嘩中だ。何もなければ楓は無視を決め込んでいただろう。しかし『人助け』をする人間特有の嗅覚だろうか、陸の異変にすぐに感づいていた。
「まだ開店時間じゃないんだけど」
「……ごめん」
楓は陸の顔を覗き込む。
「落ち込んでるの?」
陸は答えられなかった。しかし不安げな表情がすべてを物語ってしまっていた。
「悩み事があるの?」
目の前の少女は、陸が「助けて」と叫べば本当に助けてくれるだろう。喧嘩中であることとは関係なく、楓自身がどんなに嫌に思っていても『人助け』を優先する。そういう人だ。
陸のたった一言で、あっさり手を貸してくれるだろう。もしかしたら、ほとんど事情を話さなくても、二つ返事でオーケーしてくれるかもしれない。
そんな人間に頼ることが、陸は怖いと感じていた。
自己犠牲を強要しているのではないか。優しさを利用して、甘い蜜を吸っているだけじゃないのか。そんな考えが脳裏をかすめる。
(もし、そうだとしても……)
下唇を噛み、考える。自分が今一番怖いものは何だ、と。
自分の中のプライドや倫理観が言葉を押しとどめている。
「助けようか?」
心配気でもありながら芯の通った声音。楓が発したその声は、あまりにも優しすぎた。
「……助けて」
気づいたときには、差し伸べられた手を握りしめていた。涙を流しながら、言葉を絞り出していた。
陸には失いたくないものができていた。
陸の頭の中は日向ぼっこ好きの少女のことでいっぱいになっていた。
決して淡いものではなかった。
三日三晩も悩んで形作ったものだから。
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