チョメチョメ少女は遺された ~変人中学生たちのドタバタ青春劇~

ほづみエイサク
ほづみエイサク

第六十八話 堕ちたカラスは涙に弱い

公開日時: 2023年9月28日(木) 18:18
文字数:3,063

 外に出た音流は、目の前の光景に大きく目を見開いた。

 

 夕日の影が落ちる路側帯ろそくたいに、大きなカラスが倒れていた。

 

「カラス兄さん、大丈夫ですか!?」と呼びかけると、カラス兄は瞼を薄ら開いた。

 

 カラス兄はくぐもった声を漏らすばかりで、カラス兄は翼を強く打っており、血がにじんでいる。

 

 音流はどうしていいかわからず、何とかできそうな相手に連絡を取ろうとスマホを取り出した。

 

「楓さんに連絡を——」

『やめてくれ!』

 

 鬼気迫る剣幕に、音流は思わず動きを止めた。

 

『アイツには、言わないでくれ』

 

 今度は縋るような声だった。切実で愛情深い思いがこもっていて、無視できるわけがない。

 

「……わかりました」

 

 なら動物病院に、と提案しても『あそこは嫌いだ』と抵抗されてしまう。

 

『大丈夫だ。少し休めば治る』

「本当に大丈夫なんですか?」

『これぐらいのキズなんてことはない。妹の投げる石の方がよっぽど痛い』

 

 冗談なのかわからず、音流は曖昧に笑った。

 

「何があったんですか?」

『何もなかったさ。ちょっと飛ぶのに失敗しただけだ』

「ウソなのはわかってますよ。高笑いが聞こえてましたから」

『全く、もっと上品に笑えよ』

 

 カラス兄は苦々しい顔でため息をついた

 

「楓さんを守ってるんですか? あの人から」

 

 音流の脳裏には、『Bruggeブルージュ喫茶』で昨日起きた出来事がフラッシュバックした。青木祖母と、楓の大喧嘩だ。

 

(まるで蜘蛛の糸で作った綿菓子みたいな声だった)

 

 青木祖母の声は、聞き分けのない赤ん坊をなだめる様な声だった。一見優しくて包容力がある声だが、奥底には人を思い通りにさせる計算高さが潜んでいた。

 

 カラス兄は質問に答えず、顔を背けた。

 

「答えてください。楓さんを守ってるんですか?」

 

 もう一度訊いても頑なに何も答えない。しかしキョロキョロと泳いでいる目が、口よりも真実を語っていた。

 

「ケガするまでやるなんて……」

 

 音流の声を聞いて、ごまかしきれないと悟ったのだろう。カラス兄はポツポツと白状し始めた。

 

『老木に託されたからな。オレは老木に大恩がある。死んだからと言って無視するのははばかられる』

「老木って、楓さんの師匠ですよね」

『当たらずといえども遠からずだな。どっちかというと、第二の親と言った方が近い。……あいつは詳しく話してないのか?』

「そういう話はあまりしないですね」

『……そうか』

 

 カラス兄はしばらく何かを考えていたのだが、突然立ち上がった。

 

『もう大丈夫だ。心配をかけてすまなかったな』

 

 そのまま颯爽と飛び去ろうとしたのだが、音流に押さえつけらえて『ぐぇっ』とアヒルのような声を漏らした。

 

「あのおばあさんはちょくちょく来てたんですか?」

『ほぼ毎日——いや、そんなの、オレが知るか』

「来るたびに追い返していたんですか?」

『偶然、フンの下にいつもいるだけだ。間が悪い奴なんだろう』

「楓さんが嫌っている相手だからですか?」

『オレが気に食わないからフンを落としているだけだ』

「……もう言ってること矛盾してますよ」

 

 ハッとした後、カラス兄は露骨に顔を背けた。

 

「……カラス兄さんは優しすぎるんですよ」と音流は涙ぐみながら言った。

『人間が悲しむタイミングは理解できない』

「悲しいんじゃないんです。うれしいんです。愛おしいんです」

『……ハァ、お前の方が優しいだろ』

 

 カラス兄は居心地の悪さを感じ、この空気を何とかしてくれ、と嘆いた矢先だった。

 

「おーい、何をしているんだ?」と陸の呑気な声が聞こえた。しかしすぎにギョッとした。音流の涙ぐんだ顔をみてしまったのだ。

 

「なにが……」と言いかけたところで、カラス兄の羽に血が付いていることに気付いた。状況を察して、頭をそっと撫でると、音流はわずかにはにかんだ。

 

 すぐに切り替えて、カラス兄を持ち上げた。しかし、すぐに情けない顔をして

 

「どこに連れて行けば」と途方に暮れた。

 

 その様子を見て不安になったのだろう。カラス兄が身じろぎした。

 

『離せ。体を打ち付けただけだ。すぐに治る』

 

 そう言いながら逃げ出そうとしたのだが、傷の痛みで体を硬直させた。

 

「大丈夫じゃないじゃないですか」

 

 悔しそうに唸るカラス兄を尻目に、音流は連れていく場所を考え始める。

 

(『Bruggeブルージュ喫茶』は論外)

 

 飲食店にカラスが入るのは衛生面で厳しい上に、楓に見つかる可能性が高い。

 

(なら同志の家……いや、ダメ)

 

 陸の家には親も妹もいる。彼らに迷惑をかけるわけにはいかない。動物病院はカラス兄本人が拒否した。残る選択肢は一つしか残っていない。

 

「ウチの家に連れていきましょう」

「いいの?」

「今日はママもいないんで大丈夫です。多分、新しい男のところにいます。寂しがり屋なので」

 

 音流のママは中学生の親にしては若い。学生結婚だったこともあり、まだまだ結婚適齢期なのだ。パパと離婚した途端、寂しさを埋めるように夜遊びに出かけるようになっていた。

 

(友達と旅行に行ってくる、って絶対に嘘だよね。バッチリ化粧してたし、ハイヒール履いてたし)

 

 最近はママの背中を見ていないことを思い出して、ため息をつく。

 

(せめて本当のこと言ってよ)

 

 それでも今は都合がいい、と意識を切り替えることにした。

 

「でも、僕の家でも」

「同志の家族には迷惑を掛けられませんし、カラス兄さんも安心して羽休めできませんよ」

「……大丈夫なのか?」

 

 心配性な陸の顔を見て「大丈夫ですよ」と音流は笑顔を作った。

 

 すぐに顔を引き締めて、行動に移る。まずは上着を脱ぎだした。陸の「うわっ」という驚きの反応は今はどうでもよかった。

 

(暑かったけど、少し無理してオシャレしててよかった)

 

「カラス兄さん、ちょっと上着をかぶせます。見つかると面倒なので」

『羽根と匂いが付くぞ』

「それはファッショナブルになりそうですね」

 

『なんだよそれ』と諦めたように目をつむったカラス兄に、優しく上着をかぶせた。

 

「それじゃ、行きましょう!」

 

 音流が先頭になり、陸はカラス兄を抱きながらついていく。しかしすぐに隣にいないのが寂しくなって、陸の隣に移動した。

 

「ほら、そんなにビクビクしてたら逆に怪しいですよ」

「みつかったら困るのは日向だろ」

「そうなったらそうなったで、一緒に謝ってくださいよ」

「それは別にいいけどさぁ。もう共犯だし」

 

 共犯という言葉を聞いて、音流のテンションが一気に上がった。背徳的で特別な関係に思えて、気に入ってしまった。

 

「じゃあ今は同志であり、共犯者であり、恋人ですね」

「多すぎない?」

「多ければ多いほどいいじゃないですか」

 

 それからは無言で歩き続けていた。話す内容が無いというよりは、話す余裕がなかった。

 

 陸はずっと周囲を警戒していたし、音流は家についてからの段取りを考えていた。

 

 20分もしない内に音流が足を止めた。

 

「あそこがウチの家です」

 

 音流が指さしたのは、十階以上はあるマンションだった。

 

「はえー」

 

 陸は思わず感嘆の息を吐いた。まるで都会に初めて来たおのぼりさんのような反応だった。

 

「ほら、同志。置いていきますよ」

「あ、ごめん」

 

 マンションに入ってしばらくしてから、音流はおもむろに口を開いた。

 

「ウチのマンション、ペット禁止なんですよね」

「ちょっと!? 初耳なんだけど!」

 

 陸はとっさに上着にくるまれたカラス兄を見た。

 

「大丈夫ですよ。カラス兄さんはペットじゃなくて友達ですから」

「そういう問題じゃないだろ!?」

「見つかって追い出されたら、同志の家に住ませてくださいね」

「ちょ!?」

 

 陸は驚愕の連続で情けない顔になり、その顔を見て音流は上機嫌にニンマリしていた。

 

『友達……か』

 

 ひっそりとカラス兄が呟いているのを、誰も聞いていなかった。

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