球場を後にし、市民体育館に入った楓は、奇声を上げていた。
けたたましい声でとともに放たれたバレーボールは、ラインすれすれでバウンドした。
楓は中年女性とハイタッチをし、定位置へと戻った。
ターゲットは今、ママさんバレーに参加している。
「そうなのよ。楓ちゃんはね、本当にいい子でね、よくママさんバレーに出てくれているのよ」
明らかなオーバーリアクションを取りながら表情豊かに話す、おしゃべり好きなおばさんから聞いて、陸は
「へー、そうなんですね」と愛想笑いを浮かべた。
(あー、やってしまった)
陸はすでに察していた。この手のおばさんに掴まってしまったら、そうやすやすと逃げられないことを。
「いやー、楓ちゃんは私の若い頃によく似てるわ」
それから始まったのはおばさんの自分語りだった。その内容に真実みはなく、時系列もバラバラで、要領を得なかったため、必要な情報だけを抜粋する。
楓は最初、魚屋の女性店主の付き添いとして参加し始めた。魚屋は健康のためにと最初は意欲的だったのだが、ある日を境に全く来なくなってしまった。特に何かがあったわけではなく、突然熱が冷めてしまう人だった。結果、楓だけがママさんバレーに参加を続けている。
「楓ちゃんとってもいい子だから息子の嫁に欲しいぐらいよ。いや、あの息子には勿体ないぐらいだわ」
そういうおばさんの顔は、本気か冗談か判別つかなかった。おそらくは息子への愚痴に発展させるための切り口なのだろう。
(うわぁ、青木のヤツ、よくここにいられるな)
陸はたった10分でもうんざりした気持ちになっていた。
案の定始まった息子への愚痴を聞き流しながら、楓のことを目で追う。
(うお、あんなに高く跳べるのか)
楓の身体能力は、スポーツに詳しくない陸でも舌を巻くほど高水準だった。腰や膝を気遣って動く中年女性に囲まれているせいか、動きの機敏さが際立って見える。
(どこにそんなに体力があるんだよ)
楓は小学生達と野球をした後、ほとんど休みなくバレーボールをしているのだ。それでも疲労困憊にはなっておらず、動き回っている。
(これなら運動部から引く手数多だろうに)
陸は当事者でもないのに口惜しい気持ちになりつつ、楓の活躍を眺め続けた。
しばらくして、ホイッスルが鳴る。試合の結果は語るべくもないだろう。楓はチームメイトとおおばさんたちとハイタッチをした後、相手チームもまじえて雑談し始めた。おしゃべり好きなおばさんもそちらに加わり、陸はやっと解放された。
(あれはなんだ? 漬物……?)
楓はおばさんたちからタッパーやら袋に入った漬物を受けとっていた。チームに参加してくれたお礼か、それともただ単にかわいがられているだけだろう。
楓は何度も頭を下げてから、市民体育館から出て、陸も後を追う。
(あれ、どこに向かっているんだ?)
楓の向かっているのは『Brugge喫茶』の方向でもなく、町中に近づいているわけでもない。逆にどんどん離れて行っている。
しばらく歩いていると、景色から建物が消えて田園風景に変わる。
田んぼに囲まれた田舎道。ガードレールや街灯は設置されておらず、道路の幅も狭い。周囲からは虫のさえずりが聞こえ、何者にも邪魔されない風が自由気ままにふいている。
道路も田んぼも人間が管理しているものなのだが、自然の息吹が耳元で感じられる。
自然と人間の境界線のような空間。
そんなノスタルジックな光景の中、少女はゆったりと歩き、少年はラッパーの真似してクネクネ踊り続けている。実にシュールである。
ふと田んぼの中に、一つの建物が見えてくる。
(ここは確か……)
街はずれのここには、陸は普段足を踏み入れないのだが、そこにある建物には見覚えがあった。
(火葬場だ)
お祖父ちゃんの葬式で来たことがあった。朝早くに出棺したお祖父ちゃんを運んできて、骨に燃やした場所。陸は何となく切ない心持ちになって、一瞬立ち止まる。しかしすぐにハッとして、再度楓の後をつける。
(でも、ここら辺は火葬場しかないけど、何しにきたんだ?)
周囲は田んぼばかりで、民家も数える程しかない。不思議に思いながら様子を伺っていると、楓は火葬場の横にある空き地に侵入していっていき、陸はおっかなびっくりついていく。
そこは本当に何もない空き地だった。
誰も管理していないのか雑草が生え放題になっている。中央に大きな切り株が鎮座しているだけで、他に目につくものはない。
楓は切り株の前に座ると、手を合わせた。まるで墓前で祈るような動きだ。
(なんなんだ、これ)
空き地の手前で陸は尻ごみをしていた。なんだか立ち入りにくい雰囲気を感じていた。知らない人のお墓に入る時のような気まずさだ。
ポトン
頭の上に何かが落ちた。かぶっていた帽子をとって見ると、カラスの糞がついていた。とっさに上空を見上げると、カラスが飛んでいた。いや、正確にはカラス兄だ。
「ちょ、借り物なのに!」
陸はしゃがんで、フンを叩き落とそうとした。しかしシミが広がるばかりで手遅れだ。
そんな中、間近で声が聞こえる。
「ねえ、知ってる? 白い部分ってフンじゃなくておしっこなんだよ。フンは固形の茶色のヤツ」
「なんで今そんな話——」
顔を上げると、仁王立ちの楓が見下ろしていた。
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