チョメチョメ少女は遺された ~変人中学生たちのドタバタ青春劇~

ほづみエイサク
ほづみエイサク

第六十一話 家出と夜空と軽トラック

公開日時: 2023年9月21日(木) 19:18
文字数:2,735

 真綿で首をしめるような、鬱々とした日々が続いた。たまった暗い感情は不発弾となり、残り続けていた。

 

 10歳の誕生日に、それは爆発することになる。

 

 きっかけは些細なことだった。

 

 お父さんが誕生日パーティーの中で出てきた、たわいもない言葉が気に障った。

 

「お母さんも、あの世で喜んでいると思う」

「そうだね。お母さんも笑ってるよ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、仏壇に隠されていたビデオレターを思い出してしまった。その中には10歳の楓に宛てたものがあったのだ。当然のようにビデオレターの話は出ていない。

 

 ふと違和感を覚えた。線香の匂いがしない。以前は毎日のように線香をあげていたのに、今は月命日や盆正月などでしかあげていない。

 

 線香の匂いが無いせいか、ケーキの匂いが一層際立って感じた。

 

 ケーキの甘い匂いが鼻の中にまとわりついて、不快だった。目に見えない蜘蛛の巣を払いのけるように手を振りかぶる。

 

「そんなわけないじゃん」

 

 最初は小さな声だった。

 

 何を言っているのか聞こえなかったのか、二人は楓の顔を訝し気に見た。その表情が、ナイーブな少女の琴線に触れた。

 

「そんなわけないじゃん!」

 

 楓はヒステリックに叫んだ。

 

(お父さんもお姉ちゃんもずるい。母の――理咲さんのことを直接知っているから、言えるんだ。わたしは何も知らないのに)

 

 楓にとっては、写真の中だけで微笑む母よりも、小さいころに会った祖母の方が現実だった。

 

「わたしが殺したんだよ」

「何を言っているんだ?」

 

 おとうさんは目を見開いて、楓の顔を見ていた。本当に何のことを言っているか分かっていないのだろう。その顔がさらに神経を逆撫でする。

 

「お母さんだよ。わたしが殺したんじゃん」

「そんなことはない」

 

 おとうさんは優しく包み込むような声音で言ったのだが、楓の心には響かない。

 

「今日はお母さんの命日だよ」

「今日は楓の誕生日だ」

「わたしを悪い子だよ」

「楓は優しい子だ」

 

 問答を続ける程、胸の内から感情がせり上がっていく。

 

(なんで、この人たちは分かってくれないんだ)

 

「なんでそんなことを言うんだ」

「だって——」

 

 まだ幼い楓にとって、今の自分の感情をうまく言葉にできなかった。

 

(わたしが殺してないと思いたいわけじゃない。今が幸せだと認めたいわけじゃない)

 

 ただ、それはつらかったね、って言ってほしかった。優しくされるんじゃなくて、甘えさせて欲しかった。笑顔になりたいんじゃなくて、腕の中で泣かせてほしかった。

 

 そんなささやかな願いが、この優しい家族ではすごく難しい。

 

「楓、そんな顔をしないで」

 

 おとうさんの悲痛にまみれた表情を見た瞬間、弾けた。

 

「もういい!」

 

 気が付いた時には走りだしていた。

 

 もう家には居場所が無いように思えて、飛び出すしかなかった。

 

 後ろから叫び声が聞こえた。それでも振り切るように、走り続けた。

 

 どれくらい走り続けただろうか。疲れて立ち度また時には、知らない場所に来ていた。

 

 周囲には建物はなくて、田んぼが広がっていた。立っている場所は広めの農道だった。冷静になると、徐々に恐怖心が湧いてくる。

 

 知らない場所、誰もいない。周囲に光さえもなく、手には何も持っていない。

 

(わたし、家出したんだ)

 

 ようやく実感した。自分が何をしてしまったのか。

 

 少しでも光を求めるように、星空を見上げる。そこには星々が浮かんでいた。灯りがないせいか、普段よりもくっきりと見える。

 

(死んだ人はお星様になるんだっけ)

 

 それが本当だったら、母はあの大きな星だろうな、と指を差す。

 

「理咲さん、母、お母さん?」

 

 遺影の中の人物に対して家族とは思えず、どの呼び方もしっくりこない。強いていうなら他人行儀な"理咲さん"が一番呼びやすいだろうか。

 

 当たり前のように"お母さん"と呼べる家族の二人を思い出して、寂しい気分になった。

 

(わたしって、理咲さんのお腹の中から生まれてきたんだよね)

 

 何となく自分のお腹を擦る。そして想像した。自分のお腹が大きくなって、赤ちゃんが生まれて、自分と瓜二つの子供が成長していく姿を、だ。

 

(不気味だよね)

 

 まだ10歳の楓にとって、妊娠や出産というのは未知すぎた。妊娠したら子供出来て大変なことになる、ぐらいの漠然としたイメージだけで、フワフワした恐怖を抱いていた。

 

 ワオーン、と犬の遠吠えが聞こえた。

 

(お姉ちゃんとお父さんは何をしてるのかな)

 

 人肌恋しさのあまりに抱いた電柱は予想外に冷たく、楓はすぐに離れた。

 

(わたしの分まで、ごちそうもケーキも食べてるかな)

 

 テーブルに並んでいたオムライスやから揚げを思い出し、お腹がぐーと鳴った。

 

(帰りたくないなぁ)

 

 今は家族に会いたくなかった。謝られるのが分かり切っていたから。そして次の言葉を想像した。「生きてくれているだけでいい」なんて言いそうだ、と楓は苦笑いした。

 

(それもそれで切ないし、ちょっと怖い)

 

 そう思ってしまう自分が嫌で、生きているのすら面倒に思えてくる。

 

「もういっそこのまま……」

 

 楓は冬の海に入るような慎重な動きで、農免道路の真ん中に寝転んだ。

 

 夜のアスファルトはヒンヤリとしていて、固くて、すごく痛い。しかし目一杯に広がる星空の美しさが和らげてくれる。

 

「ねえ、聞いてよ。理咲さん」

 

 星に語りかけても、答えは返ってこない。

 

(お星さまの声が聞こえればいいのに……)

 

 そう考えた矢先だった。

 

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ、とと轟音が鳴り響きはじめた。

 

 軽トラックの走行音だ。

 

 ライトの光が近づいてくるのが見える。暗いせいで楓に気づいていないのか、減速する様子はない。

 

 楓はうごけなかった。『うごかなかった』ではなく『うごけなかった』。

 

 無機質な音を立てながら、高速で動く鉄の塊が近づいてくる。

 

 目が開きっぱなしで、心臓の鼓動で鼓膜が破れそうだった。唇は乾ききっていて、ひび割れている。全身から血の気が引いていき、体の感覚が遠くなっていく。息を止め、非現実的な光景を凝視しつづけることしかできなかった。

 

 一瞬、三途の川が見えた。隣には母の姿があり、荒っぽく突き飛ばされた。

 

 軽トラックは何事もなかったように通り過ぎていく。

 

 楓は全く動けなくなっていた。

 

 奇跡と言うべきだろう。軽トラックは、楓の真上を通り過ぎていったのだ。小さな少女の体はタイヤの間に納まり、衝突されることも轢かれることも無かった。

 

 引いていた血の気が戻ってくる。

 

 全身に走った緊張が抜けていき、その代わりに痺れが残る。

 

 止まっていた呼吸がゆっくりと再開される。

 

「はは、ははは」

 

 自分が生きていると実感した途端、心が崩れ落ちた。

 

 大粒の涙が溢れて止まらなくなった。

 

 わたしは生きている。

 

 生きているんだ。

 

 でも何もかもが怖くて仕方がない。

 

 お父さん。聞いてよ。

 

 お姉ちゃん。抱きしめてよ。

 

 理咲さん……母? ごめんなさい。悪い子でごめんなさい。

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