チョメチョメ少女は遺された ~変人中学生たちのドタバタ青春劇~

ほづみエイサク
ほづみエイサク

第八十四話 突き抜けた先にあるもの

公開日時: 2023年10月14日(土) 19:18
文字数:3,598

 まるで夢心地だった。

 

 全身が風船になったみたいに脚が軽い。

 

 鈴木陸と本音をぶつけあって、すっきりした。

 

 カラス兄に胸の内を打ち明けて、有頂天になっていた。

 

 さっきまで——老木が死んでから——感じていた鬱屈うっくつさはもうどこにもない。

 

 常に光明が見える。出口だろうか。あそこにたどり着く方法は簡単だ。

 

 突っ走ればいい。

 

 自分の気が済むまで。

 

 呼吸が出来なくなるまで。

 

 足がちぎれるまで。

 

 死にたくなるほどボロボロになりながらでないと、たどり着けない場所だ。

 

 でも、わたしはその光に魅了されてしまった。

 

 一度抱いた憧れは止められない。

 

 どこまでも突き抜けていくしかない。

 

 

 

 汗だくで、足裏がジンジンと痛んでも、楓は走り続けていた。

 

 苦しい。痛い。そう感じていても、進む足を止められない。自分が今からする行動を想像するだけで、心臓が高鳴って仕方がない。

 

 夏祭りのメインステージ。のど自慢大会。すでに一番手は歌い始めており、熱気が周囲を包んでいる。

 

(あそこに立つんだ)

 

 楓はにんまりと笑った。楽しみで仕方がない子供のような表情だ。

 

 ステージの裏へと向かい「あの、すみません」と声を掛けた。

 

「今から歌う曲を変えられませんか?」

「ん? 今更か?」

 

 反応したスタッフが振り向くと、本屋さんだった。楓のことを『気違い』と呼んだ老人だ。神経質そうな眉を動かしながら、差し出されたCDを受け取った。そしてCDのジャケットを見て、楓の顔をハッと見返した。

 

「本当にいいのか?」

「いいんです」

 

 本屋さんは楓の自信に満ちた顔を目の当たりにして、無表情のまま何も言わなかった。しかし楓の服装に視線が移ると、険しい表情に変わる。

 

「お前、その恰好……」

 

 今の楓は浴衣が破れ、所々が濡れすぼみソースで汚れ、頭に付けた仮面は割れている。明らかに何かがあった格好だし、人前に出れる状態ではない。

 

「順番を最後にずらすか。その間に着替えてこい」と言いながら、すぐに行動しようとした本屋さんを

「待ってください」と楓は呼び止めた。

 

 本屋さんから鬱陶しそうな瞳を向けられても、楓の態度は全く崩れない。

 

「すぐ歌いたいんです。我慢できないくらい」

「だが……」

 

 晴れ晴れとして、茶目っ気のある口調で言い放つ。

 

「これから歌う曲にはピッタリじゃないですか」

 

 自然と不敵な笑みを浮かべていた。

 

 本屋さんは、物珍しいものを見つけた時のように目を見開いた後、ニヤリと笑った。

 

「ああ、わかったわかった。任せておけ。最高のライブにしてやる」

「ありがとうございます」

 

 ヒラヒラとCDで旗を振りながら、本屋さんは奥へと消えていった。

 

 それから何分経っただろうか。楓はステージに呼ばれた。

 

 タタタ、と。

 

 ステージの上まで軽快にあがる。

 

 自分に向けられたライトの光に目が慣れてくると、ステージ上からの景色が見えてくる。

 

 視界いっぱいに観客が見えて、楓は舌なめずりをした。

 

(みんなから、わたしはどう見えているのかな)

 

 観客には見知った顔も多い。驚愕の顔。困惑の顔。好奇の顔。みんな楓の姿に驚いている。

 

 浴衣はスリットのように破れ、所々濡れたり、ソースで汚れたりしている。頭に付けた仮面は無残に割れているし、裸足からは血が滲んでいる。

 

 そんなみすぼらしい格好の上に鎮座するのは、吹っ切れた不敵な笑みだ。

 

 息を吸った瞬間、楓の頭の中に様々な思いがよぎった。

 

 こんな曲を歌えば迷惑になるかもしれない。『人助け』どころの話じゃないかもしれない。家族にも友達にも引かれるかもしれない。

 

(でも、そんなの知るか)

 

 何も知らずに頼んできた老人たちが悪いんだ、と心の中で不安を突っぱねる。

 

(これが歌えれば、それだけでいい)

 

 観客のざわめきを遮るように、音楽が流れ始めた。

 

 ♪!~♪!~♪!!!

 

 流れ出した曲は、のど自慢大会にしてはアップテンポ過ぎた。音の圧が強すぎた。

 

 民謡でもポップでもない。

 

 のど自慢大会での選曲では、ありえない曲だ。

 

(ああ、やっぱり――)

 

 心臓が高鳴って、一気に息を吸い込む。

 

「――――――――!!!」

 

 楓が絶叫したのは、ロックだった。メタルロックだった。

 

 好きだと言える唯一の曲。楓が毎夜のように聞いている、ちょっぴり激しい子守歌だ。

 

 マイクをスタンドごと持ち上げて、振り回した。

 

 これがわたしなのだ、と叫んだ。喉が切れても構わなかった。肺から空気が無くなってもお構いなしだった。

 全力で歌って息苦しい。それなのに、胸の中から喜びがあふれ出てくる。

 

(そうか。楽しいんだ)

 

 できなかったことが出来るようになるのが楽しい。

 

 モノ作りは楽しい。

 

 勉強は楽しい。

 

 料理や菓子作りだって楽しい。

 

 楽しい、なんてありふれている。なんでこんなことに気付かなかったんだろう。

 

(わかってる)

 

 ずっと罰だと思い込んでた。

 

 罰だから苦しまないといけない。辛くないといけない。そんな先入観が、罪悪感が、どんな楽しさも塗りつぶしていた。

 

(でも、今は違う)

 

 何もかもが軽い。

 

 心が風船みたいに膨らんでいく。

 

 頭が綿菓子みたいだ。

 

 ふわふわしてて、甘くしびれて、何も考えられない。

 

 息をするのも惜しい。高鳴る心臓が心地いい。

 

(この瞬間、まだ続いて!)

 

 視界が真っ白になる程、世界が輝いている。

 

(ああ、必死になるって、こんなに気持ちいいんだ)

 

 無我夢中の先にトンネルの出口が見える。

 

 くぐってしまえば、終わってしまう。もったいない。終わってほしくない。だけど、ワクワクのせいで足を止められない。

 

 駆け抜けて、飛び出して、快感が全身を突き抜けた。

 

(あア……!)

 

 絶頂だった。

 

 今までの人生がちっぽけに思えるほどの輝きが見えた。

 

・・・・・・・・・……――――――――――――――――――

 

「はぁ、はぁ、はぁ、アハ」

 

 歌い終わると、静かな現実に引き戻された。

 

 呆然とした観客が目に映る。家族の間抜けな顔もあった。でも、そんなことは全然気にならなかった。

 

 パチパチ、と大きい拍手が聞こえた。目を向けると、見知ったカップルが大きく手を叩いていた。

 

「サイコーーーーー!!」

 

 さらに、力強い声援が聞こえた。バレーボール部の部長が、目いっぱいに叫んでいた。その姿を見ただけで、自分の全てが満たされた気持ちになる。

 

 気持ちよさの逃げ場を求めるように、空を見上げた。

 

 晴れ晴れとしていた。夜空で星も見えないのに、晴天のように清々しかった。

 

 ヒラリ、と。

 

 空から真っ赤なモミジが舞い落ちてきた。そっと拾うと、それはカラス兄に渡した栞だった。

 

(うわぁ、ひどい状態)

 

 栞は見るも無残な姿になっていた。カラス兄の嚙み跡がついていたり、ラミネートフィルムが茶色く変色していた。これでもカラス兄としては大事に扱っていたはずだ。

 

(それだけの時間、わたしは止まっていたんだ)

 

 今なら老木の言っていたことがわかる。

 

『人助けをして生きていきなさい。君は——』

 

 わたしはバカ正直すぎた

 

 人助けを盲信していた。そうしなければならない、と自分に言い聞かせていた。でも、そういうことじゃなかったんだ。

 きっと、老木はわたしを人間の社会に戻したかったんだ。だから、わたしが人間に関わるように言い残した。

 

 それを理解した今なら、否定できる。

 

 わたしは『人助け』をしないといけない。

 

(そうじゃない)

 

 わたしは『人助け』をしないと受け入れられない。

 

(そうじゃない!)

 

 『人助け』をしないと、生きてる資格は無い。

 

(そうじゃない!!!)

 

 そんなのはただの思い込みで、世界は途方もなく広くて、好きに満ちている。

 

 それに、青木楓の居場所はもうあるのだ。今全身についている汚れが、歓声が、拍手が、それを教えてくれる。

 

 やりたいことを我慢してきた。

 

 見たいものを見て見ぬふりをしてきた。

 

 聞きたいものに耳を塞いでいた。

 

 我慢して、耐えて、殻にこもってきた。

 

 でも、もう抑えられない。あれもやりたいこれもやりたい。膨れ上がるワクワクを抑えられない。

 

(そっか)

 

 これがわたしなんだ。幸せなわたしなんだ。

 

(好きだ。何もかも好きだ)

 

 幸の薄い女の子が好きだ。バレー部の部長が大好きだ。

 

 ナイスミドルな男性が好きだ。用務員さんが好みだ。

 

 家族が、カラス兄が、モノ作りが、歌が、上達するのが——他にももっともっと——エトセトラエトセトラ——

 

(全部、大好きだ!)

 

 一瞬、母の顔がチラついた。生まれると同時に、殺してしまった母。

 

 罪悪感は今でもある。でも、それ以上に湧き上がる想いがあった

 

(ああ、生まれきて、産んでくれて、よかった……!)

 

 わたしはお母さんの一生分の愛を受けて生まれてきた。老木にも思いを託された。でも重くなんてない。それ以上に――

 

(わたしは、この世界が、みんなが、楽しいが、大好きだ)

 

 押しとどめてきた感情が、洪水のようにあふれ出して、視界全てを染めていく。

 

 やっと息を吐いて、吸った。空気がこの上なくおいしい。

 

(この瞬間、わたしを生かしてくれる空気も好きだ)

 

 司会の声に混じって、しゃくさわる声が聞こえた。

 

(今なら何でもできる)

 

 ステージを降りたその足で、楓はトラウマへと向かっていく。

 

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