『はいはい、次の動物が待ってるから』
キレイに豚の背中に乗せられて、楓はノシノシと運ばれていく。しかし揺れがひどくて、数歩も進まない内に振り落とされてしまった。
あまり高くない場所だったのと、地面が柔らかかったため、痛みはなかった。そして横を向くと、魅力的なものが目に映っていた。
『おっとすまない。……すまないと思っているが、触るのはやめてくれないかい?』
「……はっ!」
楓は無意識に豚のブヨブヨなお腹を揉んでいた。だが、想像していた感触と異なり、冷たくて固くて
「ビミョー」とついつい漏らしてしまった。
『勝手に触って、勝手に落胆しないでくれ』
「あ、ごめん」
そんな楓の奇行をよそに、動物たちは老木の根元に集まっている。まるで先生に集まる幼稚園児のようだ。
(え、すごい)
楓が驚いたのは老木の巧みな会話術だった。動物たちは我先にと同時に話しかけているのに、老木は言葉を的確に聞き分けて返答していた。
(そういえば、さっきのカラスがいない)
周囲を見渡すと、電線の上でポツンと孤立していた。ずっと老木と動物達を眺めていて、何を考えているかわからない。
(すごく大きいし、なんか偉そう)
カラスは遠目でもわかるほどの巨躯を誇っていた。周辺のボスガラスだと言われても信じてしまうだろう。羽はとても艶やかで、夜でもわずかに光って見える程だ。ちょうど月明かりが当たると、神秘的な雰囲気が醸し出される。
そんな姿を見て、楓は息をするのも忘れていた。
「カラスさん、ちょっといい?」
気づいたときには声をかけていた。
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、カラスは驚きのあまり電線から落ちそうになった。しかし何とか態勢を持ち直して、すました態度を取り繕った。
「カラスさん、聞こえてるよね?」
近づく楓を見て、カラスは隣の電線に飛び移った。
「カラスさーん」
さらに追いかけると、カラスは素知らぬ顔で違う電線に移動した。
「ちょっとおはなししよーよ」
また近づこうとした瞬間だった。
楓は鼻先を何かがかすめた。とっさに足元を見ると、カラスのフンが散らばっていた。
電線の上のカラスを睨みつけると『なんだ?』と挑発的な態度で鼻を鳴らしていた。それを見て、楓は頬を膨らませながら、足元の石を手に取った。
「フン!」
気合の入った一声とともに投げられた小石は、まっすぐにカラスの脚を打ち抜いた。カラスは突然の出来事に混乱して、電線から足を踏み外してしまった。
やってしまった、と後悔するよりも早く、楓は走り出した。一瞬で落下地点に到着して、下敷きになるようにカラスを受け止めた。
お尻の痛みを耐えながら、楓は腕の中のカラスを見た。パチクリと何度も瞬きを繰り返し、せわしなく首を回して動転していた。その仕草が面白くて楓は大笑いした。
『な、なんで、なんで笑うんだ!?』
カラスは状況を理解できず目を白黒させていた。
「仲良くなろうよ」
『は!?』
カラスは驚愕のあまり固まっていて、楓にとってはその仕草すら面白かった。
「わたし達仲良くなれると思う」
『何を考えてるんだ!? まさか落ちたのもお前のせいかっ!』
「だって逃げるから」
『バカか!?』
「バカでもいいじゃん」
楓のあっけらかんとした言葉に、カラスは驚愕で目を見開いた。しかしすぐに諦めたようにため息をついた。
『やっぱり人間なんてバカばかりだ。こんなところにいるべきじゃない。さっさと帰れ』
「じゃあ家まで案内して」
カラスはまた固まった。脳が小さいから思考に時間がかかるのだろうか、と楓は失礼なことを考えた。
『自分の家の場所ぐらいわかって当たり前だろ』
「適当に走ってきたから、ここがどこかわからない」
『……やっぱり人間はバカばっかりだ』
カラスはため息を漏らしつつ、楓の頭から飛び立った。老木の枝にとまると、動物たちは物珍しそうに見ていた。
『老木さん。この人間、帰り道が分からないらしい』
(あ、その手があった!)
希望が見えて、楓の顔がパァッと明るくなった。
『そうなのか。すまないね、儂は木だから他の場所のことはてんでわからないんだ。他の者はどうかな』
動物たちは一様に声を上げる。『わからない』と。
一瞬で希望を覆されて、ズーンと沈んだ気分になる。今度は一気に不安が押し寄せて消きて、膝を抱えてふさぎ込んでしまった。
「もうわたしは家に帰れないのかな」と不安げに漏らすと
『忙しい奴だな』と言いながらカラス兄が頭に乗ってきた。
カラスの重みを感じながらも、追い払う気分にはなれず、放置することにした。
『迎えに来る家族はいるんだろ?』
「……会いたくない」
『はあ?』
カラスは不思議そうに唸った。
「喧嘩したから、まだ会いたくない。でも家には帰りたい」
『わがままだな』
言い捨てられた言葉が、楓の心に突き刺さった。
「わたしって、わがままなの?」
『ああ、酷いわがままだ。矛盾したことを平気に求めている』
「そっか……」
"わがまま"と言われて楓は傷ついていなかった。それどころか、心の中でストンと落ちるものがあった。
(わたしってわがままだよね。そうだよね)
楓はいい子だ、とおとうさんとお姉ちゃんに何度も言われてきた。それ自体はうれしい事だったが、どこかで重荷になっていた。わたしはいい子でいないといけないんだ、と。だから、なるべく文句は言わなかったし、学校の勉強だってできる限りの努力をしていた。
でも、カラスに"わがまま"と言われて救われた気がした。ここでは"わがまま"でいていいんだ、と思えた。特にここには動物しかいない。どんなに
『何をニヤけている』
「なんか嬉しい」
『お前大丈夫か? オレはお前を貶したんだぞ』
訝し気に見るカラスに、楓はニヤついた笑顔を返した。
「カラスさんはわたしのこと、ちゃんと見てくれてるんだね」
余程予想外だったのか、カラスはポカンと口を開いた。長い間そのままでいたたため、羽虫が口の中へ入っていき、楓はそれを目で追いかけていた。
(カラスさん、さっきからずっと驚いてる。結構面白いかも)
やっと思考が追い付いたのか、カラスはハッと意識を取り戻した。
『人間……いや、お前は相当変わり者だな』
「変わり者は嫌い?」
『どうも思わねえよ。ただ話してて飽きないかもな』
「……そっか」
楓はおもむろにカラスを抱きしめた。『離せよ』と抵抗されても「ヤダ」と言って抱きしめる力を緩めない。最初、カラスは抵抗していたが無駄だと察して、大人しく少女の腕の中に収まった。
『"わがまま"だな』
「そう。わたしは"わがまま"なの」
『はあ、これだから"わがまま"な人間は……』
文句を言いきって、お互いに無言になった。しかし楓の顔は微笑んだままだ。
(不思議だ、全然嫌じゃない)
普段の楓なら沈黙が嫌いで、なんでもいいか話しかけていただろう。しかしカラスとの沈黙はなぜか嫌いではなくて、それどころか楽しんでいた。
そんな自分に気付いて、楓はもっと目の前のカラスと仲良くなりたい、という思いが芽生えていた。
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