テンノー陛下のご覚悟から数日後の午前6時。静寂がまだ広がる大日本帝国の一角、陛下が住まわれる皇居内の居室。そこにもぞもぞと蠢くお姿があった。
テンノー陛下は、普段着の甚平をお脱ぎになる。
いつもの祭事服ではない安物のリクルートスーツに袖を通し、ネクタイを締め、整髪料で髪を七三に分ける。
メイクを施し、男性的な顔立ちを中性的にする。
多少こなれた感が出た靴を履き、黒のビジネスバッグを手に扉を開ける。
そうして見れば、テンノー陛下のお姿は、どこにでもいるくたびれたサラリーマンと相違ない容姿に変わられたように見える。
「では行ってくる」
「お気をつけて!!!」
彼は従者に見送られ、颯爽と皇居の門をくぐり抜ける。向かうは『彼の職場となった』、中央ギルドである。
テンノー陛下のおやりになられていることは、非常にシンプルに言えば『潜入捜査』であった。何人もの人材が辞職願を届け出る中央ギルドは普段から人員募集をかけ続けている有様となっており、そこに偽りの書類をねじ込んでテンノー陛下を入社させることなど、彼の従者には極めて容易い行いであった。勿論、それは陛下ご自身の類稀なスペックあってのものであるが。
『上級国民ではあるが比較的下位の人間』として潜入したテンノー陛下は、早速入社後の雇入れ時健康診断を受け、会社もといギルド説明を受け、配属先の中央ギルド政治改革室へと送り込まれたのだった。
「本日より配属となりましたテンノと申します。よろしくお願い致します」
ぱち…ぱちぱち、ぱち。
まばらな拍手には理由がある。勿論、テンノー陛下のご尊顔が本人だと判明されていないが故のことではあるが、大方『新しいやつが入ってきたな。コイツは何ヶ月持つのかな』といった先輩職員の内情が如実に表れているからという理由もあるだろう。
挨拶周りが終わって自分の席に戻ると、ニタついた小太りの男が話しかけてくる。この100%悪役顔の男こそ、テンノー陛下の上司となるカスオだ。役職は課長。政治改革室の中では、室長に次ぐ役職である。カスオは早速テンノー陛下にお仕事を割り振ろうとやってきた。
「テンノ、お前何ができるの?」
「カスオ課長。余……いえ、私はパソコン仕事は得意です。Mord、Mxcelは勿論、資料作りから動画の作成までなんでもやってみせましょう」
「ふーん?じゃあ、とりあえずお前はこの仕事頼むわ」
ぽいっと、テンノー陛下の机に書類を投げつけるカスオ。ばさっと広がった机には、手書きのメモが殴り書きのように大量に記載されている。さらにもう1つぽいっと投げられたのは、小型のボイスレコーダーだ。
「こちらは?」
「こないだの閣議の資料だよ。俺らの仕事には、閣議の内容を一言一句違わず文字に起こして記録を作るってこともやるんだ。とりあえずそれやっといて」
「承知しました。あの、皆さんはどのように作業をされているんですか?」
「あ?そんなの自分で考えろよ。ボイスレコーダーあるんだから、適当に再生して書いてるに決まってるだろ」
「……分かりました。ありがとうございます」
「おう。お前も子供じゃないんだから、自分で考えて行動しろよな」
カスオは入社初日のテンノー陛下にそれだけ告げると、さっさと自分の席に戻ってしまった。取り残されたテンノー陛下は、慌ててカスオを追いかける。
「カスオ課長」
「なんだよ。俺忙しいんだけど」
「申し訳ございません。先程の仕事ですが、閣議記録のフォーマットはどちらにあるんでしょうか」
「あ?そんなの自分で考えろ」
「二度手間にならないためにもお教え頂きたいのですが……」
「ちっ、そんなの誰かにもらえ!おい!めんどくせえからコイツにフォーマット渡せ」
と、カスオの近くの席に座っている主任ポジションのギルド員は、カスオの命令を受けて閣議記録のフォーマットをフラッシュメモリにコピーした。フラッシュメモリを抜き取ると、そのままテンノー陛下に渡す。
「テンノ君、これ使って」
「ありがとうございます。あの、共有フォルダとかはないのでしょうか」
「共有フォルダ?ないない。うちは秘密文書が多いから、ネットワークに繋いじゃいけないんだよ。万が一エンターネット経由で外国に極秘情報が漏洩したなんて分かったら大変だろ?」
「そういうことなんですね。分かりました」
フラッシュメモリをお受け取りになったテンノー陛下は、そのまま自分の席に戻るかと思いきや、一旦トイレへと向かっていく。
――フリをして、誰も来ないであろう小部屋に駆け込むと、彼の従者に電話をかけた。
「すまぬ、大至急自動文字起こしツールをインストールしてくれ。あとは共有ネットワーク構築の準備だ。“青い恐竜の着ぐるみ”の人にも依頼をかけておけ」
『承知』
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