触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

魔法学院の落ちこぼれが、『スライム』と契約して『英雄』になるまで
塩麹絢乃
塩麹絢乃

外伝 5.英雄 その②:大移動

公開日時: 2023年3月4日(土) 17:00
文字数:4,772

 この数の難民を周辺都市だけで受け入れることは不可能と判断し、アレクサンドレッタの領主とも相談した上で、難民たちには更に北上して別の地域を目指してもらうことになった。


 出立の準備を整えた俺はアレクサンドレッタに残るブーケパロスに別れを告げる。


「ブーケパロス、この地のことは頼んだよ」

「ねえ……本当にシャーンドルが行かなきゃならないの?」

「……仕方がないだろう……」


 ブーケパロスは、未だ納得が行っていないようだった。しかし、いつまでも悩んでいる訳にもいくまい。難民たちは、今まさに困窮しているのだから。


「エリザベートが以上、俺がやるほかないんだ」

「駄々とは、随分な言い回しだねぇ」


 俺と同じく出立の準備を終えたらしいエリザベートが、他人事のように軽く茶々を入れる。彼女は、「難民たちの旗振り役リーダーはシャーンドルこそが相応しい」と言い出し、全ての差配を俺に押し付けてきた。


「私は、『英雄』たるキミにこそ難民を導く旗振り役リーダーは相応しいと、そう言っているまでなのだけれど。なぜ、理解してくれないのかな」

「――それが、無責任だというのだ!」


 感情的になって一喝するも、エリザベートは呵呵かかと一笑に付した。


「では、キミはその無責任な人間に難民の行く末を委ねたいと思っている訳だ。それはキミの世界だとには該当しないのかい?」

「エリザベート……ッ!」


 もはや、千人分の言葉を尽くしてもエリザベートの心には届かないだろう。


(ああ、そうだ。その通りだ、エリザベート)


 事ここに至っては、再び頭のおかしなエリザベートの手に難民の運命を委ねることこそ、この上なく無責任な行いである。


(俺は無責任ではいられない)


 かつて、俺は孤児だった。


 しかし、幸運にも祖国アルゲニアの男爵貴族に魔力を見出され、養子として拾われた。そこで俺は日頃、清貧なる父に口を酸っぱくして言われたものだ。


『高貴なるものの義務を遂行せよ』


 それは、貴族の家庭ならどこでも言われる普遍的な道徳教育だったのかもしれないが、俺は馬鹿正直にもこれを貫き通したいと思っていた。


 なぜなら、この世に正義が存在しないことを、弱者に対する救いの手がないことを、未だ路傍の片隅で蹲ったままでいる孤児の俺自身が認めたくないからだ。そのような正視に耐えないこの世の悲惨さを否定し、改善に努めたいと心の底から願っているからだ。


 ――俺の魔力はそのためにあるのだ。


「覚悟は決まったようだねぇ」


 エリザベートが、不満顔のブーケパロスを押し退けて難民たちの前へ歩み出る。


「皆の者、聞けェー! これより不世出の『英雄』――シャーンドル様が皆を『理想郷ユートピア』へ導く! 進路を北に取れェー!」


 地鳴りのような歓声が俺の耳朶を叩いた。


 竦みそうになる足を、誰かが後ろから支えてくれる。驚いて眼を落とせば、マネが触手を伸ばして俺の足に絡みついていた。


「なあ、シャーンドル。そう気負いすぎるなよ」

「……何にも気負えなくなった人生に何の価値があるというんだ」

「あるさ……ある、筈さ……」


 普段は何でも自信満々に言い切るマネが、この時だけは言葉を濁した。そのことを疑問に思えど、今ゆっくりと考える時間はない。


 俺は、自分の自由意志とは別の何かに衝き動かされる感覚の中にいた。


くぞッ! 皆の者、俺に付いてこいッ!」


 そして、俺は今日も先頭を行く。






 北上した先で俺たちはサマリア国へと辿り着いた。


 俺は、何とかサマリア国の諸都市に渡りを付けることに成功し、難民の受け入れを承諾してもらうことができた。受け入れてもらえなかった残りの難民は仮設住宅キャンプに住まわせ、ここを新たな街とする決意をしてもらった。


 仮設住宅キャンプにて、俺は全てが恙無く終わらせられるだけの段取りがついたことを祝して、一人、酒盛りに興じていた。


「――人間、やってやれぬことはないな!」

「おーう、ご機嫌じゃねえかよ。シャーンドル」


 マネが伸ばしてきた触手と、叩き落とすようにハイタッチする。


「当たり前だろう! 全てが上手く行きそうなのだから!」


 サマリアの人々もまた、良心的な心の持ち主たちだった。そんな人々に、俺の母国から出た負債難民を押し付けていることに、罪悪感を覚えずにはいられない。


 逃げ出すように酒をしこたま呑み、俺はになっていた。


 まだ、段取りがついたに過ぎない。やることは山積みだ。各都市との調整も依然として続けなければならないし、この仮設住宅キャンプが街と呼べるようになるまでは相当な労力を要するだろう。手伝ってくれるという現地の人々のためにも、早急に成し遂げなくてはならない。


「――クソがッ!」


 俺は人助けのつもりで、他人に迷惑ばかりかけている。その事実が耐えられない。


 だが、見捨てるなんてことは絶対にできない。


 ピキッと手元から音がする。魔法士カラギウスの怪力が、金属製の杯を手中で軋ませていた。


「……シャーンドル、割り切るしかねえよ」

「割り切れる訳がないだろう! 俺が助けたいのは難民だけじゃない! この地に住む人々にも幸せになってもらいたいんだッ!」


 呑んでも呑んでもやりきれない。酔いが深まっても、不安は消えるどころか増大する一方で、今にも押し潰されてしまいそうだった。


 エリザベートのことも気がかりでしょうがない。彼女はサマリア国に辿り着いてからというものアッチへふらふらコッチへふらふらと気ままに漫遊していたかと思えば、『暫く留守にする』と書き置きを残して消息を絶った。今は一体どこで何をしているのか。その行方は杳としてしれない。


 最近はあまり眠れなくなった。だから、余計に酒なんて呑んでいる。


「クソッ! 俺は荒れている!」

「見りゃ分かるよ。もう、その辺にしとけ。体に障る」

「あっ、マネェ! 何をするんだぁ!?」


 マネの触手が俺から酒を遠ざける。取り返そうと手を伸ばすが、べろべろに酔った俺の手足では取り返すだけでもなかなか難儀だった。


「酒を呑ませてくれぇぇぇぇ……! それができないならいっそ溶かしてくれ! ひと思いに溶かしてくれよぉぉぉ……!」

「無理だよ、オレ様の体はお前の魔力で出来てんだから。知ってんだろ。……お前、酔うと頭おかしくなるよな」


 本当に狂えたらどれだけ楽だろう。そんな出来る筈もないことばかり考えてしまう。非生産的だ。


 その時、ふと俺の肌を撫でる風があった。


「――酔いがさめた」

「嘘つけ」

「本当だよ。ブーケパロスの魔力を感じた」

「え?」


 それから暫くして、マネも近づいてくるブーケパロスの魔力を感じ取ったらしく、体組織をぷるぷると震わせた。


 ガチャリ、としめやかに扉が開かれる。以前ブーケパロスと再会した際に合鍵は渡してあり、自由に入ってきて良いと伝えてある。この通り近付いてくれば分かるから、変に警戒する必要もないという訳だ。


「スゲー、お前ってめちゃくちゃ感覚鋭いのな。〝魔界〟でもこのレベルは中々いねーぞ」

「ありがとう。今まであんまり披露する機会がなかったけど、数少ない俺の特技なんだ」

「……何の話してるの?」


 なんでもない話だよ、と部屋に入ってきたブーケパロスに答える。俺は早めに彼女の来訪に気付いていたこともあって、すっかり身なりを整えていた。マネ以外にあんな醜態は見せられない。


「しかし、急にどうしたんだ? 来るなんて聞いてなかったよ。向こうは大丈夫なのか?」

「……緊急の用事なの」

「緊急?」


 聞くと、ブーケパロスは顔を曇らせ逡巡した様子を見せた後、俺の胸に飛び込んできた。


「お願い……もう私、我慢できない……」

「ど、どうしたっていうんだ? 向こうで何があった?」

「エリザベートをどうにかして! アイツ、また難民を連れてきた! 今度は海から!」

「何だって……!?」


 居ても立ってもいられず、俺はすぐさま仮設住宅を飛び出して馬に飛び乗った。ブーケパロスの案内で海辺を目指す。何かの間違いであって欲しくて、眠気も忘れて馬を駆った。


 だが、そんな俺の望みを嘲笑うかのように、辿り着いたヨッパの港には朝日に照らされた見渡す限りの大船団が係留されていた。


「……ふざけるなよ」


 今度は何人居るんだ。すぐに数え切ることはできないが……前の二千より多いのは確実だった。


 ヨッパの街を取り囲むように点々と焚火が灯り、その光に照らされて石の裏にたかる虫のような群衆が闇に蠢くのが確認できる。


 俺は呼吸も忘れて呆然とその場に立ち竦むしかなかった。


 顔色を見れば分かる。生きるか死ぬか、そんな生死の境目を越えてきたものは眼に映る限りいない。


 これは難民じゃない。戦火に巻かれ、食うに困って『理想郷ユートピア』の幻想に縋るしか生きる術を見出せなかった困窮者では断じてない。


 ただ、世の中の小さな不満から逃げ出してきた甘ったれの食い詰め者どもだ。


 俺は竦み震える足を蹴り出し、焚火を囲む男たちへ話しかけた。


「なあ、お前ら……どうやってここに来た?」

「なんだい、あんちゃん。ここの人……じゃねえか! 肌が白いもんな! ガハハハ、先に来てた奴らか?」

「……そうだ」

「エリザベート様がお導きくだすったんだよ! ここには英雄サマが居て『理想郷ユートピア』があるってな!」


 聞くと、他国ではそのような噂が広まっているようだった。そして、エリザベートはその噂を助長させることによって、自ら労することなく彼ら移民をこの地へ誘導したらしい。


(なんてことをしやがる……!)


 その時、ヨッパの街の方角から一頭の馬が慌ただしく駆けてくる。よく見ると、移民たちの間を他にも複数の馬が走り回っていた。馬上の人物はきょろきょろと辺りを見回し、そして俺たちを見付けると迷いなく一直線に近付いてきた。


「お迎えに上がりました。シャーンドル様、ブーケパロス様……そして、様」


 彼はあまり馴染みのない服を着ていたが、それがこの地の土着信仰における『祭服』であるとは聞き及んでいたので、俺は彼が聖職者であることを理解する。そして、「アブズ様」という存在が彼らの信仰対象――『エロア』であることも。


「チッ……」


 舌打ちをしたのはマネだった。


 そうだ、ブーケパロスは使い魔ソキウスを喚び出していない。なので、この場に居るのは俺とブーケパロスと……マネしかいない。


 つまり、マネの本名は……。


「できれば、オレ様から明かしたかったんだがよ……バレちまったんなら、しょうがねぇか」

「アブズ様……! では、本当にアブズ様なのですね!」


 膝をついてマネを拝む彼は、懇願するように手と手を組み合わせて祈る。


「どうか……どうか、我々をお導き下さい……! ヨッパの領主が殺されました……!」

「なんだって……!?」

「難民との間に諍いが生じ、口論の果てに難民が剣を取ったようです……!」


 大変なことになった。これまで小さな諍いこそあれど、それが難民と現地民の大きな対立にまで発展しなかったのは、偏に現地民側に良心があったからだ。


 人死が出たとなれば……それも領主が死んだとなれば、現地民の中から悪感情が噴出してもおかしくない。もし、報復でも起ころうものなら、それは全ての終焉を告げる合図となるだろう。


 報復は更なる報復を呼び、血で血を洗う闘争がこの平和な地を覆い尽くす。


 凄惨な想像は無視し得ぬ現実味を帯びており、俺は絶望の淵に叩き落される寸前であることを理解した。


「……シャーンドル、お前が決めてくれ」


 ふと、マネがそんなことを言った。


「マネ……いいのか? この地の人々は、もとはお前の――」

「オレ様には、もうその資格がねぇ。。今は〝魔界〟の一住民に過ぎねぇ……ただの使い魔ソキウスだ」


 これはマネの責任逃れだと、賢しげな俺の頭脳は告げていた。しかし、誰がそれを咎められようか。契約者である俺は、マネの後悔を痛いほど感じ取っていた。


「……どうにか、争いを止めよう。それしかない」

「でも、どうやって……?」


 不安そうに俺を見上げるブーケパロスに対し、俺は何ら有用な言葉をかけてあげることができなかった。


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