気を失ったスタテイラは、ロクサーヌ一派の手で丁重に馬車の荷台へと載せられた。
ファラフナーズ、スタテイラとの二連戦ですっかりボロボロになった服を着替えた私は、馬車の御者台の方へ回り、そこで退屈そうに頬杖をついていたコーネリアに声をかける。
「それじゃ、コーネリア。スタテイラを客殿まで送り届けて頂戴ね! くれぐれも安全運転で頼むわ!」
「うるっさいわねぇ、約束は守りなさいよ」
「はいはい」
約束とは、この場の人払いとスタテイラとの果し合いを見守ってくれたことに対する報酬のことだ。色々と協力してくれた彼女たちには、このベレニケで行われていたこと――王党派の動きなど――を可能な限り教える約束となっている。
コーネリアが一つ鼻を鳴らし、慣れた手綱さばきでピシャリと馬の背を打つ。すると、馬車は緩やかに走り出した。口ではどうのこうの言いながらも、積荷を気遣ってはくれるらしい。
(しかし、コーネリアはなんでも出来るのね。すっごい器用)
御者まで出来るなんて。
馬車には、スタテイラを載せた時に何人か付いていってくれたようだし、向こうは心配しなくていいだろう。
安心すると力が抜けてきて、私は崩れた石壁に腰掛けた。まださっきの余韻が抜けきっていない。ここまで戦いを通じて深く通じ合ったのは初めてだ。やはり、スタテイラと私は根っこのところで似た者同士なのだろう。
「リンさん、とても良い勝負でしたわ! 見ている方も昂ぶってしまいましたわー!」
煩いのが余韻をぶち壊しにやってきた。ロクサーヌは興奮気味に鼻息を荒くし、空気を相手にシャドーボクシングを始める。
協力してもらった手前、無下にもできない。私は仕方なく疲労を押して対応した。
「……今日はもー、勘弁してよ。予定もあるんだから」
「では、全部が終わって……夜あたりなら、いかがでしょう?」
「無理無理、死ぬって」
ここに来る前にファラフナーズとも闘ったことを伝えた筈だが、もう忘れたのか。
ゴネるロクサーヌを適当にあしらっていると、馬車を見送りに行っていたミーシャが戸惑いがちに戻ってくる。こちらに残ったのはロクサーヌとミーシャの二人だけだ。
「あら、ミーシャ。どうかした?」
「あ、あの……! リンさんから預かってたコレが……」
ミーシャはこちらに駆けながら、手元の小型の魔道具を掲げる。あれは月を蝕むものを探知する『魔力偏差検出器』。昨日、ナタリーさんから受け取った廉価版の奴だ。
(――近い)
計器が反応している。私は「気を付けて」と注意喚起しようとしたが、残念ながらそれは声にはならなかった。
「ミーシャ!」
なぜなら、その前にミーシャの体が左右に泣き別れてゆく決定的な瞬間を目の当たりにしてしまったからだ。
遅れて気づいたロクサーヌも驚きの声を上げる。
「ミーシャさん!? それは――!」
「えっ、きゃあああああああああああ!」
ミーシャの悲鳴を聞いた私はすっかり平静を失い、これが敵襲だと分かっているにも関わらず、不用意にもミーシャのもとまで駆け寄ってしまった。幸いにも、私への攻撃はなかった。
「ミーシャ、ミーシャ! そ、そんなっ――!?」
「リン、落ち着け。ロクサーヌも。ミーシャは生きてる! 生きてるぞ」
「はあ!? 生きてる!?」
ミーシャの脈をはかり、マネの言葉が事実であることを認識すると、混乱しかけていた頭も落ち着いた。
「えと、あの、私、どうなってるんでしょうか……! か、からだが、上手く動かせません……!」
左右に泣き別れてしまっても、どういう訳かミーシャは生きていて、元気に話している。なら、そう心配はいらない。
考えるべきは敵の正体と攻撃のタネについてだ。
周囲の警戒は、マネの言葉で落ち着きを取り戻したロクサーヌがやってくれている。その間に私が考えよう。
「ミーシャ、大丈夫よ。落ち着いて、私がなんとかする」
「リ、リン……さん……」
「魔法は使える?」
「む、むりです……魔力の流れが阻害、されてて……」
「ふーん、魂をぶった斬られたのと似たような感じ?」
ミーシャは二つになった顔でぎこちなく頷いた。
「そう」
敵は月を蝕むもので間違いないと思われる。民宗派か、『寄合』か……いや、所属は今は問題じゃない。目的の考察も後だ。取り敢えず、除こう。それから拷問でもすれば良い。
「どうしてか、姿は見えないけど。幻覚……かしら?」
「少なくとも、攻撃は幻覚じゃないぞ。オレ様の眼にも、ミーシャは泣き別れているように見えてる」
「アンタのどこに眼があるのよ」
私はミーシャの傷口をじっと観察する。
矢状面でスパッと両断されている傷口の断面は黒一色で、内蔵は露出していない。血も流れておらず、鋳し固めた金属インゴットのような硬い質感で、真っ平らになっている。
「リンさっ……どこ、触ってっ……んぷっ」
そして、触った感じ二つに別れたように見える皮膚も衣服も、離れているようにみえて実は繋がったままだ。一方の衣服を動かせば、もう一方の衣服も引っ張られて動く。鼻や頬、唇を動かしても同様だった。
ということは、ミーシャの体内を巡る血液や呼気・吸気なども、問題なく巡り続けていると見て良いだろう。でなければ、もうとっくに死んでいる。
つまり、この断面は召喚門のような空間魔法だ。
(なぜ、殺さない……? これほど高度な魔法を用いてまで……)
視界の端で、地面に転がった『魔力偏差検出器』の計器が揺れ動くのが見えた。
「ロクサーヌ、そっち行ったわよ!」
「そ、そう仰られましても……見えないことに、は――!」
辺りを警戒していたロクサーヌだったが、気配すらない敵の攻撃を前に敢えなく後ろからバッサリと斬られてしまう。ロクサーヌの身体は横断面で切断され上下二つに泣き別れた。
しかし、その際に放った苦し紛れの抵抗が功を奏した。
ロクサーヌは斬られると同時に体を捻り上げ、めくらに拳を繰り出しており、敵と相討ちのような格好になる。そして、反撃の拳を叩き込まれた見えない何者かが廃屋の壁に突っ込んだ。
「やった!?」
「いいえ! 少し掠めただけですわ!」
「……くそっ!」
思わず悪態が漏れた。ロクサーヌはもう戦力として数えられない。だが、文句を言っても始まらない。彼女は精一杯にやってくれた。プラスに考えよう。今ので、敵が確かな実体をもって〝人界〟に存在することは分かった。
――なら、斬れる。
「おい、やべえぞ、リン。逃げろ……っても、無理だろうがよぉ。……どうするぜ」
「決まってるでしょ……斬るのよ」
こっちには神の目こと『魔力偏差検出器』があるのだから、そのおおよその位置も割り出せる。もう一度、来てみるがいい。次は斬ってやる。
だが、敵だってその頼みの『魔力偏差検出器』を放ってはおかない。
「大丈夫か!? その地面に転がってる魔道具! 例の奴だ、我々の位置を探っているぞ!」
「……分かっている!」
廃屋の何者かがそう応えたかと思うと、どこからともなく二つ、三つと銃声が響き渡る。
「あ、あぁ! 魔道具が破壊されてしまいましたわ!」
地面に這いつくばるロクサーヌが呻いた通り、神の目の計器が銃撃によって破壊されてしまった。
「これで良し。この場は俺に任せて、お前は別を潰せ」
「了解した。しくじるなよ!」
「任せておけ、後は魔力量の少ない雑魚だけだ。――より良い国家を築く為に」
「――古き『神々』の為に」
「「――そして、人類種の未来の為に」」
西方の建物の影から異形が走り去ってゆく。二人組だったのか。
(この欠陥魔道具め! いくら廉価版だからって、一度に一つの標的しか追えないの!? そんなことだから、いつまでも無名なのよ糞技師め! 犬だってもっと賢いわ!)
荒れ狂う内心の怒りを押し殺し、私は小声で囁いた。
「アリエル、あれを追いなさい。そして、ナタリーさんに現状を伝えて」
返事はなかったが、すぐに一陣の風が耳元を駆け抜けてゆく。この窮状を理解し、私の監視を保留して追ってくれたのだろう。そう信じるほかない。
(さて、どうしたものかしら……?)
観察して分かったことがいくつかある。
一つ、アリエルが無反応だったことから敵は風の動きをも誤魔化して移動できること。二つ、足音を立てずに動けること。三つ、それでもロクサーヌが殴れたことから実体そのものは有していること。四つ、銃を私たちには向けていないこと。
以上の事柄から、敵は実体と非実体を切り替えて近接攻撃を仕掛けて来ており、なおかつ無力化が目的で殺す気はないと推測できる。そして攻撃時、こちらに干渉する時は(恐らくは)実体を現す必要がある為、ロクサーヌの反撃は通った。
それらの特徴から察するに相手は妖鬼か、透明獣の力を借り受けた月を蝕むものといったところだろう。
そして、さっきの口ぶりからして『寄合』ではなく民宗派。掃滅作戦によって炙り出された窮鼠の残党たちだ。
自らの最期を悟り、消える寸前の蝋燭よろしく爪痕を残しに仕掛けてきたのか? もしそうなのだとしたら、巻き込まれた側としては良い迷惑だ。
(懸念的中……全く、生徒を肉壁にする決定をした奴は誰だ!? こうなることが分からなかったとは言わせない……! 事が済んだら、覚えてろ……ただじゃおかないから……!)
さておき、敵の正体が割れたところで、私の取るべき手段は一つしかなくなった。
(――待つ)
幸いにして地の利はこちらにある。ロクサーヌがやったように、上手いこと反撃を食らわせる。それしかない。
「あ、あぁ……わたくしの体があんなに遠くにありますわー!」
「もう、ロクサーヌ。静かにしてて! 敵をぶっ倒せばそのうち戻るわよ……たぶん」
「たぶん!? たぶんでは困りますわー!」
「気が散るってんのよ! 黙ってて!」
「はい!」
返事だけは良いんだから。
その時、相手の方に動きがあったようで『魔力偏差検出器』から音がなった。まだ、生きてる機能があったらしい。接近警報だろうか。音によると、見えない敵はどんどん私の方へ近付いてきている。
焦燥の炎が背中をチリチリと焼き焦がすのを歯を食いしばって耐え、確実に反撃を当てる為にギリギリまで敵の動きを考察し続ける。
ミーシャの時も、ロクサーヌの時も、敵は常に背後から攻撃してきていた。考えてもみれば、それは当たり前のことだ。見えないからといって正面から攻めれば、さっきのロクサーヌのように相手が咄嗟に繰り出した反撃を食らいかねない。
(ならば、やはり今度も後ろから……?)
チャンスは一度きり。決して悟られてはいけない。巧妙に、狩られる羊の体を装うのだ。その時がくるまで。
一瞬のチャンスを逃せば、私も地面に転がる彼女たちの二の舞となり、身動きの取れぬまま辛酸と砂を喰むことになる。そんな、決して望ましくない未来を想像すると、なぜだか却って腹の底から勇気と力が湧いてきた。
(そういえば、私のことを『雑魚』とか言いやがったよな……あんまし、舐めてくれるなよ!)
――私は天才だ!
先程、ミーシャを斬ってからロクサーヌを斬るまでの時間を私はしっかりと記憶していた。それを廃屋と現在地にも適用しつつ接近警報の情報も加味し、脳内で敵の到着時間を推し測る。
(タイミング――今!)
振り向きざまに剣を振るう。大きく、大きく。なるべく広範囲を通過するように。
(斬っ――て、ない!)
タイミングを逸し、敵が攻撃する前に攻撃してしまったか。そう思った時、頭上から勝ち誇ったような声が聞こえた。
「残念、上だ」
……なるほど、背後からの攻撃は一度ロクサーヌに反撃を食らっている。妖鬼の月を蝕むものなら、重力の縛りなんてあってないようなもの。ならば、次はより安全な頭上から……という訳だ。考えたな。
だが――。
「残念、上もよ」
その程度は予想の範疇だ。直後、足元の地面を突き破り、無数の刀剣が空へ向かって一斉に打ち上げられる。
「なッ……がぐあァ――!」
地の利はこちらにある。さっきからずっと、私は坑道の入口の上に陣取っていた。そして、密かにアメ玉をマネに供給し、坑道に隠しておいた武具を集めさせ、それら全てを上空へ向けて射出させた。
「読んで……いたのかッ……!?」
「いいえ、頭上から来るのを読んでいた訳じゃないわ。空振りした時の『保険』を打っておいたまでのこと」
マネに食い破られポッカリと足元に開いた入口の穴から地下の坑道に落ちないよう、マネに足場代わりになってもらう。周りの地面に触手の杭を打ち込ませれば、それだけで私の軽い体重ぐらいは余裕で支えられる足場の出来上がりだ。
透明化の剥げた市民風の青年が落下してくるのを見ながら、私は空中を歩くようにマネの体組織の足場を踏んで入口の穴の上から地面に降り立った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!