4.決着
「グィネヴィア、その柱を凍らせて! そこが軸になってるから!」
「――はあ!? どの柱!?」
糸電話の糸のように伸びるマネの体組織からグィネヴィアの怒声が伝わってくる。今回はアメ玉・魔石ともに潤沢な備えがあるため、このような体組織の消費が激しい使い方も躊躇うことなくできた。
そのままグィネヴィアに繋げると彼女を溶かしてしまうので、ステンレス鋼で作った耐腐食性のあるナイフを持たせてある。ステンレス鋼は、不働態皮膜といって酸化した表面が膜となり、バリアの役割を果たすため耐腐食性があるのだ。
マネはそのナイフに繋がっており、私とグィネヴィアの声を交換する伝声管の役割を果たしてくれている。
私は頭の中の図面とマネの伸び具合を照らし合わせながら、更に指示を飛ばしてゆく。
「えーと、いまのところから見て右! いや、違うって、それじゃないそれじゃない。その左の……だから、違うって!」
「あ~、もう! こうすれば解決だろう!?」
ドン、という衝撃がマネの体組織を通じて伝わってきた。グィネヴィアが何をしたかは明らかだ。その部屋の柱という柱を丸ごと全部凍らせてしまったのだろう。
「……まあ、それで魔力が枯渇しないっていうなら何でも良いわ。次はこれから進む扉を除いた全部の扉を凍らせてくれる?」
「やったわ」
仕事が早い。全くもって羨ましい限りだ。それほどまでに素早く、大規模な魔法を連発できるだなんて。蓋をしていた嫉妬心にまたぞろ大きな火が灯りそうだった。
それからも、さっきと同様に軸と扉の凍結をグィネヴィアに指示しながら、並行して私自身も動き出す。
(とにかく、まずはロクサーヌを迎えにゆく……!)
今のままでは駒数が足りていない。ロクサーヌという大駒なしに詰めきれる相手ではない。
「全く……マネがキチンとロクサーヌの動向にも目を光らせていてくれりゃあね!」
「無茶言うな! ただでさえ仕事量が多すぎて脳ミソが焼き切れそうだってのに、そんなところまでカバーできるかァ!」
「アンタに、ミソもクソもないでしょうが!」
来た道に残してきたマネの体組織を辿りながら、私は最後に彼女の姿を確認した地点を思い出す。それは確か、ちょうど三部屋ほど戻った時に振り返ったのが最後の筈だ。
大急ぎでその地点にまで戻ると、そこには息を呑むほど凄惨な光景が広がっていた。
「これは……」
道中で私が斬り伏せてきた民宗派構成員の頭部が、皆一様に潰されていた。点々と床に広がる赤色は、まるで輸送馬車の積荷から転がり落ちたスイカが轍を赤く彩るかのようだ。
間違いなく、ロクサーヌの仕業だろう。
(手心を加える余裕すら今のロクサーヌにはないか……)
奇しくも、頭部の潰れた死体がロクサーヌの足跡を示す道標のような役割を果たしていた。死体は、ある地点から私が進んだ道とは別の道に進んでいる。
(回転ではぐれた訳じゃなかったのね)
考えてもみれば、マネの体組織が回転に巻き込まれた気配はなかった。恐らく、回転で流されてきたのはグィネヴィアの方だったのだろう。しかし、この際それはどうでもいい。
今考えるべきは、そんな精神状態のロクサーヌがここで頭部を潰すのを止めてどうしたかということ。
「あっち……よね」
そこには大きくひしゃげた扉があった。どんな馬鹿力をぶつけたらそうなるのか、紙を丸めたようにくしゃくしゃに折れ曲がった扉が、きいきいと音を立てて頼りなさげに揺れていた。
その扉のひときわ深く窪んだところには、ありありと靴裏の跡が残されている。ロクサーヌは、あの扉を蹴破ってその先へ向かったらしい。
ここで、マネの体組織を通じてグィネヴィアの声が響く。
「――リン、敵を掃討した。次はどこを凍らせればいい?」
「柱を全部。扉はもう良いわ。それと――これから少し指示が出せなくなる」
「どれくらいだ」
「……一分」
「了解した。それまでは敵の掃討に専念するとしよう」
一分、とは我ながら大きく出た。私の脳内演算ではそれで事足りるという目処が既に立っているとはいえ、口にしてしまったからには実現させなくてはならない。
(――解放!)
壊れた扉を蹴破るようにして、私はその扉の先――『実験体処理室』へ踏み込んだ。
部屋の中に飛び込んでから地面に着地するまでの僅かな数瞬で、中の状況を全て把握する。
濃厚な血の匂いと僅かな薬品臭、天井を這う得体の知れないパイプ群と換気ダクト、めちゃくちゃに荒らされた実験器具と資料、部屋の隅で縮こまる実験体らしき少女、そして点々と地面に続く死体、死体、死体。
しかし、さっきまでの死体と違うのは、その死体たちの損壊部位は頭部だけに留まらず、高山から滑落してきたかのように全身がめちゃくちゃにされていた。
(ここの死体は職員風のものが多数……だけど、向こうにはちらほらと異形の死体が続いているのが見える)
私は迷うことなくその異形の死体が続く方へ進路を取った。そちらの死体の方が比較的新しいように見えたからだ。
小刻みに解放を使って異形の死体を辿りながら、左右の部屋にも目を配る。それはどこか見覚えのある光景だった。
収容所――いや、それよりも処理室の名の通り、屠殺場や処刑場の光景に近いかもしれない。
ここは、異形が『定着』しなかった失敗作の月を蝕むものたちを解体し、調査し、そして処理するための場所。
定着の成否を分ける要因は統計によって明らかになりつつある。だが、その原理に関してまでは、いかに『天才』といえど未だ解明には至っていないのだとか。
処理室のことは、あらかじめ説明を受けていたので衝撃は少ない。民宗派が〘人魔合一〙の術を急激に発展させた背景には、こういった非人道的な人体実験の数々があった。
(どいつもこいつも、血なまぐさい匂いをぷんぷんさせやがって……そんなに血が好きか?)
ならば、お望み通り血祭りに上げてやろう。血と肉と骨を渾然一体となるまで切り刻んでやろう。原形が分からなくなるぐらいに叩き潰してやろう。立ち込める血漿の匂いに酔いしれながら死ね。
だが、今は――ロクサーヌだ。
柄でもない義憤は心の奥底に仕舞い込み、ロクサーヌの痕跡を探る。
すると、今度は地面に血の足跡が残されていた。血を踏んでから歩いたのだろう。足長27cm、足幅11.5cm、歩幅はもっとも大きなところで5m。まるで飛んでいるかのような大股。
(――ロクサーヌのものだ)
私は、その足跡の主をロクサーヌだと頭で結論付ける前から、反射的にその足跡を追跡していた。その直感が実り、私は遂にロクサーヌの背中を視界内に捉える。
(見付けた――!)
グィネヴィアに「一分」と告げてから、ここまでに要した時間は約三秒。概ね想定通りだ。
「ロクサーヌ、状況が変わったッ! 悠長に例の奴の起動を待ってはいられない!」
「――来てはいけませんわッ!」
それが、いつも余裕を纏うロクサーヌらしからぬ切羽詰まった声音だったというだけでも、この事態を軽く見る気は全く起きなかったが、こちらを振り向いたロクサーヌの横顔を見てその考えはより強まった。
ロクサーヌの顔の左半分が、まるで酸をぶっかけられたかのように醜く焼け爛れていた。
誰だ? ロクサーヌの端正なお顔をこんなにしやがった奴は。敵影を探して辺りを見回すと、どこからともなく下品なダミ声が聞こえてくる。
「何だぁ? なんてぇ微小な魔力量だよ。貴様、それでも魔女か?」
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