バグダドゥ陥落――その報は、一日遅れでメソポタミア地方を駆け巡った。
更に一日後には、ハトラ、アナト、キルクーク、ヌジと次々に陥落の報が飛び交い、メソポタミア地方の人々はさぞかし激しい混乱に包まれたことだろう。
〔図9.第一段階〕
滑り出しは上々と言えた。
第一段階の時点で陥落させておきたいと思っていた都市は全て陥とすことができた。その殆どの都市を長く維持することはできないだろうが、その点に関しては全く問題ない。
ヴァレンシュタイン率いる装甲部隊たちは、現地協力者であるカウムの支援を受けて補給を行い、計画通りに南下を始めている。今頃はサーマッラーに攻めかかっているところだろう。
一方、パルティア方面軍本隊は、敵軍を牽制すべくアッシュルに張り付けてある。
その本隊から魔法士部隊の一部を抽出し、再編成した中隊をキルクーク・ヌジに派遣し、恙無く二都市を制圧した。それと同時、後方基地のゴザンや前線基地からも限界ぎりぎりまで兵を抽出して輜重部隊とし、二都市へ進出させてある。
他と違って、この二都市は維持する予定だ。
なにせ、ここにはアッシュル攻略に欠かせないアレがある。
アナトは、マリに衛戍していた国境守備隊を口説き落として侵攻させた。
実は、五頭政府の内部にはイスラエル・レカペノス以外にもツテがあり、そこを通じてレイラ監修のもと寝業を使わせてもらった。公式記録上、私は『マリからアナトへの支援的な侵攻』を要求しただけであり、それに対し政府内部の人間が必要な手続きを経ず誤ってゴーサインを出してしまった……と、そういう筋書きである。ここでもワキールが伝書鳩よろしく伝令役として大活躍した。
続いて、間を置かず作戦は第二段階へと入る。
〔図10.第二段階〕
ヴァレンシュタイン率いる装甲部隊たちには、サーマッラー以降、私がハトラでしたような『追い立て』をしてもらう。
私の方は、負傷した兵や補給の行き届かない兵をアッシュルに張り付けてある本隊へ帰還させると共に、残った兵を更に分割して道中にある小規模な町村を襲撃させ、住民を追い立ててゆく。
この時、寡兵という利を生かして空を飛行できる使い魔を有効活用し、機動力を限界まで引き上げて迅速に侵攻を行った。そして、最後にはアナトの国境守備隊と合流し、彼らの追い立てていた住民たちを引き継ぎつつアッシュルへと舞い戻った。国境守備隊はもう不要なので元居たマリへ戻させた。
キルクーク・ヌジに派遣していた中隊には、住民の追い出し・追い立てではなく輸送路の守護を命じた。そして、同じくキルクーク・ヌジに派遣していた輜重部隊には、[キルクーク・ヌジ-アッシュル間]にて昼夜問わずピストン輸送を行わせた。
「足かけ一週間……結構な強行軍だったわね」
アッシュルへ列をなして雪崩れ込む夥しい数の住処を追われた民草を横目に眺めながら、私は部下を引き連れて本陣を目指す。
街の収容限界など疾うに越えており、彼らは運良くアッシュルの街へ入ることができたとしても、その殆どは路地で寝泊まりしなければならないような有様だった。幸いにして、土地柄もあり食糧は問題なく備蓄しているため、飢えることはないだろう。季節も夏だから凍えることもない。
本陣に着き、一時解散の命令を出すと兵らは疲れたようにトボトボと散っていった。
私が率いた連中、最初は好きなだけ略奪を行えるということでえらく張り切っていたが、現実は少しでも油断すれば逆上した住民に殺されるし、後半はむしろ住民が自ら畑や家財に火を放ち出してロクな実入りも補給もなくなるし、ただただ骨折り損のくたびれ儲けに終わってしまい見るからに意気消沈していた。
(どんまいどんまい。世の中そう上手くはいかないものよ)
また、本陣に居る他の連中にも疲労の色が濃い。
ヴァレンシュタイン率いる装甲部隊はもちろんのこと、キルクーク・ヌジに派遣していた魔法士部隊も昼夜問わずピストン輸送を行う輜重部隊に引っ付いて守護していたため、どいつもこいつも寝不足と疲労困憊で今にも死にそうな顔をしている。
司令部の天幕に向かう道すがら、私はそのような兵らの様子を観察していた。
そして、確信を深める。
私は司令部の天幕の入り口を勢いよく手で払い除けつつ、中で私の到着を待っていた幕僚たちへ宣言した。
「よし、みんな揃ってるわね。――今日中にアッシュルを陥とすわよ!」
「……総司令官閣下」
早速、幕僚長たるルシュディーが異を唱えてきた。
「やはり性急ではないか? 兵は疲弊しているぞ。とても今日、アッシュルを陥とせるような元気が残っているとは思えないが」
「問題ないわ」
「……例の作戦に余程の自信があるようだな」
自信、というほどのものではない。
ただ、そうしなければ負けるだろうという確信があるだけだ。
一週間。それが、ファラフナーズの才能と敵軍の練度を鑑みた結果の刻限だと私の才能――勝利の才能が教えてくれていた。
そう、恐らく私の才能は戦闘の才能ではなく『勝利』の才能だ。
どれだけ辛酸を嘗めようと、嫌というほど苦汁を飲まされようと、私以外の味方が全て息絶えようと……才能を十全に振るい勝利という結果へ向かう意志を捨てない限り、必ず最終的には私が勝利するようになっているのだ。
だから、分かる。分かってしまう。
「私は勝つ」
これは決定事項だ。
であれば、問題はその勝利に際して、いかに犠牲を少なく抑えるかという点にある。全ては、そのための試みなのだ。
とにかく、私は自分の勝利に関しては微塵も疑ってはいなかった。私がルシュディーに伝えたかったのはそれだけだ。そして、それはどうやら満足に彼へ伝わったらしい。
「良いだろう……リンという人間の、その才能の結実を、見届けようじゃあないか」
「ふっ……格好つけて丸投げしてくれちゃって。まあ、これも信頼の証でしょうかねー?」
「人間性はともかく、貴様の天才性を疑ったことは一度もないさ」
いや、私のような完璧なモラリストの人間性を疑うなよ。
アンタの眼は節穴か!
くだらない冗談はさておき、どうやら幕僚一同はルシュディーの判断に全てを託しているようで、他からの異論は出てこない。これは全会一致、合意が取れたと見ていいだろう。
「では、始めましょうか」
イリュリアの建国から数百年間、常に眼の上のたんこぶとして我々の領土的野心を挫き続けた難攻不落の都市アッシュル。
それが遂に陥落する時が来たのだ。
「――イリュリア黄金時代の幕開けよ」
第一陣の航空魔法士官たちが一斉に空へ飛び立つ。流石、この戦争中にさんざっぱら扱き使っただけあって、皆なかなかに習熟した飛行である。いつか見た、『星団』の魔法使いたちよりも、滑らかにして素早い飛行だった。
そして、以前の飛行魔法の常識では考えられないような高度へとグングン上昇してゆく。
これで、もうアッシュルからの反撃は届かない。
「散布開始」
前にトゥトゥル砦を爆撃した時のように、今回も航空魔法士官には荷物を持たせてある。そして、今回の荷物は爆弾ではなく人――工兵魔法士官だ。
私の指示が、地上の魔法信号によって空の航空魔法士官と工兵魔法士官たちへ伝えられ、程なくして砂の散布が始まった。
空へ上げさせた工兵魔法士官は、主に土属性魔法を得意とする魔法使いを揃えた。彼らには、出来るだけ粒が大きく水を含まないサラサラの砂を生成し、散布してもらっている。
「……ですが、本当に砂なんかであの難攻不落と謳われたアッシュルの結界が破れるのでしょうか……」
言ってから、しまったとばかりに顔を青くするヨシュア君。私はそれくらいの失言は失言とも思わない。それに彼の疑問も尤もだ。暫く経過を見ているだけで暇だったこともあり、少しだけヨシュア君の相手をしてやることにした。
「なに、ヨシュア君。不安なの?」
「正直に申し上げますと……はい、少しだけ不安に思います……」
「そういえば、ヨシュア君は軍議の途中から事務作業に回ってたものね。正確な数字を知らなくて当然か」
私は紙切れを一枚取り出す。表はイスラエル・レカペノスからの辞令が書かれているが、裏は白紙なのでそこを使うとしよう。
「まず、もともと結界は魔法的な干渉――要するに攻撃――を退ける目的で作られたでしょ? でも、火器の発展によって物理的な干渉にも対処する必要性が出てきた。そんな中、いち早く結界魔道具を改修したのが、ここアッシュルなのよ」
「その話は、士官学校で聞いたことがあります」
私は紙に簡単な数式を記述してゆく。
パルティア王国の人口は、我がイリュリア共和国のおおよそ二倍。イリュリア国民が約2600万人いるので、5200万人くらいか。『魔力持ち』が生まれてくる確率は統計的に0.03~0.04%前後に収まるとされているので、パルティアには1万5600~2万800人の魔法使いがいる想定となる。そのうち、ザジロスト山脈からこっちメソポタミア地方に居るのは3分の1ほど。つまり、5200~6900人。
アッシュルの結界に用いられる巨大魔石は、魔法使い1000人が一日に生み出す魔力を、1ヶ月分まで蓄えられるとパルティアは宣伝している。
ここで、簡単な定量化のために平均的な魔法使いの魔力量を1000万と定める。
「1000万って、不必要に大きな数字に思えるかもしれないけど、後で出てくる数字に合わせるための1000万だから、一旦、飲み込んで聞いてね?」
「わ、分かりました」
現在、アッシュルの結界に蓄えられている魔力は1000人×1000万×30日で=3000億。そして、メソポタミア地方の魔法使いが全てアッシュルに集まっていると仮定し、その魔力を全て結界の維持に注ぎ込んだ場合、総魔力量は3500億2000万~3600億9000万。
これが、理論上考えられるアッシュルの結界の最大耐久値である。
「ここまで大丈夫?」
「は、はい」
次の説明のため、私はアッシュルの街の上空を指さして、ヨシュア君の注意を誘導した。
そこでは、既に砂の散布を終えた第一陣の航空魔法士官と工兵魔法士官たちが戻ってくるところだった。
「彼らには魔力の許す限り砂を散布してもらったわ。事前の計算だと、今空に居る工兵魔法士官たちは粒径1mmの砂粒を3000kgほど生成できる」
粒径とは、粒が完全な球体と仮定した時の便宜的な直径のこと。これをもとに、砂の比重『1.7t/m3』と、球を最密充填した場合の密度『π/√18 ≒ 0.7404……』を用いて計算する。
3t ÷ 1.7t ≒ 1.76(比率)
1m3 × 1.76 = 1.76m3 = 1,760,000,000mm3
1,760,000,000mm3 × 0.7405(球充填の密度) = 1,303,280,000mm3
1,303,280,000mm3 ÷ 4.19(半径1mmの球の体積) ≒ 311,045,346個
つまり、3000kgの砂には約3億粒の粒径1mmの砂粒が含まれている計算になる。
「で、ここで重要になってくるのが、結界魔道具の抱える欠陥よ」
「欠陥……!? あの難攻不落と謳われるアッシュルの結界にそんなものがあるのですか!?」
「ええ。ナタン・メーイールに手紙で教えてもらったわ」
ナタン・メーイールは紛うことなき天才である。ぜひとも仲良くしていきたい。だが、そんな彼と表立って親交を持つのは些か問題――イスラエル・レカペノスに知られたくない――があるので、ワキールを介した文通によって細々と交流していた。そこで結界魔道具の持つ欠陥についてご教示いただいたのだ。
物理的な干渉をも退けられるようになったのは良いが、一体、現行の魔道具はどのようにして『攻撃』と『それ以外』を識別しているのか。
いくつか存在する答えの一つが――速度。
銃弾や大砲、弓矢が飛来することを想定し、時速150km以上のものを『攻撃』と判別して退けるような設定になっていることが多いという。
「ミソは速度だけで見分けているってコトね。それが例え砂粒のような小さなものだとしても、結界は自動的に退けようとしちゃうの。これに消費される魔力が、さっき定量化した魔力でいうと『1』になる」
「ということは……! つまり、砂粒を3500億2000万~3600億9000万回ぶつければ、あのアッシュルの結界を破れるということですか……!?」
「ええ。もし、3億の砂粒を一秒間に一回ずつ衝突させられるとしたら、大体20分かそこらで破れる計算ね」
300,000,000 × 60 × 20 = 360,000,000,000
最後の計算を紙に書きなぐって、私は鉛筆を放り投げた。これは仮定に仮定を重ねた数字だが、割りと現実的な数字だと私の才能が言っていた。
「戦争は変わったわねー。火器と魔道具が魔法に取って代わるかと思いきや、紙と鉛筆と砂でする時代になるとはね」
街を囲うように配置した魔法士部隊によって、嵐を思い起こされる突風が吹き荒れ、その中で砂粒がもみくちゃにされながら加速してゆく。結界の表面に沿うようにぐるぐると回転する砂粒は、瞬く間にアッシュルの街を茶色く染め上げた。
程なく砂粒は時速150kmを越え、アッシュルの結界を叩き始めたらしく、独特な干渉音が幾重にも重なって怒号のようにけたたましく鳴り響く。
「安心しました……」
根拠を明示して懇々と説明してやった甲斐もあり、ヨシュア君はこの作戦に勝算があることを理解してくれたようだ。
「難攻不落神話も今日まで。遂にアッシュルの結界が破られる時が来たのですね……」
「――いいえ? これじゃ破れないわよ」
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