3.未練
結局、殆ど『特進クラス』の授業に出席することなく私は高等部の三年間を過ごし、遂に卒業の日を迎えてしまった。
私は学生寮の自室でベッドに横たわり、遠くの中庭で行われている卒業式の喧騒に耳を傾けていたが、それも聞こえなくなると今後のことをぼんやりと考え始めた。
魔法学院には、落単による留年制度はない。あっても、私のような問題児は追い出すように卒業させるだろう。
つまり、もうこの学生寮には居られない訳だ。
そのことは知っていたので荷造りは既に終えていた。といっても、荷物らしい荷物は日用品を除けば、なけなしの金銭と僅かばかりの酒、杖とカラギウスの剣、あとは……ホルマリン漬けにしたヘレナの腕か。本当にそれぐらい。身軽なものだ。
そうして、あとは私の配属先が通達されるのを待つばかりとなった。どうせ、僻地の土地管理官とかだろう。他に私を配属するに相応しいところが思い浮かばない。
徐々に、卒業式の喧騒の一部が学生寮の方に移動してくる。
まず、卒業式に出席した在学生が戻って来たのだろう。今季卒業生の方は今夜に開かれるパーティーに参加して、明日以降から配属先の事情に合わせて順次学生寮から出てゆく。在学生が個人的に卒業生へ別れの挨拶をしたい場合などは、その時に改めて会ってする。
(――来たわね)
足音の一つが、私の部屋の前で止まった。私は万が一のことを考えてカラギウスの剣を握り込む。だが、使うことはないだろうという謎の予感があった。
ノックもなしに開かれた扉の先に立っていたのは、つい先日、来期からの副学院長に就任したヴァネッサ先生だった。久しぶりに対面する彼女は随分と老け込んでいた。もとから刻まれていたシワが、殊更に深まって見える。
驚いたことに、彼女には右腕がなかった。
「あれ、右腕はどうしたんですか? センセイ」
「……まさか、覚えていない訳がありませんよね。貴女が斬り落としたのではないですか」
「ええ、まあ。覚えていますよ」
ある日、いきなり部屋に踏み込んできたヴァネッサ先生が授業に出席しろと言って、説教をしながら私に杖を向けてきた。だから、私は咄嗟に当時の男を盾にしたのである。盾にされていることに気づいて抵抗する男を羽交い締めにして、抵抗をやめさせるために少し足元を斬りつけてやると、対面のヴァネッサ先生は動揺して怯んだ。
その隙を突いて、私はヴァネッサ先生の杖腕である右腕を斬り落としたのである。この時、魔力刃を実体化させていたのは脅しの意味を込めてのことだった。
もう、関わるな――と。
実際、その脅しは効果覿面で、それ以降は誰からも授業への出席を求められることはなかった。
確かに暴挙・凶行に類する行いだろう。しかし、今の治癒魔法のレベルであれば腕ぐらいは簡単にくっつけられると見込んでのこと。殺した訳でもないのだから、責められる謂れはない。
「私が言っているのは、斬られた腕をくっつけていないことですよ。不便でしょう」
「これは――戒めです」
「戒め?」
ヴァネッサ先生は厳かに頷き、なくした右腕を撫でた。
「はい、貴女を侮ったことに対する戒めとして、意図的にくっつけることは止めておきました。使い魔がいなければ、貴女は所詮もとの落ちこぼれに過ぎないと……貴女の残した行跡を知らぬ訳でもないのに……その裏打ちとなる才能の輝きから眼を逸らしたのです……」
「ヤケに持ち上げますね。これから閑職の土地管理官として僻地に飛ばされる女を」
「――いいえ、貴女の役職は土地管理官などではありません」
今度は本当に驚いた。右腕をくっつけていないのは、実は前から知っていたのでそう驚いてはいなかったが、こっちは完全に予想外だ。私は思わず身を乗り出して、どういうことかとヴァネッサ先生に話の続きを催促する。
しかし、次にァネッサ先生が口にしたのはまったく前後に脈絡のない言葉だった。
「私も、貴女と同じように家族を亡くしています。だから、貴女の苦しみや悲しみの一片くらいは理解できるつもりです」
「……いきなり過ぎて、話が見えませんね」
「貴女に与えられた役職は将校魔法士官です」
将校魔法士官――それは軍務省隷下、イリュリア国軍に所属する、その名の通り魔法使いの将校を指す。そして、高等魔法士官の役職である。
ロクに『特進クラス』の授業に出席しない問題児をどの役職に据えるべきか。私の答えは『土地管理官』だった。何らかの事情があってそれが無理だとしても、一般魔法士官のどれかに据えるのが妥当だろう。いくら革命の所為で見習いたちの間でも亡命が相次ぎ、枠に余裕があったとしてもだ。
聡明を自称する私は既に気が付いていた。このような例外的人事を主導したのは、眼の前のヴァネッサ先生であろうことに。
「リン、その才能を生かしてこの国のために献身して頂けませんか」
「……嫌だ、と言ったら?」
「なぜ、と問うでしょう」
私はすうっと息を吸い込み、一息に言った。
「私はこの国が嫌いだ。明日、亡ぶというなら私は喜んで祝杯を上げることでしょう。そうでないなら自棄酒を呑むでしょう。つまり、私の答えはこうです。――嫌だ」
「なぜ?」
ヴァネッサ先生は宣言した文言通りに問う。
「貴女がいつまでも亡命を選択せず、この国に残っているのは――この国に『未練』があるからではないのですか」
「『未練』――同じ言葉をロクサーヌからも言われました。彼女が亡命する前々日に」
あれから大体三年。私はそのことについて考えたり、意図的に考えないようにしたりと、さながら遠距離恋愛でもするように付き合ってきた。そんな風に三年も過ごせば、その『未練』とやらの正体に嫌でも気付く。
「確かに……私には『未練』がある。だけど、それは『国』に対してではない」
これが私の辿り着いた答え。私が『未練』を抱いているのは、恐らく……もっと別のものだ。
それから暫くの間、ヴァネッサ先生は瞑目して考え込んでいた様子だったが、やがて徐に瞼を開けた。
「であれば、その『未練』のためにも将校魔法士官の役職は有用に使えるでしょう」
ヴァネッサ先生は、左手に携えていた紙袋を私に手渡した。ちらりと中を覗いてみると、魔法学院の卒業証明書に一人前の魔法使いと認められた証である太陽と月を模した首飾り、そして期日までに軍務省へ出向することを求める辞令が確認できた。
「……良いんですか? 私はセンセイの望み通りには出来ませんよ?」
「良いんです。所詮、この国を思う愛国心は私個人の感情に過ぎません。貴女には……貴女の意志と人生があるのですから」
その時、私は初めてまともに面と向かってヴァネッサ先生の顔を見た。教師でも学年主任でも副学院長でもなく、一人の人間として……私は彼女に相対した。
(なんだ……ただの死にかけの汚いババアじゃないか)
何を恐れることがある。
見上げる必要も、見下げる必要もない。
今しがた受け取ったばかりの紙袋も、握り込んでいたカラギウスの剣も、全て床に投げ出してしまって、私はヴァネッサ先生を正面から抱きしめた。彼女が全て本心から語っていたことが、心で理解できた。
そう、私の未練は――『人』。
この国はクソだ。その認識はずっと変わらない。しかし、この国に住む人々はそう悪い奴ばかりでもない。善良なる人々や、ただ悪人でないだけの人々もいる。
そして、才能のある人々だって……。
「先生」
「なんですか?」
「私はまだこの国を助ける気にはなっていません。かといって、見捨てるのも寝覚めが悪いような気がします」
私には、この国を良くしたいという気持ちが全くなかった。民宗派をどうにかしようと色々頑張ったのも、全ては家族のため。もし家族が生きていたら、私は今頃ロクサーヌと同様に亡命を選択していただろう。
その家族を守りきれず失った今、私の心にあるのはただ見届けたいという気持ちだけだった。
「助けるべきか、否か、その決断は私が唯一認めた才能――ヘレナの『革命』を見届けるまで先延ばしにしたいと思います。彼女の作るこの国の未来を見届けることが、今私が一番したいことなので」
「ありがとう……そう言ってくれただけでも、私は満足よ」
ヴァネッサ先生は、私を強く抱き返した。
暫く抱き合った後、私たちはどちらからともなく離れた。ヴァネッサ先生は僅かに乱れた衣服を正してさっと帰り支度を整え、別れの挨拶を口にした。
「それでは……私は戻ります。まだ、やらなくてはならないことが山積みですから」
「……お元気で」
「貴女も」
ヴァネッサ先生のことは、今日の記憶が薄れてしまういつかの日まで、心のうちに留め置くことにする。私は、これで見納めになるであろう退室する彼女の後ろ姿を、網膜に焼き付くほどにじっと見送った。
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