試合開始時刻が迫ってきたので控室の方に戻ると、門番のように入口の前に立つベンが私を出迎えてくれた。
「どうなの、ベン。アメの方は?」
「ヘレナ君が王党派に動員をかけて調達させているみたいだが……正直に言って、状況は芳しくない」
「あらら」
「どうも向こうに先手を取られたみたいでね。円形闘技場内の売店のみならず、周辺の甘味全般がことごとく盗まれているらしいんだ。決勝までに間に合うかどうか……」
ベンの沈痛な面持ちから何となく察していたが、これはかなり気合の入った嫌がらせらしい。周辺の甘味を全て盗むとは、規模が規模だけにそこから足が付きそうなものだが、よくそんな手の込んだことをしたな。
「取り敢えず、準決は大丈夫よ。アメは五コあるから」
「――ちょっと待ってくれ。それ、次の試合で全部使う気かい?」
「そのつもりよ」
私には、どうしても次の試合でやらなければならないことがあった。それを考えなくても、スタテイラを相手にするなら無用な手抜きはしたくない。
万全の状態で戦いたいという私の意志を見て取ったか、ベンは渋々といった様子ながら引き下がった。まだアメ玉が調達できないと決まった訳じゃないのだから当たり前だが。
「それじゃ、引き続きよろしく」
「あ、あぁ……分かったよ」
ここには確認で寄っただけなので、私は控室に入ることなく彼と別れ、さっさと試合場の方へ向かった。
(ま、もしもの時の考えはあるわよ)
アメ玉五コをマネに消化させつつ、暗い選手入場用の通路から明るい円形フィールドに出ると、既にスタテイラとその使い魔の宝石獣が殺気を迸らせながら試合場で私を待ち構えていた。
「遅かったじゃないか。時間ギリギリだぞ」
「ごめんなさいね、ションベンに行ってたの」
武器確認――私は剣二本と杖一本。対するスタテイラは剣三本と杖一本。
一本は宝石獣に咥えさせるものだろう。さっきの試合も、去年の試合もそうしていた。宝石獣の攻撃手段は、非殺傷魔法と体術。だが、爪や牙を立てると殺傷攻撃として反則になる。なので近接戦闘における火力不足を補うために、カラギウスの剣を口に咥えさせているのだろう。
つまり、残る二本と杖をスタテイラが使う訳だ。私と同じように。
武器を返し、握手をする。
「スタテイラ。アンタ、面白い魔法の使い方をしてたわね。練習してきたのかしら?」
「……当然だ。ここで去年の雪辱を果たさせてもらう!」
「……う~ん……」
開始線に向かう途中、マネが触手で頬をつついてくる。
「おい、リン! 奴さんとんでもなくやる気だぞ。気をつけろよ」
「はあ、やる気だけあってもねぇ」
「――始め!」
試合開始と同時、スタテイラは使い魔と一緒になって距離を取る。前試合で私がやった速攻を警戒してのことだろう。行動が一本調子なので、すぐにその意図が分かってしまう。
そして、お次は例のやつだ。
「【束縛の鎖】!」
競技用魔法の一つ、【束縛の鎖】――魔力で作り出した鎖を私に差し向けるでもなく、クラウディア教官がやったように張り巡らせるでもなく、カラギウスの剣の柄に繋げた。そして、勢いをつけるように頭上でブンブンと振り回し始める。
悪くはない工夫だ。単純に鎖の分リーチが増すし、相手が下手に剣で打ち落とそうものなら、絡め取ることもできる。また、鎖はまだ杖に接続されているので、自在に伸ばしたり縮めたりして変化も付けられるのも良い。
回避行動を取られ空振ったとしても、すかさず変化をつけて次撃を繰り出し、今度は体に鎖を巻きつけることによる拘束を狙うこともできる。
(けれど……ねえ?)
距離を離したまま、遠心力で加速のついた剣が飛んでくる。スタテイラはまあまあ【身体強化】の出来が良い方なので、かなりのスピードだ。しかし、何ら全然脅威を感じないそれを、私は顔を僅かに傾けるだけで避ける。
すると、スタテイラがグンと鎖を引っ張って予想通りに変化をつけてきたので、私はお辞儀でもするように腰を曲げて後方から戻ってくる鎖と剣を躱した。
その後も襲いくる攻撃を避けて避けて避け続ける。途中、魔法を撃ってきたり、宝石獣が前衛として参戦してきたりもしたが、別になんてことな
い。どちらも片手間に処理できた。
(……これで大体、アメ玉二コ分は消費したかしら?)
そのうち、スタテイラが苛立ちの声を上げた。
「――どうした、リン! 真面目に戦え! それとも手も足も出ないか!?」
「う~ん……ねえ」
これまでずっと迷っていたが、決心して言うことにした。
「アルゲニア王国は、我らが建国の英雄である初代・イリュリア王の祖国。建国から約三百年……最初のうちはアルゲニアが宗主国だったりして一悶着もあったけど、まあ同盟国として仲良くやってきたじゃない。だから、アンタとも友好的に行きたいわけ」
「……何が言いたい!?」
「アンタ、去年より弱くなってるわよ」
ピシリ、と石像のように固まるスタテイラ。宝石獣が戸惑いだちに契約者の方を振り向いて様子をうかがう。
攻撃も止んだので、その隙にこれ幸いと先程から構築していた魔法の完成を急がせる。
「試合巧者を目指してどーすんのよ、その前にアンタは魔女でしょうが。実戦で勝つことを考えなさいよ。敵と向かい合った時、そこには『如何にして倒されずに相手を倒すか』、それだけしかないの。あまり小手先に拘るものじゃないわ。そんなものを必死こいて練習したところで何の役にも立たない。選択肢の一つとしちゃあ悪くないけどね」
言葉を重ねるにつれ、スタテイラの顔がどんどんと歪んでゆく。怒り、戸惑い、そして反発……額に浮き上がった血管が、はち切れんばかりに膨らむ。
「――だから、何が言いたいんだ!? 試合中に何を言い出しているんだ!」
「それは戦いの中で教えてあげるわ――【束縛の鎖】」
ようやく魔法の構築が終わる。私はスタテイラの真似をして、剣の柄に鎖を付ける。だが、私は一本だけじゃなく、二本に付けた。二本の剣を、柄に付けた鎖で繋げた形である。
私は役目を終えた杖をぽいっと投げ捨て、両手に鎖で繋げた二本の剣を構えた。
「お、お前、まさか……! 私が……どれほどの研鑽の果てにこれを形にしたと……!」
どうやら、私がこれからすることを察したらしいスタテイラに向かって、右手の剣を投げつける。
「だから、それがズレてるんだって。これぐらい、一度見れば誰でも簡単に真似できるわよ」
「舐めるな、これは私が! 私が編み出したものだ! 対処法ぐらい――!」
スタテイラは、私に対抗するように左手の杖を地面に投げ捨て、鎖をつけていないもう一本の剣を腰から抜き打つ。その狙いは剣じゃなく鎖部分だ。
言うだけあって、この戦法の弱点を良く分かっていると見える。鎖を断たれれば、先に付いた剣はあらぬ方向へ飛んでいってしまい、武器を失うという大きな弱点が。
(アンタが剣を二本も持ち込んでいるのに一本にしか鎖を付けなかったのは、そうされた時の保険でしょ?)
だが、そうはさせない。
伸びる鎖を握りしめて急停止させ、スタテイラの剣を空振らせる。と同時に、左手の剣を投げる。今度は、マネに射出させることでさっきよりも格段に速く。
(攻撃を通したければ隙を突く。隙がないなら――作るのよ!)
激しく緩急をつけた攻撃にスタテイラは全く反応できていなかった。しかし、間に割り込んできた宝石獣が、辛うじて咥えていた剣で私の攻撃を弾くことに成功し窮地を救った。
「あら、使い魔に救われたわね」
「くっ――!」
「みゅう!」
熱く憤るスタテイラを窘めるように宝石獣が堂々と前に出てくる。それにより、幾ばくの平静さを取り戻したらしいスタテイラは、前衛を使い魔に任せつつ後方から遠心力を付けた剣を放ってくる。
芸はないが判断は正しい。怒りでのぼせ上がった思考を絡め取るなど、児戯にも等しい容易さなのだから。
(だけど、それじゃ勝てない)
その動きは既に見切っている。
「――マネ、決めるわよ」
「おう!」
斬りかかってきた宝石獣のどてっ腹に蹴りを入れつつ、スタテイラの攻撃を避ける。そして、こちらもまた遠心力をつけた右手の剣をぶん投げ、スタテイラの肩口辺りを狙って鎖を引き絞る。
これぐらいの攻撃は、スタテイラほどの魔女なら問題なく躱すだろう。
だから、ここで仕掛けを打つ。
(意識を分散させて対応力を削ぐ戦術は確かに有効よ。――初見ならね)
スタテイラがスウェーバックで難なく私の攻撃を躱すと同時、私はパッと両の手を離した。すると当然、鎖で繋がれた二本の剣は攻撃時の勢いをそのままに見当違いの左方へと流れてゆく。
予想外だろうこの動きにスタテイラが驚きを露わにする。その隙に、私は解放を使って一気に接近した。
ここで横合いから魔法が飛んでくる。さっき蹴っ飛ばした宝石獣がふっ飛ばされながらも苦し紛れに簡単な魔法――【魔力弾】を構築して放ったのだ。
しかし、これは好都合。私は、さもその魔法を避けるような動作で、自然にスタテイラの右方へと回り込む。
そんな私を追いかけて、スタテイラが視線をこちらへ向ける。
――かかった。
「双刀・戻り印地」
次の瞬間、何が起こったのか分からないという顔のまま、スタテイラの体が崩れ落ちた。
「勝者――リン!」
鎖で繋がれた二本の剣がドンピシャで私の手元へ戻ってくる。
今の攻撃の種は単純。さっき手を離した時にマネの体組織を付着させておいただけだ。マネの投擲技術も遅々としたものではあるが向上しており、それぞれの魔力刃が背後からスタテイラの魂を深々と斬り裂いた。
「マネ、射出の速度が死んでるわよ。もっと速くできない?」
「いやいや、そうやって簡単に言うけどよぉ……分離した体組織の操作は結構ムズいんだぜ? まず褒めてくれよな」
向上心の欠片もないことを宣うマネを無視して、私はスタテイラのもとに歩み寄った。
「私が言いたかった事、伝わったかしら?」
「ふざ、けるな……!」
伝わってなかったみたい。地面のスタテイラは恨めしそうな視線で私を睨み上げた。
「何故だ……何故、お前はこんなにも、強い……!」
「う~ん……だから、根本的に考えが違うのよ。強いから勝つ、弱いから負けるんじゃないわ。スペックで言ったら、私がアンタに勝ってるところなんてないわよ。【身体強化】の練度だって、魔法の構築速度だって威力だってアンタが上。魔女としてなら、アンタの方が優れてるんじゃない? でも、今の調子じゃ何回やっても勝つのは私。例えそれが試合じゃなく、命の取り合いだろうとね」
「じゃあ、何か? 私に問題がないなら、それは使い魔の差とでも言うのか……!?」
倒れたスタテイラを慰めるように身を擦りつけていた宝石獣がショックを受けたような顔をする。そういう発言は良くない。
「違うわ。試合中、その使い魔に窮地を救われたのをもう忘れたの? ……さっきはアンタを持ち上げるように言ったけど、比較対象の私のスペックがアレなだけで、ぶっちゃけアンタはどれを取っても精々が中の中ってトコよね。ごくごく平均的で、飛び抜けたものは何もない」
「……ああ、そうさ。だから、あまり人気のない剣術に活路を見出したんだ。ここなら、何ら特別な才能を持たない私でも輝けると、そう思って……! お前も、そうだろう……!?」
「呆れた。そんな隙間産業的な発想で剣を取った訳? 恥を知りなさい」
少し、失望した。彼女の剣には、そこはかとなく滲み出る意地や信念のようなものを感じていたからだ。私が見誤っていたとでもいうのか。
「私が剣を取った理由は『勝つため』よ。それ以上でも以下でもない。……勝敗を分けたのは勝ちへの執念の差ね」
「勝ちへの執念なら、私だって――!」
「どーかしら」
私は肩を竦めて観客席の方を指し示した。
「見える? あそこで踏ん反り返ってるウチの王様。私、この大会中に負けたら自害するってアイツに誓っちゃってるんだけど、アンタの執念って最低でもそれぐらいのもの?」
「……嘘だろ?」
「本当よ」
「は、はははっ……」
乾いた笑いを漏らし、スタテイラは黙りこくった。キラリと光る液体が頬をつたいおちる。宝石獣が再び慰めるように身を擦りつけた。
「ま、勝負は時の運って言うじゃない。アンタも、まだまだこんなもんじゃないはずよ。もっと精進なさいな」
「私は……私は……」
「決勝、見ていきなさいよ」
うわ言のように何事か呟くスタテイラに背を向け、私は試合場を後にした。選手入場用の通路に入ると観覧席の喧騒も遠のき、やがて辺りはシンと静まり返る。それがなんだか落ち着かなくて、たまらず私はマネに話しかけた。
「ねえ、私失敗した?」
「……ガキが慣れないことするからだ。あの教官と違って年季が足りてねえのよ、年季が」
「だって、彼女……私を見ていないんだもの」
スタテイラに私の方を振り向かせたかっただけだったのに、上手く伝わらなかったみたいだ。
「試合が始まったら、もうそこは二人だけの世界。全神経を集中させて相手の出方を伺う一瞬には、千の言葉よりも雄弁な対話で満ちているのよ。それなのに、対戦相手を見ないで戦っていたら勝てるものも勝てないわ」
惜しい……本当に惜しい。なぜ、こんなにもスタテイラは迷走してしまっているのか。前に剣を交えた時はこんなんじゃなかった。もう少し、気持ちの良いやつだったのに。
「あのよ、リン。分かってなさそうだから言っとくと、戦いに対してそんな風に思ってるのは……たぶん、お前だけだぜ」
「そうかしら……?」
いまいち納得がいかず、私は廊下をとぼとぼと進みながら一人唸り続けた。
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