こっそり聞き耳を立てて彼らの供述を聞いてみたが、素人のオレにはこれといって有用な情報はないように思える。
気がかりなのは、持ち去られたというグレイのカバンの行方ぐらいだろう。手荷物検査はしたが容疑者の誰も持っていないようだし、犯人はこの狭いホステルのどこに隠したのかもしれない。
現在、警察がホステルを捜索しているようだが、まだグレイのカバンは見つかっていないようだ。このまま見つからなかったら、警察が引き上げた後に犯人が回収してしまうだろう。
そういう線で考えると、怪しいのは支配人ウダイイと清掃員ブシュラーだ。彼らの職場はホステルなのだから、警察に見つからないカバンの隠し場所を知っていてもおかしくない。
「そういえば……」
と、唐突に口を開いたのは女性客のバラーアだ。
「支配人のウダイイさんは、一度向かってますよね。殺されたジャアファルさんの部屋の方に……」
「は、はぁ!? なにを言っているんだ!?」
顔を真っ赤にしてウダイイが叫ぶ。
「ひっ……で、でも、たしかに……」
「すぐにバレるような嘘をつくな! そっちこそ、ずっとロビーに居たって言うが証人は居るのか!? その口の利けねえガキ以外によお! 俺はずっと奥に居て……ロビーを通ったのだって、そこの男に文句を言った時だけだ!」
そう言って、ウダイイはオレを指差した。
「そうだそうだ。怪しいと言やあ、そこの男がいるだろうが」
「……オレか?」
「何だって、あんな聞くに耐えない演説をしてたんだ。まさかとは思うが、犯人と組んでたんじゃないのか? 犯行の音を掻き消すために騒いでたんだろ」
思わぬところから疑惑を吹っかけられてしまった。しかし、聞き捨てならない言葉があったぞ。
「オレほどの憂国の士をオレは他に知らんぞ。全て、この国を思えばこそだ。それを聞くに耐えないだと……? 心外だな!」
「ケッ、この国を思うなら即刻あんなことは止めるべきだな。騒音問題だぜ」
「なんだと――!」
オレは激昂して掴みかかろうとした。が、そこへ付近の警察が当然のように割り入り、オレを宥めにかかる。
「……何をしているんだい?」
そこへ呆れたような声と共に女の子が戻ってきた。その隣に、グレイのカバンを手にした警察を連れて。
ざわざわと辺りに動揺が広がる。そんな中、オレは真っ先に彼女に尋ねた。
「そ、それは……持ち去られたというカバンか?」
「ああ、『グレイの小さなカバン』……という彼女の証言通りのものだろう?」
「どこで見つけたんだ?」
「死体発見現場の床下だよ。ご丁寧に一度釘を抜いてまた打ち直してあった。だが、まあちょっと注意力を働かせれば気付く程度には不自然な仕上がりだったけどね。恐らくトンカチはなかったことだろうし、別のもので代用したんだろう」
それを聞いて、オレの中で容疑者は一人に絞られた。
「なら、犯人は支配人のウダイイじゃないか? その共犯としてブシュラーも考えられる」
「なッ! てめえ、さっきの仕返しのつもりかッ!?」
激憤するウダイイをすっかり無視して、女の子はオレの方に興味深そうな視線を向けた。
「へえ、どうしてそう思ったわけ?」
「なぜって、客のバラーアにはカバンを回収することができないじゃないか。仮にこの後、解放されたとしても、のこのこ戻ってきたら怪しさ満点だ」
「なるほどね。でも、回収なんて隠し場所を教えた別の奴を泊まらせれば済む話じゃないの」
「あっ……それも、そうか……」
オレが納得すると、「そら見たことか」とウダイイが調子づく。ムカつくが、間違った論理で疑ったことは確かなので、ばつが悪くて何も言えない。
それを見て、女の子はくつくつと笑った。
「――それに、これは見付けて貰うために隠したものだから、肝心の中身はもう入っていないしね」
隣にいた警察がその言葉に頷き、カバンの中身を開けて見せる。その中には何も入っておらず、空っぽだった。すると、どこからか「えっ」と驚きの声が上がった。皆の視線が向かった先は、今まで殆ど黙りこくっていた男児ウマイヤだった。
女の子は、そのウマイヤを見つめながら高らかに宣言する。
「彼――ジャアファルを殺害した犯人は、そこのウマイヤだ。そうだよね、バラーアさん?」
急に話を振られたバラーアは、努めて平静を装い押し黙っていたが、女の子の言葉が正しいことは――或いは、何かしらの真実の一端に触れていることは――ウマイヤの激しく取り乱した様子に明らかだった。
「説明してくれないか。まだ、誰も君の考えに追い付けていない」
どうして、ウマイヤのような子供が彼を殺せたのか。そして、中身が空だったことにウマイヤは動揺しているのか。
オレの要請を受けて、女の子は朗々と語り出す。
「それはウマイヤが『魔力持ち』だからさ」
「『魔力持ち』? しかし、警察の話では魔力残滓や魔力痕は出なかったそうだが……」
「魔力残滓の有無は魔法を使わなかった証拠にはなるけど、魔力を使わなかった証拠にはならない。そして、彼ぐらいの年齢だと魔力量もまだ少ないから魔力痕が残らないこともある。変則的な使い方だけど、魔力痕を検知する魔道具でウマイヤの身体を直接調べてみたらいい」
確かに『魔力持ち』なら、その身体能力は一般人とは比べものにならない。例え未就学児の彼でも、相手の手足を拘束してしまえば殺害は可能だろう。
警察が魔力痕を検知する魔道具を直接ウマイヤにあてて調べたところ、女の子の言葉通りに未登録の魔力波長が検出された。
「そして、バラーアはその共犯だったが、ウマイヤに内緒でカバンの中身を掠め取っていた。だから、ウマイヤは中身がないことに驚きの声を上げたんだ。カバンをわざと見付けやすいところに隠したのは物取りの嫌疑を支配人や清掃員に押し付けるため。当然、後からウマイヤに中身のことを聞かれるだろうが、犯罪を教唆してみせた彼女には誤魔化す自信があったんだろう。例えば、警察官の一人がこっそり懐に入れたのを見たと言って、ウマイヤをその警察官にけしかける。その間に自分はとんずらしてしまえばいい」
その話が本当だとすると、ウマイヤはとんでもなく邪悪な女だ。しかし、やはり解せない。
「……だが、本当にそうなのか?」
「おじさん、まだ分からないところでもあった?」
「ああ……ウマイヤのような幼子が殺人に手を染めるなんて、にわかには信じ難いことだ。それにまだそういう可能性もある、というだけじゃないか」
オレがそう言うと、バラーアも「そうよ!」と同意した。そんなバラーアに、女の子は憐憫の眼を向ける。
「じゃあ、こういう動かぬ証拠はどう?」
女の子は薄いビニールのようなものを取り出した。そこには、どこか見覚えのある指先ほどの小さな渦巻き模様がいくつも描かれていた。
「これは『指紋』だよ。ほら、指の腹に描かれている模様さ。実は、これは一人一人異なっていて、一つとして同じものがないんだ。この国ではまだ捜査に正式採用されていないけど……個人を特定するのに役立つんじゃないかとアルゲニアの方では注目されているんだ。で、これはさっき凶器のステーキナイフから採取したものなんだけど……言いたいこと、分かるかな? 皆の指紋と見比べさせて欲しいんだ」
皆の視線がバラーアとウマイヤに集中する。確かめてみよう、女の子の話が本当かどうか。
その時、バラーアが弾かれたように振り向き、ウマイヤの肩を掴んだ。
「もう、言い逃れはできないわ! ……全員、殺すしかない!」
「で、でも、中身はどこに……」
「その話は後よ! 早く、殺して!」
ドン、と背中を押されたウマイヤは、戸惑いながらも懐から取り出したステーキナイフを握り締め、驚くほど俊敏な動きで一番近くに居た女の子に向かって飛びかかった。
それは何にも勝る雄弁な自白だった。しかし、それ以上に驚いたのは、そのウマイヤをけしかけたバラーアが素早く踵を返し、逃走を図ったことだ。子供を囮にして自分だけは助かろうだなんて、なんと浅ましいのだろう。
警察の一部が急いでバラーアを追いかける。オレは彼女の見下げ果てた精神性にある種の感嘆の念を覚えた。
女の子の心配はしなかった。なぜだか、彼女は死ぬ気がしなかったのだ。事実、女の子はウマイヤを逆に打ち倒してみせた。それは、もう鮮やかに。
杖と魔法によって、ウマイヤは瞬く間に床に磔にされた。
「……君も魔法使いだったのか」
「うん、そうだよ」
そして、軽やかにステップを踏んで一気に警察を追い抜き、バラーアとの距離を詰めたかと思うと彼女の背中に腕を突き入れた。血飛沫が舞い、鶏を絞め殺した時のような呻き声がバラーアの口から漏れる。
……こ、殺したのか?
動揺するオレたちに対し、女の子は「大丈夫」とだけ言って腕を引き抜く。すると、バラーアの背面に大穴が空いているということはなく、少しだけ衣服に血が滲んでいるだけだった。
幻覚……ではない。治癒魔法だろうか?
あの大穴を瞬時に塞いでしまうなんて、なんと凄まじい腕前だろう。オレとて治癒魔法士の治療風景ぐらい幾度か見たことがある。しかし、これほどの使い手は記憶になかった。
女の子は、血に濡れた手の中をまじまじと見つめる。その指の隙間からは、かすかに箱のようなものが確認できた。
「うわ、やっぱり飲み込んでたか。しかし、箱ごとって……根性あるねー。いや、この場合は意地汚いと言うべきかな? まあ、『指輪』が無事で良かったよ」
「な、なんで……その箱に入ってるのが『指輪』って……?」
バラーアは蹲りながらも、女の子の漏らした言葉を聞き逃さず疑問を呈した。
「だって、被害者の彼とはここで『指輪』の引き渡しを行う予定だったもの」
成程、と今まで漠然と抱いていた違和感に得心がいった。悲鳴のもとへ迷わず向かったのも、荷物の隠し場所を探して強引に現場へ入ったのも、全てはそういう訳だったのか。
女の子は手についた血を魔法で生成した水で洗い流しながら、バラーアの顔付近にしゃがみ込む。まさか、仇を討つ気なのかと誰もが思ったことだろう。しかし誰も止められなかった。「復讐なんて無意味だ」なんて、口が裂けても言えなかった。
相手は魔法使いなのだ。
警察だって、この場には一般警察官しかいない。楯突いたところで死ぬだけだ。一体、何ができるというのだろう。
オレは改めて魔法使いと一般人の戦力差を痛感した。
「ねえ、ジャアファルは良い奴だったでしょ?」
「う、ぐ……」
「正直に答えてくれたら、その中途半端に残した傷も治してあげる。ねえ、ジャアファルは良い奴だったでしょ? どうして、殺したの?」
女の子は、ぐっと背中の傷を指先で押した。堪らず、バラーアが白状する。
「――か、金! 大事そうにしてたから貴重品だと思って奪ったのよ!」
「ふーん、そっちは? ウマイヤ」
女の子は磔にしたウマイヤにも尋ねた。てっきり自分が答えればそれで終いだと思っていたバラーアが「早く答えなさい!」と息も絶え絶えに怒鳴る。ウマイヤは暫く沈黙し、ぽつりと言った。
「……ズルイから」
「ズルイ?」
「だって、持ってるのに。なんにもくれないんだもん。ボクだけ『こじいん』って、牢屋みたいなところに送り込まれるんでしょ? バラーアが言ってた。そんなの、ズルイじゃん……」
「そう」
聞き終えると、女の子はすっかり興味を失ったようで、約束通りにバラーアの傷を綺麗に治療してすっくと立ち上がった。
「これ、貰っていって良いよね? ダメって言っても持ってくけど」
箱の中から『指輪』を取り出し、女の子は警察に尋ねた。――いや、それは質問というよりは、有無を言わせぬ確認だった。
彼女が箱を開ける前から、中に『指輪』が入っていると言い当てたことを理由に、警察は許可した。もっと言えば、彼女が魔法使いであることを理由に。
それから、少しだけ身元確認や調書のために質問を受けた後、オレたちは解放された。
ホステルの外に出るともうすっかり陽も落ちており、通りの向こうに西日が眩しく輝いていた。
「全く、なんて奴らだろうね。ジャアファルから連絡は来ていたから、受け入れる用意はしてあったよ。女中の仕事も、孤児院の方も。衣食足りて礼節を知るとでも言うのかな。気高さという概念を懇切丁寧に教えてやりたい気分だよ」
ホステルを出た女の子はうんざりとしながらも、どこか晴れやかにうんと身体を伸ばした。そして、後ろのオレに振り向いた。
「けどね……だからといって、彼らを単に社会の敗北者と切り捨ててはいけないよ。全ては、この世の不平等が生み出した悲劇。もし仮に、この世が全人類の生存欲求を満たせるほどに富んでいれば、起こり得なかったことだ」
「……しかし、そんな楽園はこの世に存在しない」
「なら、作るべきだ」
子供じみた理想論と片付けることは出来なかった。オレも、確固たる形にしたことがなくとも、心のどこかではそうあって欲しいと望んでいたことに気がついたからだ。
「生きとし生けるものの本懐は種の保存だ。しかし、人間だけは少し違う。個に立脚する魔族・魔物とは違う。人間は集団にこそ拠って立ち、身を寄せ合いながら生存競争を勝ち抜いてきた。そんな我々は唯一、未来に生きる獣なんだよ」
どこかで聞いたことがある。寿命も発情周期も長い魔族社会と、その真逆をゆく人間社会の有り様に関しての話だ。
魔族社会は、人間社会に比べて個人主義的・孤立主義的な風潮が強いそうだ。例えば、社会インフラなどを積極的に整えたりはしない。必要に応じて弱者を奴隷のように働かせ、必要分を確保するだけだ。
人間社会は違う。といっても、己が利益のために他者を踏みつけるクズは一定数存在する。この国のように、歪みや腐敗によって限界に達してしまった共同体もある。だが、根本的な構造は相互扶助を目的として成り立っている。
「後世に続く子々孫々のために、より良き世界を、より良き未来を作り上げ、更なる繁栄を享受させてやる。それこそ、魔族でも魔物でもない――我々人間にのみ課せられた『種の本懐』なんだよ」
なんて、大きい。
その存在の大きさに、オレは言葉も出なかった。
彼女の中に、体躯に見合わぬ懐の大きさを幻視したオレの眼に狂いはなかった。彼女こそ、この国を変え得る存在だ。
「それじゃ」
「待ってくれ、嬢ちゃん!」
「……嬢ちゃん?」
去ってゆく女の子を慌てて引き止めた。今、「嬢ちゃん」と呼んで気付いたが、オレはまだ彼女の名前も知らないのだ。けれども、そんなことはどうでも良かった。
不思議そうな顔をして振り返った彼女に、オレは思いの丈を存分にぶつける。
今日、巡り合えた奇跡を無駄にしないために。
「ひとつだけ教えてくれ! 時季は……時季は来るのか……!?」
「――来るよ」
周囲の雑踏が鳴らす喧騒を掻き消して、女の子の声が凛と響いた。
「時季は来る」
女の子がずっと被っていたフードを取ると、思っていたよりも若々しくあどけない顔立ちと、活発な少年のような短髪頭があらわになった。
「おじさんが志を捨てずにいるなら、いずれまた会うことになると思う」
その顔に浮かぶ過剰なほどの自信に満ちた狂気の微笑を見た瞬間、オレの視界から彼女以外の景色が全て抜け落ち、存在そのものを鷲掴みにされたような感覚に陥った。
自然、オレが取ったのは祈りの所作だった。神に対してそうするように、崇拝と尊敬の念を込めて。
「僕はルクマーン、この世界に変革を齎す男……になる予定さ」
最後にそう言い放ち、ルクマーンと名乗った少年は西日の中に消えていった。
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