「あ~ん」
ツォアル方面陣にて、ヘレナの指揮下で奮戦したベネディクトもまた、私やヘレナと同様に負傷してこの病棟に入院していた。しかし、大した怪我でもなかったのでもうとっくに完治している筈なのに、一向に退院しようとしない。
「どう、おいしい?」
「……うん、おいしいよ。ポーラ」
「フフッ、よかった」
サボりでもしたいのだろうと退院しない理由に今まで関心を払ったことがなかったが、まさかポーラに看病されるのが気に入ったからじゃないだろうな?
彼の病室に呼ばれて来た私は、入室早々に帰りたくなった。
「ねえ、いつまでもイチャついてないで、そろそろ何の用があって私を呼んだのか教えてくれない?」
「――ああ、そうだったそうだった」
ベネディクトは、ポーラから名残惜しそうに眼を切り、億劫そうに私の方を向く。
「用件は伝言だよ。今日の十三時ごろ、屋上へ行ってもらえるかい?」
「どうしてよ」
聞くと、ベネディクトは真剣な顔付きで応えた。
「ヘレナ君が話をしたいそうだ」
呼び出された時間通りに昼の病棟の屋上へ出ると、既にヘレナはベンチに腰掛けて私を待っていた。私は彼女のもとを目指して車椅子を漕ぎ出す。
その時、一陣の風が吹いて背後の扉が独りでに閉まった。恐らく、ヘレナの気遣いだろう。ベンチの背もたれ越しに杖を振るような仕草が見えた。別に車椅子だからといって扉ぐらい自分で閉められるが、ここは素直に厚意として受け取っておこう。
風はそのまま扉の前に留まって余人の侵入を防ぎ、屋上を誰の邪魔も入らない二人だけの空間にする。
私はベンチの側にまで来たところで車椅子を止めた。
「――頭、まだ治してなかったの?」
屋上へ来た時から、風にそよぐ髪の毛の隙間からずっと爛れた頭皮が見えていた。副司令官ラフィーアによって削り取られた頭蓋骨は無事に回収できたそうで、洗浄して治癒魔法で無事にくっつけたと聞くが、どうしてその傷跡をそのままにしておくのか。現代の治癒魔法技術なら、綺麗に皮膚を再生した上に毛も生やせる筈だが。
すると、ここでようやくヘレナは私の方を振り向いた。
「傷は魔法士の勲章と言うだろう?」
「なぁにキザなこと言ってんのよ、柄でもない」
「くくく……キミだって、顔の傷をわざわざそのままにしてもらったそうじゃないか。それと同じだよ」
私は顔の上下を走る傷跡を撫でた。確かに、これも綺麗に治してもらうことはできた。だが、私はそうしなかった。
私は傲慢なタチだ。それは今も昔もたぶん変わらない。根っこのところから、そうなのだ。
そして、それを直す気もない。
私はこれからもこの傲慢さを抱えて生きてゆく。この傷はその決意と戒めの意味を込めて残してもらったのだ。
「それより、新聞の小記事。アレ何よ」
例の魔道具を開発したという『天才』――ナタンの記事のすぐ真下に、私のことも載っていた。見出し文は『小さな英雄』。内容は『ツォアル事変』における一人の魔女見習いの貢献について書かれていた。
名前こそ出ていなかったが、分かる人が見れば私のことだと分かる内容だった。しかし、掲載に際して私のところに話が通っていない。これはどういうことだ?
「何って……その記事は恐らく私も読んだが、要はツォアル事変解決に貢献した『小さな英雄』――つまり、キミのことを知った記者がその功績を讃えようと書いたのだろう」
「――ふざけないで! 小さな魔女じゃなく、『英雄』だなんて、そんな言葉を使うのはアンタくらいのものでしょう! どーせ、アンタが書かせたんでしょ!?」
「くくっ……バレたか?」
「やっぱり! 私、あの記事の所為で見舞いに来たベルンハルト中将にゲンコツ食らったんだから。『調子に乗るな』って。いい迷惑よ!」
「それに関しては記事は関係ないと思うぞ? くっくっく……」
怒る短気な私と、それをくつくつと笑いながら躱すヘレナ。いつも通りの光景ではあるのだが、その節々には両者ともに拭いきれない演技臭さがあった。
(……そろそろ、本題に入りましょうか)
間合いをはかるような世間話も済んだところで、私と同じくタイミングをはかっていたらしいヘレナが飛矢のように鋭く切り出す。
「――聞いたよ」
ヘレナは、嫌な笑みを浮かべながら私の顔を覗き込んできた。「聞いた」というのは、彼女からに違いない。今の私にはそれが分かる。それを証明するかのように、ヘレナは彼女の名を出した。
「どうだ? シンシアはなかなか面白い飛び道具だろう?」
「ええ、邪気がないのがとっても曲者ね」
私は心の底から同意した。
シンシアは意図的に不義理をするような浅ましい人間ではない。それは私の最初の見立て通り。
だが、あまりにも阿呆すぎて、べらべらと要らぬことまで止めどなく話してしまう悪癖がシンシアにはあった。私はそこを見誤った。
この前、命を賭して戦った理由を聞いた際、私は更に「なぜヘレナは天井裏にシンシアを潜ませたのか?」と続けてシンシア本人に聞いてみた。すると、シンシアはさして疑問を挟むことなく何もかもを話してくれた。ヘレナの裏事情も、ツォアル候が何をしようとしていたのかも。
ついでとばかりに王党派のことも根掘り葉掘り聞いてみたら、聞いたこっちが不安になるぐらいに色々と教えてくれた。
(悪い娘じゃないんだけど……やっぱ、すっごい阿呆ね)
つまるところ、ヘレナはただシンシアに雑談を振るだけで良かったのである。それだけで、シンシアは私のやることなすこと全て無邪気に報告してくれるのだから。
「私とキミのように知恵者を気取る賢しげな奴には、ああいう少し抜けた奴を使うと効果覿面なんだ」
「あら? なんだか、含蓄のある物言いね」
「ふふふ……実は、私も一度痛い目に合っているのだよ。シンシアのあの無邪気すぎる口の軽さには」
ヘレナは自嘲を含んだ乾いた笑いを、私たちのほかには誰もいない屋上にけらけらと響かせた。
ということは、シンシアが話してくれたことは一応、ヘレナも織り込み済みの情報でしかない訳か。あまり武器にはならなそうで残念だが、それは別にどうでもいい。ムカつくことはムカつくが。
(――とにかく、話してくれるんでしょう?)
開通式から始まったこの『ツォアル事変』の裏話を、ヘレナ自身の口から。ベネディクトは確かに病室でそう言っていた。
期待を込めて見つめてみれば、ヘレナは視線をすっとズラし私の身体を舐めるように見た。
「なによ」
「マネ君は居るか?」
「いいえ、暫くは呼ばないでくれって言われちゃって。疲れたんですって」
「くくっ……そうか、ならいい。何分、これはあまり〝魔界〟の住民には聞かせたくない話だからな」
そういうと、ヘレナは懐から取り出した魔道具を起動した。ブゥーンという低い起動音が鳴り、病棟の屋上をすっぽりと覆う結界が展開される。
(やけに慎重ね……)
それが、言い訳のためのポーズでないことを願う。もし、そうだった場合……私は感情的にヘレナを殺してしまうかもしれない。
「まず、『革命』に関して同意なく巻き込まないと言っておきながら、この『ツォアル事変』に巻き込んでしまったことを謝罪しよう」
ヘレナは厳かに頭を下げた。椅子に座ったまま。こういうのを慇懃無礼と言うのだろうと他人事にように思った。
「それはいいわ、どうでも。巻き込まれたのだって半分は自分の意志だし、私が怒ってるのは全く別の理由よ。大体、アンタの言葉にどれだけ信憑性があると思っているの。今日はアンタの言い分を聞きにきたってだけ。裏は自分で取るわよ」
嘘をついたら殺す。
マジに殺すつもりで殺気を飛ばしてみたが、ヘレナはどこ吹く風と涼しい顔で受け流し、話を続ける。
「では言い訳に入らせてもらおう。そもそも、ここまでの事態になるとは私を含む誰も予想だにしていなかった。キミを巻き込もうと巻き込んだ訳ではない。不可抗力だったんだよ」
「どうやら、ブチ殺されたいようね」
しかし、軽く凄んでみせても、ヘレナは肩を軽く竦めるだけだった。この期に及んで何をすっとぼけていやがる。
良かったな、ここが病院で。いつ私が痺れを切らしてもヘレナを半殺しにしても即座に治療できる。
「この説明ではご不満かな?」
「ええ、アンタは知っていたのでしょう? 『怒れる民』の背後に民宗派の影があることを」
司令官サフルの残した『指輪』という言葉にも、シンシアが答えをくれた。
ツォアル候が殺された時、彼が一人で書斎へ戻った理由――それは『指輪』を取りに戻っていたからだった。そして、あのタイミングで『指輪』を持ってくるよう要求したのは他ならぬヘレナで、その受け取り手兼監視としてシンシアは遣わされたのである。
王党派貴族(ヘレナ)とツォアル候の間に、『指輪』をやり取りする取り決めがあったとは初耳である。
「アンタは、それを知らせるべきだった」
私や、アーシムさんのような警備担当者に。なのに、その事実をひた隠しにした。
「死ぬべきでない人間が大勢死んだ。アンタの所為でね……!」
もし、敵に月を蝕むものが来ると分かっていれば、警備だってもっと増員できた筈だし、皆の意識もまた違った筈だ。
しかし、話しながらヒートアップする私とは対照的に、ヘレナは至極冷めきっていた。彼女は、やれやれとばかりに「ふー」と熱冷ましの息を吐き、淡々と言い訳の続きを述べる。
「事の発端から話そう。全ての始まりはキミが偶然入手した『指輪』だ。そこからフェイナーン伯の一件に繋がり、民宗派が訳の分からぬマジックアイテムを蒐集していることが露呈した」
ここまでは良いな? と聞いてきたヘレナに食い気味の頷きを返す。
「これに対し、国教会が最も敏感に反応した。といっても、この段階では誰もが民宗派と月を蝕むものの脅威を軽く見ていた。だから、数人規模の小編成チームを新設し、民宗派についての情報を探らせる程度の対応に留まった」
「成果はあった訳?」
「なかったよ、やる気もなかった。だが、図らずしも敬虔な国教会信者であるツォアル候の耳にそのことが伝わってな、家宝として伝わる指輪が民宗派の蒐集する『指輪』かもしれないと報告してくれた。国教会ではなく、王党派へな」
王党派と、王党国教派は微妙に違う。
王党派を構成する者の殆どが大移動をルーツに持つ植民者であるのに対し、王党国教派は宗教を背景とした繋がりであり土着民の聖職者なども多数含まれる。
更に言えば、王党派は元・宗主国であるアルゲニア王国の動向に影響を受けるのに対し、王党国教派は教皇の膝下である神聖エトルリア帝国の動向に影響を受ける。
現在、王党派と国教派は互いに尊重し合う良好な関係を築いているが、水面下では国教会優位の支配構造に改革せんとする動きがあり、それが両者の間に衝突を生んでいるらしい。
わざわざツォアル候が王党派へ話を持ち込んだのも、その一環だろう。もともと、王党派の投資あっての鉄道事業。敬虔な国教会の信者であるツォアル候といえども、ここは王党派への筋を通すことを優先したという訳か。
「その時には既に開通式の警備については大分段取りが決まっていたのだが、ツォアル候は『指輪』を対価に警備を増強したいと言ってきた。その理由は、諸侯派貴族よるものと思われる嫌がらせや工事の妨害などが相次いでおり、現状の警備では開通式を無事に遂行できないと判断したからだ。結果的には、その判断は正しかった訳だが……」
ヘレナは言葉を濁して暫し沈黙したので、私の方から会話を進める。
「王党派に『指輪』を渡すことで、国教会に対して王党派が恩を売るという形にした訳ね」
「ああ。その話を持ちかけられた後、マジックアイテムの専門家も呼んで鑑定させたところ、民宗派の探す『指輪』である可能性が高いとして、王党派は警備増強の話を受け入れた。ただ、家宝と言うだけあって厳重な封印処理が施されていたことを理由に、引き渡しは開通式の後ということになった」
しかし、それならやはりおかしい。王党派とツォアル候の間にそういったやり取りがあったのなら、警備側の人間がそのことを把握していても良い筈だ。特にアーシムさんのような上層部の人間であれば。しかし、アーシムさんがそのような懸念を持っていたようには見えなかった。
すると、ヘレナはその疑問を予想していたのか、私が問うまでもなく答える。
「――情報は私が止めさせた」
この時、ふざけた答えを聞いて反射的にヘレナの頬を張らなかったことを褒めて欲しい。
「アンタ……! よくも、まあ、ぬけぬけと……! さっきまでの私の話を聞いてたの!?」
「ああ。だから、私の判断に妥当性があったことを今こうして説明している」
私は怒りに打ち震える拳を抑えながら、彼女に続きを話すよう促す。
「私が父へ情報を止めるよう進言したのは、高度な政治的判断によるものだ。『指輪』の情報が無分別に広がるのを懸念してのこと」
「煙に巻くような曖昧な言い方は止めなさい!」
「つまり――私は、今回のような状況になることを半ば予測していた」
迷うことなく、私はヘレナの頬をグーで張った。
車椅子を蹴っ飛ばしてまで殴り付けた所為で、まだ治りきっていない体はバランスを崩し地面に倒れ込んでしまったが、それは些細なことだろう。私はよろよろと車椅子に捕まりながら立ち上がり、ヘレナを見下ろした。
ヘレナは横向きになった顔をゆっくりと私の方へ戻す。
「『半ば』と言っただろう。ツォアル候が暗殺されることまでは読めなかったさ。私とて完全無欠の存在ではないからな」
「嘘をおっしゃい。その可能性を感じたからこそ、開通式の最中に『指輪』を取りに行かせたんでしょう」
「まあ、それは……ツォアルの来賓席から警備網の崩壊するところを見ていたからな。奪われる前に保管場所をより安全なところへ移すと言って受け渡しを早めさせた。しかし、ツォアル候も迂闊だったな。暗証番号を見られたくないからと言って、護衛を部屋前に置いてゆくなど――」
私はもう一度ヘレナの頬を張った。
(どの口で……どの口で言っていた!? 『この国の安寧のために』なんて……!)
自らでその安寧を脅かしておきながら、よくも、よくもまあ、そんな愛国者然としたセリフを素面で吐き散らかせたものだ。
更に追加で殴り付けようとしたが、突き出した拳はヘレナに受け止められる。
「まずは聞け。話が進まん」
「話したいなら、ご自由にどうぞ。是非とも、アンタをこれ以上殴りたくなくなるような話をして欲しいわね!」
ヘレナは、その私の言葉には答えず、犬でも宥めるようにして私を車椅子に座らせた。
「先程、諸侯派貴族によるものと思わしき嫌がらせや工事の妨害などが相次いでいたと言ったが……実は、この時はまだ怪文書を送り付けられてはいなかった」
「……どういうことよ」
「ある時期を境に送り付けられるようになったのだ。その時期とは――ツォアル候が王党派へ警備増強を願い出た後だ」
この意味するところが分かるか? とヘレナは試すように尋ねかけてくる。
分からないと言って聞くのが手っ取り早いし簡単だが、それだと白旗を挙げるようで癪に障る。私は思考をフル回転させた。
怪文書は、サフルの発言の断片から推察するに『警告』のつもりだったのだろう。そんなやり方で、ここまで大規模投資されたプロジェクトを中止させられると本気で思っていたのなら大間違いだが……しかし、出来れば殺したくなかったというのも本心だろう。
また、『尋問報告書』を読む限り、辛うじて一命を取り留めたサフルは割と素直に情報を吐いているそうだ。これは民宗派との精神的な繋がりが希薄であることの証左。
その中で、鉄道事業を破壊する力――月を蝕むもの――を与える代わりに、民宗派は『指輪』を奪取することを要求してきたと述べている。
サフルは、鉄道事業の破壊と民宗派の要求という二つの目的を果たすため、開通式の日に陽動作戦としての襲撃を敢行し、そちらに注意が集まっている間にツォアル候を暗殺し『指輪』を奪取した。
鉄道自体を破壊しなかったのは余計な犠牲者を出すことを嫌ったのもあるだろうが、一番の理由は先頭に立って計画を推し進めるツォアル候を止めることが鉄道事業を止めることだと思い込んでいたからだろう。
実際のところは、その子息も王党派貴族も私も鉄道事業を捨て去る気は微塵も起きず、むしろ反骨精神を刺激されてツォアル候の遺志を引き継ぐ気満々だった。
つくづく、サフルは理想主義的な男だ。
思考が逸れた。
ここで重要なのは、民宗派が『指輪』を奪取することを要求してきたというところだ。
(当然、そんな要求をする民宗派が『指輪』の所在を知らない筈がない……)
どこにあるかも分からないものを取ってこいと言ったって、取ってこれる訳もない。普通に考えれば、民宗派は『指輪』がツォアル候の屋敷にあることを掴んでいて、それをサフルに伝えたのだろう。それは実際にツォアル候の屋敷へズラーラたちが侵入していることからも明らかだ。
(しかし、一体どこでその情報を掴んだのか……)
怪文書が送り付けられるようになったという時期が問題だ。ツォアル候が警備増強を願い出た後ということは……。
「――王党派内部に諸侯民宗派と繋がる内通者がいる」
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