怒り。
悲しみ。
憎しみ。
いくら表向き平静を装おうと、やはり剣だけは誤魔化せなかった。どれほど注意を払おうと力任せに叩き付けるような乱暴な剣筋になってしまい、大人の魔法使いの強固なる魔力の鎧を突破できずに少々手こずった。
もし、マネがこの場に居てくれなかったら、私は怒りのままにカラギウスの剣を実体化させて全員斬り殺していたかもしれない。
しかし、そんな未熟極まりない剣ではあったが、四分も経つ頃には収容所内に動くものはいなくなっていた。
無力化した警備員たちの山の上に座り込み、どこからかゾロゾロと現れた『寄合』の異形どもが収容された者たちを外へ運び出してゆく光景をぼうっと眺める。
「やあ」
どうやら、私が警備員たちを制圧している間に警備システムを止めに行っていたらしいワキールが、コツコツとテンポの良い靴音を鳴らしながら正面から近付いてくる。
「お前の活躍、少しだけだが拝見させてもらったよぉ。『英雄』――流石に物が違う」
「ルゥの身柄はアンタたちに預ける。もう、アンタたちのところ以外に彼女の居場所はないから」
「ああ……悪いようにはしないよぉ」
「その言葉、努々忘れないことね。それと――」
私は、異形どもによって介抱を受けるカルバに目を向けた。
「カルバも連れて行きなさい」
「……あれも、かい?」
「そのうちに自分から願い出るでしょうけど、あらかじめ私からもお願いしておくわ」
眼を見れば分かる。カルバの心はルゥと共にある。ルゥが『寄合』に預けられることになると知れば、カルバはそこへ付いてゆきたがるだろう。
ワキールはピンと来ていないようだったが、その直後、担架で運ばれてゆくルゥを見て実際にカルバが「一緒に行かせてくれ」と言い出した。ワキールは驚いたように私に目配せして、私の言葉が正しかったことを認めた。
「歓迎するよぉ」
私は、まだ動けないカルバの代わりにルゥへ声をかけに行く。ルゥは担架の上に俯せに寝かせられていた。通常は仰向けに寝かせるものだが、背甲のあった背中の損傷が酷いため俯せにされた。
「ルゥ、私の声が聞こえる?」
「……あ……」
僅かに視線と口元が動いた。心神喪失のためか、衰弱のためかは知らないが、満足に口がきけないらしい。眼もまだ虚ろだ。
私は、全ての言葉が届かないと知りながら、それでも語りかける。
「これから、アンタは『寄合』の秘密基地へ運ばれるわ。カルバも一緒だから安心して、そこで療養なさい。落ち着いたら、私も見舞いには行くから……」
すると、ぱくぱくとルゥの口が動く。
「……て……」
「え? ごめんなさい、よく聞こえなかったわ。もう一度、お願いできる?」
私は前のめりになってルゥの口元に耳を近付ける。
何か要求があるのなら、要望があるのなら、私はそれを叶えてやりたかった。例え、それがうわ言のようなものだとしても。
「ころ……して……」
だけど、それは……それだけはできなかった。
私は瞑目し、荒れる心を鎮める。ぎりぎりという異音が頭の中から聞こえる。やがて、それは私の口内で擦れる奥歯の音だと少し遅れて気が付いた。びくびくと顔の筋肉が痙攣するのを感じ、徐に瞼を開ける。
「……まだ、お礼を言ってなかったわね」
大丈夫、私はまだ冷静だ。
「ありがとう、ルゥ。こんな私を庇ってくれて……でも、その願いは叶えてあげられないわ。アンタのために……なんて、押し付けがましいことは言わない。私のために、生きて。きっと、これ以上悪くなることはない筈だから……」
私はルゥの額にキスをした。
そして、口中に広がる血の味を確かめながら、ルゥとカルバが共に外へ運び出されてゆくのをその場からただ見送った。
去っていった彼女たちと入れ代わるように、見覚えのある大柄な男が入ってくる。そいつは、私を見つけるなり大股で歩み寄ってきた。
「久方ぶりである。リン殿、我が同士よ。貴殿は必ず自分たちと志を共にしてくれると信じていた」
『寄合』の盟主メッサーラだ。今日は裸ではなく、どこかの民族服のようなものを着用している。
「リン殿、何を変な目で見ている? 言っておくが自分に露出の癖はないぞ。アレは大狼に変ずる時には服が破けてしまうため、不可抗力的な裸だったのだ。それを隠すことなくあけっぴろげ、活動のついでに噂を広めた。貴殿と接触する餌とするために……さる御方の発案でな」
さる御方、ね。
「しかし、貴殿の活躍には全くもって感服した。脱帽ものである。……ははっ、まあ、その活躍に免じて服も脱いで欲しいというなら脱いでやらんことも――」
「悪いけど、そんな下らない冗談に付き合ってあげられるような気分じゃないの。さっさとアンタらのケツ持ちを出しなさい」
「はて、ケツ持ち?」
「――ヘレナを出せっつってんのよ!」
私の怒声が収容所内に響き渡り、辺りにはシーンと静寂に包まれる。メッサーラは、反響する私の声が収まるのを待ってから、ハンドサインで作業を継続するよう仲間の異形たちへ指示する。
「そこまでお見通しであるか」
「早く連れてきなさい」
「――その必要はないさ」
声の主ヘレナは、収容所の裏口の方から堂々とその姿を現した。その後ろには控えているのは――ラビブ神父だ。
これは、私にとって予想外のことだった。ルゥ、カルバ、そしてナタリーさんの育った孤児院を任されていたのがラビブ神父だという話だが……。
(彼とも繋がっていたのか……)
ヘレナは後ろ手に優しく扉を閉じ、ラビブ神父を連れ立ってこちらへ歩み寄ってくる。
「……ヘレナはともかく、貴方が居るのは予想外でしたよ。ラビブ神父」
「このような再会は、私としても本意ではありませんでした」
ラビブ神父は、収容所内を軽く見回してほっと息をついた。それがどういった意味を持つ行動か、私はすぐに理解した。彼は、ルゥとカルバに己の姿を見られなかったことに安堵したのだ。
私が咎めるような視線を向けると、ラビブ神父は困ったように肩を竦めて微笑した。
「後生ですから、そんな眼で見ないでください。正直、ルゥとカルバには合わせる顔がないのですよ。彼女たちが巻き込まれたのは、本当の本当に不幸な事故なのですから」
「ラビブ神父」
「分かっていますよ、ヘレナ……私の信仰はこの程度では揺らぎません」
ラビブ神父はずいっと前に出て、ワキールの方を向いて尋ねる。
「ナタリーは、どちらにおられますか? ワキール君」
「あっちの部屋で拘束しているよぉ」
「そうですか。では、私はそちらへ向かいますので、これにて」
そう言って、ラビブ神父は私と『寄合』の構成員たちに軽く頭を下げ、ナタリーさんが拘束されている部屋へ入っていった。
すると、それを契機としたかのように収容所内にいた異形たちが、さあっと波が引くように居なくなる。気を回してくれたのか、それともたまたま作業の終わり時が重なったからか、最後にワキールとメッサーラも去り、その場には私とヘレナの二人だけが残された。
牽制し合うように互いに見つめ合ったまま場は膠着する。そんな中、先に口を開いたのはやはりヘレナだった。
「その様子だと、やはり勘付いているみたいだな」
「ええ……アンタが、二人目の内通者だってことはね」
恐らく、ヘレナは前回突き止めたという内通者を通じて、民宗派との接触を図ったのだろう。そうやって彼らとの繋がりを作りながら、その裏では『寄合』を組織していた。
その構図にさえ気付いてしまえば、後はもう自明である。
掃滅作戦及び回収作戦を内部から都合の良いように調節し、それを脱出不可能なタイミングで民宗派に伝えたのはヘレナだ。その目的は、手駒である『寄合』の勢力を増強しつつ、敵である民宗派の勢力を削ること。
また、私が理解しているのはそれだけではない。
「アンタ……父親にも内緒で大半の事を進めてるわね?」
「――そこまで分かるか!」
ヘレナは嬉しそうに肯定する。
収容所へ来る前、私はベルンハルト中将の邸宅に寄らせてもらって、来賓名簿と警備員名簿を受け取っていた。
そこに『ロイ・アーヴィン』の名はなかった。そして、ヘレナ以外のアーヴィン家の近縁者の名も。
ベレニケで二人目の内通者が果たした役割は、中等部の子供に任せるには荷が重い内容だ。ロイ・アーヴィンの宰相としてのスケジュールを見ても、彼が本気で来ようと思えば来れた筈。なのに、彼ほど用意周到な男が任せずとも良いことを年端も行かぬ娘に一任するなど、あまりにも考えにくいことだった。
では、どうしてそのようになったのか。
それは――ヘレナが誰にも告げず、独自に二人目の内通者として動いていたからに他ならない。
「そうだ、私は王党派が突き止め監視下に置いている一人目の内通者に接触し、その繋がりを継承するような形で新たな内通者となり、父に頼ることなくこの全てを己の力と人脈で築き上げた」
ヘレナは私の推測を肯定した。
(なぜ、そんなことを)
私は父親に頼らないことによるメリットを、自分なりに考えてみた。
傍から見ると、ヘレナ自身が父親であるロイ・アーヴィンの傘下に属するように見えることは、都合良く働くかもしれない。
所詮中等部の身では何の権限が与えられている訳でもなく制約が多いために、掃滅作戦において民宗派が脱出不可能になったタイミングで情報を流しても不自然ではないし、『指輪』の引き渡しに関しても体よくNOを告げられる。
しかし、それは父親のロイ・アーヴィンに表向き無干渉を装って貰えば良いだけのことであり、本当に話を通さず協力もなしでそんな大それたことをやる必要性があるかというと、やはり分からなかった。
「なんだってそんなことを? 使えるものは親でも使うべきでしょう。反抗期って訳でもあるまいし」
「何故かというところまでは流石に分からないか。くくっ……まあ、分かるはずもない。しかし、これでようやくだな」
「なにが?」
「これでようやくキミに話すことができる。『革命』の全容を」
ヘレナは眼を輝かせながら、私の期待を煽るようにもったいぶってみせる。
彼女に対し、言いたいことは無限に湧き上がってくる。しかし、それをそのまま口にすると否応なしに怒鳴り声になってしまいそうで、ぎりぎりで保っている冷静さも何もかも全て吐き出してしまいそうで、私は努めて無言を貫き話の続きを促した。
「キミが思うよりずっと深く、重く、私はこの約束の一年を暗澹たる思いで過ごしていた。それもこれも、民宗派というイレギュラーが現れた所為だ。そのおかげで、私の計画は大規模な再編を余儀なくされた。しかし、約束通りに用意して見せたぞ! キミに相応しい花道を!」
「……じゃあ、『寄合』は一年で用意したんだ」
「いや、正確には――半年だな」
半年、民宗派が一般人に対して通り魔的に〘人魔合一〙の術を行使し、月を蝕むものを量産するようになったのが確か半年ほど前だった筈である。矛盾はない。
「あらかじめラビブ神父を口説いておいたからな、国教会――ことにナタリー審問官の居る『聖歌隊』の情報は筒抜けだった。例えば、どこそこに月を蝕むものが出たとか、捕まったとか。そういう情報を糾合して秘密裏に奴らを掻き集めていたんだ」
ヘレナはとても楽しそうにこれまでの暗躍を語る。今まで隠さざるを得なかった己の業績をようやくひけらかせるのだから、その喜びはひとしおだろう。
「――さあ、共に行こう」
私が黙ったので、もう聞きたいことはないと取ったのだろう。ヘレナは私に向かって手を差し伸べた。
それは妙に確信に満ちた態度だった。
私が率先して収容所を制圧してみせたから、私が『聖歌隊』
の所業に怒っているのだと、その元凶たる民宗派に対しても怒りを抱いているのだと、ヘレナは本気でそう思っているのだろうか。
「まずは、民宗派を――」
「――もうひとつ、分からないことがあるの」
そう言うと、ヘレナは気勢を挫かれ所在なげにふらふらと手を引っ込める。
「大魔法祭の時、どうして私のアメ玉を駄目にした訳?」
「あ、ああ……そのことか」
ヘレナはこれへの関与もあっさりと認めた。
まあ、ワキールに犯行が無理な時点で、私はおおよそヘレナが嫌がらせの犯人だろうと当たりをつけていた。控室に立ち入ったベン、マチルダ、ヘレナの中で、そんな意味不明なことをしそうなのはヘレナぐらいしかいない。
恐らく、ヘレナは集めたアメ玉を置きに行ったタイミングで、控室に魔法を仕込んでから部屋を出たのだ。そして、それを時間差で起動し、試合直前のどうにもならないタイミングでアメ玉を全て消失させた。
つまり、控室の中に一度入ることさえできれば、あの状況を作り出すことは容易だった訳だ。
「バレているようだから別に言い訳はしないが……分からないか?」
「分からないわ、アンタの頭の中なんて」
「チャチャム画房には行ったと聞いているが?」
それを聞いて私は瞬時に全ての動機を悟った。
嵐のように荒れ狂う心を落ち着かせるために顔を俯かせ瞑目したのを首肯と取ったか、閉じた瞼の向こうでヘレナが滔々と語り出す。
「ベレニケには『英雄』に纏わる伝承がある。その停滞と飛躍に関する伝承がな。私はひとつ、それをなぞってみようと思った訳だ」
「だから、アメ玉を駄目にして私を負けさせようとした訳? 自刃すると誓ったところに居合わせておきながら?」
「首を斬り落とされたところで、別にキミは死にはしないだろう」
「死ぬつもりだった」
「マネ君が許さないさ」
マネの体組織が震え、ヘレナの言葉が正しいことを伝えてくる。つくづく、ムカつく奴だ。
「だが、キミが私の想像以上にやるものだから失敗してしまった。あのファラフナーズなら、あるいはとも思ったのだがな」
「……つまり、その伝承をなぞるためにルゥを月を蝕むものにしたって言うの?」
「いいや。ラビブ神父も言っていた筈だ。それは不幸な偶然の事故だと。もちろん、見習いを巡邏がわりに使ったのだから巻き込まれる可能性は常にあったが」
「……で、その不幸な事故をこれ幸いと利用したって訳?」
「聞こえの悪い言い方だが……まあ、そういうことになる」
腹の底から込み上げてくる何かを、私は懸命に抑え付ける。
半々――恐らく、半々だろう。
私を元気付けよう慰めようとする気持ちが半分、またとない機会だから伝承をなぞってやろうという何時もの奇矯の振る舞いが半分。
「――そうね。アンタはそういう奴だったわ」
「リン……?」
ヘレナは訝しげに私を見つめる。
鈍い奴――いや、鈍いとは少し違う。彼女は思い込もうとしているのだ。己自身を騙そうとしている。
だから――私の心が離れていることにも気付くことができない。
「手」
「ん?」
「手、出しなさいよ。さっきみたいに右手を」
例え、気付いていたとしても、それをきちんと認識した上で思考することができないのだろう。
「あ、ああ……」
戸惑いがちに再び差し出されたヘレナの右手を左手で軽く制しつつ、私は身体を素早く一回転させて彼女の顔面に踵を叩き込んだ。
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