ふん、ふん、ふふーんと適当な鼻歌を歌いながら、私は鍵束の穴に指を差し込んでクルクルと回す。
陰気という陰気を塗り固めたようなここは牢獄。反革命主義者たちが大勢押し込められている。だが、先のクーデターによって、幸運にも処刑目前で釈放されるものたちが幾人か出た。今日、私が会いに来たのもそうした類だ。
あらかじめ聞いていた部屋の前に来たところで、私は足を止める。
この牢獄は、もとは教会だったところを改修して使っているので、殆ど鉄格子とかはない。眼の前にあるのは普通のものより少し頑丈に作られた普通の木製扉だ。
「ここで合ってる?」
「は、はい……こちらの部屋にいらっしゃる筈です」
「そう。じゃあ、もう帰っていいわよ。鍵は後で返しとくから」
ここまで案内してくれた看守を先に帰らせてあげる。イスラエル・レカペノスの名代で来た私に対して、酷く緊張していたようだったから。
看守は、露骨にほっとしたような顔をして足早に走り去っていった。
「さて……と」
私は鍵束から一つの鍵を選り出し、ガチャリと鍵を開けた。そして、無駄に重い扉をグッと押し開く。
「生きてるー?」
「……リンか!?」
「ええ。こんにちは、ルシュディー」
粗末なベッドから急いで身を起こそうとするルシュディーを押し留める。ゆっくりでいい。私は死刑執行人ではないのだから。
ルシュディーは安心したようにベッドに腰を落ち着けなおし、私の顔を指さした。
「一瞬、誰か気付かなかったぞ。顔の傷、治したんだな」
月を蝕むものとなってから、私の顔にズラーラの短剣で刻んだ傷が消えた。これは恐らく私の意識の変化が影響していると思う。治さず残そうと思えば、残せた筈だから。
つまり――『傲慢』の戒めは解かれた、ということだ。
私があの戒めに囚われたままなら、きっと傷跡が消えることはなかった。何の確証もないが、不思議とそう理解している私がいた。
「ええ。それより、よくこの国に残ったわね」
「己は軍人だ。この国のために命を捧げると誓った身。二言はない。この国が亡ぶその時まで、付き合うつもりだよ」
「心強いわ」
心中覚悟か。それならば、遠慮なくこれからの闘争に巻き込ませてもらうとしよう。彼の存在は、イリュリア国が大方の予想を裏切り戦争に勝利した要因の一つであるのだから。味方に引き込むことが出来れば、私はグッと楽に勝利できる。
「さあ、出るわよ。アンタをここへぶち込んだ奴は、クーデターでアンタより先に死んだわ」
「ふっ……ざまあない」
吐き捨てるようにそう言ったルシュディーを見ていると、腹の底から徐々に笑いがこみ上げてきた。
「くっくっく……戦術の天才さんは、人付き合いは不得手なのねー」
「ぐっ……言わないでくれよ。己も、逸った行いをしたと反省している」
ルシュディーは時の権力者の怒りを買い、この牢獄へブチ込まれた。この一例だけを見ても、いかに前政府の人間が横暴を振るっていたか分かるだろう。危うく、この天才が獄中で没するところだった。それはあまりにも勿体ない。
「だが――」
ルシュディーは、逡巡するような仕草を見せた。彼の迷いの正体に、私は心当たりがあった。
「ここで作った愛人のことを気にしてるの?」
「うっ……まあ、そうなのだが……」
ルシュディーは、ここで死ぬと思っていたのだろう。ここへ来る前、看守に聞いた話だと、隣部屋の女と死を前提とした不倫関係を築いていたらしい。
全く、アナスタシアの紹介で結婚した新妻が居るというのに……まあ、死ぬ前となったらそのような些細な義理人情は吹っ飛んでもおかしくないか。
ともあれ、ルシュディーの人格や倫理観についてはどうでもいい。私が欲しいのは彼の戦術の才能だけだ。
「家に帰って若い奥さんのおっぱいでも吸いなさい。そしたら忘れるわよ」
「……簡単に言ってくれる」
ルシュディーは憂鬱そうにため息をついた。普段クールぶってる彼の色恋沙汰が何だかおかしくて、私はくすくすと笑った。
「まぁ、元気そうで良かったわ。今日のところはこのまま帰りなさい。外に馬車を待たせてあるから、それを使って」
「何から何まで……助かる」
「良いのよ、アンタは普通の人より価値高いし。あ、後日また連絡するから」
ルシュディーも典型的な乱世でしか輝けない奴ね、全く。平和な世の中だったら、上司に疎まれて左遷されてそうだ。
手早く身支度を整え始めたルシュディーだったが、ふと手を止めて顔を上げる。
「一つ、聞いておきたいんだが……」
「なあに? 私の顔になんか付いてる?」
「……いや、やはり止めておく」
なんだ、意味深なことを言いやがって。気になるが、私が尋ねるより先に身支度を整えたルシュディーが荷物を背負いつつ話題を変える。
「それより、話はさっきので終わっただろう。貴様は帰らないのか? まさか、馬車に乗り込むところまで付き添う気ではあるまい? 下女のごとく」
「ん、ああ……私はまだここに用事があるから。アンタが房を出るとこまでは見送ろうと思って」
「そうか。では、な」
「うん。また」
去ってゆくルシュディーを見送る。こうして食い入るように背中を眺めてみても、その辺に居そうな兄ちゃんという感じで、その才気の片鱗を窺い知ることは出来ない。
だが、その奥底に私をも凌ぐ戦術の才があることを私は知っている。
(アンタにも、これから頑張ってもらうわよ)
さて、これで用件の一つは片付いた。
戦略的比重で言えば今のルシュディーの方が遥かに重い人材だが、私に取っては彼女もまたルシュディーに勝るとも劣らない重要人物だった。
私は階段を下りて、地下にある彼女の房を目指す。
看守に聞いていた房の前に着くと、ルシュディーの時と違って簡素なネームプレートが眼に入る。
『ミーシャ・ド・デュノワ』
流石は魔女にして王党派貴族デュノワ家の当主様。一介の軍官に過ぎないルシュディーとは扱いが違う。
私は鍵束から一本の鍵を選り出し、鉄格子の扉を解錠した。
逸る心を抑えながら扉を押し開くと、房内の冷気が私を包み込む。それを肌で感じた私はもう我慢できず、身震いする体を隙間に捩じ込ませるように房へ入った。
「――ミーシャ。迎えに来たわよ」
「……誰、なの?」
「分からない? そんなに顔も声も変わってないと思うけど……リンよ」
「リン……ちゃん?」
ミーシャは、魔力操作を妨害する魔道具の枷を嵌められ、ベッドの上に拘束されていた。
「生きてて良かった」
心の底から、私はそんな言葉を口にした。
四肢の欠損なし。他の細々とした部位も全部揃っている。早いうちに助けられたから良かったものの、手遅れだったらと思うとぞっとする。一度、反革命の烙印を押された人間は、もはや人間扱いはされないのだから。
私はカラギウスの剣で手早く拘束具と枷を断ち斬り、ミーシャの身体を抱きかかえる。
「き、きたない……よ」
「汚くなんてない」
確かに身を清めずにいたミーシャの体には、沢山の垢と汚れが付着していることだろう。しかし、それを指して「汚い」等とは口が裂けても言うまい。
「人間が必死に生きようとした証でしょう。そこに綺麗も汚いもないわ」
私は、ミーシャの狭い額に接吻を落とした。
「あ……」
「行きましょう。ミーシャを傷付けた人間はもう、この世にいないわ」
惚けた顔のミーシャを抱き上げる。もともと小柄でそう重くもなさそうなミーシャだが、衰弱していることを加味しても異様なほどに軽々と持ち上げられた。まるで、羽根のようだと思った。
(これも……私が月を蝕むものになった影響なのでしょうね)
自分でも気付かぬうちに出力が上がっていたようだ。といっても、ロクサーヌの域にまでは当然至っておらず、一般的な魔法使いと大して変わらぬ程度でしかないが。
地下房を出て、地上へ続く階段を上っていると、腕の中でミーシャが囁くように言う。
「ねえ、リンちゃん……私、ずっとリンちゃんに言いたかったことがあるの……」
「なあに?」
ミーシャの体力がもう限界を迎えつつあることは分かっていたので、私はさながら舟を漕ぐ赤子に眠り歌を囁くように、努めて優しく続きを促した。すると、ミーシャはぎゅっと私の腕を掴んだ。
「私、『友達になろう』って……ずっと、それが言いたくて……」
ピタ、と踊り場で足が止まる。
(まさか、ミーシャはそれを言うためだけに……?)
見ると、ミーシャの眼は「そうだ」と告げているように見えた。私の胸に、形容し難い雑多な感情が広がってゆく。
「馬鹿ね……とっくの昔にマブダチでしょうが」
そう答えると、ミーシャは満足そうに微笑んで深い眠りへと落ちた。
彼女の眠りを妨げぬよう、私は高価な陶器でも運搬するかのように慎重な足取りで階段を上り、牢獄の玄関口まで戻った。
そこへ、まだ帰っていなかったらしいルシュディーが血相を変えて私に駆け寄ってくる。
「おい、リン! これは……!」
ルシュディーの視線は、辺りに散乱する死体の間を忙しなく彷徨っている。眼は口ほどに物を言う。「これ」が何を指すかも、ハッキリと言葉にされるまでもなく理解できた。
「死体ぐらいで騒がないで、アンタは軍人なのでしょう?」
「……貴様が、やったのか?」
「ええ」
ミーシャに不要な責め苦を負わせた看守たちには、しっかりとケジメを取らせた。また、嘘の告発をした議員にも同様、ケジメを取らせた。
「ルシュディー、アンタも腹くくりなさいよ。これからは、今以上に血を見ることになるんだから」
「……やはり、聞こう。貴様は何を企んでいる?」
射殺さんばかりに睨め付けてくるルシュディーの横を通り過ぎ、私は用意しておいた二台の馬車の片方へミーシャと共に乗り込む。
「そこも含めて、またいずれ……話をしましょう。未来の話……この国の未来の話を……」
「おい、待て!」
追い縋るルシュディーの声を無視し、私は御者に馬車を出させた。
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