翌日の放課後、私は人目を気にしつつカフヴェハーネを訪れた。カフヴェハーネとは、主にコーヒーを提供する店のことである。
昨日は都合よくシンシアが絡んできたものだからこれ幸いと利用したが、後から考えると軽率だったような気がしてきて不安だった。
私は人を見る目には自信がある方で、シンシアがヘレナの寄越した内偵だとかではないと確信していた。どう見てもタダの阿呆だし、良からぬことを企んでいるような気配も、演技しているような気配もなかった。そして、約束を破るような人物でもないと見込んで利用したのだ。
しかし、ここ最近はその自信の目利きをイカれた連中に尽く誤らされてきた事実がふと頭を過ぎってしまった。
そんな風に不安を感じ始めた昨日の夜頃、控えめなノックの後にドアの下から吉報が届けられる。
『明日の放課後、個室のカフヴェハーネを予約した。店員に〔月の女神〕と告げれば案内してもらえる』
という内容が、妙に長ったらしい修辞で紙面の端から端を敷き詰めるように綴られていた。しかも、ベネディクトの方に目立たぬよう配慮してもらうことまで取り付けてくれたらしい。
(思ったより仕事が速かったわね)
シンシアに頼んだ判断は正解だったかなと自画自賛しながら、私は裏口からカフヴェハーネへ入店し、店員に〔月の女神〕と告げて個室に案内してもらった。
「お連れ様は既にお待ちです」
開かれたドアの正面の座席で、まるで我が家のように寛いでいる男がいた。彼こそベネディクト、王党派中堅貴族の次男坊にして魔法使いだ。
慣習的に、他に家督を継げる者がいない場合を除き魔法使いが家督を継ぐことはないので、長男も三男も四男もいるベネディクトはそういう貴族的な柵を吹っ切って完全な遊び人として振る舞っている。この前の顔合わせの時も、さんざ私に粉をかけてきた面倒臭い奴だ。
「――やあ、今日も君は薔薇のように可憐だね」
それは、棘があるという意味か?
「何か軽食でも頼むかい?」
私は、机に広げられているメニューから何となく眼に付いたザクロアイスを頼んだ。
「かしこまりました」
店員が下がる。私はベネディクトの対面の座席に向かいつつ、失礼のないように軽く挨拶した。
「ご足労いただき感謝します、ベネディクト様」
「リン君、そんな他人行儀はよしてくれ。君と僕の仲はこれからもっと深くなってゆくのだから、気軽に『ベン』と愛称で呼んでくれないか。皆、そう呼ぶ」
「ベ、ベン……ベネディクト様」
呼んでみようとはしたが、生理的に無理だった。
「ふっ、相も変わらず恥ずかしがりやさんだね、君は」
ベネディクトはバチンとウィンクした。鳥肌が立った。
非常にうざったいが、『革命』に迫るためには我慢して彼との距離を縮めていかなければならない。焦ってはダメだ。今日中に聞き出そうとしてはいけない。まずは十分な信頼を得てからだ。
私は彼の許可を得て対面に着座した。
「今日、呼び出したのは他でもありません。貴方を見込んで、王党派のことについてご教授願いたく――」
「あぁ! みなまで言うな。分かっている、分かっているともさ!」
まるで舞台役者のような大仰な仕草をするベネディクトに、私は表情には出さず嫌悪感を抱いた。こいつは本当に見境なしなのだ。また前の顔合わせの時のように適当な美辞麗句でも並び立てて口説きにくるのかと思うと辟易した。
だが、懐に取り入れるのなら、こっちの恋心を仄めかすような言動も必要だろう。シンシアが勘違いした時は反射的に訂正しかけたが、上手く勘違いさせられれば多少の不手際や不自然さは初々しさに変わる。
どんなキモい言葉が来ても動じたりしないぞと身構えたが、結果から言うとその警戒は空振りに終わった。
「――『革命』について、聞き出したいのだろう?」
不意を打たれ、一瞬思考が止まる。驚いて当然の言葉だが、黙りすぎるのも不自然だ。何でも良い、喋れ。喋るんだ。
「……何の、ことですか」
「ははは、君もたいがい嘘が下手だねぇ」
とっさにすっとぼけてみたが、取り繕うには遅すぎたようだ。ベネディクトは訳知り顔で得意げに鼻を鳴らした。
「フフン、僕を侮ってもらっては困るよ。脈なしなことぐらい接しているうちに分かるものさ。だのに、そんな相手を人まで使って人目に付かないようこんな個室に呼び出すような用事は……『革命』の件ぐらいしか思い浮かばないな。まあ、ヘレナ君にキツく口止めされているから、どちらにしろ話してはあげられなかったけどね」
どうやらベネディクトという男を少し見縊っていたようだ。人を見る目には自信があったが、彼がキモすぎて正視に耐えなかったのが原因だろう。私は席を立ちつつ、素直に謝罪することにした。
「そうですか。ご無礼いたしました。じゃ、私は帰りますね。他に話すこともないので」
「まあまあ、待ちたまえ!」
「何ですか、小うるさい」
「わぁ、冷たいねえ。すっかり以前の君に逆戻りだ」
そういえば、前の顔合わせの時の私って、途中からはこんな感じで割と雑にベネディクトをあしらっていたような気がする。彼との会話を思い出したくなさすぎて、自分で自分の記憶を封印してしまっていたようだ。そりゃあ、脈なしだってこともバレて当たり前か。
「けど、君のそういうところも素敵で――」
「――帰ります」
「まあまあ! さっきも言ったろう? 君と僕の仲はこれからもっと深くなると。同じ王党派に属する身として、美味いワインでも酌み交わしつつ交誼を結ぼうではないか!」
執拗に私を引き止めるベネディクトを不審に思いながらも、派閥内の力関係的には彼の方が上ではあるので、本意ではないものの再び着座した。
(王党派内で要らぬ諍いは起こしたくない……けど、別にコイツ相手は適当で良いでしょう)
適当に頼んだザクロアイスを食べ終えるくらいまでは会話に付き合ってやるつもりだった。食べ終わったら帰る。
ベネディクトは優雅な動作でテーブルのワインを注ぎ、三分の一ほどを満たしたところでグラスを私の前へ差し出した。
「未来の英雄さんへ」
「それ、ヘレナが言ってるだけなので……止めてくれませんか? マチルダとかも、あんまり良い顔してませんよ」
「くく……まあ、マチルダ君には分からないのさ。君が、真に英雄たる資質を持ち合わせた人物だということを」
「はあ?」
「くっくっく……」
とても楽しそうに笑いながら、ベネディクトはグイッとワインを傾ける。何なのだ? こいつも、ヘレナと同じようなスピリチュアル系だったのか? 下らん伝承を信じてるのか?
「だが、そんな英雄でも……いや、英雄であるからこそ、戦争は止めれられないんだ。分かるね?」
「いえ、分かりかねます」
「人間は争い合う生き物さ。だから――もし、戦争を止めたらなんて仮定は無意味なんだよ」
あまりに脈絡のない話題。その唐突さに、思わず有り得ない想像が脳裏に浮かびあがってくる。
(まさか……この前のバイト先での会話を聞いていたの?)
ベネディクトの確信に満ちた口調と表情は、そうとしか思えないものだった。さながら、仲間内だけでしか通じない符号を得意げにひけらかすような意味深長な口調。しかし、彼は一切そこには触れずに続ける。
「要は勝てば良いんだ。戦争を止めなくとも、勝てば経済的な問題は解決するよ。我々の食料を補って余りある豊かな土地が手に入るのだから」
私の方も確証がある訳でもないので突っ込むに突っ込めず、そのまま応える。
「……しかし、我がイリュリア王国は負けてますのでそれも意味のない仮定ですよね」
「ふふふ、それは何故だと思う?」
「はあ?」
「何故、我が国は負けている?」
気取った笑みにムカつきながらも、私の頭は冷静に働いて此度の戦争の敗因を述べる。
「……端的に申しますと、もっとも大きな要因は国軍が満足に動いていないことではないでしょうか」
現・宰相は王党派。国軍の指揮権は宰相にあるので、言ってみれば国軍は丸ごと王党派の支配下にあるようなものであり、一部諸侯派の暴走が発端である此度の戦争においては、諸侯派が勢いづくことを嫌い戦力を出し渋ってるのだ。
その所為で、前線は殆ど傭兵に頼って戦わなくてはならず、正規軍の一部を割いてきた敵国パルティア王国に質・量とも押され気味。
しかしその反面、戦力を出し渋っていることで全面的な戦争には発展していないから、人的・物的被害は少ないのが救いだろうか。もちろん、経済的な被害は甚大だが。
ベネディクトはコクリと頷き、私の回答を肯定した。
「そうだ。加えて、向こうは防衛戦なのに対し、こちらは攻略戦で様々な面で不利なのに、肝心の戦力までも劣っていては到底勝てる道理などないね」
「なら――」
「だが、それでも戦うのさ」
誰も口には出さないが、負ける理由は分かりきっている。それでも、主戦論者は掃いて捨てるほど居た。『現在の苦境は戦力の出し惜しみによるもの』という主戦論者の言い分には理解できるところもある。確かに国軍を出せれば勝てるかもしれない。だが、国軍を出動させたところで、そんな状況をパルティアが座視する訳もなく、向こうも追加の戦力を注ぎ込んでくるだろう。
最悪の場合、戦火が燃え広がり、決着がなかなか付かぬままにずるずると泥沼の全面戦争に発展しかねない。当然、人的・物的被害も経済的被害も拡大するだろう。
せっかく小規模な諍いで収まり休戦協定まで締結できたというのに、まだ戦いたがるその奮闘精神は驚嘆に値する。一体どれほど血に飢えていれば、そのような口が利けるのか。ここらで手仕舞いにしようという理性はないのか。
「それが……つまり貴族的な答えという訳ですか?」
嫌味を言ってみたが、ベネディクトはそんな私を嘲笑うかのように喉奥を「ククク」と鳴らした。
「乱世でしか輝けない人間も居る。君もそういう人種だろう?」
「……仰っている意味がよく分かりません」
「この如何ともし難い現状を案じ、打開の手段を欲するならば結局は同じことだ。流血なくして大勢を変えられるものかぁ? クックック……」
無理だろう。だが、それをそっくりそのまま口にするのは極めて癪に障った。
「……交誼を結ぼうというお話でしたが、今のところはそういう風には見えません。私をおからかいになりたいのでしたら、どうぞ壁とでもお話しください。では、私はお先に失礼を――」
「――リン君」
雑に会話を打ち切ろうとした私の言葉を、ベネディクトは大声で遮る。
「それをどうにかする為の『革命』だ!」
いつしか笑みも消え、彼の表情は真剣そのものになっていた。その豹変ぶりに私はすっかり呑まれてしまい、閉口したまま何の言葉も返せなかった。ヘレナのような狂気は感じられない。彼は正気でそう言っている。
憂国の士。理屈じゃなく、そう認めざるを得ない威光のようなものを彼は放っていた。
「流血は避けられないにしても、少ない方が良いに決まっているだろう?」
「……それはその通りですが、『革命』とやらの内容を知らぬうちは、なんとも」
「君の気持ちは分かる。だが、変な探りは入れてくれるなよ? そのうち、王党派の懐深くにまで受け入れられれば、ヘレナ君が話してくれる筈さ」
「懐深く? 何らかの証を立てろとでも? ……では、ツォアルの件を片付けた後ぐらいには、王党派の一員として認めてくれると嬉しいのですがね」
「んー、いや、それはどうだろうね」
ベネディクトはやんわりと否定した。そして、決めるのは自分ではないという風なことを言外に主張しながら、あやふやに言葉を紡ぐ。
「ツォアルの件については、君の故郷の村に王党派の息がかかった土地管理官をご家族の護衛として捩じ込んだ分だと聞いているから……」
土地管理官とは魔法使いの役職の一つで、いわゆる一般魔法士官と呼ばれるものだ。その名の通りに土地の管理が仕事であり、主に土・水・木属性魔法を得意とする一般クラスの生徒が割り当てられる――『閑職』だ。
そんな進んで成りたがる奴も少ないところに、信用できる魔法使いを捩じ込んで貰ったのだから(後に王都での出世を約束された『腰掛け』であっても)、それ相応の貢献をしてみせなければ王党派内での私の立場はないだろう。
私は舌打ちを漏らしたい気持ちを懸命に抑えた。
着々と、私が自ら進んで王党派に貢献するよう道が整えられている。まるで、こちらの思考を全て先回りされているかのような気分だ。実際、そんなことは不可能だと分かっていても、ヘレナならやりかねないと思ってしまう。
しかし、不満を募らせる一方で、貢献の道が分かりやすく用意されているのは、ある意味では有り難くもある。
(何をさせられるかは知らされていない……けど)
ツォアルで一働きさえしてしまえば、それで王党派への借り一つがチャラになるのは確かなことなのだから。ゴールが明確であればあるほど、こちらも準備がしやすいというもの。
「お待たせしました、ご注文のザクロアイスです」
「――おっと、もうこんな時間か」
店員が、いつかに頼んだ私のアイスを運んで来たのを契機に、ベネディクトは時間を思い出した。
「僕はこの辺で失礼するよ。予定があるのでね。次はツォアルで会おう」
「ツォアルで?」
「言いそびれていたかな。ツォアルの件には、僕も参加する予定なのさ」
道理で、腑に落ちた。それは、あらかじめ交誼を結んでおくのに十分な理由だ。しかし、どこか言い訳くささのようなものが節々に漂っていた。さっきの『革命』の話の時と違い、仄かに演技の気配が混じっていた。
「……心強いです」
「心にもないことを。はははっ」
私の建前を軽く一笑に付し、ベネディクトは優雅に退室した。
(彼の評価を……改めなくてはならないな)
運ばれてきたザクロアイスをつつきながら、そう考える。
ベネディクトという男、軽佻浮薄な取るに足らない男かと思えば、存外に手強い相手だった。距離を縮めるどころか、『革命』について探るなと釘まで刺される始末。
しかし、ツォアルの件で再び会話する機会に恵まれた。なんだか誰かさんの作為的めいたものを感じなくもないが、ここは敢えて乗っかり利用したい。
(ヘレナ……あんまり調子に乗らないでよね、アンタの予想通りには動いてやらないわよ……!)
そんな断固たる決意のもと、私はもう一つアイスを注文した。もちろん、勘定はヘレナに付ける。ささやかな抵抗だ。
他人の金で食うアイスは、筆舌に尽くし難いほど美味かった。
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