一段一段、その硬質な感触を確かめるように石造りの螺旋階段を上ってゆく。砦の頂上は、もうすぐそこにまで迫っていた。
階段が終わり現れた扉を前にして、私は立ち止まる。
「ワキール」
「――なんだい?」
どこへともなく呼び掛けてみれば、即座にワキールの声が返ってくる。ずっと、どこからか彼が私と同じ光景を見ていたことは気付いていた。
「アンタから見てどうだった? 何を思った?」
「……たぶん、君と同じ結論だよぉ」
「そう。じゃあ、行きましょうか」
会話は不要だそうだ。ならば、さっさとイスラエル・レカペノスの顔を拝みに行くとしよう。全ては、それからだ。
私が歩みを再開すると、ワキールの魔力の気配もそれに追随する。そして、私は砦の頂上へ出る扉を押し開いた。
眩い陽光に照らされたその空間には――血と臓物によってグロテスクに彩られていた。
この血装飾を施したのは、今なお死闘を繰り広げる大狼と翼龍の両雄だろう。血で血を洗うような激しい肉弾戦は、翼龍の方がやや優勢に見えた。
常人であれば、即座に踵を返すところだろうが、私は構わずまっすぐに足を蹴り出した。そして、向こう正面の荷物の山に泰然と腰掛ける男へ呼びかける。
成程、これは一目瞭然だ。
本拠地で見た『ソーテイラー』は仮面を被っていたので、その素顔を私は知らない。だが、こうして面と向かって見れば、眼の前にいるこの男が『ソーテイラー』であると理解できた。
その眼を見れば全て分かる。
「――アンタが、イスラエル・レカペノスね」
「いかにも。そういう君はリンだね」
イスラエル・レカペノスという男は、若々しく、柔らかな口調と物腰ながら不思議な威風を放ち、そして――この世の誰よりも狂気的な眼をした男だった。
この男は『器』である。
すぐさま、どこからか異形の群れが現れ、私たちの間に立ちはだかる。彼らは、イスラエル・レカペノスの護衛だろう。しかし、彼は軽く手を上げ、護衛の彼らを下げさせた。
「見違えたよ……リン、前よりグンと美しくなったね」
そう言って、彼はぎょろぎょろと眼球を動かし、私の全身をくまなく観察するようにジロジロと見てくる。私と同じ癖……人を舐めるように見てしまうその癖に、少しだけ親近感を覚えた。
「――リン殿、頼むからこちらへ加勢してくれ! 正義は我にあり!」
未だ戦闘中である大狼のメッサーラが私に向かって助勢を乞う。旗色が悪い上に、護衛の異形はまだまだ控えているのだから、そりゃあ必死にもなる。
しかし、生憎と助勢は出来ない。
私の足元から、ワキールが顔を出す。
「もう、理想論は要らないんだよぉ」
「ワキール!?」
大狼の悲痛な叫びを、ワキールはむべなく切り捨てる。
「『寄合』では世話になったねぇ……メッサーラ。でも、その先に未来があるのかな? ヘレナは死んだよぉ。となれば、残るこの国の指導者候補はやはりイスラエル・レカペノスを置いて他にいない」
「くっ……こんな男に! 何が出来る!」
「――この国を治めることができるわ」
ワキールに代わって、私が答えた。
「私と……たぶんワキールは、『革命』という〝思想〟には拘りを感じていない。この国を……この世を、より良き方向へ導く気概のある才人なら、私たちは誰でもいいと思っている。この際、〝思想〟の内容にはとやかく言わない」
「なん、だと……!?」
絶望した顔の大狼。だが、不意に笑いを弾けさせた。
「ふっ……ふはははは! これは、医者の不養生とでも言うべきか!? 真っ先に救済すべきものが身内にいたとは……!」
失意が大狼の動きを鈍らせ、翼龍の爪が大狼の太い腕を引き裂いた。
勝負は決した。私は人間の姿に戻ったメッサーラから眼を切り、イスラエル・レカペノスに向けて呼びかけた。
「アンタに話をして欲しい」
「良いよ、どんなのがいい?」
「未来の話を……できるだけ明るいものが聞きたい」
ふむ、と頷いたイスラエル・レカペノスは思案顔で懐を探る。そして、お目当てのものを探し当てると、それを取り出して掲げた。
「これが……何か分かるか?」
それは魔力の気配を漂わせる石だった。しかし、魔石とは微妙に異なる色合いの光を放っている。それは通常の魔石と比較して、いくらか澄んだ輝きに見えた。
「魔石のように見えるけれど」
「半分正解だ。これはルクマーン・アル=ハキムによって改良された新しい魔石」
改良された新しい魔石……!
私は驚きを隠せないでいた。学者の研究にもトレンドというものがある。今、学会を席巻するトレンドが正しくそれだった。
魔石とは、魔力に反応してそのうちに魔力を溜め込む性質を持つ鉱石のこと。そして、溜め込まれた魔力は常時緩やかに放出されている。
魔法工学の発展の著しい昨今、一つの魔石に溜めておける魔力量の上限がボトルネックとなっていた。ゆえに更なる発展のためには、新魔石の開発が急務とされていた。
それをあの天才、ルクマーン・アル=ハキムは数年前の段階で成し遂げていたというのか……? その先見の明には感嘆を禁じえない。
だが、その才能が失われてしまったことを惜しむ一方で、やはり急進的すぎたと改めて思う。一体、彼一人で何年分の進歩を齎すつもりなのか。確かに人間は変わってゆく生き物だが、それは社会の中で成熟するのを待って一歩一歩、緩やかに変わるものだ。そこを無理に早めようとすれば、この国のようになる。
「新魔石の魔力貯蔵量は従来のものと比べ十倍。魔力伝導の効率は百倍にもなる。俺は〝魔界〟から抽出した魔力をこの中に溜め込むつもりだ」
「大門を開くつもりなのね」
「ああ……やはり、魔力資源は譲れない。予想される諸問題への対策はルクマーンが用意している。原種対策は大門の改造だ。ルクマーンが見せた通り、原種を検知する技術は既にある。それを大門のフィルターに適用できれば、万が一にも原種が通過してくることはない筈だ」
その万が一の場合にも備え、人柱を立て自動的に〘人魔合一〙の術を使って封じる手筈も整えてあると、イスラエル・レカペノスは語った。
「更に、原種が通過した場合は、自動的に大門を閉鎖する機構も組み込む」
「成程ね。できることはしてる」
「残る問題は〝魔界〟からの妨害だが、これに関しても対策がある」
イスラエル・レカペノスは、今一度手元の新魔石を掲げた。
「実はこの新魔石、ルクマーン曰く『性能を抑えてある』そうだ」
「……魔力収支をプラスにしないように?」
「噂通り聡いな。そうだ、その通りだ。〝魔界〟から干渉してこの新魔石を奪ったとしても、その過程で消費する魔力と収支がトントンになるように調整してあるそうだ。つまり、〝魔界〟の住民が〝魔界〟から奪われる魔力を問題視し、取り返そうと試みたところで出来ることはない」
素晴らしい……やはり、ルクマーン・アル=ハキムは不世出の天才だった。急進的にすぎる欠点はあれど、舵取りされできるのなら何も問題はなかった。
しかし、死んだものは生き返らない。
ルクマーンも、ヘレナも……もう、この世には居ないのだ。
私は、もはやイスラエル・レカペノスにしか未来が残されていないことを確信し、これで最後となる要求をぶつけた。
「一つ、誓って欲しい」
「ほう、なにかな? 言ってみるといい」
「これまでも、これからも……貴方の行動は全て誠の心から出たものであると……天地神明に誓って欲しい」
一言、その誓いの言葉を発してくれたのなら、それで私の気は済む。この世を、まだ良くしたいと思っている才能のある奴が一人でも居ると知れれば、私は安心して好き勝手に余生を過ごすことができる。
彼の〝思想〟にもし共感できたのなら、私は持てる全てを捧げても良い。
「誓ってくれるのなら、私はマネの――アブズの月を蝕むものになってもいい。だから……」
「――リン」
敢然と、イスラエル・レカペノスが立ち上がる。その立ち姿は、まるで一本の太い神木のような、神聖にして侵しがたい雰囲気を発していた。これは意図して作り上げられるようなものではない。彼の、生まれ持った才能がそうさせているのだ。
「お前が誓いの言葉を欲するのなら、百度でも千度でもお前の気の済むまで耳元で囁いてやる。だが、お前が真に欲するところはもっと別のこと。……だろう?」
イスラエル・レカペノスは、制止する護衛の手をするりと抜けて、私の方へ歩み寄ってくる。その一挙手一投足が、いちいち儀式めいていた。
一方の私は、吸い込まれるように彼の眼を覗き込んでいた。彼の眼を占有していた狂気が、やにわに別の何かと混じり合ってゆく。
これは……なんだ?
狂気と混じり合う別の何かの正体を見極める前に、イスラエル・レカペノスは私の眼前まで到達した。
「――良いんだ」
そう言って、イスラエル・レカペノスは私を正面から抱きしめた。
この時、私の胸に『喜び』にも似た感情が湧き起こる。そして、理解した。私が他人を抱きしめる時、それは私が抱きしめて欲しい時でもあったということを。
彼に身を預けるように、私は膝から崩れ落ちる。それにつられて彼も体勢を崩すが、彼は腰を落としてなおも私を強く抱きしめ続けた。
ここで思いがけず既視感に襲われた。
この構図――これは、チャチャム画房にてお弟子さんが描いていた習作、『英雄の誕生』の構図そのままではないか。
「これから全て良くなる。お前が頑張る必要はない。俺が、この世の全てを執り成してやる。だから――お前の全てを俺に委ねろ」
ふと、彼の片手が離れ、懐から符を引っ張り出してくるのが見えた。
――直観で理解した。
光が溢れ、私を包む。これはきっと、例の使い魔を特定して力を借り受ける改良〘人魔合一〙の術の符だろう。定着すれば、私はマネの月を蝕むものになる。
だが、そんなことは今更どうでも良かった。
心胆から這い出てきた悍ましき気配が、私の心を、私の頭を、私の体を支配してゆく。
――そう、私は理解してしまった。
彼の眼に混じる、狂気とは別の何かの正体を。
〝魔界〟から流れ込んでくる魔力の奔流を一身に受け止めながら、私は心の中で誓う。
(私は――幸せになる)
いや、幸せにならなければならないのだ。
そう思った時、心胆から這い出てきた悍ましき気配は遂に私の眼に至り、そこへ狂気の火を灯した。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!