揺らいでいる。
継ぎ接ぎだらけの大所帯を支えてきた屋台骨が、大きく揺らいでいる。耳障りな軋音を響かせて、ぐらぐらと揺らいでいる。
思えば三百年。建国の英雄が残した然して青くもない血筋が、よくぞここまで続いたものだ。よくぞここまで国を支え通したものだ。
だが、それも最早これまで。
経年劣化を遂げた古臭い屋台骨をいつまでもそのままにしておく理由がどこにあろうか。否、そんなものはない。何ら手を加えず放っておけば、いずれ腐り落ちた屋台骨の下で家族ともども生き埋めになるのがオチだ。
直さなくてはならない。
それが叶わぬのなら取り壊さなくてはならない。
――今すぐに。
鋤、鍬、鋸挽を手にした、むくつけき大工どもが群れをなし、新時代の幕開けを謳い文句に肩を並べて押し寄せる。
むせ返るほどの、血と硝煙の匂いを撒き散らしながら。
触手の魔女・外伝 4.落日
長らく体制側を悩ませていた民宗派も、『ルクマーン・アル=ハキム』という片翼を失ったことでその脅威度は著しく低下した。活動も散発的となり、『聖歌隊』の仕事も残党狩りが大半を占めるようになって規模を縮小された。
しかし、彼ら民宗派の残した影響は今なお無視し得ぬ存在感を発揮し続けている。
王と貴族の対立に端を発する世間の騒擾は、一世を風靡する啓蒙思想だけでなく、民宗派の残した民族主義や古き信仰とも結び付いた。
民族主義者による分離運動――少数派部族・勢力が中央からの分離独立を目指すこと――に関しては、この国の成立経緯から孕む宿痾のようなもの。
当代イリュリア国王――〝狂王〟が真に憂いたのは古き信仰の復古だった。
多くの平民は、さしたる抵抗を示すことなく信仰復古の流れに乗っかった。なぜなら、元より名目上こそ国教会信徒であったものの、その実は信仰対象を『神々』から『唯一神』へ挿げ替えただけのハリボテの信仰であり、古くから伝わる民族宗教的な慣習などは未だ各地に色濃く残っているような有様だったからである。国教会は、そのような実情を把握しながら実益を取って見逃しており、それが事ここに至って仇となった。
聖典は焼かれ、祭服は引き裂かれ、ここに『唯一神』は死んだ。
敬虔なる国教会信徒を自認する〝狂王〟にとって、己の信仰と『唯一神』が否定され、あまつさえ聖職者の一部までもが国教会を弾圧するような政策に賛同する様は、到底受け入れがたいものがあった。
「今が、ご決断の時です。我が王」
宰相にして人民議会の議長も務めるロイ・アーヴィンが、力強くそう進言した。ここのところ、野心家のロイ・アーヴィンにしては柄にもなく親身になって、さながら側仕えのように王に尽くしていた。
先の民宗派本拠地強襲作戦が実行された際、有効な説明なく軍隊を王都へ召集したことに不満を感じた平民たちが各所で暴動を起こした。強襲作戦に従事していた軍は、目と鼻の先に居ながらその暴動に介入することができなかった。
この出来事が王家の凋落を示す証と見なされ、これをきっかけに貴族たちの亡命が相次いだ。そんな流れの中にあって、ロイ・アーヴィンはイリュリア王国に留まる選択をした。
しかし、これがイリュリア王国と王家に対する忠誠を意味しないことは、〝狂王〟も重々承知していた。
というのも、ロイ・アーヴィンは〝狂王〟の横暴を諌める能臣という同情的な評価を平民や人民議会の議員から得ており、なおかつ〝狂王〟とのパイプ役として革命勢力の中でも大きな存在感を示していた。ゆえに、他の貴族のように形振り構わず保身をはかる必要もなかったのである。
そして、かねてよりロイ・アーヴィンが王座を狙っていたことなど、聡明な〝狂王〟にはお見通しだった。
「ロイ・アーヴィンよ。『私が動けば、民草も動く』――その言葉に偽りはないな」
「はい」
持ち上げられたロイ・アーヴィンの両瞳はガラス玉のように澄んでおり、隅々まで見渡しても野心家の打算は見つけられなかった。
信じたい――だが、信じがたい。
けれども、他に選択の余地があろうか。〝狂王〟は暫し黙考し、やがて諦めたように息を吐いた。
「……よかろう、そなたの献策に感謝する」
ロイ・アーヴィンが〝狂王〟へ奉じた策、それは秘密裏に国王一家が王都を脱し、道中で王党派の護衛軍と合流しつつ南下。元・宗主国であり王妃の祖国でもあるアルゲニア王国軍と合流し、再び王都へ帰還するという計画である。
もはや、国内だけで事を収めるのは不可能に近く、諸外国の中でも歴史的経緯から親密なアルゲニア王国に解決の助力を求めた訳だ。
外国の軍事力をもって、地方の支持を背景に人民議会へ圧力をかけ、彼らの政治的な妥協を引き出すのが狙いである。ゆくゆくは、新たな議会を設立しそちらで予算を掌握すること――つまりは人民議会本位から国王本位の体制へ回帰することを目指す。
革命は余りにも先鋭化し過ぎた。それが、ロイ・アーヴィンを始めとする、王党派あらため『立憲王党派貴族』の総意であった。
〝狂王〟にとって、脱出の選択肢は国内の分断を招き、内戦を喚起する恐れがあるために出来るのなら避けたいものだった。
血を見たくはない。
それが、自国の民草であれば、なおのこと。
しかし、度重なる苦境が遂に〝狂王〟の首を縦に振らせた。
第一の苦境は政治。
王の政敵は身内にも居た。アルゲニア王家から嫁いできた王妃は、今や獅子身中の虫と化している。彼女は、いつしか夫たる〝狂王〟へ何の断りもなく宮廷内に派閥を形成し、政治に煩く口を出すようになっていた。
それは、夫を助けようという善意からくる行動ではあったのだが、船頭多くして船山に登るを地で行くような有様で、結局は考え方の違いなどにより足を引っ張りあっただけに終わった。
第二の苦境は信仰。
革命の盛り上がりに伴うイリュリア国民の古き信仰への傾倒は、国教会の大元である神聖エトルリア帝国に御座す教皇の不興を買った。信仰に篤い〝狂王〟は、教皇にむけて手紙を書き、イリュリア王国と己自身の信仰が常に『唯一神』にあること、そして自身が権力を取り戻した暁には必ずや信仰を取り戻すと誓った。
第三の苦境は軍事。
二ヶ月ほど前、復活祭のミサを行う為にベテシャン宮殿へ向かう途中、これを王族の逃亡と勘違いした平民に取り囲まれ、馬車の出発前に人垣で門を塞がれた。騒ぎを聞き付けてきた英雄の呼び声高きあのベルンハルト中将も、王直属の近衛隊も、近衛隊の魔法士部隊『露払う影』に所属する近衛魔法士官も、誰一人として猛る平民を制御できなかった。
それは平民の暴力を恐れた訳ではない。彼らを過剰に弾圧することで、反革命のレッテルを貼られることをこそ、真に恐れたのだ。
結局、ベテシャン宮殿への行幸を中止すると発表するまで平民たちを解散させることはできなかった。このことは、〝狂王〟とその家族が虜囚の身に過ぎないことを当人含め世に知らしめる出来事となった。
このような経緯があり、〝狂王〟は遂に王都脱出を決意したのである。
計画は、アルゲニア王国を祖国とする王妃の主導で進められた。しかし、アルゲニアへ亡命する気だった王妃と違い、〝狂王〟は飽くまで国内に留まることを主張し、国境付近の都市ベロエアにて籠城することになった。そこへ亡命貴族らも呼び寄せ、革命に反旗を翻そうと目論んだ。
ロイ・アーヴィンの助力を受けて一~二ヶ月かけて準備を整え、そして遂に決行の日を迎えた。
深夜、国王一家は夜闇に紛れて宮殿から抜け出した。一家は他国の貴族に成りすまし、用意しておいた馬車に乗って王都を出立した。
結果から言うと、この計画は失敗した。
度重なる不運とアクシンデントに見舞われ、一家はベロエアにまで辿り着く前に捕縛され、そのまま王都へ引き返すことになった。
『国王に礼を尽くすものは撲殺。国王に非難を加えるものは縛り首』
そのような警告を記した剣呑なビラだけが、王都へ戻った国王一家を出迎えた。
これまで平民は特段〝狂王〟を敵視してはいなかった。むしろ、擁護する立場のものが大多数であった。しかし、この出来事は〝狂王〟が反革命を目論む裏切り者であることを露呈するものであり、それが平民の反感を買った。
この時をもって、〝狂王〟は真に平民の敵となったのである。
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