3.イディギナ・バリフ川渡河攻撃作戦
「――まず、トゥトゥルの砦を取り返す」
私は、軍議に出席している幕僚一同に向かってそう切り出し、地図上ではイリュリア共和国の領土とされているトゥトゥルを指し示した。
これまでの戦闘でパルティア方面軍は負けに負けて、こちらから攻め込んだ筈がむしろ領土を失っていた。
〔図1.現在の戦線〕
まずはこれを取り返すところから始めなければならない。
「前任者の敗因を分析しましょう。第一にこちらの側の戦力が相手より劣っていたこと、第二に渡河攻撃だったこと、第三に指揮官の指揮能力が足りていなかったこと……ざっくり言うと、この三点でしょうね」
我々の兵力は、相手の兵力よりも劣っている。
パルティア方面軍には総勢6万3千の兵士が居るが、そのうち戦場に投入可能なのは3万7千ほどだった。対する、パルティア軍――いや、メソポタミア軍の兵力はというと5万1千以上と目されていた。動けるものが、だ。
ここで、メソポタミア軍という呼称に説明を挟まなければならないだろう。私たちが『未回収のイリュリア』と呼ぶ地域には、もともと三つの王国が存在していた。
イリュリアに半ばほど取り込まれている、南東部の『ハニガルバト』、中央部のプラトゥム・イディギナ川上中流域を支配していた『アッカド』、北部の下流域を支配していた『シュメール』の三国である。
〔図2.『未回収イリュリア』に含まれる三国、そしてメソポタミアの位置情報〕
それらを三国を纏めた総称が『メソポタミア』だ。意味は「川の間の地域」。その名の通り、メソポタミアは二つの大きな川、プラトゥム・イディギナ川と共存する土地で、ここの肥沃な土地はその二つの川の恩恵によって齎された。
このメソポタミアはパルティア王国の侵攻を受けてその領土に取り込まれた歴史があり、内部に確執を抱えている。軍隊も大きく二つに別れており、ザジロスト山脈を挟んでこちら側に居るものがメソポタミア軍、向こう側にいるものがペルシア軍と呼称されていた。
「それで――」
幕僚長たるルシュディーが皮肉げな口調で尋ねてくる。
「今挙げられた問題点について、総司令官閣下はどのような解決策を考えておいでで?」
他の幕僚たちが、新たな幕僚長の発言に慄いている。前任の総司令官は、余程の恐怖政治を敷いていたと見ゆる。まあ、畏怖される分には良いだろう。ここは上意下達を旨とする軍隊であるのだから。
私は彼ら幕僚たちの反応を意識しつつ、ルシュディーの質問に応えた。
「前二つに関しては腹案がある。そして、私の指揮能力に関しては言うまでもないことでしょう」
勝算は大いにある。もともとは三国だったところをパルティア王国が侵攻し、無理矢理に纏め上げた経緯があり、我がイリュリア国内に諸派・諸主義が紛糾するように、彼らもまた一枚岩ではない。そこに付け入る隙がある。
「ふむ。では、どのように攻めると? 極力、渡河を避けるので?」
「いいえ。むしろ――二度、渡河する」
私は地図上の二つの川――イディギナ川とその支流バリフ川――を横切るようになぞった。
〔図3.渡河ルートその①〕
すると、即座にルシュディーが私の提示した案を切って捨てる。
「不可能だ」
「できるわ」
同じく即座に切り返してやると、ルシュディーは駄々をこねる子供を宥める時のように「ふぅ」とため息を吐いてから言った。
「そういえば、貴様はエドムの生まれだったな……バリフ川は枯れ川ではないぞ。一年を通して水が流れる恒常河川だ。まさかとは思うが、西のハブール川と取り違えてはいるまいな?」
「当たり前でしょう」
「では、幕僚長としては渡河攻撃に際して別ルートを提案させてもらう」
そう言って、ルシュディーは地図をなぞった。
〔図4.渡河ルートその②〕
「正面の岸際に大砲を固め陽動作戦を取りつつ、西側から回り込んで敵戦力を攻撃。或いは、第二次案として渡河後に敵の補給線を狙うという手もある」
「安牌といえば安牌ね。でも、それでは遅すぎるのよ」
「というと?」
私の真意を探るように、ルシュディーは深い洞察の眼で私を見る。別にそう暴き立てるような真似をしなくても良いというのに。このパルティア方面軍に呼び付けた時から、ルシュディーは相も変わらずその疑心を隠そうともしない。
「まさか、貴様ともあろうものが功を急いでいる訳ではあるまいな?」
「当たり前でしょ」
かつて、建国の英雄シャーンドルが目指したと言われる『理想郷』とは、この『メソポタミア』のことである。
だからという訳ではないだろうが、我が国のメソポタミアへ向けられる領土的野心は計り知れないものがあった。現実的なところでは食料自給率の改善というお題目も使われた。庶民的には食料価格の改善か。
ともあれ、私はそんな俗な理由で急いでいる訳ではない。
(疑り結構! どうせ、アンタは流される)
私は、トゥトゥルからずっと西へ指先を滑らせ、ザジロスト山脈を越えた先にあるペルシア地方を指し示した。
「ザジロスト山脈の向こう――ペルシア地方では、我がイリュリア共和国の思想的影響を受けて『革命』の兆しがあることは皆、知っているわよね? そのゴタゴタが落ち着く前に決着を付ける必要があるわ」
現状、パルティア王国の戦力は殆どペルシア地方に置かれていた。もともと、王家の跡目争いで揉めに揉めていたところに『革命』の兆しだ。さぞかし、てんてこ舞いなことだろう。
イリュリアがまだ王国の国号を使っていた時、民宗派との最終決戦に兵を駆り出していた所為で、アラブ新領地地方へ攻め込んできたヒジャーズ王国への対応が遅れた時と同じようなことだ。
また、イリュリア・パルティア両国の隣国であるアルゲニア王国のことを考えても、今が『未回収のイリュリア』を回収する絶好の機会と言えた。
今のところ、アルゲニアに対しては軍事的にでなく、政治的に対処できている。
恐らく、イリュリアの統領筆頭であるイスラエル・レカペノスがアルゲニア王国に縁を持つものであることが大きいだろう。
実際、イスラエル・レカペノスの方も関係改善のためにアルゲニア側へ働きかけていると当人から聞いている。なので、短期決戦で事を済ませてしまえば、アルゲニアが心変わりをしたとてその時には既に介入するタイミングを逃しているだろう。
「その期限が例の一年って数字な訳よ」
「……それはどういう計算なんだ?」
「時季が、そう告げている」
呆れるルシュディーのために、私は指先を少し東へ戻して『アッシュル』を指し示した。
「案ずるなかれ、ルシュディー幕僚長。――ここ、メソポタミア地方の心臓とも言える難攻不落の都市アッシュルを陥としてしまいさえすれば、『未回収のイリュリア』は自動的に割取できる」
もちろん、イリュリア共和国の領土としてメソポタミア地方をそっくり併合するというのは難しい。なにせ文化も違えば言語も違う。なので、新たに衛星国を幾つか建国して、という形になるだろう。
元より、ザジロスト山脈によって分断されているメソポタミア地方とペルシア地方の精神的繋がりは希薄だ。レイラの働き次第で、それはルシュディーが心配することもなく円滑に進むであろうと私は見込んでいた。
ダメ押しにもう一声。私は、とっておきの口説き文句を放つ。
「――それに、私はまだ腹案の方を明かしていないんだけど?」
「良いだろう……その腹案とやらを話してみろ」
何だって、そう偉そうなんだ? 私の方が偉いのに。
これでルシュディーが無能なら一発カマしているところだが、実際、言っていることは確かだし、才能もあるのだから大目に見てやろう。
私は、器の広さをこれでもかと部下たちにアピールしつつ、彼らに腹案の内容を語った。
軍議が終わり天幕から出ると、出待ちをしていたファンにいきなり絡まれた。
「――リン、やっと掴まえたわ!」
「チッチッチ……」
道理を弁えぬグィネヴィアに対し、私は人差し指を立てながらリズミカルに舌打ちする。全く、さっきのルシュディーですら、ちゃんと「総司令官閣下」と呼んだというのにグィネヴィアときたら……。
私は、至極丁寧に訂正した。
「『リン』じゃなくって『総司令官閣下』ね。『総司令官』、或いは『閣下』でも可」
「ちょっと、どういうことか聞かせなさいよ!」
「もー……うるさいなあ。なに? いつまでも学生気分なんだったら怒るよ?」
とはいえ、実のところグィネヴィアが何の話をしに来たかは分かり切っているのだが。
「何って、それは私の役職の話に決まっているでしょう! 私は将校魔法士官になるつもりで来たんだ! それが、何だ――工兵魔法士官ってのは? 見たことも聞いたこともない! 大体、工兵なぞ一般兵の仕事だろう! まさか、さんざ杖を交えた私の実力を疑っている訳でも――!」
「――黙れよ」
ちょいと声を低くして凄んでみれば、余裕を失っていたグィネヴィアは容易く気圧されてくれた。
「頭が不安を見せるな。頭が揺らぐ時、手足たる部下はもっと揺れている」
アンタは、曲がりなりにもその工兵魔法士官のトップなのだろうが。
「リ――」
「総司令官閣下」
「……リン総司令官閣下」
しぶしぶながら、グィネヴィアは呼称を改めた。
「よし」
これ以上の特別扱いは他のものに示しがつかない。そして、それはグィネヴィアに取っても良くないことだ。
上意下達を旨とする軍隊にあっては、役職に基づく上下関係を妄りに乱すような行いは厳に慎まなくてはならない。グィネヴィアのように他者を従える立場にある者こそ、下の者の模範であるよう心がけるべきだ。
実績あるルシュディーはともかく、グィネヴィアの立場は少し特殊なものになるだろうから、ここのところはしっかり躾けておかねばならない。
「説明はしてくれるんだろうな……? 私だって、我儘を言ってる訳じゃない。部下たちの不平不満を代弁している側面もある。要は突き上げを食らってんだ!」
「説明が欲しいと言うのなら、してあげてもいい。歩きながら話しましょう」
私は、目的地へ向かう道すがら、グィネヴィアのご要望に応えて説明を始めた。
「まず、工兵魔法士官は魔法使いの工兵よ。そのまんま。私が統領イスラエル・レカペノスに掛け合って新設してもらったの」
「それは分かる。理由の方を聞いているんだ」
「アンタの馬鹿げた魔力量はどう考えても工兵向きじゃない。それに、戦士以外を徒に軽視する風は魔法士的な古臭い価値観よ」
マネの記憶で見た。現代にある役職の土地管理官は、この地の呪祷士たちがもとになっている。彼らの術やその有り様を建国の英雄シャーンドルが取り入れたのだ。
確かに戦争で勝ったのは魔法士だ。しかし、その勝者が敗者から取り入れたという事実は、決して彼我の優劣が単純な闘争の中にないことを如実に示している。
まだ納得の行っていない様子のグィネヴィアに対し、私は彼女の名を出す。
「聞いて、グィネヴィア。これはね、レイラの希望でもあるのよ?」
「レイラの……?」
「そう」
案の定、グィネヴィアが食い付いてきたので、私はここぞとばかりに情に訴えかける。
「アンタ、やる気があるのは良いことだけど、戦後のことはちゃんと考えてる? ここで仮にイリュリアが勝ったとしても、よ。そこにアンタが居なかったら、レイラは悲しむわ」
「それは……レイラが?」
「ええ。……分かった? これでも私、かつての学友に格別の配慮をしてあげてるつもりなのだけれど」
少しは感謝してくれても良いんじゃない? と、グィネヴィアの脇腹を突いてやると、彼女はくすぐったそうに身を捩らせた。
「も、もう……やめて」
「なぁに、ちゃんと働いてくれたら文句はないわよ。人生は長いのよ。こんなところで死んでもつまらないでしょ」
「……分かったわよ」
ようやく納得してくれたか。これから、グィネヴィアに頭としての自覚が芽生えてくれることを願おう。
私は、思案顔で離れてゆくグィネヴィアを見送った。
「――ったく」
阿呆が。
なぜ、私がイスラエル・レカペノスに頼んで革命軍の月を蝕むものどもをパルティア方面軍から外させたと思っている。
私は心中で激しく何度も毒づいた。
グィネヴィアが工兵向きというのは本心だ。だが、この起用はそれだけが理由ではない。
(要らないのよ、この軍に)
――私以外に英雄じみた活躍をする人間は。
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