報復は止められなかった。
一度、事が起こってしまえば俺一人の小さな声なんて、群衆の上げる怒りのシュプレヒコールに容易く掻き消されてしまう。
結局、危惧した通りに報復の連鎖がこの地を覆った。
戦争から逃れるために来たこの平和な地で、また別の戦争が起ころうとしている。しかも、元を辿れば事の発端は俺の行いに起因している。そんなこと、到底看過できる訳がなかった。
しかし、驚いたのは移民たちの動きだ。彼らはまるで一個の軍隊のようだった。さながら軍事作戦のように、どこからか供与された武器を手に近隣の町村を襲撃、略奪、陵辱し、己が土地としていった。
俺も、アレクサンドレッタやその周辺諸都市の領主との繋がりを通して双方に掛け合ってはみたものの、移民側の戦意は凄まじく、それに呼応するように現地民側にも主戦論者が増加し、もはや歯止めは利かなくなってしまった。
憎しみは伝搬する。
慈しみなどより遥かに速く、強く。
名も知らぬ同郷の者が殺されたとしよう。その亡骸に縋り付く親族の姿が想起させるのは、同情ではなく『危機感』だ。自分がされた訳ではない。だが、これは確かに現実のものとして存在する攻撃であり、己と家族と仲間たちの生活と命を脅かすに足るものだ、とそう認識する。
『脅威を除け。除かねば死ぬぞ』
自分が、家族が、仲間が、そして共同体が……死を迎えるかもしれない。
かもしれない、というのがミソだ。この危機感は、人間が人間である以上どうしようもないものなのだと思う。こういった危機感を持たなかった部族はきっと滅んだのだ。生存競争を勝ち抜くためには、きっと必要不可欠だった防衛機制なのだろう。
そろそろ、遅まきながら俺も現実を見る頃かもしれない。
ここに『理想郷』は存在しないのだということを。
開戦から一年。
終止優勢を保ち続けていた『植民軍』は、大幅にその版図を広げていた。
軍事方面へ特化していた魔法士の〝力〟に対し、呪祷士の〝力〟は多方面をカバーするがゆえに戦闘能力では劣っていたことが主要因だ。
まず、ペリシテ都市州が白旗を上げ、次はユダ王国、サマリア王国といった順に植民軍の傘下に入った。植民軍の指導者である【シャーンドル】は、この三国を纏めて『アルゲニア植民地帝国』と称した。
遅まきながら、俺はここで初めて我が祖国アルゲニア王国の関与があることを知った。
アルゲニア植民地帝国は、大規模植民と民族浄化を同時進行させる『理想郷政策』を実行していった。その結果、数え切れないほどの人々が住処を終われ、新たな難民となった。
「植民者どもめ!」
植民者によって『土着民』と蔑まれるようになった彼ら現地民は、『植民者』の語を用いて憎しみを送り返すようになった。対立はますます激化する一方である。
そんな中、植民軍あらためアルゲニア植民地帝国軍はエドム王国を次なる領地と定め、北進を開始した。
これは恐らく、宗主国たるアルゲニア王国の指図だろう。俺も情報収集を続けるうちに、アルゲニア王国の狙いが見えてきた。
彼らは、交易路の大幅なショートカットを試みようというのだ。
ガリア帝国なども、交易の過程でかかってしまう高い関税を避けるために植民地支配を通じて独自に東方と西方を結ぶ交易路を確立しようとしているが、これは他の列強国との奪い合いを理由に難航している。
そこでアルゲニア王国は妙案を閃いた。
他国は皆、アフリカ大陸を迂回する『海路』に活路を見出しているが、別に『陸路』でも問題はなかろうと。
現在、エドム王国とケメト王国――アルゲニア王国軍が侵攻中――の両国が、西方と東方を繋ぐ窓口の役割を果たしている。
アルゲニア王国の狙いは、最初からこの両国を抑えることだった。
しかし、ここで疑問がある。少なくとも、数年前の時点ではそのような計画は議題にすら上がっていなかった筈である。アルゲニア王国軍にいた俺にとっても、寝耳に水のことなのだから。
つまり、誰かこの話をお膳立て含めて持ち込んだ者がいる。
そこまで考えが至れば、後は悩む余地はない。そんなことをする奴は……いや、そんなことができる奴はこの世に一人しかいないだろう。
俺は、マネを信仰する神官たちを頼り、植民地帝国軍の眼を避けながらエドム王国の北端に位置する港湾都市ベレニケに潜り込んだ。
神官たちの情報によれば、【シャーンドル】もまた占領したばかりのこの都市にやって来ており、近々神殿を訪れる予定だという。
俺はそこで、全ての決着を付けるつもりだった。
神官たちの手引きで神殿に侵入した俺は、早々に衝撃的な光景を目の当たりにする。
神殿内部には、焼かれ、斬り裂かれ、刺し貫かれ、さながら幼児が遊んだ玩具をその場に散らかすように、惨殺死体の群れがそこかしこに散乱していた。
そして、その死体の先に佇む人物がいた。
「エリザベート!」
こちらを振り向いたエリザベートは、俺を見付けるとパァッと表情を明るくし、晴れやかすぎる笑顔を浮かべた。
「やあ、シャーンドル! キミが来るのを今か今かと待っていたよ!」
「……なぜ、神官たちを殺した」
俺は、歩み寄ってくるエリザベートが何気なく死体を足蹴にしたのを見て、思いっきり顔をしかめた。もう少し俺が早く来ていれば、彼らも死なずに済んだのかもしれない。そう思うと、悔やんでも悔やみきれなかった。
「ふむ……なぜ、か」
エリザベートは考え込むようなフリをした後、スラスラと答えた。
「キミの使い魔であるアブズの名を出すことで、彼ら土着の信仰は治世に利用できると考えたのだが……やはり、全ての権威はキミに帰依してこそ相応しいと思ってね」
「俺に?」
「ああ。ここへ来た理由は分かっているよ。私の国が欲しいのだろう?」
訳知り顔で、エリザベートは何度も頷いた。
いちいち癪に障る女だ。『私の国』だと? 植民地帝国が?
「エリザベート……お前は王にでもなるつもりだったのか? 難民を集めて?」
「そうだ。私が王様になれる国が欲しかった」
意味がわからなかった。そんな意味不明なことのために、この地で殺戮を繰り返しているというのか?
生まれて始めて感じる『激情』が、胸のうちに沸々と湧き上がってくる。
「でも、今は違う」
「何が違う」
問いかけた俺の声は、自然と震えを伴う。抑えようのない『激情』が、そうさせていた。
一方、エリザベートは陶然と情感を込めて答える。
「今は――シャーンドル、キミを王にしたいと思っている」
俺は天を仰いだ。有難迷惑にも程がある。金輪際、関わり合いになるのをやめてほしかった。今すぐに彼女との縁を切りたいと思った。
――なら、どうすれば良いか。お前は分かっている筈だ。
それは断じてマネの声ではなかった。俺の胸のうちから聞こえてきた、もう一人の俺の囁き声だった。
分かっているさ、と己に答える。
「キミは霊鳥の伝承を知っているか?」
「知らない」
「雄大なる霊鳥との契約は『英雄』の誕生を予期しているそうだ。眉唾ものと思っていたが、成程、キミを見た時に本当らしいと悟ったよ。私の使命は、王になることではなく、キミを王にすることだとね!」
「そうか」
「だから、私は今【シャーンドル】を名乗っているし、公的な場では顔も秘している。いつでも、キミに玉座を譲る準備はできているんだ!」
もう、言葉もなかった。
眼の前で踊る狂人の理解を諦め、もう一人の俺の囁きに従うことにした。俺は自分でも驚くほど滑らかに杖を取り、まっすぐエリザベートの顔へ杖を向けた。
「エリザベート、もう終わりにしよう」
魔法士が杖を向けるということは、その相手を殺すという絶対の意思表示だ。今吐いた言葉に嘘偽りが含まれていないという誓いの姿勢だ。
しかし、エリザベートはその不愉快な面を崩さない。
「良いだろう! 殺したいのなら殺してくれ、シャーンドル! そして、私を英雄譚の一文と飾ってくれ!」
「ぐっ、狂人が……! お望み通り、殺してやるよ……ッ!」
「来い! 来てくれ、僭称者に裁きの鉄槌を――!」
その時だった。
「――黙って」
突如として、エリザベートの胸から魔力の刃が突き出た。
やったのは俺じゃない。気配を殺し、いつの間にかエリザベートの背後へと回り込んでいたブーケパロスが、杖先に作った魔力の刃を思い切り突き立てたのだ。
(あれは――隠形!?)
魔法士ではなく呪祷士の術だ。まさか、ブーケパロスが隠形の術を会得していたとは知らなかった。
血反吐をぶち撒けながら、エリザベートが魔力の刃を掴む。だが、その刃はピクリとも揺らぐことはない。
「き、貴様……! 誰を刺してる……グぅぅぅッ!?」
「貴方が歴史に名を残すことなんてない。無名の私に殺された、取るに足らない有象無象の一人として誰にも知られず死んでゆけ」
ブーケパロスが、グッと腕に力を込めたのがエリザベート越しにも分かった。
「グァあッ……この、下女風情がッ! 貴様こそ、シャーンドルの翼下にでも擦り寄らなければ、百度人生を繰り返しても歴史に名を残すことなど有り得ないゴミクズの癖に、何を出しゃばった真似をしているッ……!」
「例え私が本当にゴミクズだろうと――それでも私は今、ここに生きている。未来を綴る権利は生きとし生けるもの皆、平等にあるのよ……! さっさと死ねッ!」
やめろ、とエリザベートの口が動いた気がした。だが、それは声にはならなかった。なぜなら、その前に鋭く斬り上げられた魔力の刃が、エリザベートの気道も口も脳ミソも真っ二つに両断してしまったからだ。
左右に泣き別れてゆく上半身の向こうから、血飛沫を浴びて真っ赤に染まったブーケパロスがその姿を現す。
「ごめん、こっそり付いてきちゃった」
「……謝ることはないさ。付いてくるのも、エリザベートを殺すのも、君の自由だ」
「そっか……」
ブーケパロスは、魔法で生み出した水を頭から被り身を清める。そして、おずおずと切り出した。
「ねえ、シャーンドル……これからどうするつもりなの?」
「……決まっている。彼女に成り代わって後始末をするのさ」
エリザベートは【俺】の名を使っていたし、顔も隠していた。それは公然の事実だ。もともと、俺に成り代わってもらうためにやっていたことだから、成り代わる難易度は低い。
やってやれぬことはない。そう思いたいだけかもしれないが。
「そして、可能な限り、彼ら難民――いや、移民たちの面倒を見る。俺がやらなければ、より混乱が生まれるだろうからな」
「そうだよ。でも、混乱が生まれるだけ」
ブーケパロスは含みを持たせてそう言った。
「どういう……意味だ?」
「放っておいても、別の人が頑張ってくれるよ。その役目を、わざわざシャーンドルが買って出る必要が本当にあるのかな? このまま頑張っても、私たちは幸せになんかなれっこないのに」
そんな無責任とも取れるブーケパロスの言葉に、マネも同意を示した。
「オレ様も同意見だな。最初にお前が連れてきた奴らはともかく、エリザベートが押し付けてきた連中の面倒を見る義理はないぜ」
「しかし……エリザベートを殺してしまったのだぞ。今、我々の手で」
「シャーンドルが気にすることないわ。殺したのは私なんだから。彼らを放っておく罪悪は私が感じていれば良い」
ブーケパロスは慈愛のこもった微笑みを浮かべて、一歩、また一歩と俺のもとへ歩み寄ってくる。
「だから――」
そして、真正面から俺を抱きしめた。
「逃げちゃおう?」
耳元で囁かれたその甘美なる響きに、俺は腰砕けになった。膝から崩れ落ちる俺を、ブーケパロスはなおも上から覆いかぶさるように抱きしめ続ける。
まるで、伝承上の『神』のような慈悲深き抱擁に溺れ、俺は人生最上の幸福を感じていた。このままずっとこの時が続けば、どんなに良いだろう。天国ですら、今この瞬間には及ばないのではないか。
でも、それじゃあ駄目なんだ。
「ごめん……ブーケパロス」
それじゃあ、いつまで経っても現実は何も変わらない。何も良くならない。
俺は、ゆっくりとブーケパロスの腕の中から脱した。途端、俺たちの間に冷たい風が吹き抜け、人肌の温もりが俺の体からどんどん奪われてゆく。それでも、俺には己の意思を曲げることができなかった。
「俺は……降りない。エリザベートが残した【シャーンドル】の名を引き継いで、俺が植民地帝国軍の指揮を執る」
そして、必ずこの地に平和を取り戻して見せる。その過程では、無辜の民の血を見ることもあるだろう。
だが、俺はもう覚悟を決めた。
――本当に良いのか? シャーンドル。
ああ。
例え、この先の未来にあるのが『理想郷』でなく『暗黒郷』だったとしても、俺は万民のために最期まで戦い抜く。そうでなくては、俺は死ぬ時に自分自身を褒め讃えてやることができない。
「そっか……」
ブーケパロスは、悲しそうに曖昧な笑みを浮かべた。
「そうだよね。ほっとくなんて……できないよね」
「ブーケパロス、お前は……」
「やめて。私だけ除け者なんてナシ……でしょ? 私も手伝うよ。いえ、手伝わせて?」
俺たちは死体の群れに囲まれながら手を取り合い、どちらからともなくそっと接吻をした。そして、新婚夫婦のように仲睦まじく身を寄せ合いながら、そっと神殿の側廊を行く。
俺は、命尽きるまでこの人と一生を添い遂げるのだろう。
それこそ、地獄の果てまでも……。
歓声も祝福もなく、恨めしそうな死に顔を晒す惨殺死体の群れだけが、神殿を去る俺たちを見送った。
それはまるで、これから俺たちに待ち受ける運命の過酷さを象徴するかのように思えてならないのだった。
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