触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

魔法学院の落ちこぼれが、『スライム』と契約して『英雄』になるまで
塩麹絢乃
塩麹絢乃

6.開花 その⑥:華

公開日時: 2022年11月27日(日) 17:00
文字数:5,585

「調子が出てきたな! ここからはよりに行くぞ――!」


 クラウディア教官が杖で床を叩く。使い魔メイトの召喚――私と違って即座に展開したゲートから小さな人影が飛び出してくる。


「ヒャッハー! 久し振りの〝人界〟だなァ!」

「はしゃぎ過ぎるなよ、スパナー!」


 低位魔族、機鬼グレムリンのスパナー。悪戯好きの妖精フェイだ。額に小さな角が一つ、身長は50cmほどだがその顔は老けており、蓄えたむさい髭からはかなりの年季を感じる。


 話には聞いたことがあるが、実際にスパナーを見たのはこれが初めてだ。クラウディア教官とはかなり雰囲気が違い、随分と軽薄な印象を受ける。


魔法使いウィザード使い魔メイトは一心同体! ゆえに試合でも授業でも実戦でも二人で一人の扱いだ。しかし、お前がその合体戦闘で行くのなら、単純に考えて攻撃の手数差は倍となる。対処は必須だぞ?」


 クラウディア教官は、懐から取り出した何かをスパナーに向かって投げつける。


(あれは――小斧?)


 カラギウスの小斧だ。珍しい、初めて見た。機鬼グレムリンの矮躯でも十分に振り回せるサイズだ。スパナーは視線を交わすことなく阿吽の呼吸で小斧を受け取り、素早く私へ斬りかかってくる。


「くっ……小さくて、やりづらい!」

「お、言ったなァー!? 絶対にその足を切り落としてやるぞーゥ! ヒィーヒッヒッヒッ!」


 戯れる童子のように小さく跳ね回りながら、足元をちょこまかと動き回るスパナー。身長の低さが味方して、この鎖で入り組んだ場所でも存分にその機動力を発揮している。


 しかも、機鬼グレムリンの能力は人工物への干渉いたずら。ひとたび、私の剣に触れられてしまえば、その時点で一巻の終わり。瞬く間に機能を破壊し尽くされ、私は唯一の武器を失ってしまう。


 加えて、こいつは『死兵』だ。〝人界〟での体が崩壊したところで、〝魔界〟の方には何の影響もない。それゆえ、死を恐れずがむしゃらに突っ込んでくる。


 だが、スパナーにばかり気を取られてもいられない。


「広がれ、広がれ、広がれ、この世に無秩序という秩序を――【浸蝕する泥濘スプレッド・スワンプ】!」


 かなり長い構築時間を要したその魔法は、一見すると何の変哲もないのように見えた。しかし、普通の泥水との差異は杖先から滴り落ちて地面に触れた瞬間にすぐさま現れる。


 驚くべきことに、その一滴の泥水から深い泥濘が広がり、更にその泥濘から跳ねた泥水からもまた別の泥濘が広がり始めた。


 無限の自己複製――いや、使い手たる教官の魔力量という限界はあるのだろうが、それよりも増殖ペースの方が問題だった。このままでは、泥濘はあっという間にホール中に広がり、足の踏み場もなくなってしまうだろう。


 だが、それを阻止しようにもスパナーがちょこまかと動き回り、こっちの足を縫い止める。使い魔メイトが前衛を、魔法使いウィザードが後衛を務めるという、理想的な魔法使いの戦いをされてしまっていた。


 私はクラウディア教官の意図を察した。これぐらいの試練を跳ね除けられなくて、教官が安心して逃げられるか。


「マネ、気合入れなさい。今から決着の瞬間までわ!」

「マジかよ!? ンなこと、やれんのか!?」

「やるのよ。……大丈夫、策はあるわ!」


 マネの同意を得ず、私は飛んだ。この泥濘、床も壁もところ構わず侵蝕している様子だが、縦横無尽に張り巡らされている鎖の根本は一切揺らいでいないし、新たに鎖が張られた際やクラウディア教官が移動した際にはスッと避けて、元の床面を露出させている。


 私の直線的な機動力を殺すために鎖を残しているのだろう。それは正しい選択だと思う。しかし、一方でこれは足場として利用できた。


(私に足場として利用されるのを嫌って鎖を退かそうものなら――その瞬間、即座に仕留める!)


 次々と鎖に取り付き教官から距離を取るように動くと、スパナーが軽業師のように飛び回りながら付いてきた。落ち着いてスパナーの攻撃に対応しつつ、後ろ手にアメ玉の最終補給を済ませる。


「教官、残った三コでケリを付けます!」

「大きく出たな! さあ、来い――【降り注ぐ泥の雨マッド・レイン】!」


 今度は天井へ向けて新たな魔法が差し向けられ、天井にまで泥濘が広がる。横目に、天井の泥濘から垂れる泥の粒がつららのように鋭さを帯びてゆくのが見えた。


(落ちてくる――!)


 否応なしに煽られる本能的な恐怖を押し殺し、私は宙空を舞う木の葉のように逃げ続ける。


(あの『位置』に……あの『位置』にさえ辿り着ければ……!)


 上からは雨のように降り注ぐ泥の槍。

 横からは細かく刻み撃たれる魔力弾。

 下からは小斧による縦横無尽の斬撃。


 その狭間にて身を躍らせ、私は遂に『位置』まで泳ぎ切った。満を持して、マネに合図を送る。


解放バースト――一回目! 気づいていますか? 既に道は斬り拓かれた後なのです!)


 鎖を足場にグンと急加速し、遠くまで誘い込んだスパナーをその場に置き去りにする。目指すはホール天井、中央に鎖に吊られた華奢なシャンデリアの直上。まだ泥濘に侵されていない部分だ。


(天井への着地と同時に――二回目! をやるわよ、マネ!)


 天井中央を蹴り飛ばし、ほぼ直角に下方向へ切り返す。華奢なシャンデリアの装飾を掠めるように直下のクラウディア教官を急襲し、全身を浴びせかけるように剣を振るった。


「ルートを既に確保していたか! だが――【泥の盾マッド・シールド】!」


 文字通り渾身の一撃だったが、私の剣撃はクラウディア教官の足元から寄り集まった【泥の盾】により敢えなく弾かれる。


(……流石です……)


 思い返してみると、解放バーストからの斬撃を防がれたのはこれが初めてだ。流石に何度も見せ過ぎたか。あわよくば、とも思ったのだが。


 攻撃後の隙を狙って反撃の剣が襲いかかってくる。私はこれを【泥の盾】を蹴ることで紙一重で躱し、続けざまに放たれた前蹴りもマネに鎖を掴ませ後方に避ける。両方とも本気の攻撃じゃなかった。たぶん、無理をして深追いせずとも良いと考えたのだろう。傍目にも私のガス欠は明らかだから。


(これで私は地面に付いた)


 泥にまみれて立ち上がると、両足が泥濘の中にずぶずぶと沈み出す。これでは、もう戦闘どころか歩くことすら満足にできない。そんな私をじっと見つめる教官の表情は、少しだけ嬉しそうに見えた。


「ふっ……流石の速度だったが、生憎と何度も見た動きだ。直線的でしかないと分かっていれば、私程度でも対応できるさ」

「でしょうね。ですが……宣言通りに勝負はここで終わり。です」

「何だと? それは、どういう――」

「クラウディア! 上だ!」


 遠くに置き去りにされたスパナーがこっちへ戻りながら必死に叫ぶ。しかし、もう間に合わない。仕掛けは済んでいる。後は仕上げを御覧じろ。


 私はマネに合図を送った。


印地いんじ唐竹割り」


 カッ――と、注意しなければ聞き逃してしまいそうな小さな音と共に、どこからともなく飛来したカラギウスの剣が、クラウディア教官の足元に突き刺さった。


「こ……これ、は……!?」


 このカラギウスの剣はどこから現れたのか、という当たり前の疑問と驚愕をあらわにしたまま、クラウディア教官が膝から崩れ落ちる。


 ――斬った。


 あの剣は、教官の頭から股まで上から下に綺麗に通り抜けた。その証拠に、ホール中に張り巡らされた鎖は崩壊し、泥濘の侵食は止まり、スパナーは〝人界〟での姿を保てず徐々に消え始める。


「それは予備の一本です」

「よ、予備……だと? そんなものが、いつ、どこから……!」

「先程、あのシャンデリアとすれ違った時に、マネの体組織と一緒に予備の剣を残しておきました。それを今の合図で投げさせたのです。これでピッタリ三回目の解放バースト――いや、射出シュートとでも呼びましょうか」


 種明かしをすると、クラウディア教官は何やら衝撃を受けたような反応をした後、顔を俯けた。


「やはり……お前は……」


 泥濘に突っ伏しながらぶつぶつと呟く教官を、ようやく到着した崩壊寸前のスパナーが上から覗き込む。


「クラウディア……『後悔はなし』、だぜ?」

「ああ、分かってるさ、スパナー……」


 教官は寝返りを打つように仰向けに姿勢を変えた。自分の手でしっかりと斬った訳じゃなかったからか、アニマの完全な両断には至っておらず、まだ少しは動けるようだ。


「――さあ、トドメを刺せ」

「えっ……?」


 予想だにしていなかった言葉を受けて思わず狼狽えてしまう。だが、教官の目は本気だった。魔法の維持すら満足に出来なくなってなお、その戦意は些かも衰えていない。まだ勝負は終わっていないと全身全霊で訴えかけてくる。


 しかし、私は勝負はこれで終わりだと思っていたので、ここから更にトドメを刺すなんて執拗な真似は出来なかった。すると、教官は薄笑いを浮かべる。


「ククク……良いのか? 本当に私にトドメを刺さなくて」

「だって、そんなの不要ですよ。そんなことをしたって、私には何の得も――」

「残念、時間切れだ。床を通じて振動が伝わってくるぞ……」

「振動? ――あっ」


 私はようやくクラウディア教官の言わんとするところを察し、脊髄反射的に駆け出す。


 そうだ、確かに教官は負けていない。


 気が付けば、外の戦闘音はすっかり鳴りを潜め、嫌な静寂ばかりが辺りを包んでいた。ということはつまり――もう間もなく、アーシムさんたちが


「教官、何も言っちゃダメです!」


 もっと早く――!


 戦いでマネの体組織を使い果たし、床の泥濘にも足を取られ、かつては羽のように身軽に感じた体が今は鉛のように重い。


 もっと遅く――!


 扉の向こうから近付いてくる気配が、大勢の足音が、私にも伝わってくる。さっきはあんなにも頼もしく感じたアーシムさんが今は親の仇の如く憎らしい。


 ――相反する二つの願いは、しかし敢えなく双方ともに叶うことはなかった。


 クラウディア教官の数歩手前で、タイミングを計ったように目の前の大扉が勢いよく開かれ、アーシムさん率いる『猟犬』たちがなだれ込んでくる。それを見て、クラウディア教官は待ってましたとばかりに大口を開けた。


「ダメ――!」


 あまりにも悠長すぎる時を経て、ぎりぎりで私はやっと教官のもとにまで辿り着く。


(間に合え――!)


 駆け寄る私に向かって、クラウディア教官が鼬の最後っ屁のように剣を振るう。アニマの損傷が響いてへろへろのその攻撃を、私は足で踏み付け二の腕から抑えた。


 攻撃は勢いが乗る前に出鼻を封じろ――こんな時でも、教官の教えが生きていた。


(クラウディア教官、見て下さい! こんなにも、こんなにも私は――!)


 祈るように、ここまで育て上げてくれた恩師の喉元へ剣を振り下ろす。だが、魔力刃がその肌に触れる寸前になって、クラウディア教官の体全体がいきなりズブズブと沈み込んだ。


(――泥濘!? ああ、教官の杖が地面に――!)


 剣の攻撃は囮だった。そちらばかりに気を取られ、杖の所在が頭に入っていなかった。教官の背中にはいつの間にか後ろ手に杖が挟み込まれており、そこから新たに泥濘が作り出されていた。


 そのことに気付いた時には全てが遅かった。


 一瞬――だが、全てを終わらせるには十分な時間を教官に与えてしまった。


 空振る私の剣を見て教官はほくそ笑み、そして叫んだ。


「私だ! 私がフェイナーン伯を殺した!」

「ああ……ああぁぁぁ……!」


 脱力した手から空振りを喫した剣がこぼれ落ちてゆく。だが、失意に暮れる一方で、これ以上クラウディア教官を傷つけなくて良かったとも思う自分がいた。


(これでもう、本当に教官は……)


 もはやどうして良いかも分からずその場に佇むしかない私の足元で、教官は絶え絶えに声を発する。


「リン……悪いな。大人は……ズルいんだ……」

「……教官……本当にこれで良かったんですか……?」

「ふふ、ふふふ……だから、そんな顔をするんじゃないと言っているだろ……子供は笑え……笑うものだ……! それより……最後に、一つだけ教えておく……」


 段々と小さくなってゆく声に私は必死で耳を澄ませる。最後の教えを決して聞き漏らすまいと。


「お前は間違いなく天才だ……しかし、それは……もっと、大きな……」


 フェイナーン伯の死体に気づいた『猟犬』たちが、今のが自白だったことを数拍遅れて理解し、血相を変えて駆けつけてくる。


 クラウディア教官と私が互いに剣を振るい合っていたところを目撃されたのも良くなかった。『猟犬』たちは手際よくクラウディア教官を魔法で取り押さえにかかる。その上に跨るように立っていた私は、彼らの勢いに押されてどんどんと教官から遠ざけられてしまった。


(まだ……まだ、最後まで聞けていないのに……!)


 犯人と戦うなんて危ないぞ、何を考えているのか、と耳元で煩いマトモな猟犬たちを押し退け、必死にクラウディア教官のもとへ戻ろうとして……私は思わず足を止めた。


「――リン!」


 ああ……なんて、幸せそうな顔をしているのだろう。


「お前はの天才だ! 誰の枠にも嵌まらない自由な剣が、お前を導く――!」


 そんな顔を見せられたら……もう、何も言えないじゃないか。


「幸せになれ! 幸せ、に……!」


 その言葉を最後にクラウディア教官は意識を手放した。不完全な両断とはいえ、アニマを損傷したまま激しく動いたのが響いたと見える。


 この勝負は間違いなく教官の勝ちだ。彼女は最後の最後まで貫き通したのだから。


 自分の人生を、自我エゴを、幸せを――。


 敗北を自覚した私は無意識のうちに両手で顔を覆っていた。この場には、敗者といえども涙は似つかわしくない。そう思ったから、溢れる側から必死に拭った。


(全ては私が至らなかった所為……いや、教官の見出してくれていた私の才が至らなかったばかりに……)


 私は己を貫き通すことができなかった。後悔は先に立つことなく、涙はとめどなく流れてゆく。そしてその度に、教官の残した言葉たちが頭の中で何度も、何度も繰り返される。


 それは無粋な警察たちが巻き上げる捕物劇の喧騒を掻き消して、いつまでもいつまでも響き続けた。


読み終わったら、ポイントを付けましょう!

ツイート