「そういう訳で、私は王党派へ付くわ。一応、アンタにも言っておかなくちゃと思ってね。今回の件では……色々とあったから」
前に茶会をした時と同じガーデンテーブルで、私はグィネヴィアとレイラの二人に向き合っていた。
「そう、リンは……パパを殺した王党派に付くんだ……」
グィネヴィアは震える手でカップを傾ける。哀れでならない。すっかり憔悴しきっている。
「まあ正直、諸侯派には不信感があるし……指輪を盗まれたり、襲われたり――」
「――パパがそんなことする訳ない!」
突如激昂したグィネヴィアの手元でカップがグシャッと握り潰される。しかし、バラバラになったカップの破片も、その内容物であるお茶も、一切テーブルに溢れ落ちることはない。全て一緒くたにグィネヴィアの手中で凍らされ、一塊の歪なオブジェと化していたからだ。
「王党派にハメられたのよ! だって――私は民宗派とか一言も何も聞いてない! 聞いてない聞いてない聞いてない……!」
「ジェニーちゃん……」
隣のレイラがグィネヴィアを抱きしめ、耳元で慰めの言葉を囁く。
聞いた話だと、二人にも捜査の手が及んだそうだが、彼女たちの関与を示す証拠は一切見つからなかったという。よって罪には問われないが、疑うに足る人物であることは変わりないので、暫く監視が付いて回ることになった。今もどこからか見ているのかもしれない。
それからグィネヴィアが落ち着きを取り戻すまで、かなりの時間を要した。
「……分かった、分かったわ、貴方の意志は尊重しなくちゃね……」
「理解が得られたようで……何よりよ」
「……それじゃあ、今後は用がなければ話しかけてこないで。貴方の顔を見ると……殺したくなる」
グィネヴィアは、暗く窪んだ目で私を睨みつけながらテーブルを立った。その心情は察するに余りある。実際のところは聖人君子ではなかったとはいえ、命の恩人であるフェイナーン伯の死は相当に堪えているのだろう。
これで下手人が捕まっていなければ自ら仇討ちにでも向かわんばかりの勢いだが、犯人のクラウディア教官は既に捕まっており『シェケム監獄』の中にいる。それで、悲しみや怒りが行き場をなくしてしまっているのだ。
とぼとぼと歩き去ってゆく丸まった背中を見ていると胸が張り裂けそうな思いだが、彼女を慰めるのはきっと私の役目じゃない。
私はグィネヴィアが席を立ってもなお、まだ席に座ったままのレイラに視線を移した。
「ごめんね」
そう言って、レイラは申し訳無さそうに頭を下げる。
「ジェニーちゃん……居なくなったお父様の分まで自分が諸侯派を盛り立てていくんだーって張り切っちゃって。まだ余裕ない感じだから」
「別に良いわよ。命の恩人だものね。話ぐらいは聞いたことあるわ」
気にしていないと伝えると、レイラは「そっか」と一瞬安心したように頬を緩ませた。しかし、すぐに表情を引き締めて、逡巡の視線をテーブルの上で彷徨わせる。そして、俯いたままポツリと言う。
「……ごめんね」
「どうして、また謝るのかしら?」
反射的に尋ねた次の瞬間、私はその軽率な言動を後悔した。
「だって――」
レイラの顔がグワッと引き上げられる。
「リンの部屋から指輪を盗む計画を立てたのは、私だもの」
その顔を見た途端、言葉の内容の方は一瞬で頭から抜け落ちた。他ならぬ彼女の眼が、そうさせた。
(レイラ……アンタ……)
彼女の瞳に宿っていたもの。それはヘレナの眼の奥に見た狂気と酷似していた。折節実習の時も、茶会の時も、全くそのような片鱗は見せていなかったが、あれはよくできた擬態で本質的にはヘレナと同じ穴の狢だったというのか? あの気弱なレイラが。
身を竦ませることしかできない私の眼前で、レイラはその本性をどんどんと曝け出してゆく。
「サマンサを見繕ったのも私、ジャミルに籠絡させたのも私、封筒を用意したのも、ペンダントを用意したのも私……あっ、リンが好色だって嘘を吹き込んだのも私だよ。どうだった? 傑作だったでしょ? あははっ。ほら、私もジェニーちゃんと同じで拾われた恩があるから『ニナとは同じクラスだから詳しいだろう』って頼まれたら断れなくてさぁ、リンに指輪が渡ってからも継続して私が担当したんだよね」
「……そう……」
一瞬、レイラの所為でサマンサやクラウディア教官、グィネヴィアが……という考えも過ぎったが、不思議と彼女に対する怒りは感じなかった。その理由は恐らく、教官の『別の誰かが代わりにやるだけ』という言葉が頭に残っていたからだろう。レイラがやらなくても、別の誰かが指輪を盗む算段を立てた筈だ。他人の迷惑を顧みない、自分勝手な方法で。
それよりも、一刻も早くこの狂気じみた視線から逃れたい一心で私の胸はいっぱいになっていた。
しかし、その前にこれだけは聞いておかなくては私の気がすまない。
「……じゃあ、もう一度、今度はこう聞くわ。どうして、そのことをわざわざ謝ったのかしら。そんな面と向かって、言う必要のないことを」
「これは……お礼。中立派のリンにじゃなく、王党派のリンに向けたお礼なの」
「……どういう意味よ?」
「ふふっ、フェイナーン伯を殺してくれてありがとう! アイツ、邪魔だったのよ」
レイラが本当に嬉しそうに言うものだから、私はその意味を理解するのに少々時間を要した。半ば思考停止状態に陥りかけている私へ、レイラは更に滔々と言葉を畳み掛けてくる。
「ジェニーちゃんに抱きつかれてる時、アイツ露骨に鼻の下のばしててキモかったし。ジェニーちゃんに魔法の才能がなかったら絶対に手出してたよ! キモッ! リンには犯人を突き止める流れでついでに告発でもしてもらえればと思って、人づてに不正会計の情報を王党派に流したんだけど……まさか、殺されるとはね! 金を何処かへ流してるみたいだし、なぁんか後ろ暗いところのある奴だとは思ってたんだけど……まさかまさかの民宗派! くくっ、ざまあないわ。因果応報よ――ああ、せいせいした!」
私は目の前の人物が本当にあのレイラなのか自信が持てなくなってきていた。悪魔が化けて私を誂っているのではないかとさえ思った。しかし、マネは何も言ってくれない。残念ながら、このレイラは本物のレイラのようだった。
「で、さっきのはそのお礼。ふふっ……それにリンが悪い人じゃないのは知ってたし、なんとなく黙っとくのは悪い気がして……それだけだよっ!」
言えてスッキリしたというように晴れやかな笑みを浮かべるレイラからは、もう狂気なんて微塵も感じない。いつもの、年相応の少女そのものだ。それゆえに余計に空恐ろしい。
「あっ、ねえ今の……ジェニーちゃんには言わないでよね? お願いっ!」
「……言わないわ。言っても、きっとグィネヴィアは信じないでしょうけどね」
「そうかも。余計な心配だったかな。あははっ」
レイラはケラケラと笑った。あまりに邪気なく楽しそうに笑うものだから、私は人間不信に陥ってしまいそうだった。
「でも――」
レイラは急に笑いを引っ込めたかと思うと、不意に再びその瞳の奥に狂気を宿す。
「今回は私にも得があるから許すけど、今度ジェニーちゃんを悲しませたら容赦しないから」
それじゃあねとレイラは席を立ち、もう遥か遠くへ行ってしまっているグィネヴィアのもとまで駆け寄ってゆく。その二人が見えなくなるまで見送っても、私は暫くテーブルから動けなかった。
「すげぇな、あの年ですっかり女優だ」
「……日常から演技なんでしょうね。全然、分かんなかったわ」
何が『闘争心や反骨心というものを著しく欠いている』だ。レイラの関心はグィネヴィアだけに向けられているというだけだろう。派閥争いなんて、折節実習なんて、二の次にしているだけなのだ。
ヘレナの目は節穴かと心の中で罵ってみたりもしたが、すぐに違うと気付く。
(……いや、逆ね。きっと、それくらいヘレナだって気づいていたわ)
ヘレナは封筒のことも知っていたし、なぜかお屋敷へ行くようにも言っていた。下卑たもてなしも知っていた。つまり、あの時点で既にレイラから王党派へ情報が漏れていたということ。
『ヘレナ様はアナタに期待しているの。全身全霊で応えなさい』
やはり、ヘレナは全てを知った上で私に何かを求めていたのだ。それは恐らく、私がフェイナーン伯の悪事に迫ること。
『キミは必ず私のもとへ来るのだから』
そして、それにより諸侯派を見限って王党派につくことを確信していた。私を試していた訳じゃない、ただ確信していたのだ。だからこそ、私がフェイナーン伯が諸悪の根源であることを突き止めた時点で試験は終わりだった。
王党派によるタレコミが行われたタイミングは、私がジャミルに対峙したのとほぼ同時――これは偶然じゃない。なぜなら、何を隠そうタレコミをしたのはマチルダの家の使用人だったからだ。
つまり、私は諸侯派だけでなく、王党派からも動向を完全に把握されていた訳だ。
流石に、私がフェイナーン伯のお屋敷に無謀な突貫をしてからの一連のゴタゴタは予想外だったと思うが、それを除けば結局ずっとヘレナの掌の上だったということになる。
(そして、ヘレナの予言した通りに私は王党派に付こうとしている……)
ムカつくなぁ。と、そうまで考えたところで、私はふうと息を入れた。
「こんなところで、あれこれ考えていてもしょうがないわよね」
「だな、行くか?」
「ええ、もう時間だしね」
このムカつくは一度胸に仕舞い込み、二人に遅れること十数分、私は重い腰を上げてテーブルを立った。
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