ルシュディー以下幕僚たちと相談して作戦の詳細を詰め、遂に『イディギナ・バリフ川渡河攻撃作戦』は決行された。
前日のうちにトゥトゥル砦の伺えるイディギナ川の川岸に布陣させておいた。そのうち、『陽動部隊』と大砲だけを残し、他の戦闘員を夜の暗闇に紛れて移動させる。
イディギナ川に沿って、来た道を少し戻るように北東へ向かった我々は、夜明けと共に作戦を開始した。
「流るる氷気よ、大河と交わりて淀め――【凍る大地】!」
私の見立ては正しかった。
グィネヴィアの馬鹿げた魔力量は、やはり工兵向きだ。
白衣に包まれた大杖から身震いするような魔力の奔流が溢れ、瞬く間に一つ目の川――イディギナ川を氷漬けにした。
度肝を抜かれた様子の兵士たちが恐る恐る氷の上に足を乗せる。まさに、薄氷を踏むような思いだろう。しかし、何十何百という人間が足を踏み入れてもなお、その氷は流れることなくその場に淀んでいた。
凍っているのは表面の10cm程度だ。なのに、なぜ氷が流れていかないのかというと、私が川底に向かって『氷の根』を伸ばすよう指示しておいたからだ。『氷の根』が地面を掴むことで川面の氷は淀み、上流から絶えず流れてくる水も根と根の間を通るので氷を押し流さない。
(見事な出来ね……維持魔力を注がなくても三十分は保つでしょう)
全軍が渡り切るには十分だ。
「――よし、全軍進め」
私が言うと、隣りに居たルシュディーが大声で「進めェー!」と叫び、全軍に伝達する。全くもって良い声量をしている。参謀としてだけでなく現場指揮官としても優秀だな、この男は。
それと同時、遠くから砲門の開く音が聞こえてきた。
どうやら、向こうも始まったらしい。
渡河を円滑に行うために、我々本隊とは別に陽動部隊を動かしている。これはルシュディーの提案を取り入れた訳ではなく、私も前々から考えていたことだ。
陽動部隊に関しては、主にヴァレンシュタイン率いる装甲部隊の連中に一任した。前任の指揮官のもとでは満足に暴れられていないようだったから、ここらでガス抜きついでに華を持たせてやるのも良いだろうと思っての采配だ。
また、稼働時間という欠点を彼らの身を持って分からせるためにも、これはまたとない良い機会だ。短期決戦で終わる予定だからである。
彼ら装甲部隊は、次なる戦場の華形として魔法使いに取って代わる可能性を秘めた兵科だが、稼働時間という明確な欠点がある。
もし、常に全力で動き回れば、彼らの纏う『人工外骨格X-03』は五分と経たず単なる重い鉄塊と化すだろう。
けれども、それは今現在の話。
ルクマーン・アル=ハキムの置き土産である新魔石がある以上、今後の装甲部隊は進化することがあっても退化することはない。
「工兵部隊、急げ!」
グィネヴィアが部下たち――工兵魔法士官と一般工兵――を急かす。落ち着きのない様子の所為か今一つ求心力を欠いていたグィネヴィアだが、その卓犖した魔力量を以て部下に己の存在を認めさせることに成功していた。
また、工兵魔法士官に求められている仕事がなにかということに関しても、これ以上ないお手本を示してくれた。
兵は拙速を尊ぶ。
魔法使いの身体能力を遊ばせておく理由はないため、工兵魔法士官たちには一般工兵を抱えながら先行させている。これにより、一般歩兵と魔法士部隊が先行する工兵部隊に追い付く頃には、既に攻城戦の手筈が整えられていることだろう。
「今のところ順調だな。貴様の腹案は」
「ええ、そうね」
二つ目の川――バリフ川の渡河も、工兵部隊が道を整えてくれたことによって無事に成功し、遂に何ら遮るもののないトゥトゥル砦を眼前に捉えた。
この砦は、アルゲニア王国からもパルティア王国からも距離が近いこともあって、ヨッパと違い最新式の防衛設備――魔道具の結界――が備え付けられている。もちろん、例のアッシュルの結界には遠く及ばない代物ではあるが、それでも厄介なものには違いない。
その上、前時代的な砦の様相もキチンと備えており、なかなか完成度の高い砦だ。前任者はうっかりこれを奪われてしまったものだから、ここまで苦戦したとも言える。
さて、兵らは朝飯抜きで働いてくれている。昼食前には決着を付けよう。
「攻撃開始」
ここで、もう一つの腹案が空へ飛び立つ。
私が新設した魔法使いの役職は、工兵魔法士官の他にもう一つある。
その名も――航空魔法士官。
熟達した魔法使いであれば空を自由に飛び回ることは容易である。しかし、それがかつて見た『星団』の凱旋パレードのように、主にパフォーマンスでしか使われないのはなぜか。
それは、飛行魔法の難易度が非常に高く、それのみに魔力操作を専念しなければならないからだ。
飛行中に攻撃することは至難の技であり、仮にどうにか攻撃魔法を構築できたところで、空中から攻撃が届くということは地上の攻撃もまた届くということ。
要するに、戦場で空を飛び回って高所から攻撃しようとしても、不用意に目立って良い的になってしまうだけだった。
これは飛行のできる使い魔でも同様である。所詮は魔法使い一人分の魔力程度の耐久力しか持たないため、複数人から攻撃魔法が集中すれば秒で落とされてしまう。
そのような理由から、戦史を紐解いてみても殆どの場合、逃げる時か移動時にしか飛行魔法は使われていない。
だったら――魔道具に全て任せてしまえば良い。
飛行魔法を魔道具で補助する時代から、魔道具での飛行を魔法で補助する時代への歴史的転換。
火薬は、何も一般兵だけを助ける発明ではない。
三年前、ヨッパ近郊の砦にてイスラエル・レカペノスと邂逅する前に、私はクラウディアさんと共に、魔道具を使って超高速で飛び回る月を蝕むものと戦った。その時のことをヒントに、『ナタン工房』の天才魔法工学技師ナタン・メーイールへ新型の飛行用魔道具の製作を依頼したのである。
あの時の月を蝕むものは、ワイヤーのようなものとレールを壁に這わせ、更に自前の薄い羽根を併用することで超高速の動きを実現していたが、あれほどの速さは不要である。
必要なのは高度。
地上からの矢、石、鉄砲、攻撃魔法が届かぬほどの高度。何者にも犯し難い神聖なる空の支配者たるものは、ただただ高ささえ備えていれば資格十分なのである。
「投下」
ヒュー、と甲高い風切り音を響かせながら、航空魔法士官の手からナタン・メーイール謹製の爆弾が次々に投下される。奇襲的な攻撃だったことが功を奏し、同時に爆発した大量の爆弾は指示した通りトゥトゥル砦の中心部を一瞬で壊滅させた。
「――お、結界を張らないわね」
「どうやら、図面通りに結界魔道具を破壊できたようだな」
もともと、この砦はイリュリアのものだ。砦をすっぽり包むほどの結界を張るような魔道具はかなり大型なので、早々に動かせるものではない。こちらの設計図に記されている場所にそのまま留め置かれていたようだ。
普通、こういうタイプの結界は常時張らない。
魔法学院に張ってあったような結界は、物理的・魔法的な干渉を退けるような効果を最初から付与されていない上にサイズも小さく薄いため燃費が良く、研究目的ということもあって常時展開ができている。しかし、全ての攻撃から街や砦を守ろうとする結界はそれ相応に大きくぶ厚いため燃費が悪く、常時展開するのは魔力の無駄……というより、現実に不可能だ。魔力だって有限なのだから。
それにしても航空魔法士官は素晴らしい戦果を持ち帰ってくれた。提案した私としては鼻高々である。
こうなれば後は楽々勝。兵らを適当に突っ込ませたが、相手はロクに抗戦することなく逃げ出してゆく。
(撤退の判断だけ妙に早いわねー)
敵地で包囲されるのを嫌うのは分かるが……。
敵軍は統制が全く取れておらず各々の兵が散り散りに逃げているので、ここで攻勢をかければそれこそ赤子の手をひねるように敵兵を殺して回れるだろう。しかし、追撃はほどほどにしておく。今日は、かなりの長距離を急かすように進軍させてきたので、兵らにだいぶ疲れが溜まっていた。
また、追尾追撃――敵の背後を追いかけて追撃すること――になるということもあり、追撃には機動力と単体戦力に優れた魔法士部隊の一部のみを派遣した。
そして、イディギナ川から上った狼煙によると、トゥトゥル砦の陥落が川岸で陽動部隊と戦っていた敵軍にも伝わったらしく、そちらの敵軍も追って撤退を始めたらしい。そちらの敵軍に関しては、追撃を出す余裕はないので捨て置くとしよう。
私は、残った兵らに勝ち鬨を上げさせた。
「大勝ね」
「ああ、怖いぐらいに順調だな」
「相手の指揮官、余りデキが良くないわ」
改めて言うまでもなく、これまでの戦闘を見ればその実力のほどは一目瞭然である。トゥトゥル砦を獲得したは良いものの、そこから不用意な蚕食――手当たり次第の侵攻――を繰り返しては我が軍に撃退されるということを繰り返していたのだから。
こちらの指揮官の無能も相まって、何ともレベルの低い攻防をしてくれたものである。よくも、まあ、そんなことに限りある人的資源を費やしてくれた。
「撤退の判断が早いのは良かったと思うけど、兵の統制が全然取れてないトコを見るに、たぶん……いの一番に指揮官が逃げ出したんでしょうね」
ルシュディーと共にこの戦を振り返ろうとするが、特に滞りなく作戦が進行したので何も言うことがない。
ひとまず、ヨシュア君に斥候部隊の用意をさせつつ、破壊した結界魔道具の修繕に着手させる。
トゥトゥル砦は、今後とも後方基地の一つとして活用する予定だ。
昼食の準備を行いながら、陽動部隊を始めとする陣に置いてきた連中をトゥトゥルへ迎え入れた。
「皆、食ったまま聞け!」
戦勝ムードで盛り上がる中、私は陽動部隊の隊長格を皆の前に引き出した。
「彼ら陽動部隊が敵兵の注意を惹き付けてくれなければ、今回の勝利はなかった! 皆、盛大な拍手を!」
ロクな戦闘をしなかった本隊に対し、彼ら陽動部隊はずっと切った張ったを繰り広げていたのだから、せめて称賛ぐらいはくれてやらねば割に合わない。
活躍したのは航空魔法士官たちも同じだが、彼らは命を危機に晒した訳でもないし、褒めるのはまたの機会で良いだろう。どうせ、今後も大活躍する予定なのだから、褒める機会はいくらでもある。
「――フン、見世物にしてくれる」
とか何とか言いながら、ヴァレンシュタインの頬が少しばかり緩んだのを私は見逃さなかった。こんな簡単なことでそんなに喜んでくれるのなら、毎回やってあげてもいい。
しかし、それはそれで食傷気味になって逆効果か?
いや、どうせ短期決戦のつもりだし、問題はないか?
これはこれで悩ましい。
信賞必罰は大事だ。兵らに不公平だとか、自分だけ冷遇・差別されているだとか、そのような思いを抱かせてはならない。仮に現実問題そうあったとしても、絶対に確固たる不満を自覚させてはならない。
(勝ってるうちは問題ないでしょうけど……)
これから苦戦したり、損害が大きくなったりした場合、いかに士気を保つかということは真剣に考えなければならないだろう。
(まあ、それはおいおいやるとして)
今は戦勝の喜びに水を差さぬよう、精々騒ぐとしよう。
私は、いつかの宴会で見たツォアル侯の様子を思い出しながら、酒杯を片手に兵らの中へ飛び込んでいった。
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