扉を押し開いた私は瞬時に戦況を把握する。
ここは砦の大広間。
死者多数。手負いの者、二名――シンシアとクラウディアさん。どちらもまだ死ぬような怪我は負っていない。ルゥの時と違って、私は間に合ったようだ。
「――リン!?」
「リン、お姉様……?」
二人は驚きを以て私を迎え入れる。
瓦礫に身を埋めるシンシアは不安そうに私を見上げ、少しばかりの喜色を覗かせた。一方、大広間の中央に立つクラウディアさんは、すぐに慌ただしく周囲の索敵に戻った。
(……未だ戦闘中、か)
クラウディアさんの方は一旦捨て置くとして、私はまずシンシアのもとへ歩み寄った。
シンシアはもう戦えない。杖の機能を内蔵したカラギウスの槍を折られ、また左脚の骨も折られている。そして、魔力が底をついていた。ゆえに、彼女を優先して助けるべきと判断した。
「シンシア……ヘレナが死んだわ」
「ヘレナお姉様が……!?」
不安そうなだけだったシンシアの顔が、一気に絶望の色で染め上げられてゆく。まるで、初めて親と逸れた迷い子のように。
シンシアは、わなわなと震える手で顔を覆った。
「そ、そんな……それじゃあ、これから『革命』はどうなるの……!? この国は……私は、どうすれば……!?」
「分からないなら、ガリア帝国へ亡命なさい」
「……ガリアへ?」
「そして、向こうに居るロクサーヌを訪ねるのよ」
ロクサーヌには何も話していないが、きっと彼女はシンシアを悪いようにはしない筈だ。できれば手紙の一つでも持たせてやりたいが、そんな暇はない。
私が立ち上がると、シンシアは縋るように私の手を掴んで引き止める。
「リ、リンお姉様は……? リンお姉様も、付いてきて……くれるんですよね……?」
「いえ、私は行かないわ」
「そ、そんな……一人でだなんて……! 無理……無理です……!」
「私もそう思う。アンタって、まだ一人で生きてゆけるほど精神的に自立できてなさそうだし」
誰しも一人で生きている訳じゃない。寄り添い合い、助け合って生きている。それはこの激動の時代においても同じだ。むしろ、苦境に直面したことで人々の結束はより強まっているかもしれない。
だが、そんな時代だからこそ、人間は自分の精神を強く保っておかなくてはならないのだ。惰弱な精神では、強く、大きく、そして妖しげな他人に容易く同化し、流されてしまう。
この世に『唯一神』はいない。
正解などない。
自らの歩む道は、自らの意志で選ぶしかない。
――間違える勇気のない者に、この激動の時代を生き抜くことはできない。
シンシアは亡命すべきだ。
彼女はまだ、舞台に上がる資格すら有していないのだから。
私はシンシアの手を優しく解き、クラウディアさんの方へ歩を進める。そして、虚空へ向かって呼びかけた。
「――ねえ、聞こえる? アンタはイスラエル・レカペノスの護衛でしょ? 反乱軍の頭であるヘレナはもう死んだわ! これから敗走をするところだけど、アンタに敗残兵を嬲り殺しにする趣味はある? あるならアンタを殺してから逃げなくちゃならないんだけど」
取り敢えず助命嘆願をしてみると、返事は存外にすぐ返ってきた。
「そんな趣味はない。お前たちの行く末には何の興味もない。矛を収め、どこへなりとも行くが良い」
反響の所為で声の出処は分からないが、とにかく許しは得た。ここは彼の者の言葉を信用しよう。反故にするようなら殺すだけだ。
「そりゃどうも。シンシア、向こうの小部屋に行きなさい。そこでマチルダとアディエラが待ってるから」
「――駄目だ、リン」
せっかく、穏便に流れが決まろうとしていたところへ、味方である筈のクラウディアさんが異を唱えた。
「それでは駄目なんだ。イスラエル・レカペノスは絶対に殺さなくてはならない。例え、この身に代えても……!」
「はぁ……」
ため息が漏れた。私の中に残滓のごとく残っていた尊敬という尊敬が消し飛んだ。
まだ、理解できていないのか? この愚図は。
「クラウディアさん。私は、非常に申し訳なく思っているんですよ」
「こんな時になんだ……! お前も警戒しろ、敵は超高速で襲いかかってくるぞ……!」
「――やっぱり、貴方はあの時に死んでおいた方が良かった」
そう言うと、クラウディアさんはあんぐりと口を開け、さっきまでの警戒態勢はどこへやら、武器を構えていた手もだらりと垂れさせ、ただ呆然と私を見つめた。
「……何を揉めているが知らないがな、こっちも暇じゃないんだ。そっちのクラウディアとかいう女が闘る気だっていうなら、そいつだけでも殺していくぞ……!」
その途端、室内に竜巻が生じたかのような暴風が吹き荒れる。これは、声の主が高速で動いているために発生しているもののようだった。クラウディアさんの言った「超高速」という表現は誇張でもなんでもない。到底、眼では追えそうになかった。
しかし、私は少しの焦燥も感じることなく、ゆっくりとクラウディアさんのもとへ歩み寄ってゆく。
(超高速だって……? なら、なぜさっさと突っ込んで勝負を決めず、馬鹿みたいにこの大広間をびゅんびゅん飛び回っている訳?)
さっきの口ぶりからすると、相手は敵を甚振るようなタイプにも見えない。つまり、これは必然的な間――恐らく助走距離――だと考えられる。
この速さには、何らかのタネがあるのだ。
そして、その正体に私はもうとっくに至っていた。
「――死ねィ!」
「器じゃないと言っているんですよ。こんな低次の手合に苦戦するようでは」
私は一刀にて敵を斬り伏せた。クラウディアさんを狙いに来たところを、横合いに立つ私が返り討ちにした形だ。
べしゃっ――と、何かが地面にへばりつく。
見ると、それは蚊のような薄い羽根を持った異形だった。
だが、背中にあるのは羽根だけではない。羽根の間には、小型の魔道具が背負われていた。
恐らく、これが超高速移動のタネだ。飛行を補助する魔道具をよりピーキーに調整したものだろう。魔法使いには制御が難しくとも、月を蝕むものなら制御できる。
つまり、敵はその薄い羽根で飛んでいた訳ではなく、魔道具の力で飛んでいたのだ。そして、その大きすぎる推進力を制御するために、薄い羽根を用いていた。
ここまで推測し、私は敵の攻撃を待った。
超高速移動は、目くらましに過ぎないと考えたからだ。
攻撃をしかける際、恐らくその速度には一瞬の陰りが生じる。でなければ、まっすぐ殺しにゆけば事足りる話である。そうしないということは、つまり超高速移動はその事実を覆い隠すための目くらましだとしか考えられない。
私は自分の感性を信じ、視界の端に影が過った瞬間、カラギウスの剣をコンパクトに振るった。その結果がこれだ。私は、物の見事に勝利を手にした。
「クラウディアさん」
私は剣を収めつつ、クラウディアさんに語りかける。
「貴方は『英雄』にはなれない。そして、だからこそ闘争の先に望む『幸福』を掴むこともない。大人しく田舎で土でも弄っててくださいよ」
「は、はは……お前、マネはどうした?」
「用もなければ、呼びません」
すると、一呼吸ほどの間を置いて、クラウディアさんは狂ったように大声を上げて笑い出した。
「くっ、はははははは! お前の才能は、とうにその域にまで……! 私は……そうか、やはり私では駄目かぁ……! はっはははははは!」
笑いながら、クラウディアさんは眦から涙をこぼした。それが、笑い涙などでないことは誰の眼にも明らかだった。
私はクラウディアさんの肩を正面から抱きしめた。見上げるでもなく、見下すでもなく、ただ愚直に抱きしめた。痩せっぽちで、骨ばっていて、頼りないその肩を。
「安心してください。奴を生かすも殺すも、私が全部やりますから。だから、クラウディアさんはシンシアの奴をガリア帝国まで送り届けてやってくださいよ。シンシアには、貴方の才能が必要なんです」
笑いは徐々に収まり、クラウディアさんの落ち着いた声が私の耳元で響く。
「……マチルダとアディエラは……ガリアへ連れて行かなくていいのか?」
「それは戦場を脱出した後、当人たちに聞いてください。たぶん、アディエラは付いて行きたがると思いますが、マチルダは……どうでしょう、ヘレナの墓守りでもするんじゃないですか」
「そうか、分かった……」
クラウディアさんは、軽く私の背を叩いて抱擁から抜け出し、ふらふらと瓦礫に身を埋めるシンシアのもとまで歩を進めた。
「私の才能は……逃げること。ならば、彼女たちと共に逃げ果せてみせよう、地の果てまでも……」
一人で歩けないシンシアに肩を貸し、二人はマチルダとアディエラの待つ小部屋の方へ向かってゆく。途中、骨折した左脚を引き摺るように歩くシンシアがこちらを振り向いたので、私は軽く手を振った。
「じゃあね、シンシア。こっちが落ち着いたら手紙くらい書くわよ。もしかしたら、私もそっちに行くかもしれないし」
「リンお姉様……ごめんなさい、弱い私を許してください……」
「許す。元気でね」
「はい……」
シンシアは申し訳なさそうにしながらも前を向いた。亡命という行為に引け目を感じているのだろうことは分かる。しかし、そんなものは三日もすれば忘れるだろう。なにせ、シンシアは阿呆だから。
でも、それでいい。
引きずるぐらいなら、すっぱり忘れ去ってくれ。そして、ガリアで人並みの幸せを掴んでくれ。
「なあ、リン……」
クラウディアさんが、小部屋へ続く扉に手をかけたところで立ち止まり、私の方を振り向く。
「お前の幸せは見つかったか……?」
「いえ、まだです。今のところは、ひとまずイスラエル・レカペノスの奴がどんなものか、顔を拝んでからでも良いかと思ってますよ。貴方と違って、そう焦ってもいないので」
「そうか……」
クラウディアさんは眼を伏せて続ける。
「いつかお前に送った言葉を覚えているか? 『自由な剣がお前を導く』……と。それは実のところ私の理想であり、終ぞ実現できなかったことでもあるんだ。……私は、その未練を出来の良過ぎる教え子に押し付けて楽になりたかったのかもしれない」
「そうですね」
「しかし……満更、お前になら体現できなくもないと思っている」
すっと持ち上げられたクラウディアさんの両眼に浮かぶのは、やはり嫉妬と羨望の眼差しだった。「それじゃあな」と、彼女は扉を開いてシンシアと共に小部屋の中へ消えてゆく。
(ごめんなさい、クラウディアさん……死なせてあげられなくて……)
私の才能を最初に見出してくれた恩は、きっと一生忘れないだろう。
しかし、それとこれとは別の話。
自殺志願者の才で友人たちの命が助かるのなら、私はその才を利用するのに何の躊躇いもない。
だから、今はただ祈ろう。
誰かのためでなく、私自身の我儘を満たすために。
「――クラウディアさん、貴方の行く末に幸多からんことを」
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