5.蠢蠢
戦勝――久方ぶりに持ち込まれた吉報は、イリュリア共和国を大いに沸かせた。
その立役者たる私は『若き天才』として祭り上げられ、どこへ行っても国賓級の歓待を受けた。
そして、それはイスラエル・レカペノスも例外ではない。
これほどの成果を持ち帰ってきたのだから、公私ともども称賛の言葉ぐらいはかけねば割に合わぬというもの。王都への凱旋した直後、早速のお声がけがあり、イスラエル・レカペノスとの会食の場が設けられた。
以前と同じ会食の場――王都の高級ホテル――にて、イスラエル・レカペノスに挨拶する。
「遅参失礼」
「気にすることはないよ。この部屋に時計はないからね」
そちらこそ気にする必要はない。こちらも全く気にしていないのだから。
席に着きながら、私はざっとイスラエル・レカペノスの外見を観察した。王都を離れていた一年と少しの間に、彼の容貌には眼に見える変化があった。
「少し……老けましたか」
顔のあちこちに、かすかな小皺が増えたように思えた。すると、イスラエル・レカペノスは顔を僅かに綻ばせ眼を細めた。
「そういう君は一段と美しくなって帰ってきたね」
その時、不意に私の脳裏を掠めていったのは今は亡きシジズモンドさんの思い出だった。記憶の中の彼も、今のイスラエル・レカペノスと同じ表情をしていたような気がする。
短い挨拶を終え、私とイスラエル・レカペノスは料理に手を付けつつ言葉を交わし始める。今日は時間にも余裕があるので、互いに料理と共に言葉を噛みしめるようにゆっくりと話した。
会話の内容は、主に王都の近況についてだ。
「君のおかげでイリュリアの財政は随分と助かっているよ」
「そうでしょうね。取れるものは、あらかた取って参りましたので」
分捕品は殆ど国庫へ入れた。これで、赤字を垂れ流していた見るに堪えない帳簿も、少しは見れるようになったことだろう。
しかし、その一方で五頭政府の中には、これを危ぶむ動きもあった。
私へ民衆の人気が集まりすぎていることもそうだが、やはり国家の財政が私の分捕品に依存してしまっていることは、どうにも看過し難いことのようだった。
(どうでも良すぎるわね)
凡人の憂慮ほど、どうでもいいものはない。せいぜい好きなだけ心配し、好きなだけ思い煩うといい。嘆き、悲しみ、必死に藻掻いたところで、きっと凡人には何も変えられないだろう。
私は違う。
全てを、この手に握りしめてみせる。
「ところで……アレのことだが、やはり以前伝えたぐらいの時間は必要そうだ」
イスラエル・レカペノスの言う「アレ」とは、大門のことだろう。進捗は良くもなく悪くもなくといった感じのようだ。
「持ちそうですか?」
「策を講じてはいるが……厳しいな。時季の逆風がキツい」
イスラエル・レカペノスが表情を曇らせたのには理由がある。今年に行われた選挙では革命の反動からロイ・アーヴィンを筆頭に王党派議員が多数議会へ進出しており、その王党派の意向を受ける形で統領の一人が挿げ替えられていた。
共和派と王党派の対立が出来上がりつつあり、五頭政府(イスラエル・レカペノス)は両者の間で板挟みになっていた。
このままではマズイというのは傍目にも明らかなので、私は至極当然のように解決策を提案する。
「では、コンラッドなどを味方に引き入れてみてはいかがでしょう?」
「コンラッドか……議会内にかなりのコネを築いていると聞くが、信用できる男なのか?」
「いえ、全く。世の中の後ろ暗いところを領分とするような悪党です。油断すると諸共に食われますので、頼るおつもりでしたらご注意を」
正直にそう言うと、イスラエル・レカペノスは顎に手を当てて考え込んだ。
(食い付いた)
私は、さも今思い出したという風に付け加える。
「――ああ、そうだ。前に会った時、彼は『リン君が出世したら外務大臣のポストを融通してくれ』と言っていましたよ。冗談めかしていましたが、本音まじりでもあると私は見ました。もし、コンラッドを引き込むことに乗り気であるなら、外務大臣のポストを餌にしてみるのも良いのでは?」
「ふむ、ひとまずコンラッドのことは持ち帰って検討してみよう……実のある提案に感謝する」
そこで一度言葉を切り、イスラエル・レカペノスは「しかし、意外だな」と話を微妙に変えた。
「てっきり、ラビブ神父の名を出すと思っていたよ。君は王党派時代から彼と付き合いがあるのだろう?」
これは、探りを入れてきたと見て良いだろう。
ラビブ神父は、五頭政府の設立時に統領にならないかと持ちかけられたことがあるもののこれを断り、今は特命全権大使――外交の全権を与えられてい外交特使――として、神聖エルトリア帝国に派遣されている。それを呼び戻す必要はありそうか、というのが表向きの問いだ。
私は、焦ることなく口中の料理を飲み下し、水を一口含んでから表向きの答えを口にした。
「ラビブ神父ですか……彼は民衆からの人気もありますし、人間的にも善人なのですが……それまで、といった感じでしょうか。それと、実はコンラッドとも学院生時代からの付き合いなのですよ。彼は学院で数学教師をしていた時期もあるのです」
「なるほど」
イスラエル・レカペノスがそう言って、この会話は終わった。
(嘘は言っていないわよ)
ラビブ神父は民衆からの人気があり、人間的にも善人だ。「それまで」という表現だって、いかようにも取れる言い方だ。
(気付いているのか……それとも、まだ私を信用していないだけか)
私は密かに眼の奥でイスラエル・レカペノスの様子をじっと観察し続けた。
それから暫くして料理の殆どを片付け終えた頃、イスラエル・レカペノスが「そういえば」と切り出した。
「君の友人だというヨナが、また捕まったそうだよ」
「またですか?」
実はヨナちゃんは前にも革命的な行いが過ぎて投獄されたことがあった。釈放されたと聞いていたが、まだ懲りていなかったようだ。
私は呆れつつ、事の仔細を尋ねる。
「今度は何を?」
「共産主義……だそうだ。私有財産を否定し、真の平等社会を目指しているらしい。その実現のために政府転覆を企てていた。だが、内部に我々側の間者が居たことで、決行前に密告されて捕まった」
首謀者は既に処刑が決まっているという。ヨナちゃんもまた処刑相当の中心人物のようだが、私の友人であることが判明したのでこうして話を通してくれたらしい。これに関しては普通に感謝しておこう。
「助命嘆願をしておきます。あれでも、私の数少ない同郷の人間なのです。できれば、暫くどこか要塞か監獄にでも押し込んでおいてください。少々お灸を据える必要があるでしょう」
「出してすぐ再び問題を起こされても困る。君がそう言うなら、その通りにしよう」
イスラエル・レカペノスの提案で、ヨナちゃんはヨッパ近郊の要塞に監禁される運びとなった。
「では、この辺で私はお先に失礼します。まだ、旅の疲れも残っておりますので」
「そうか。そういうことなら引き止めるのも悪い。自愛したまえよ。リンは既にイリュリアの宝だ」
「過分なお言葉、痛み入ります」
他に話すこともないので、私はそそくさと席を立った。長居してボロを出したくもない。
「また何か、巻き返しの算段でも付いたらご連絡ください。王都におりますので、微力ながらお助けしたく思います」
「それは心強い」
護衛は相変わらず三人――今やるか?
……いや、まだだ。
私は形ばかりの礼儀を尽くしながら、早足にホテルを後にした。
数日後、私は下院議長が反革命活動に従事している証拠をイスラエル・レカペノスへ提出した。
これが最後のひと押しとなり、五頭政府はクーデターを起こす決断を下したらしく、コンラッドを通して私にもクーデターへの参画を求められた。どうやら、綺麗さっぱり王党派を政治の場から追い出してしまうことにしたようだ。
私はクーデターに賛意を示すと共に、適当な理由を付けて自ら参戦するようなことは避け、部下であるヨシュア君を派遣してお茶を濁しておいた。自ら参戦しなかった理由は、万が一クーデターが失敗した時のための保険である。
ヨシュア君の他には、ルシュディーが参戦するとのこと。彼は今、私直属の部下を外れて別の方面軍を指揮している。才能がないクセに、よくよくそういう局面に関わるのが好きらしい。
さて、今頃王都ではドンパチやっていることだろうが、私はこの隙にとある人物と接触しておくことにした。
「やっほー、ヴァレンシュタイン。調子はどう?」
「退屈だ。それ以外は良好と言っておこう」
路地裏に佇むヴァレンシュタインは、全身から倦怠感を迸らせながらそう答えた。
今現在、ヴァレンシュタインは軍属を辞めている。
『名声は既に得た。夢に見た戦場も経験した。もう思い残すことはない。であれば、面倒な軍属などさっさと辞するに限る』
――というのが、表向きの言い分だ。
表があるなら裏もある。戦場への未練を忘れられないでいるヴァレンシュタインには、この平穏が大層堪えるらしい。
「数年の辛抱よ。それを過ぎたらまた戦場へ連れて行ってあげる」
「それで……わざわざ呼び付けた用件はなんだ?」
「ああ、それなんだけど。私、これから王都を離れることになりそうなのよ。だから、次に連絡できるのは決行の日の直前になるって話」
ワキールを介しての連絡も控えたい。先の回収戦争におけるワキールの活躍が、まことしやかに市井で囁かれ始めている。いくら有用でも、情報漏洩の危険を冒してまで乱りに使うものではない。
「どうも、五頭政府に疎まれてるだけじゃなく、イスラエル・レカペノスにも怪しまれてるみたいでね」
「……なあ、これが最後だっていうなら聞いとくが、本当に今じゃないのか?」
「ええ」
そう言うと、ヴァレンシュタインは苛立ち混じりにがりがりと後頭部を掻いた。
「それが分っかんねぇんだよ。俺の眼には今が絶好機に映ってるぜ。ヨシュアの奴と一緒に兵も何千と派遣してんだろ? そいつらを使って反旗を翻しちまえば終いだろ」
「できるなら、そうしているわ」
私がしないということは、つまりそういうことである。
ヴァレンシュタインとて、そこのところは十分に理解している筈だ。しかし、まだ納得は出来ていないようだった。
「ヴァレンシュタイン」
信じろ。
「――時季は来る」
必ず来る。
例え来なくても来させてみせる。
だから、私を信じろ。
確固たる決意と共に真正面からヴァレンシュタインの眼を覗き込んでやれば、彼はすぐにさっと視線を逸らした。
「信は置いてるさ……大将がやることに間違いはない」
「あら、私だって人間よ。間違える時だってあるわ」
「想像できないな……」
そういう風に思ってもらえるよう努力して振る舞っているとはいえ、些か私を神格化しすぎである。
私の人生は苦難と失敗の連続だった。
勝利の美酒を味わった回数より、地面に這いつくばらされて土を噛んだ回数の方がまだ多いかもしれない。
けれども、過去の失敗がどうした。人間は今を生きる獣である。
(ヴァレンシュタイン曰く、私は間違えないらしいぞ)
以前は嬉しくも負担に感じた期待だが、今はそんなこと微塵も思わない。
私はただ、時季の訪れだけを予感していた。
「それじゃ、決行の日まで大人しく潜伏していなさいよ」
「分かってるよ。大将の言う通りにするさ」
ヴァレンシュタインは、気障ったらしく踵を返して裏路地へ消えていった。それを見届けた私は表通りに戻って雑踏の中へ身を紛らわせる。
(今は我慢の時よ。ヴァレンシュタイン)
物陰に隠れ、息を潜めてじっと待て。
いつか革命を完遂らせる、その時まで。
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