2.英雄譚
クーデターから一年と少し、正式に人民議会は解散となり、五頭政府が樹立した。五頭政府とは、その名の通り五名の統領からなる政府であり、前政府のような独裁を防止するために行政権などが分割されている。立法権は二院制の議会に託された。
五頭政府は、まず自由市場化を目指して貿易自由化と価格統制の廃止を行った。これは中産階級の支持を得るための行動だろうと私は見ている。
次に政教分離を推し進めた。国教会を国家の管理下に置く法律が撤廃され、信仰の自由が保障された。
また他方では、ルシュディーが反乱の鎮圧の任に就き、武力でなく融和の方向性で反乱を抑えようと動いているらしい。これには、私がくれてやったいくつかの助言が影響していることだろう。彼、戦術はともかく政治は不得手だから。
それで私の方はというと、ミーシャが『ガリア帝国へ亡命します』という旨の書き置きを残して失踪した後は暫く暇していたが、王都で王党派による反乱が起こってからは結構忙しくしていた。
反乱の理由は、この度制定されたある法律に起因する。
新たな憲法が制定され、再び選挙が行われることになったが、この時の民衆はごたごたの絶えない共和派ではなく王党派へ期待する向きが強かった。なので、次の選挙では王党派が優勢だろうとの予想がなされていたが、そんな見え透いた結果を共和派である現政府が見過ごす訳もない。前期議員と来期議員の入れ替えを全体の三分の一に制限する法律を制定し、政府は王党派の躍進を阻害しようと試みた。
王党派は、この妨害に対して抗議する意味で集会を開き、それが暴動にまで発展したのだ。
統領イスラエル・レカペノスによって国内方面軍の副司令官に任ぜられた私は、彼ら暴徒へ向けて大砲を撃ち込むことで速やかに反乱を鎮圧した。この功績で私は『中将』になり、前任のイスラエル・レカペノスから受け継いで国内方面軍の司令官にもなった。
出世も出世、大出世だ。
さぞかし、コンラッドの奴もほくそ笑んでいることだろう。だが、私のゴールはここではない。
野心からそう思うのではない。
ただ、なんとなく……そんな気がしていた。
機を見て、私はイスラエル・レカペノスと会う約束を取り付けた。向こうも私と会いたがっていたようだったので、日程の調整はスムーズに済ませられた。
会食の場は高級ホテル。
昔、アナスタシアとルシュディーの二人と会った時に使ったホテルをまた使うことにした。ただ、今回は学院生時代と違ってラウンジでは不適当だろうと思い、部屋を一室借りた。
「美しい……そうは思わないか」
「何がですか」
私は料理に手を付けつつ乱雑に問う。視線を上げると、向かいの席に座るイスラエル・レカペノスは顔を横に向けて窓の外をじっと眺めていた。
夜景の見事さのことを言っているのかと思い、適当に話を合わせようとしたが、すぐに違うと気付いた。なぜなら、窓の外に広がる王都の景色は、以前ヘレナと一緒に隔離病棟の屋上から眺めた時と違い、酷い荒れようだったからだ。
しかし、にも関わらず、イスラエル・レカペノスはあたかも美術品を眺めるかのように真剣さを伴いながら陶然となおも外の景色に眺め入る。
「人が……一所懸命になって物事に取り組む様は美しいよ。彼らの一挙手一投足から放たれる眩い『生』の輝きを見る度、俺は心が洗われるような思いになるんだ」
「物凄いポジティブな人ですね。この凄惨な景色を肯定的に見れるなんて」
破壊と死とあらゆる悪感情とが渾然一体になったような外の景色は、万人に取っては決して好ましいものではないだろう。『生』とは、むしろ正反対に思える。
それを美しいというのは……。
他人事?
……そうだ、他人事のように感じる。
「俺は人間を信じているのさ。その裡に秘めたる美しさをね」
「……そうですか」
どうやら、イスラエル・レカペノスという男は本気でそう思っているようだった。私とは、丸っきり感性が違うらしい。
さて、無駄話もそこそこに計画の進行具合に探りを入れてみると、イスラエル・レカペノスはあっさりと答えてくれた。
私は感嘆の声を上げる。
「――へえ。ということは、あと五年もすれば開門予定地である『異類異形研究所』に大門を開くことができる訳ですね」
「そうなるね」
イスラエル・レカペノスは私の言葉を肯定した。
異類異形研究所とは、表向き月を蝕むものや〘人魔合一〙を始めとする呪祷士の術などを研究する機関として設立されたものだが、その実、開門予定地の真上を押さえるために建てられたハリボテである。
イスラエル・レカペノスによれば、順次、各地の民宗派拠点・研究所に保管されている研究資材や『指輪』などを異類異形研究所へ移動させてゆく予定だという。
(五年……想像よりかかる)
やはり、民宗派においてルクマーン・アル=ハキムの才覚が果たしていた役割は大きかったようだ。
現在、民宗派残党の手元にある『指輪』は四つ。
アブズ(マネ)の鍵たる私を合わせて五つ。
残り二つの鍵は、似た魔力波長を持つ月を蝕むものを集め、それを補整することで揃える予定だが、ここでいくつか解決しなければならない問題があった。
まずは量。偽装対策のため、大門を開くには結構な量の魔力が必要だ。その上、補整する際にいくらか魔力量が目減りするため、その分も余計に魔力がいる。
しかし、この問題はクリアできていた。
イリュリア国軍や聖歌隊の妨害によって、かつては目減りする分も含めてほぼ揃っていた鍵候補の月を蝕むものを失ったが、革命軍の名目で乱造した月を蝕むものによって解決しつつある。
遅れが出ている主要因は『補整』における技術的問題だ。
ルクマーン・アル=ハキムの残した遺産によって、大門を開くまでの道筋はおおよそ舗装済みだが、それでも微妙に魔力波長の異なる月を蝕むものそれぞれに適した補整をかけるの工程に難儀しているようだった。
これまでの度重なる襲撃作戦によって、月を蝕むものだけでなく技術者や研究者も大量に失っていることが影響しているのだろう。
(なるほどね……)
ここまでの話に嘘はないだろうが、後で裏は取れるだけ取っておこう。
聞きたい話は聞けたので、私は会食を取り付ける際に交わした書面にあった話題を提示する。
「それで、レカペノスさん。何か悩みがあるとのことでしたが」
「ああ。最近、なにかと状況が悪くてね。特に、財政のことなんかを考えると頭痛がするよ」
イスラエル・レカペノスは飄然と語った。
ここのところ、前政権の遺産である公績が阿呆ほど暴落していた。アヒメレクさんから聞いてこのことは知っていたので特に驚きはないが、その所為で五頭政府の財政は火の車だった。
策はいくつか打っているようだが、依然として財政は良化していない。けれども、本当の悩みのタネはそのことではないらしい。
「実は政況が芳しくない」
イスラエル・レカペノスは、テーブルナイフで引き裂いた肉の一片を飲み下してから続ける。
「古き信仰への回帰を謳ったは良いものの、それが賑やかしの欺瞞すぎないことを民衆はとっくの昔に気づき始めている。そりゃそうだ。牽引する我々の方も、牽引される彼らの方も、古き信仰がどのようなものかなんて、全くこれっぽちも知らないし、興味もないのだから」
「そうですね」
話に夢中になり、すっかり冷めて硬くなってしまった肉をぎこぎこと碾きながら、私は答える。
「行き過ぎた革命の反動からか、政治的なところでは王党派が、宗教的なところでは国教会にも民宗派にも失望した無神論者や不可知論者が増加傾向にあるように思いますね。しかし、まだまだ中道路線への希求も強いですよ。だからこその五頭政府なのでしょう?」
「――時季を逸した」
唐突な言葉に、私は思わず皿から眼を上げた。眼の前には、イスラエル・レカペノスの神秘に満ちた顔がある。
「そうは思わないか」
イスラエル・レカペノスには才能がある。
それは、あらゆる組織に身をおいても他人から認められる才能。
――人望の才能。
実力も、知能も、彼より優れた人物は無数に居るだろう。だが、こと人望に関して言えば、彼の右に出る者はいない。しかし、そんな彼とて『時季』に逆らえば、民衆の引き起こす制御不能の濁流に飲み込まれてしまうだろう。
私は、思考中に止まっていた肉を碾く手の動きを再開し、千切り取った肉を口中でしっかり咀嚼し、ゴクリと嚥下し、たっぷりと間をいただいてから彼の問いに答えた。
「なに、案ずるほどのことではありませんよ。レカペノスさん」
「ほう、というと?」
「押し通してしまいましょう」
イスラエル・レカペノスの眼の奥が妖しく光る。それは猜疑か、それとも期待の表れか。今は鳴りを潜めている彼の狂気と私の心を同調させながら、彼の心のうちを探ってゆく。
私は、さながら言い訳でもするように続けて言った。
「貴方の話では、大門さえ開ければこっちのものなのでしょう? ならば、邪魔になりそうなものは粛清しつつ五年の時を捻出すれば良いだけではありませんか」
共和派から有権者の心が離れつつある現在の状況では、民宗派の遺産を利用するこの計画はあまり受けが良くない。なので、当分の間、イスラエル・レカペノスは事を秘密裏に進めるつもりだそうだ。
しかし、私はそこに言い知れぬ不自然さを感じ取っていた。
(さて、アンタが本当に隠したいものは何なのでしょうね)
イスラエル・レカペノスは、まるで我儘盛りの子供のように口をとがらせた。
「簡単に言うね」
「言いますよ。私は、貴方の政治的な成功には興味ありません。興味があるのは貴方の〝思想〟と、貴方の作る国の未来だけです。大門を開いてスパっと死にませい。貴方の亡き後は、民宗派残党どもがよしなに執り成すでしょう」
このまま民衆に計画を隠し通すつもりなら、望むと望まざるとに関わらずそうなるぞ……と、私は遠回しに言ったつもりだ。
(さあ、どうかしら?)
牽制のつもりで打ち上げた観測気球にイスラエル・レカペノスがいかなる反応を示すか、私はこっそり注視した。
はてさて、鬼が出るか蛇が出るか。
するとその時、彼の眼に滲出し始めた狂気と、私の心が真に重なり合うのを感じた。
「……ふむ、そうか」
そうか。
興味なさげにそう呟き、イスラエル・レカペノスは無感動に私の言葉を受け入れた。それが演技でもなんでもなく、本当に何も感じていないのだと私は理解していた。
だから、私は自然と笑みを浮かべていた。
「レカペノスさん。私の才能は戦闘だけです。政治的な助言を求めるなら、相応の人物にお願いして欲しいですね」
「それもそうだな。――本題に入ろう」
イスラエル・レカペノスは、至極真面目に切り出した。そして、その内容は私が予想していたもののうちの一つだった。
「リンには、パルティア方面軍の総司令官を頼みたい」
「承りました。荒事であれば私にお任せあれ。つきましては、一つ仕掛けを打たせていただきたいのですが」
「仕掛け……とな?」
興味津々の顔をするイスラエル・レカペノスに、私は大きく頷きを返す。
「まずは着任までに少々のお時間をいただきたい。そして、世間には私の着任を暫く秘し、これから私が言うものを手配して欲しいのです。その全てにご協力いただけたのなら、『未回収のイリュリア』ぐらい瞬く間に平定してみせましょう」
「大きく出たね!」
さも驚嘆したというような口ぶりのイスラエル・レカペノスであるが、その狂気を湛えた眼は猜疑でなく愉悦で細く歪んでいる。まるで新たな玩具を与えられた童子のような燥ぎようだ。
「『未回収のイリュリア』は、謂わばこの国の悲願だよ。建国以来、誰も達成できなかった偉業。それを――」
「――できます」
言葉を遮り、私は言い切ってみせた。すると、イスラエル・レカペノスはますます嬉しそうに眼を細め、「次はどんな言葉を聞かせてくれるのか」とでも言わんばかりに陶然と私を眺めた。
その期待に応えるように、私は決意表明をぶち上げた。
「一年……と少し。それだけお待ちいただけるなら、必ずや王都に吉報を持ち帰りましょう」
「ふふふっ……良いだろう。一体、何が望みだ? 何が必要なんだ? 言うだけ言ってみるといい」
「ありがとうございます。では、まず手始めに伝令役の兵を――」
私は、指揮権の移行と部下の人心掌握をスムーズに行うべく、計画の概要を彼に打ち明けた。
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