窮地に追い込まれた私が取った戦術は『遅滞戦術』だ。各戦線において戦線を引き延ばしつつ、同時に全体から戦力を少しずつ抽出し、新たな部隊――【特攻部隊】を再編成する。
「ダイスロール……9・9・9、27ね」
「……こちらは0だ」
「0・0・0!? あらら、アンタも運がないわねぇ」
机上演習で発生した戦闘の内容は、0〜9の目を出す十面ダイスを三つ振って出た目の合計によって判定する。両者の数字の差によって勝敗と損害の程度が決まる訳だ。
しかし、ここからは27-0=27の『大勝』と『大敗』、この二つ以外を覚える必要はない。
「9・9・9、27よ」
「……0」
「またまた『大勝』と『大敗』ね」
一回目は偶然だと思うかもしれない。確立次第で稀に起こり得ることだ。しかし、それが二回、三回と続けばそれはもう偶然では済まされない。
――必然だ。
先程、私が全体から抽出し再編成した【特攻部隊】は、防衛陣地から逆に打って出て既に敵陣のど真ん中へ突っ込んでいる。しかし、その損害は極めて軽微。まるで神がかったような快進撃を遂げていた。
そんな有り得ない現実を前にして、遂に我慢の限界に達したルシュディーが憤然と立ち上がって吠える。
「貴様……何をしたッ!」
「答える必要はない」
「――ふざけるなッ!」
ルシュディーは机上の十面ダイスを引っ掴んで舐めるように観察する。私は、横で見ていたアナスタシアに目配せして「黙っていろ」と視線で言い含める。
「何か見つかった? アンタが持ってきたダイスに違いないでしょ」
「ぐっ……」
ダイスに何ら異常を見つけられなかったルシュディーは、ダイスを机上に戻し一人思考の世界に向かう。
「魔法か? 己に魔力の感知ができないのをいいことに、魔法を使ってイカサマをしたとでもいうのか?」
「いいえ、そんなことする訳ないじゃない。アナスタシア、アンタからもはっきり証言なさいな。私は机上演習を始めてから一度も魔法を行使していない、と」
「……リンは『机上演習を始めてから一度も魔法を行使していない』」
味方からの証言を受けて、ルシュディーは苦虫を噛み潰したような顔をする。
「どういうことだ? 魔法じゃない……だが、技術でもない……小手先の技術でどうにかできるのは自分の出目だけだ……! 己の出目は操作できない……!」
「言い掛かりは終わった? なら、さっさと続けてくれる?」
「……クソッ!」
すっとぼけてはいるが、確かに私はイカサマをした。しかし、イカサマの手口を言い当てられないのであれば、どうしてそのイカサマを止めさせられるだろう。私は「していない」と言っている。現実には信じられないが、証拠がない以上はそれが全てだ。
観念したようにルシュディーは震える手で兵駒を動かした。恐らく思考だけで私のイカサマの正体に至ることを諦め、ダイスの動きを観察してそこから手がかりを得ようという考えだろう。
しかし、その決断に至るのが一手、二手……いや、三手ほど遅かった。
(既に――詰みよ)
もはや、盤面はイカサマを使うまでもないほどに引っくり返っていた。敵陣の最奥付近にいた【特攻部隊】は、ダイスの出目によってほどほどに勝ち負けを繰り返しつつ進軍し、最終的にルシュディーの本陣を見事討ち滅ぼした。
机上演習全体の勝敗は、その時々の想定にもよるが、大体はどちらかの本陣が陥ちるか、一定ターン数が経過することにより決する。今回の場合、防衛側は一定ターン数の経過=援軍の到着による戦術的勝利を基本的に目指すものだが、別に攻撃側の本陣を陥として勝ってはいけないというルールもない。
「はい、私の勝ち。アンタの生み出した戦術は中々に美事だったけれど、私の持って生まれた天運を前に為す術もなく崩れ去ってしまったわね」
ルシュディーは、顔中のシワを総動員して形容しがたい形相を作っていたが、やがてふっと力を抜いて表情を緩め天を仰ぐ。
「……己の敗北だ。政治屋と軍人は結果が全て。過程を評価されることなどない。あるとしても、後世の暇な歴史家によってのみだ。不正は明らか、しかしその正体が一向に分からない。『相手はズルをしていたが、その正体が分からず無様に負けて国が滅んでしまいました』――なんてふざけたこと、口が裂けても軍人の己が言えるか」
「殊勝な心がけね」
「敗北は認める。……だから、どうやったのかだけ教えてくれないか」
「良いわよ」
そう懇願されずとも種明かしはするつもりだった。なにせ、そっちのアナスタシアにはバレバレだったのだから、ここで私が黙っていても今知るか後知るかの違いでしかない。
「でも、何も特別なことはしてないわ。――マネ、出てきなさい」
「うーっす」
気の抜けた返答が図面の下から聞こえたかと思うと、図面からジワリとマネの体組織から滲み出てきた。
それを見てルシュディーはハッとした顔をする。どうやら私のイカサマの正体を察したようだった。
「まさか、ダイスではなく図面へのイカサマとは……! なるほど、魔法の行使はない……使い魔のそいつに図面の下からダイスの目を操作させていたのだからな! こんな単純なイカサマを己は……!」
「一つ言っておくと、アナスタシアは気付いてたわよ。ね?」
「気付いたのは、ほんのついさっきですけどね」
ルシュディーがダイスを引っ掴む数手前の時点で、アナスタシアは私のイカサマの正体に勘付いていた。ルシュディーもその時に気付いていればまだ取り返しはついた。
「しかし、何時だ。魔法は使っていないのだろう? 召喚門を開いたような素振りも……」
「答えは最初から、私は常日頃ずっとマネを召喚してて――服の下に纏ってるのよ。知らなかった?」
「私はそれを知っていたから気付けました。――左手からですね」
「御名答」
私が左手を図面から上げると、それにつられてマネの体組織がベトッとスライムのように袖先から伸びた。
この机上演習の間、私はずっと左手を図面の上に置いていた。それは『酸の性質』を抑えたマネがゆっくりと真綿で首を絞めるように図面の下へ侵出するのを隠すためだ。
(まさか、本当にイカサマを使う羽目になるとは思ってなかったけど……)
備えあれば憂いなし。自分の抜け目なさが呼び込んだ勝利だ。自画自賛しておこう。
「……驚いた。噂以上に油断ならない人物だったようだ。まさか、この己の完成させた盤面を返せる奴がこの世に存在するとは……」
「だから、言ったじゃない? ルシュディーちゃんの言った通りにやっても、ヘレナとリンには負けちゃうってー」
「ん? ちょっと待って」
私は、アナスタシアの言葉に引っかかりを覚えて口を挟んだ。
「『言った通りにやっても負ける』って、つまり今までの折節実習とかはルシュディーの指示でアナスタシアは動いてた訳?」
「恥ずかしながら、そうなんです。私が中等部二年ぐらいの時から戦術に関してはルシュディーを真似していました。猿真似であれだけやれるのですから、ルシュディーちゃんの才能はなかなかのもんでしょう?」
「はー……なんか納得。それでアンタの戦術って途中で息切れするんだ」
「て、手厳しいですね……」
驚いた。まさか、こんなところに才能のある奴が居たとは。てっきり、アナスタシアの魔族の方が戦術などに通じているとばかり思っていた。本当の頭脳はこのルシュディーだったのか。
(ぶっちゃけ、さっきのも戦術では負けていたし)
そこは素直に「お見逸れしました」と言わなければならないだろう。言わないけれど。
机上演習の図面とダイス、兵駒を片付けたところでルシュディーがずいっと身を乗り出させる。互いが互いを価値のある人間と理解したところで、どうやらこれから本題に入るようだ。
「さて――先程、こいつは随分と回りくどい言い方をしたが、実のところ要件は単純明快なものだ。諸侯派と中立派という違いはあるが、これからは仲良くしよう、今日のところは名前だけでも覚えてくれって、そんなところだ」
「ふーん……もっと、詳しくお願いできる? 何故の部分とか」
「良いだろう」
ルシュディーは膝の上で両手を組み、ズイッと顔を前に出して背中を丸める。
「己とこいつは、将来のイリュリア王国の覇権は諸侯派が握るだろうという予測のもとにのみ通じる仲だった。しかし、昨今の情勢の変化によりその予測も正しいかどうか怪しくなってきた」
聞くと、ヘレナという傑物の存在や王国内の不穏分子といった想定外の変数が影響し、このまま諸侯派に属していてもあまり旨味はないと二人は踏んでいるらしい。
「己は当代・イリュリア王を評価している。〝狂王〟だと? とんでもない、それは対立するゴミ貴族どもの言い分だ」
その辺りのことは、私もバイト先のアヒメレクさんとよく話すので詳しい。
〝狂王〟は、憚ることなく貴族を『盗人』と批難している。先代・先々代からの度重なる戦費や借金により、イリュリア王国の国庫は火の車。だというのに、あらゆる手段を用いて国庫から略奪を繰り返す貴族たちを指して〝狂王〟は『盗人』と呼んだ。だが、貴族の方はそれを正当なる権利だとすら思っているので、止める気は全くない。
そんな状況に業を煮やした〝狂王〟は財務大臣の任命に踏み切った。各省庁の国務大臣の選出は宰相の権限だが、それも王の任命なしでは公的に認められない。それを盾に〝狂王〟は改革派の財務大臣を据えたのだ。
それが約十五年前のこと。
だが、財務大臣は王妃や保守派貴族に疎まれ罷免。改革は失敗する。
続く二人目、三人目、四人目の財務大臣も改革を試みたが、高等法院を始めとする既得権益層の反発、のみならず農民、職人らの反発、凶作による民衆反乱といったものにより頓挫。全員漏れなく罷免か辞任の憂き目にあった。
現在は、庶民に人気のある二人目の財務大臣――ニック・ジェイコブが今年から再登板し、全国議会を開くかどうかで揉めている。
これからどうなるか、その予想は極めて難しかった。
「財政面の改革は失敗続きだが、その一方で先代・先々代から続く中央集権化の流れをそのままに諸侯の力を削いだのは良かった」
しかし、とルシュディーは眉根をひそめる。
「状況は刻一刻と変化してゆく。今は諸侯よりも民衆の方が脅威だ。そして、この流れはもう誰にも止めることはできない」
その意見に異論はない。この国で生活していれば、自由を渇望する風潮の高まりは嫌でも日々感じさせられることだ。貴族たちの中からも、主流ではないのものの『自由主義貴族』を自称するものたちが現れ始めている。
「安定、安寧の未来はもはや潰えた。これからは、混迷の時代をどう生き抜くかということが焦点となる」
「そのためには、派閥なんかの狭い括りに拘ってる余裕はありません。私たちは必死です」
なるほど、だいぶ話が飲み込めてきた。
「要するに、顔の広い中立派のロクサーヌとお近付きになりたいけど、その前に煩そうな私に話を通してからってことね」
「そういうことだ」
実のところ、ロクサーヌの交友関係の広がりは私なんかには留めようのないものなので、別に私はロクサーヌが誰とつるもうが気にしないのだが、言っても自分が不利になりそうなことには口をつぐんでおくことにした。
「もちろん、こちらとしては貴様とも付き合いも続けたい」
利害が衝突している訳でもなし、拒む理由が見当たらない。了承の返事に固い握手の一つでも交わそうかと思い至ったところで、ルシュディーがこう切り出してくる。
「――そこで、今日は手土産を持ってきた」
「手土産? なにかしら」
私は差し出そうとした手を引っ込める。貰えるものは貰っておかないと。
「貴様は、まだ『星団』入りを諦めていないそうだな?」
「ええ、まあ。それが今のところ、人生の目標みたいになってるから」
そう応えると、ルシュディーは「用意したものが無駄にならなくてよかった」と言って、茶封筒をカバンから取り出した。視線で開けても良いかと問うと、首肯が返ってくる。
茶封筒を開くと、中から写真が三枚出てきた。その写真には、どれも同じ男が別々の女と逢瀬をする場面が写されていた。
「コンラッド、という男を知っているか? 王党国教派の数学教師だ」
「いえ、高等部の教師かしら? それともディルクルム魔法学院?」
「ディルクルムの中等部だな」
ルシュディーはざっとコンラッドの経歴を教えてくれた。
「教えている教科こそ数学だが、コンラッドは魔法使いだ。普通、魔法関係以外の教科は一般から雇用した教師が教鞭を執るものだが、彼のたっての希望で『聖歌隊』から横滑りしてきたという異色の経歴を持つ。そして――既婚者だ」
そう聞いてから手元の写真を見返すと、ルシュディーが手土産と言った意味も分かってくる。元・『聖歌隊』――検邪聖省(いわゆる異端審問)隷下、聖徒魔法士官――ということは、コンラッドは敬虔な国教会の信徒である筈。だというのに、同時に三人と不貞をするとは……とんだプレイボーイだ。
「数学教師を希望した理由は数学への興味からと言っているそうだが、実のところは愛人たちへのアクセスが容易になることが決め手ではないかと己は睨んでる」
「ははぁ……なるほどね。ありがと、これは有効的に活用させてもらうわ」
写真を茶封筒へ戻し、私はルシュディーと固く握手を交わした。
「アンタの名前、ちゃんと覚えたからね」
「己の方こそ。貴様のことは生涯、忘れることはないだろう」
こうして、私はアナスタシア、ルシュディーの二人と友好関係を築くと共に、コンラッドという教師の情報を手に入れたのだった。
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