3.愛国者 前編
ツォアルは『内海』の北方沿岸部に位置する街だ。特筆すべき点は大きな塩田があるぐらいの何でもない中規模の街である。
しかし、歴史的には割とゴタゴタした事情を抱えている。ツォアルは大移動以前も以後も土着民の治める土地だが、比較的に早い段階で初代・イリュリア王に恭順している。というのも、当時のこの地もまた戦いの真っ只中にあり、当時のツォアル領主は他勢力を出し抜くためにそうしたのである。
後に、その功績を称えてツォアル領主は侯爵位を賜った。
だからと言って、ツォアル領主あらためツォアル侯は王党派なのかというと、そうではない。イリュリア王国の統一後、初代王党派政権によってツォアル侯は爪弾きにされた。ただ土着民であるという理由で。
そのような経緯もあって、王党派から排斥されたツォアル侯は便宜上は諸侯派として数えられている。しかし、いち早く植民者に恭順した裏切り者として諸侯派内部での立ち位置も悪い。
つまり、この国では珍しい中立的な――どっちつかずの――貴族と言えよう。
「それが、ここに来て王党派と急接近って訳ですか。どういう裏があるんです?」
「君ね、それは派閥争いに脳みそ支配されてる発想だよ」
先に馬車を降りたベネディクトが、しかめっ面で呆れたように私の発言を咎めた。極めて心外だ。私はムッとして、彼を追いかけて馬車を飛び降りながら聞き返す。
「では、違うと言うのですか?」
「違うさ。彼は――ツォアル侯は、そういう俗物とは違う。真の愛国者なのさ」
そう言って、ベネディクトは後ろを振り返り、ツォアル候の屋敷を見上げた。
質素な屋敷だった。王都のフェイナーン伯の屋敷と比べると、数段劣る規模と華やかさだ。全体的にこじんまりとしていて、使用人の数も疎らだった。そして、出迎えもない。
「ねえ、君! ちょっと良いかな。ツォアル侯はご在宅かな?」
ベネディクトは、忙しそうな女性使用人を捕まえて、ツォアル候の所在を尋ねた。
「旦那様ですか? 実は少々トラブルがありまして留守にしております。ご帰宅の時間は分かりかねますが、宜しければどうぞ奥の方でお待ち下さい。王党派の御客人には特別の歓待をせよと仰せつかっておりますので」
「ああいや、遠慮しておくよ。挨拶程度の用だから。忙しいところ悪いけど、後でツォアル侯が帰ってきたら、ベンが――ベネディクトが来たとだけ伝えておいてくれるかな?」
「承りました」
女性使用人は早足で仕事に戻っていった。その一連の会話を側で見ていて抱いた感想を、私は素直に口にする。
「意外ですね」
「何がだい?」
「貴方にも、時と場合を弁えるだけの理性があるだなんて」
てっきり、口説き文句の一つや二つぐらいは口にすると思っていた。今の女性使用人は結構な美人さんだったから。
「……君、ちょっとずつ素が出てきてないかい?」
「お嫌ですか?」
「いいや、そっちの方が断然魅力的だよ」
即答である。それゆえに却って軽々しく感じてしまうのだが。しかし、そんな彼の周りには結構女の気配があるから不思議だ。顔が良いからか? まあ、確かに本気で言ってるっぽい雰囲気だけはある。
けれども、万人に対して本気な愛とは、それ即ち浮気な愛である。どうにも、応えてやろうという気は毛ほども湧いてこないのだった。
「見方を変えれば、それは僕との関係に慣れてきたということでもあるだろう? 後は、いい加減に『様』なんて余計なものを取っ払って呼んでくれると嬉しいんだけどもね」
「はあ、そうですか、ベネディクト様」
「できれば、ベンと――」
「で、これからどうするんですか? 私はまだ何をさせられるのかも知らないんですけど」
正装として制服まで着せられて……と、続けようとしたところで、悲鳴のような警告が耳朶を叩いた。
「――危ない! 皆、離れてくれ!」
物々しい声に意識を向ければ、騒動のおおもとが遠くに見えた。厩舎の方から、手綱も鞍も付けていない裸の暴れ馬が、逃げ惑う人々を押しのけて我が物顔でツォアル侯の屋敷の庭を駆け回っている。
多くの使用人が暴れ馬を制そうと悪戦苦闘しているが、なかなか捕まえられずにいた。それもその筈、その馬の肉付きはそこらの有象無象の駄馬とは一線を画する。しかも、頭も良いのか、簡単に人々の合間を擦り抜け、押し退け、上手いこと逃げ続けているので、このままだと誰にも止められそうになかった。
「これは僕の出番かな!」
ベネディクトが意気揚々と杖を取り出す。だが、魔法を構築する前に待ったがかかった。
「ちょっと待ってくだせぇ、魔法使いの御方! あの馬は侯爵様の大切な馬なんだ! それを傷物にしたとあっちゃ、俺たちゃ殺されちまうよ!」
「何だって? それじゃ……魔法は使えないな。どうしたものか」
どうやら、お困りのご様子。
(ふっふっふ……ここらで一つ、私の実力というものを見せてやるのも一興!)
王党派内においても舐められる訳にはいかない。そう思った私は功名心を胸に、ずいっと一歩前に出た。
一発、カマしてやろうではないか。
「ならば、ここは私にお任せを。怪我をさせることなく、瞬く間にあの暴れ馬を止めてみせましょう」
ピュイーと指笛を鳴らすと、暴れ馬の注意がこちらへ向き、一直線に私の方へ向かってきた。
「リ、リン君、大丈夫なのかい!?」
暴れ馬の凄まじい勢いに気圧されてか、ベネディクトが後ろに下がりながら不安を滲ませる。杖を構えているところを見ると、私が危うくなればすぐにでも介入するつもりだろう。
(舐めるな。こっちは馬どころか、同じ魔女見習いを相手にさんざっぱら斬り合いしてきた! 今更、馬ごときに遅れを取る訳がない)
カラギウス剣の魔力刃を展開させ、構えることなくダラリと自然体で垂れ下げる。
「マネ、余計なことはしなくていいわよ」
「あいよ、こんな馬ぐらい軽いモンだろ?」
「よく分かってるじゃない」
なに、簡単なことだ。魔法使いと違って『魔力の鎧』もない馬はどこでも斬れる。魔力の濃淡や流れ、魔法の構築タイミングなどを全く考慮する必要もないなんて、むしろどこを斬ってやろうか迷ってしまうくらいだ。
(呼吸を合わせるのよ……)
この馬には癖がある。一呼吸、二呼吸、三呼吸……四呼吸目で首を上下に大きく振り、右によれる。そして、強引に戻しては再び四呼吸目に首を振る。その繰り返し。
(一、二……三!)
私は呼吸を合わせて踏み込み、首を振る動きに合わせて擦れ違いざまに右前脚の根本を斬った。すると、その直後に右前脚に体重を乗せた馬が目論見通りに転倒。そこへ待ち構えていた使用人が馬に縄をかけた。
完璧だ。自分で自分を褒めたやりたい出来だ。
「筋肉の厚いところからコケさせたので、打ち身はしていても骨折はない筈ですよ」
「ほ、ほんとうだ……まだ詳しく調べてないが、骨に異常はなさそうだ……」
使用人のお墨付きも貰い。鼻高々に振り返る。
「どんなもんです?」
と、私はベネディクトに向けて尋ねたつもりだったが、答えたのは全く別の人物だった。
「お美事である! 流石はヘレナ殿の推す将来有望な魔女見習いであるな!」
ひげもじゃの薄汚い格好をした中年男性がそこにいた。
「ツ、ツォアル侯!」
ベネディクトが馬鹿丁寧な礼をしたので、私もそれにならって礼をする。魔女見習いは卒業時に爵位を賜るので、この辺の礼儀作法も授業で習う。当然、私はそこでもトップクラスの成績を収めている。
(この男が……ツォアル侯)
失礼でない程度にざっと観察する。
ツォアル候は、一般的な貴族の風貌とはかけ離れた出で立ちだった。シルクの代わりに木綿の作業着を、宝石の代わりに泥を、香水の代わりに汗の匂いを纏っている。言われなければ、その風貌からは貴族だとは分からないだろう。
(けど……どうしてかしら。そこはかとなく、器の大きさを感じる)
眼、かもしれない。何の衒いも、何の卑しさもない真っ直ぐな眼が、そこらの平民との印象の差異を生み出しているのかもしれない。
(ヘレナと違って狂気も感じられない……ただただ強い意志のこもった良い眼をしている)
ただの一言も話さぬうちから、彼を人として好きになり始めている私がいた。居ても立っても居られず、ベネディクトを押し退け彼に挨拶をする。
「どうやら、既にヘレナからご紹介に与りましたようで……リンです。本日は如何なる御用で呼び立てられたかも未だ知らぬ身ではありますが、願わくば『王党派として』ではなく『ただのリンとして』、閣下に献身できることを祈るばかりです」
「ほう、良い文句だ! ますます気に入った!」
そう言って、ツォアル候は土にまみれた右手を差し出してきた。私と彼のように身分差が大きい場合、肉体的な接触は避けるのがこの国では正道だが、マナーとは相手に不快な思いをさせぬためのもの。
(求められたなら、私は返すのみ……)
教科書にないイレギュラーな状況に怯むことなく、私は淀みなくその手を握り返した。
デカい手だ!
「宜しく頼むぞ、リン殿!」
「こちらこそ、閣下!」
こうして、ツォアル候とのファーストコンタクトは極めて良好に終わった。
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