4.愛国者 中編
後日、ポーラから面と向かって礼を言われた。恩は売れたみたい。しかし、ここですぐに見返りを要求しても効果は薄いだろう。二人の関係がある程度深まったタイミングがもっとも望ましい。
さてさて、そっちは一旦置いといて。
遂に――開通式当日だ。
私はポーラたちの恋路だけにかまけていた訳ではない。睡眠時間を削ることでどうにか時間を捻出し、十分に準備はしてある。当日の流れも警備配置もバッチリ頭に叩き込んだ。そして、いくつか見つけた警備の穴も意見具申して潰してある。
相手は恐らく魔法使いではなく、民間の一般人だということを考えると、彼らの武装は良くて携行できる火器、大体は原始的な刀剣類だろう。その点、今回の開通式に際しては、例え砲熕武器を持ち出そうとも届かぬ範囲まで警備を張り巡らせてある。
(備えは万全! どっからでもかかってきなさい!)
万能感に浸りながら、私は蒸気機関車の客車に乗り込んだ。私の担当は三両編成の最後尾、三両目だ。客車の中には既に来賓が入っており、それぞれの席で歓談に興じていた。
私は自席である一番後ろの座席に向かう。腰を落ち着けると、上品な革張りのクッションが私の体重を優しく押し返す。なかなかに良い仕立てだ。これなら貴族の乗客にもご満足いただけるだろう。
貴族といえば、本来ならツォアル候もこの客車に乗る予定だったのだが、昨日作業の手伝い中にぎっくり腰をやってしまい、ツォアルの屋敷に留まることになった。開通式後にツォアルで行われる、凱旋パーティーには参加するとのことだ。
(ツォアル候が一緒に乗れなかったのは残念だけど……ここは気持ちを切り替えて、彼のためにも絶対成功させなくちゃ)
そんな開通式に対する思いは周りも同じようで、出発が近付くにつれて関係者各位に異様な熱気と緊張感が漂う。
じっと出発の時を待つ。しかし、気ばかり逸ってぜんぜん落ち着かない。そんな私の様子を見て、隣席に座るベネディクトが話しかけてきた。
「礼を言うよ」
いきなり過ぎるが、きっとポーラのことを言っているのだろう。
「しかしね、だからといって『革命』について教えるつもりはないよ」
「やーね、私はただ仲良くなりたいだけよ。これからは王党派でやっていくんだから、派閥内での立場は良くしておきたいし」
「ふっ……じゃあ、そういうことにしておくよ」
ベネディクトは訳知り顔で頷いた。ムカつくな……というか、今から開通式だというのに、ちゃんと集中しているのか? 不安になってきたので、釘を刺しておくことにした。
「ベネディクト、警備が突破されることはないと思うけど……もしもの時はアンタも頼むわよ」
「もちろんだとも。この僕に任せてくれ給えよ! 水辺は僕のホームグラウンドさ!」
そう言って、ベネディクトは不敵な笑みを浮かべた。すっかり普段通りの調子に戻っている。いや、少しばかり元気がありあまっているかもしれない。
(まあ、浮かれちゃって……まだキスもしてないクセに)
二人の仲がどれだけ進展したのかシンシアに探らせていたが、二人はキスもしていないらしいという報告を聞いて私は呆れ返った。ヤリチンが何をウブなことを。
からかってやっても良かったが、ちょうどそこに沿線警備のものから連絡が入る。
『晴天、無風、不審物なし』
――出発進行の合図だ。
ほどなく汽笛が鳴らされ、数時間前から温められていた火室に次々と石炭が投入される。そして、遂に蒸気機関車が動き出す。発車時の緩やかで力強い慣性にどよめきが起こり、次いで誰からともなく大きな歓声が上がった。
徐々に加速してゆく外の景色に向かって、来賓の方々がにこやかに手をふる。送り出す見物人たちも、遠巻きにだが千切れんばかりに手をふっていた。
機関車はこのままエンゲデ駅に向かい、そこで待ち構える見物客たちに走る機関車の雄姿を見せつけることで、開通式はクライマックスとなる。
「ふぅ……ひとまず、無事に動いたわね」
ほっと一安心。だが、気は緩めない。それでも、やはり好奇心を抑えきれず横目に流れてゆく景色に目を奪われていると、どこからか触手が伸びてきた。
「おお、スゲーな。あのデカい鉄の塊が魔力なしでこんなに速く動くのか」
「蒸気の力よ。まあ、操縦席の制御盤は魔石を動力源にした魔道具らしいけどね。でも、それにしたってそんなに大掛かりでもないから、魔法使いの客に乗車賃がわりの魔力提供を願うことで賄える見込みだそうよ」
「ほーん。こりゃあ、確かにテンション上がるのも分かるな」
「いずれは国中を走ることになる。ツォアル候によってね。これに物や人が乗ると考えてみなさい。ありとあらゆる分野が効率化するわ」
「スゲースゲー」
無知蒙昧なるマネも、乗ってみたら価値が分かったらしい。あんまし人間様を舐めてくれるなよ。個人主義の気が強い〝魔界〟の住民たちと違って、人間には結束という武器がある。一人一人の力は微々たるものでも、撚り合わせれば鉄の塊だって自在に動かせるのだ。
伊達に一世界の覇者を気取ってはいない。まあ、実際のところは譲ってもらったような覇者の地位であるが……この際それは置いておく。
楽しむのも程々にして集中しなさいとマネを諌めていると、ベネディクトが横合いから会話に入ってくる。
「マネ君……といったかな。少し、リン君と話してもいいかい?」
「構わねーよ。黙ってるから、そのままどーぞ」
「ありがとう。到着まで暫く時間もありそうだし、良い機会だから、えーっと……そうだ、シンシアのことを話しておこうかなと思ってね」
ベネディクトは手元のメモをチラっと見て、シンシアの名を出した。単なる雑談という雰囲気ではない。いつになく真剣な表情だ。
「シンシア? なによ、突然。今する話なの?」
「いやね、意外にも結構仲良くしているみたいじゃないか。あんまりコキ使わないでやってくれよ、彼女も忙しい身なんだから」
言われてみれば、シンシアには結構無茶な頼み事をしていたことを思い出し、反省する。しかし同時に、わざわざそれを今言う必要があるのかとも思った。
ベネディクトの真意を掴めないでいると、彼は続けて詳言する。
「彼女は精神的にも不安定でね」
「不安定? まー、いきなり喧嘩を売ってきて、それに勝ったら態度が急に百八十度変わったのは気になったけど……」
「彼女は〝力〟というものに依存している……いや、信仰していると言った方が正しいかな。つまり、君も彼女の信仰対象に選ばれた訳だ」
「へー、悪い気は全然しないわね」
「……君も大概なヒトだよね」
なんか引っかかる言い方だったが、噛み付くのはやめておいた。そういう雰囲気じゃなかったからだ。
「でもまあ、悪印象がないというならそのまま付き合ってやってくれないか? 実は彼女、とある王党派貴族とその使用人との間に生まれた私生児でね。虐待まがいの仕打ちも受けたりして、色々と苦労したそうだ。そんな彼女のアイデンティティとなったのが魔力を始めとする〝力〟なんだよ」
「ふーん、魔力持ちだってことが判明して、虐めてきた奴らを見返した……なんて単純なことじゃないでしょうけど、歪んだ人格形成を経ちゃった訳ねー」
人格に関しては、私もあまり人のことは言えないけど。
「しかし、良く彼女に勝てたね。結構強いと聞くよ? なんでも、貴族相手にも怯まず勝負を挑む跳ねっ返りの強さがあるとか。大体は、相手が嫌がって流れるそうだけどね」
ベネディクトとは戦っていないのか? ということは、戦うまでもないほどに授業かなにかで〝力〟を見せつける機会でもあったか、或いは私がそれ以上に舐められていたか。どっちかだ。
「ま、憎からず思っているなら、これからも仲良くしてやってくれ。どうかな、この短い旅路を彩る肴ぐらいにはなったかな?」
「……別に無言でも良いから集中して」
とはいえ、シンシアのことはちょっと気にかけておこう。阿呆な奴だけど、あれで結構カワイイところもあって憎めない奴なのだ。
その時、ふとベネディクトが「ふう」と息を吐いた。
「あのねぇ、君はさっきから集中集中と煩く言うけれど、線路上にも蒸気機関車にも爆発物はなく、火砲も届かぬほどに警備の者を展開してある。一体、どこからどんな邪魔が入ると言うんだい?」
「そりゃあ――」
警備網を広げたことにより、局所的には薄まった警備を武力によって強行突破して――と、言おうとしたその瞬間、地鳴りのような爆発音が車体を揺らした。
急いで窓の外へ眼を向ける。だが、何が起こったか確認する前から私は察していた。危惧していた万が一の事態が起こってしまったことを。
前方――トンネルのある山の上から煙が上がっている。
(――やはり、山の上から攻めて来たか!)
爆発音が連続的に響き、次いでバラバラに上がる怒号。いずれも前方からだった。私とアーシムさんの意見具申もあり、あの山は特別厳重に警備されていた筈だが、それでも押され気味だ。
「本当に来たのかい!?」
ベネディクトは驚きを示しつつもすぐに心を落ち着かせる。
「……ということは、単なる一般人の寄せ集めじゃなさそうだね。『怒れる民』とやらは」
「ええ……魔力の気配がするわ!」
この異質な魔力の感覚は――間違いない、敵は月を蝕むものだ。
(『怒れる民』は諸侯民宗派の手先だったの……?)
いや、それは今は考えなくて良い。敵を尋問すれば自ずと判明することだ。余計な思考をすぐさま忘却の彼方へ追いやり、私は窓を開け放って窓枠に足をかける。「何を――!」と驚くベネディクトに向かって、私は手短に指示する。
「奴らの狙いはたぶん線路かトンネルの破壊よ! 運転手にいつでも止まれるぐらいの速度まで落とすよう言っといて! でも、止めちゃ駄目! 良い的になる! 急いで海上まで脱出するべきよ!」
「き、君はどうするつもりなんだい!?」
マネにアメ玉を与え、私は行動の目的を伝える。
「向こうへ加勢しにいくわ! ――マネ!」
「おう!」
次の瞬間、私の身体は解放によって宙を舞った。衝撃で客車の窓枠が少々傷んだかもしれないが、今はそんな細かいことを気にしている場合ではない。蒸気機関車の加速も相まってとんでもない速度だが、マネの体組織が膨張した分だけ空気抵抗も大きく、程なくすると目に見えて減速してゆく。
(角度――良し! これなら一回の解放で山へ到達できる! マネも上達してきたわね!)
褒めてやりたいところだが、残念ながらそれは後回しだ。今度は意図的にマネに体組織を広げさせパラシュートのように使い、減速しながら地上へ降り立つ。ここはトンネルのある山の麓だが、この辺りは既に死屍累々といった感じで、戦いの中心からは離れているようだ。
私の感覚は正しかった。散見される死傷者の中には、月を蝕むものの姿もあった。
(やはり……急がなくちゃ! ――解放!)
私は激しい戦闘の渦中にあるトンネル付近へ急行した。そこではイリュリア国軍の魔法士部隊『王の槍』と、魔法犯罪対策課の『猟犬』、そして月を蝕むものが入り乱れ、乱戦模様を繰り広げていた。
トンネルへ向かう道中、見知った人物の姿を見付けた私はその人物のもとへ全力で駆け寄った。事情を聞くためだ。
「アーシムさん、現況は!?」
「リン君!? どうしてここへ――!?」
「今、そんなこと言ってる場合ですか!」
アーシムさんは悲痛に顔を歪ませながら叫ぶように言う。
「ここはギリギリで凌いでいる! トンネル方面へ加勢してくれ!」
「分かりました!」
再び解放を使用して、トンネル入口付近に群がる月を蝕むものへ斬りかかる。背後からの不意討ちで、まずは一人仕留めた。
助けた形になった相手から礼を受け取りながら全体を見渡し、味方の戦闘員の少なさに辟易する。敵の数自体はそれ程ではない筈だが、最初の奇襲攻撃で削られてしまったのか。それとも、敵にとんでもない実力者が?
とそこへ、蒸気機関車が徐行運転で近づいてくる。
(マズイわね……指揮系統が麻痺してる)
敵に浸透され過ぎたか、指揮官が討ち死にしてしまっているようだった。
このままだと乱戦で高まった無秩序が、線路かトンネルを飲み込みかねない。それを避けるには誰かが統制を取り、この戦場に一定の秩序を齎さなければ。
再び周囲を見渡し、瞬時に敵味方の戦力計算をした私は意を決して肺腑一杯に空気を吸い込んだ。
「手の空いている者はトンネルの中へ入れ! そして、私と共に先行して露払いをせよ! それ以外の者は機関車の通行が終わるまでトンネル入口を固めろ!」
私が予想した以上に声は良く通った。次いで私が自らトンネルへ向けて動き出すと、後に何人か付いてくる。ガキが何を出しゃばっている、といったような文句は一つも聞こえてこなかった。
皆、不安なのだ。この場における正解など誰も知らない。そういった心の揺らぎが今、私の声によって一つに固まりかけているのを私は肌で感じていた。
ここぞとばかりに続けて檄を飛ばす。
「開通式の成否は、即ち我が国の興廃に直結すると心得よ! 私に続けェーッ!」
背後から耳をつんざくような鬨の声が上がる。その瞬間、戦場の雰囲気が一変するのを感じた。もはや、私が戦うまでもなくこれは勝ち戦となるだろうと悟ったが、今更人任せなんてなしだろう。
いの一番にトンネルへ突っ込み、出口まで一直線に駆け抜けた。
(敵影は――ないか!)
幸いにして、トンネル入口・出口付近の味方が奮闘してくれていたおかげか、トンネル内部への侵入はなく、一度も接敵することなく通り抜けられた。
私は、連れてきた味方にそのまま出口を保持させ、単身で再び中へ戻った。そして、ちょうどトンネルに入ってきた先頭車両に飛びつき、トンネルの壁と機関車のわずかな隙間に身体を捩じ込ませて進み、煤煙に巻かれながら運転席の窓を叩く。
「機関士さん、少しだけ速度を上げて! 早いとこトンネルを抜けよう!」
今この瞬間はトンネルを崩されて生き埋めになるのが一番怖い。機関士さんも頷いて加減弁を手前に引き、少しだけ速度を上げた。
その時、客車の方がにわかに騒がしくなる。
「な、何が……まさか、トンネルの入口が抜かれたんじゃ!?」
有り得る。先程の私は入口付近の味方から露払いの先遣隊を抽出した訳だから、どうしても一時的に手薄にはなった筈だ。
「でも、ここからじゃ後ろまでは行けねぇぞ。トンネルが狭すぎる」
「くっ……機関士さん!」
「相分かった!」
機関士さんは私の意を汲み、更に速度を上げた。
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