「では、手短に話そう」
汗を洗い流し、すっかり貴族らしい装いへと変じたツォアル候が、自ら内海の近くまで私たちを案内してくれた。
初めて見る内海は、伝え聞く通りに暗く沈んだ深みのある色合いをしていたが、一つだけ予期せぬものがあった。内海の一部には、ツォアルから王都方面へ伸びる『畝』のようなものが作られていたのだ。
そして、その畝の上に敷かれているのは……線路?
「実は、数年前から我輩はこの国にも『鉄道』を開通しようと動いていたのである!」
鉄道……噂には聞いたことがある。他国では、蒸気機関という発明を既存の魔道具の技術と組み合わせることで、大きな鉄の塊を走らせていると。
(それが遂に我が国にも来たのか……!)
技術の躍進、進歩の気配に胸が高鳴った。
しかし、まさかそのような計画が進行していたとは、開通式を目前に控えているにも関わらず全く知らなかった。学院生活にかまけて世情に疎くなってしまったことを私は密かに恥じた。
「そして、これがその鉄道を走る蒸気機関車である!」
車庫の日陰に鎮座する蒸気機関車を見せられ、ベネディクトと揃って感嘆の声を漏らす。
(蒸気船は見たことがあるけど……これが蒸気機関車か)
威圧感のある漆黒の鉄塊は魔法を用いても破壊するのは困難だろう。その冷たいボディの奥に確かな息遣いを感じる。これぞ、進歩の息吹だ。未来の息吹だ。
(もし、この鉄道が王都とベレニケを繋ぐようなことにでもなれば……)
[イリュリア縦断ルート]が[ネカウⅡ世の運河ルート]に比べて劣っていた時間的ロスという面が鉄道により短縮される。つまりは、商人たちの行き来が活発化するということだ。
「素晴らしいです、閣下!」
我が国の懸案事項に一筋の光明が見え、思わず大声が出た。
(いかんいかん、テンションが上がり過ぎてヨイショしているみたいになってしまった! こういうのは、ほどほどに素っぽくやるのが一番ウケがいい!)
ゴホンと咳払いして気持ちを落ち着け、努めて声のトーンを落として続ける。
「見たところ、鉄道は王都方面にのみ続いているようですね。これが他方面にも開通すれば物流や兵站はかなり効率化しますよ」
「ああ、その通りだ。今はツォアルと王都周辺を繋ぐだけの単線だけだが、そのうち複線化を進め、ゆくゆくは国中に張り巡らせるつもりだ」
ああ、なんて素晴らしい展望だろう。しかし、私が陶酔する一方で、ツォアル候は説明を続けながら段々と苦虫を噛み潰したような顔になってゆく。
「貴族に取っても税収向上、下々の者に取っても生活向上の恩恵が見込める、皆が幸せになれるものである。だが……如何せん理解を得られていないのが現状なのだ」
「諸侯派貴族……ですね」
横合いからベネディクトが指摘すると、ツォアル候は苦々しく頷いた。
「鉄道事業に関して、王党派貴族からは概ね好意的な反応を頂き多額の出資金も得られたが、諸侯派貴族の感触はさっぱり良くなかった」
成程、ツォアル候もまた派閥争いを嫌悪する者の一人なのか。歴史的な経緯もあって、両派閥から爪弾きにされていることも影響しているのだろう。
「恐らく我輩が発起人であることも影響しているのであろうが……実に、実に愚かしい! 嘆かわしい! 奴らには何も見えていないのか!?」
彼の怒りはもっともだ。しかし、諸侯派が嫌がるのも理解できる。最近になってようやく税収が王党派を越えたばかりだ。その利益を、わずかでも王党派に渡したくはないに違いない。
「――見給え、あの堤防を!」
堤防――それは畝のように土を盛ってあるあれのことだろう。それはずっと気になっていた。なぜ、陸ではなくわざわざ内海に土を盛って、その上に線路を敷いているのか。
「あれこそ反対勢力の妨害を受け、用地確保もままならず測量も工事も停滞する中、苦心惨憺の末に我輩が編み出した起死回生の策である!」
納得した。陸が駄目なら海で、ということか。
「奴ら我輩に先んじて土地を買い占めて強請りおって……しかし、フハハ! 最後まで土地を手放さなかった所為で却って損したぞ、様を見よ! フハハハハ!」
それは痛快だ。私も一応王党派なので、一緒に諸侯派の醜態を笑っておいた。ベネディクトは気まずそうな感じで突っ立っていた。
「かくして、諸侯派貴族の方はなんとかなったのである。この開通式を成功させ、鉄道が確かな利益を運んでくると分かれば、いずれ奴らの方から鉄道拡張を申し出て来るであろう。――だが、今度は別の問題が発生したのである!」
これを見よ、とツォアル候はくしゃくしゃに丸まったビラを幾つか突き出した。
『鉄道建設反対! 貴重な税金は国防のために投じよ!』
『己が道楽のために血税を浪費するダニへ鉄槌を!』
『飢民を見捨てるな! 鉄道を敷設する金で餓えた平民が何人救える!?』
そのビラ全てに『怒れる民』という署名がされていた。
アルガーディブ――現地語で怒り。理解を得られていないのは、貴族だけでなく民衆も同じということなのか。国防のためにも、食糧問題のためにも、経済のためにも、鉄道は役立つというのに。
「本来であれば、彼らにも鉄道の有用性を説き、十分な理解を得てから何の憂いもなく華々しきスタートを切りたいところではあるが、そのためだけに開通式を先延ばしにすることなど出来ないのである! 我輩には時間がない! それに彼らとて実物を見れば掌を返して鉄道を認める筈である!」
絶対に開通式は成功させなければならない、とツォアル候は鼻息を荒くした。全くの同意見だ。
「事情は分かりました。それで、私たちは何をすれば?」
「君たちには五日後の開通式当日、『怒れる民』と名乗る連中が馬鹿をしないよう、万が一の場合に備えて蒸気機関車に乗り合わせ、乗車客の護衛をしてもらいたい。そのために、ヘレナ殿から今回の戦場に適した人材を選抜してもらった」
閉所での戦闘に長けるもの……それが、私とベネディクト? 確かに私のメインウェポンは魔法でなく剣だが、ベネディクトはそういう器用なことができるタイプなのか?
「実のところ、見習いの子供ということで侮りもあったが、あれほど美事な剣の腕を見せられては認めざるを得まい!」
「お褒めに与り光栄です。必ずや乗車客も蒸気機関車も守りきって見せます!」
「うむ!」
私たちは再び固く握手を交わした。デカい手だ! ツォアル侯と王党派は、利害の絆で結ばれていることを実感した。
一方、ベネディクトはそんな私たちを微妙な顔で見ていた。
トラブル――私たちとの合流前に起こったと言っていたもの――の解決を祝し、ツォアル候は宴会の席を設けた。ツォアル候は酒豪であり、時々こうして現場の人間に混じって浴びるほど酒を呑むのだという。
出席者を見ると、外国人と国内の者が半々ぐらいの割合になっている。もともとは外国人技術者に頼り切りだったのを危惧したツォアル候が、自費で教育機関を設立して国内の技術者を一線級にまで育て上げた。
その判断は正しい。外国人技術者はわざわざ出向してきてもらっていることもあって、給料が馬鹿みたいに高い。これから国中に鉄道を張り巡らせようと考えるなら、国内の技術者は必須である。
「んぐ、んぐ、んぐ……プハァ~!」
「よっ、侯爵様! 良い呑みっぷりだぁねぇ! それでこそ、国の将来を背負って立つ漢だぁ!」
「ガッハッハッハ!」
今、ツォアル候を囃し立てた現場監督も国内の技術者である。その光景を見て、再び確信した。
(――彼は、この国に絶対必要な人間だ)
ツォアル候には未来がある。この国の繁栄の未来が。
彼のような人間を、こんなところで躓かせる訳にはいかない。彼の道が私の道と交わるのはこの時が最後かもしれないが、彼の生み出したものは必ずや後世に残るだろう。
この事業に末端とはいえ関われて光栄だ。『星団』に入るという夢がなければ、私はこういう仕事ができる役職を志望していただろう。
貴族や平民といった垣根を感じさせることなく、豪放に酒をかっくらい、笑声を響かせるツォアル候を尊敬の念をこめて眺めていると、知らぬうちに側まで寄ってきていたベネディクトが引き気味に話しかけてくる。
「君、ああいうのがタイプだったの? 意外」
「はあ?」
何を言っているのか、こいつは。
「アンタよりは真っ当な人間でしょうよ。ツォアル候は。そもそも、アンタだってそう言ってたじゃない」
「それはそうだけど……あまりにも、ねえ? 態度が違いすぎない? ……というか、もう完全に素の話し方になってるね」
「何、文句あるの?」
「……ないけどさ。なーんか、釈然としないな」
一体何が不満なのか、ベネディクトは駄々をこねる子供のように口をとがらせた。
己を知れ。そして恥を知れ。
面倒くさい馬鹿は放って置いて、よく焼き過ぎて表面が炭みたいになっているラム肉を齧る。料理人は居ない。いや、居るには居るのだが、全員ツォアル候に酒を呑ませられ、潰された。だから、これは自分で焼いた奴だ。
(ちょっと馬鹿に気を取られて焼き過ぎたけど……まあ、イケなくもない……わね。タレがいいのかしら、タレが)
強がり言いました。これはもう紛うことなき炭だ。炭以外の何ものでもない。ちとベネディクトの阿呆に構いすぎた。
口直しに料理人たちが潰される前に忘れ形見として残してくれた料理に舌鼓を打っていると、不意にニュッとマネの触手が伸びてくる。
「なあなあ、オレ様にもなんか食わせろよ」
「……アンタ、味とか分かるの?」
「なんか吸収の良いもんでもあるかと思って。暇だし」
「なら残飯でも処理してなさい」
そう言うと、マネは残飯の詰まったバケツに触手を突っ込んで、手慰みに消化し始めた。地味に便利じゃないか? それは。
それから暫くして、一人の女性が宴会の場にやってきた。メガネをかけた神経質そうな雰囲気の彼女は宴席を見回し、私たちの姿を見つけるとまっすぐにこちらへ歩み寄ってくる。
(……魔女か)
洗練され切っていない魔力。まだまだ発展途上の使い手だろう。
とそこで、場の暗さと学院制服を着ていない所為で気付くのが遅れたが、彼女には一度会ったことがあることを思い出した。あのウェーブのかかった上品な髪を揺らす彼女は、間違いなく王党派貴族のポーラだ。
「良い御身分ですね。仕事もせず、女性の方と楽しくお食事ですか」
「仕事? あ゛っ……!」
ベネディクトは汚い声を上げ、私に向かって軽く謝った。
「ごめんごめん、リン君。ツォアル候の後はヘレナ君に会わせる予定だったのをすっかり忘れてたよ」
「はぁ……ホントいい加減ね、アンタ」
評価が下がり過ぎて底を付き、もうこれ以上は下がりようがない。と、そんなやり取りを側で見ていたポーラが目を細める。
「あら……リンさん、こんばんは。随分と、ベンと仲良くなられたようで……何よりです」
言葉は丁寧だが、妙にトゲトゲしい物言いだ。ポーラはベネディクトと同学年、つまり私の一歳上の学年なので、会うのも顔合わせの時を含めてこれが二回目の筈。なにか特別彼女の気に障るようなことをした覚えはないが。
なんと返せばこの場に相応しいか悩んでいると、ベネディクトが私を庇うように前に出た。
「止し給え、ポーラ! リン君、気にしないでくれ、彼女はこういう娘だから」
「はあ」
私やヘレナと違って呼び捨てとは、多少は仲の良い間柄なのだろうか。
ベネディクトとポーラは、二人だけで何やらこそこそと話し出す。その間、ベネディクトの肩越しに、ポーラが威圧するような視線を私へ向けてきたのが非常に気になった。
そっちの話も終わり、ベネディクトが私の方に振り返る。
「ちょっと行って怒られてくるよ。ヘレナ君と合わせる予定は明日以降になったから、君はこのまま宴を楽しんでくれ。自分の部屋は分かるね?」
今夜、宿泊する部屋はツォアル候から聞いている。頷くと、ベネディクトは「また明日会おう!」と言って、ポーラを連れ立って元気よく去っていった。
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